皇子覚醒 04
フローリィーゼはアルティリアを抱き寄せる。
「リア、このお話のお母様とお姉様達はね、娘さんからドレスや宝石や、それからもっと大切な物を奪おうとしたの。それは良くない事だから罰が与えられたのよ」
「……リ、リアのドレスわけてあげるぅ」
「リアのドレスはお父様が贈ったものよ、リアが誰かにあげてしまったらお父様が悲しむかもしれないわ」
「おと、さま、ないちゃう?」
「そうね、泣いてしまうかも」
フェルディナンドは母と妹のやり取りを見つめながら、自分の胸に不安が広がっていく事に気が付く。
「リア、おちごとする。おちごと、して、かう。それ、あげる」
幼い子供は物語に感情移入する事があるが、この反応は変だ。「悪」と分かりやすい者に対して何故嫌悪しないのだ。
「リア、このお母様やお姉様達だけではなくて、沢山の人がリアのドレスを欲しいと言ったらどうするの?」
「……んと、いっぱい、おちごと、する」
「リアが頑張り過ぎたら、体を壊さないか、お母様は心配してしまうわ」
そして、フローリィーゼはアルティリアの瞳を見つめると、さらに続けた。
「それに、もし、リアに“私を皇女にしてください”ってお願いする人がいたら、あなたは、自分の代わりにその人を皇女にしてあげる?」
「お、おかあさま、リアのおかあさまじゃ、なくなっちゃう?」
「そうなってしまうかもしれないわ」
「おかあさまは、だめぇ。リアのおかあさまよ」
泣きながら胸にしがみ付くアルティリアを、フローリィーゼは包み込むように抱き抱え髪を撫でる。
「大好きよ、アルティリア。さあ、もう寝ましょうね」
深夜、アルティリアの隣で、フェルディナンドは横になっていたが眠れずにいた。
小さな寝息を立てる少女を見つめているフェルディナンドは気が付いた。アルティリアは善と悪の区別がない。判断が出来ないのではない。アルティリアにとっては、善も悪もないのだ。そして所有物に対しても、皇族という立場に対しても執着はない。何より、自分に対して恐ろしい程に無頓着だ。
先程の母との会話から推測するに、父と母の存在がなければ欲深い人間にドレスをくれてやる事も、姫君の立場を開け渡す事も躊躇がないのだろう。
それは幼さ故の浅慮なのか?アルティリアの思考能力が劣っているなどはない。もし、これが妹の性質によるものだとしたら。これから先、湧いて出てくる寄生虫のような屑共に、全てを奪われてしまうかもしれない。
「そんな事させない」
フェルディナンドは妹にそっと手を伸ばす。すると、アルティリアはころりと転がって自分の胸に小さな体を寄せた。
この子を守る。
絶対に。
その夜以降。フェルディナンドも母フローリィーゼの寝室に訪れ、アルティリアに絵本を読んでいる。
「かいぶつさんたち、どうして、みんなにイジワルするの?」
本日の絵本は孤児の少年が、村や街を襲う怪物を三匹の神獣と共に倒す物語だ。
「恐らくだけど、怪物の住む島は作物が育ちにくい土地なのだと思う。食べ物がなくては彼らも生きていけない。だから、人から食料や財宝を奪おうとしてるのではないかな」
その内容は実に単純明快で、主人公が怪物に勝利して終わる。だが、やはりアルティリアはすんなりとは納得しないのだ。
「らんぼう、ダメよ。でも、かいぶつさん、かわいそう」
「そうだね、だからルヴァランでは困ってる国を保護国として支援しているんだ」
「たすけてあげるの?」
「でもね、その全てに援助は出来ないんだよ」
支援金は元は民草の血税だ。人道的な理由のみで国家予算をさく事は難しい。防衛面や経済面など、何かしらの形でルヴァランに利がなければ保護国としては認めがたい。大国として存在するルヴァランから、甘い汁だけを啜ろうとする浅ましい存在など、いくらでも存在するのだから。
普段は静かにフェルディナンドとアルティリアのやり取りを見守っているフローリィーゼだが、末娘がションボリと黙ってしまうと言葉を掛けた。
「リア、私達皇族が一番大切にするべきは、ルヴァランとルヴァランに住む人達なのよ」
「リアは、みーんなすきよ。みんな、なかよしが、たのしいよ」
「そうね、そう出来るのが一番ね」
「でも、なかよしするのは、むずかしいのね」
母はアルティリアにすぐに答えを導き出そうとはしない。「正しい」答えなど存在はしないのだから。迷いながらも向き合い続けねばならない。
アルティリアはフェルディナンドの膝の上で、絵本を見つめながら、懸命に何かを考えている。妹を抱きしめて、小さな頭に頬を寄せた。
「アルティリア、もし、君に困ったら事や、嫌な事があったら、フェル兄様に話してくれるかい」
「こまったこと?」
妹はくるりと振り向いて、自分を見上げた。
「フェル兄様は、これから先、どんな時も、いつだって、世界中のどこにいようとアルティリアを助けに行くからね」
フェルディナンドがそう言うと、アルティリアは自分の胸に顔埋めると小さな腕を背中に回す。
「ありがと、フェルにいさま。だいすきよ」
「兄様もリアが大好きだよ」
その夜、フェルディナンドはアルティリアを後ろから抱き抱えるようにして眠った。小さな体からは温かさが伝わってきて、一人で眠るよりも心地よい。
「これは、どう言う事だ」
その夜、そんな二人を険しい顔を見つめる男がいた。
「フローリィーゼ、我が妻よ、我が妃、我が宝石、我がたいよ……」
「子供達が起きてしまいますから、お静かに」
ピシャリと言われてしまったのは、ルヴァラン皇国皇帝にして大陸の覇者アレクサンドロス。
「だが、狡いではないか。こっそり、下の二人を寝室に連れ込んで、其方一人でこの寝顔を満喫するなど!」
「シー」
フローリィーゼは黙って人差し指を唇に当てた。
「あ、すまん」
「貴方、ここ最近、お時間がなかったでしょう。だから、お声がけしなかったのですよ」
隣り合う属国同士の軋轢解消やら、独立を求めてきた保護国との貿易から軍事協定の見直しなど、働く皇帝は何かと忙しい。
「しかし、久しぶりに夫婦の時間でもと思ったら、とんでもない裏切りだぞ、フローリィーゼよ」
「そうですか、お帰りはあちらですわ」
「冗談だ、愛してる」
「はいはい、私も愛しておりますよ」
アレクサンドロスは妻と軽口を言い合いながら子供達を眺める。大陸中の可愛いを詰め込んだようなアルティリアの寝顔。そして、生まれた時から反抗期かと思わせる様なツンとした顔のフェルディナンドだが、眠っている時はこんなにも、あどけないのか。
なんて事だ、体の内側から骨の髄まで、血の一滴に至るまで、全てが浄化されていくようではないか。
「一晩中、見てられるな」
「明日も早いのでしょう?私はお先に休ませて頂きますわ」
幸せを噛み締めていたら、愛しい妻はさっさとベッドへと入ってしまう。しかも、末娘を抱く次男の後ろに回り込み、フェルディナンドとアルティリアを抱え込む。何だそれ、羨ましいぞ。
だが、反対から見れば、末娘と次男、さらには妻を同時に眺める事が出来るではないか。アレクサンドロスはフローリィーゼの向いから、いそいそとベッドへと入る。うむ、絶景かな絶景かな。
翌朝、フェルディナンドはカーテンの隙間から差し込む柔らかな朝日で目が覚めた。腕の中には小さな妹が寝息を立てている。アルティリアは人懐っこい性格のようで、すぐに仲の良い兄妹になれた。幸せだ……と思ったら、妹を挟んで巨大な男が眠っている事に気が付いた。
「ちっ父上!?」
おまけに自分は後ろから母に抱かれているではないか。急に恥ずかしくなる思春期突入皇子。
「んー……」
大きな声を上げてしまったせいで、アルティリアが起きてしまった。もぞもぞと動き始める少女がパチリと目を開けると、そこには大好きな父がいた。
「おとうさま、おとうさまがいるわ!」
「ああ、起きたのか、アルティリア」
「キャー!みんな、いっしょ!」
めちゃくちゃ恥ずかしい気分のフェルディナンドをよそに、アルティリアは父を大変歓迎し、早朝会議のためフローリィーゼの寝室を後にしようとするアレクサンドロスに頼むのだ。
「おとうさま、また、いっしょに、ねてくれる?」
「もちろんだ!」
こうしてフェルディナンドは11歳にもなってパパとママと一緒に眠る事になる。フローリィーゼの寝室に来なければアルティリアに会えないから仕方ないとは言え、羞恥心は爆発寸前だ。
しかし、フェルディナンドはアルティリアが関わると冷静さを失ってしまうのは、この頃から変わらなかったようで、普通に日中に会いに行けば良いだけだと気が付くのは、かなり後になってからだった。
その日の陛下は、子供達と一緒にお目覚めしたおかげで、元気いっぱいキレッキレだったとさ。
またアレクサンドロスは妻と2人きりだと「ありがとう」も「ごめんね」も素直に言えちゃう系な夫です。
アレクサンドロス「皇帝やってる時は言えぬからな」
ただし「愛してる」はオンオフ関係なく言う。




