第三章3 『浴室の邂逅』
「いやあー! 疲れた体に染みるなー!」
青空の下、精霊に魔術を教えてもらっていたのも数時間前の話。空は既に暗色に染められており、幾多の星が光り輝いていた。
ユーキは昼食はもちろん、夕食も食べ終わった後であり、現在は浴槽で極楽中。
使用人としての業務はなかったものの、シオンとの戦闘訓練は存在した為、体は芯から疲れきっていた。ファントでの戦いでユーキも少しは成長したと思っていたが、シオンは今までの訓練で本気を出していなかった為、彼はここまで疲れる羽目となってしまった。
ちなみに魔法授業はそこまで疲れの要因とはなっていない。
「しっかし、魔法系を習った日は充実感凄いよなー! 魔法の時も高揚感が凄かった!」
疲労の少なさの割りに高揚感は途轍もない魔法関連の学び。魔法の時も然り、今も胸の高鳴りは続いている。
戦闘訓練の方もこうなることを期待していたのだが、シオンの今までの手加減により、予想通りに事は進まなかった。
「にしても……やっぱり、虚しさが拭いきれねえ」
大浴場での独り言。誰も居ないからと一人独言を繰り広げていたが、その虚しさに耐えきれなくなったユーキ。
言葉を発しても、返ってくるのはライオンによる水音のみ。静かなことには変わりない為、虚しさが消えることはない。
ユーキは現状を解決しない独り言にため息をつく。しかし、これさえも彼の虚しさを増幅させる要素となっていた。
一人となってしまった虚しさ――と呼べる暇――を消す為に、手である形を作る。浴槽での一人遊びである水鉄砲だ。
パシャパシャと前方に水を撃つユーキ。今までの浴槽だと端まで届いたが、今の浴槽だと届く気配すらない。
何度も何度も試行錯誤を繰り返すユーキだが、浴槽の端に到達することはなかった。いっその事、魔法でも使ってやろうか、と思ったユーキだったが、こんなことに魔法を使うのもどうだろうか、と思い留まり、一人遊びを止めた。
「……こんなときにロアノスがいればな」
思いついた遊びも止め、やることが本当になくなったユーキは、この屋敷唯一の男であり、唯一の裸の付き合いの経験がある者の名を口にする。
すると、その願いが天に届いたのか、浴室の扉が開く。それと同時に冷気が入り、浴室に湯気が立ち込める。
「おっ! もしかして、噂をすればってやつか!」
冷気と共に、長身の男が現れることを期待したユーキ。自然と声量も上がる。
しかし、湯煙に映る人影は彼の期待より小さく、幼稚であった。
「私のことを待ってたのかな? ……でも、ここでそれを期待するなんて。君、いかがわしいね」
声量の上がったユーキの言葉に声が返ってくる。それは高く、だが、ロアノスの声ではない。しかし、思い当たる声がユーキにはあった。
その外見に反して、冷静さを持つ声。時に扇動的であり、時に唯一の理解者である金髪の少女。
声を聞き、湯煙に映る人影と彼女の姿が合致した。
「その声……エアか?」
今、目の前にいる者が誰か分かったことにより、冷静になったユーキだったが、それが更なる困惑を生み出してしまった。
直接見えていないにしろ、なぜ、目の前でエアが一糸纏わぬ姿を晒しているのか。なぜ、彼女が取り乱さないのか。
溢れ出る疑問の中、ユーキが取れた反射的な行動は、湯に浸かる自身の下部を隠し、エアの柔肌から目を逸らすことだけだった。
「な、なんでここにいんだよ!?」
「健全な男子学生的反応、君もウブだねー」
ユーキの慌てようにケラケラと笑うエア。声だけでその様子を想像したユーキだが、不意に雑念が介入した為、頭を思い切り振る。
「ちょっと、何してるの! 水飛んでくるんだけど!」
「己が煩悩と戦ってんだよ! 間接的にお前のせいだから、自業自得だよ!」
理不尽極まりない暴論を吐くユーキだが、それを聞き流し、エアは浴槽に足を踏み入れる。
浴室に入ってきたのがエアだと分かった時点から、動転していたユーキだが、それに追い討ちをかけるようにエアは隣に座る。
「お隣、失礼するよ」
「なんでだよ!? ロアノスでももう少し離れてたぞ!」
ノリが良さそうな男でさえ、距離を取ったというのに、神もどきの距離は途轍もなく近い。
大浴場の広い浴槽の中、肌を顕にした男女が密着している。この場面がもしも第三者に見られたら、と本格的に焦りだすユーキ。
最悪の事態を避ける為、浴槽の縁に沿うように、エアから距離を取るユーキ。しかし、彼女は折角開けた距離を詰めてくる。
「なんで近付いてくんだよ! 浸かるだけなら離れててもいいだろ!」
「君的にこっちの方がいいかなと思ってね。君が見たければ、じっくり見てもいいんだよ?」
突如現れる誘惑。ユーキは「はっ!?」と頬を染め、思考が停止しかけるが、なんとか意識を保つ。
「お前もっと自分を大事にしろよ! そんな簡単に男に裸なんて見せたら駄目なんだぞ! 男は皆狼って言葉もあってだな。こういう所からも男は欲にまみれてることが分かるんだよ! だから、だからな!」
意識を保ったユーキだったが、その口から出る言葉はどこか辿々しく、焦りを体現していた。
「そういうのは私の台詞だと思うんだけど……。でも心配しないで。見られて減るもんでもないし」
「それはどっちかって言うと俺の台詞だよ!」
エアとの会話は破綻していた。ここでの日常では感じられないノリにより、ユーキのテンションは焦りを上回る勢いで上がっていた。
この時には既に裸の少女と対面していることを忘れかけていた。
「……で、もう一回聞くけど、なんでここにいんだよ」
一時でも忘れられた為、理性で抑えられるのではないか、と思ったユーキ。ゆっくり深呼吸をして、心を落ち着かせる。
結果、ユーキの理性が勝り、本題に戻れる程になった。
「オドオドするのはもう終わり? なんかつまらないね」
「これでも気張ってんだから、話そらさないでくれ」
ギリギリの状態で会話を進めようとするユーキに不服そうな顔をするエア。
ユーキにとっては迷惑極まりない為、ため息で返す。それを見て、やっと話を進める気になったエアは先程からユーキが聞いている疑問に答える。
「分かったよ。……私がここに来たのは二人で話す時間が欲しかったから。と言うより、君も話したかったでしょ?」
ユーキから離れた位置に座り直したエアの言葉。それに頷いて返すユーキ。だが、間を開けず、頷いたユーキの首が横に折れる。
「なら別に部屋で良かったんじゃ……?」
エアの言葉におかしな点を見つけたユーキ。エアの方は向かずに、前へ問いかける。
「……部屋は駄目。深夜に男女が密会だなんて、誰かにバレたら大問題になっちゃう」
「あっ、確かに。なら、こっちの方が……ってなるかいな! 寧ろこっちの方がバレたらヤバいだろ! 濡れ衣で俺が社会的に死ぬぞ!」
普段あまりしないノリツッコミにより、言葉が少し変になるユーキ。最悪の事態を叫びながら、勢いのままに立ち上がる。
しかし、これが彼にとって最悪の事態を引き起こす。
「わ、わあ……。急に大胆だね……」
ユーキの崛起により、対処に困ったエアは、とりあえず言葉を発する。
それにより、現状を理解したユーキ。気付くや否や、しゃがみ込み、湯に浸かる。そして、顔を赤く染める。
「初めて見られた……。家族でも、男友達でもないやつに……」
「ユーキ、性別間違えてるよー。気持ちは分かるけど、その反応は私のだよー」
自分の全てを見られ、乙女的反応を示すユーキに慰めを含んだ声をかけるエア。
「落ち込むのやめなよ。私にとって君は異性であっても、恋愛対象じゃない。だから、顔を上げて」
「そういう問題じゃねえよ! 異性って時点で俺にとっては問題なんだよ!」
目に涙を浮かべて……まではいかずとも、恥ずかしいという感情は見て取れるユーキ。
エアが下手に触れたとしても、ユーキの傷は癒えない為、エアは慰めから忘れることに方向転換し、自然治癒を促す。
「それで話の続きだけど、ここで話そうと思ったことに特に理由はないよ。強いて言うなら、アクションを起こそうと思ったのが、今だったから」
「よく普通の流れに戻れたな!? ……だけど、それだと話も進まないか」
エアの思い立ったタイミングのせいでユーキとしては大きな損害を与えられた訳だが、その考えに到り、声を上げるのはまた後の話。
自分の都合で話が進まないのもどうかと思うので、先程の失態は水に流し、エアの話に耳を傾ける。
「単刀直入に言うよ。ファントで戦った司教、どうだった?」
「それは俺が感じたことを聞いてんだよな? ……強かった。けど――」
感じたことを一言で言い表したユーキ。それから言葉を付け加えようとすると、その続きをエアが綴った。
「勝てない相手じゃなかった、だよね?」
エアが綴った続きが自身の思うものと同じものだった為、ユーキは頷く。
その反応に不服を示すエア。
「それじゃあ駄目なんだよ。確かに君はまだ剣を握って約一週間。それで司教と一人で戦えるなら上出来。でも、それだと大罪人には勝てない。だから――」
エアが不服の理由を述べる。
単純な力不足の通告。これはユーキ自身も認めている。しかし、ただ認めている訳ではない。
エアが言った通り、一週間で司教に手が届いた。そこから考えると、大罪人たちにも手が届く日が来るのではないか。
ユーキはこの考えの元、エアの言葉を遮る。
「エアの言ってることは俺も分かる。だけど、一週間でここまで成長したんだ。それなら――」
「大罪人にもいずれ手が届くって? ……君が司教を倒せたのは魔剣の力様々。それがなかったら手も足も出てなかっただろうね。そんな君が大罪人に手が届くとでも?」
「だったら、それができるまで頑張って――」
「頑張ってできる範囲には限界がある。いい加減気付きなよ。――夢語ってるんじゃないよ」
エアの鋭い言葉に何も言い返さないユーキ。努力にも限界があると現実を突きつけられたからか、自身が語っていたのが、実現するはずのない夢だと気付かされたからか。
ただ、その中で、なぜ急にそんなことをエアが言いに来たのかと疑問が残る。
破壊神討伐を頼んできた当の本人であるエアが、ユーキのやる気を損なわせるような行為をするであろうか。
その結論に辿り着く前に、エアの言葉が答えとなった。
「と、ここまでが前置き。どうだった? 絶望した?」
「こんなのでするかよって胸張って言いたいけど、ギリだったよ。折れる前に気付けた」
ユーキの返しに「良かった良かった!」と、安心するエア。
この程度のことに心を折られては自分の見る目すら疑ってしまうからだろう。
それか破壊神討伐を辞めるだとでも言い出すと思っていたか。この二択で間違いはない。
「で、ようやく本題か。何を教えてくれるんだ? どんな相手でも一撃必殺の魔法か? それとも約束された勝利を与えてくれる伝説の武器の在処か?」
「そんな物あったら既に教えてるよ……」
ユーキの想像以上の期待にため息で答えるエア。
「と言っても、大したものでもないよ。君が手に入れた魔剣の詳細。それと五神剣についてもちょっとね」
「……力じゃなくて知識か。まあ、それも大事だよな……」
どれ程の力を期待していたのか、ユーキの落胆の様子が言葉から伺える。
落胆の様子は言葉だけではなく、格好からも伝わる。
背中が丸まって、哀愁を漂わせ、顔は俯いて、湯を虚ろな目で見つめている。
「見るからに落ち込むね。でも、知識も立派な戦う為の力だよ」
「……そうだな。魔剣について知ることも重要だもんな。あの剣のこと、教えてくれ」
「立ち直ってくれて良かったよ。でも、今から話し始めると、どこで切ればいいか分からなくなるから、一旦ここで切るね」
「え? どういうこと? 今のどういうこと? もしかして、俺とかが触れたら駄目なやつ?」
エアの言葉に問いかけを連続投球するユーキ。エアはそれら全てに微笑みのみで対応した。




