第一話 運命の指輪②
今日は、一年に一度の海神祭りの初日だ。人々は三日三晩朝から晩まで火を灯し、海神に祈りを捧げ、海辺で踊り続ける。その祭日に、5年前龍の赤子が誕生した。それは極めて稀少な誕生だ。龍の卵は、とても繊細で環境の変化に極めて弱い。気候に恵まれ、大地に愛されなければ孵化まで辿ることは出来ないと言われている。その卵が、約1000年ぶりに孵ったのだ。しかも、ナージャの子。天龍の赤子だ。人々からは、海神の化身と謳われ、いずれはこの島だけでなく、世界中に散らばる龍族を束ね、率いる器になると龍族の期待を一身に背負った子供。それが、フェイの幼なじみ、レンだった。
「いない・・・ねぇ」
レンやナージャの住処は、龍の谷の最奥の洞窟に在る。その入口は、山のような貢ぎ物で溢れていた。体長1mはある程の大魚や、甲殻類、貝類、その他フェイの見たことも無い深海の生き物達が連なる山をみて、フェイの肩でリトが舌舐めずりをする。
「私は、皆に聞いて回ります。フェリアは、ここに居て下さい」
そう言うと、ナージャはフェイを降ろし、遥か雲の上までそびえ立つ険しい峡谷を、悠々と泳ぐように昇っていった。その様子を見届けてから、フェイは辺りを見回す。洞窟の周囲からは、様々な生物の息づかいが聞こえた。周りは、霧深いジャングルだ。ひとたび足を踏み込めば、方角も時刻さえも狂わす龍の森。
フェイは箒の柄を握る手に力を込め、その深き森へと足を踏み入れた。
「ちょっと待てぇぃ!お前、ナージャにここに居ろって言われたばっかりだろーがっ!!」
「大丈夫。前に、レンとここでかくれんぼしたの。私、5分でレンを見つけられたんだから」
「なら安心だな・・・・とか言うとでも思ったかっ!!このトンチンカンッ!大体そん時は、レンのアホが木から落っこちて、びーびー泣いてやがったから見つかったんだろーがっ!いくらアホでも、そんな醜態をまた・・・晒すわけ・・・・」
リトの毒舌が、急速に力を無くしていく。
立ちこめる霧の中、微かに人の泣く声が聴こえてくる。
「レンだぁっ!!」
はち切れんばかりの笑顔を浮かべ、フェイは走り出した。その肩に乗ったリトは、人知れずため息を吐く。
「・・・・・成長の無え奴ら・・・・」
沼地の上を這うように、巨大な根をタコ足のように生やしたマングローブの根元に、成長しないガキは居た。泣き疲れたのか、わずかにしゃっくりを上げ、途方に暮れている様子の彼は、フェイの顔を見るなり、慌てて涙を掌で拭う。
父に似た白銀の髪に、黄金色の瞳。真珠のような白い肌が、今は泥を浴び、小さな裂傷をいくつも作り、布切れ一枚を身に纏った彼は、まるで野生児さながらだ。ナージャが見たら、発狂するだろうなと、リトは心の底から同情する。
「何の用だよっ!こっち来んなっ!」
最大限の強がりを言う彼に、フェイも負けじと応戦する。
「私の指輪、返してよっ!私が寝てる隙に盗むなんて、ひどいじゃないっ!」
そりゃ、もっともだ。リトもうんうん頷く。
「バーカッ!盗られる方が間抜けなんだよ!誰が返すかっ」
「あんたの方が間抜けじゃないっ!そこから、降りられないで泣いてたくせにっ!」
「なっ・・・泣いてなんてねーよっ!バーカッ!」
「なら、降りてみなさいよ!この、意気地無しっ!」
二匹の小さな怪獣の口喧嘩が始まった。
同レベルの二人の争いは、始まると収拾がつかなくなる。仕方無しにリトが口を挟もうとした時だった。
大きな羽音がした。刹那、黒い影が視界に出現する。それは、レンの頭上を旋回しながら、からかうように鳥類の鳴き声を上げた。リトは、まさかと思う。その烏に、見覚えがあったからだ。
「こいつだ!さっき、俺の指輪を盗りやがったのはっ!!」
「なんですって!?」
レンの叫びに、フェイも絶叫する。
「俺の指輪を返せーっ!!!」
さっきまで、泣いていた奴とは思えない程の威圧感を放ちレンは咆哮すると、烏目掛けて跳躍した。
「レンっっ!!!」
「んのバカっっ!!」
フェイとリトが固唾をのんで見守る中、レンは烏の羽をむしり取る勢いでその片翼を掴みながら、一緒に沼地へと落ちていく。高度がそれ程無かったのは、せめての救いだった。
激しい流水音と共に、浮上したレンは、がっちり烏の羽を掴んでいた。
「このやろぉっ!!」
派手に暴れる烏を、小さな身体全体で抑え込むレンの姿に、フェイは胸を撫で下ろす。
「それくらいにしてやってくれないか?レイブは、お前に指輪を返しに来たんだよ」
突如、気配の無い背後から、声がした。
リトが振り向いたその先には、懐かしい顔があった。
赤銅色の髪を後ろで一つに結えた、華奢なシルエットの大男。顎に、似合わない髭を生やして微笑んでいるのは、まぎれもなく、リトの旧知の人物だった。
「よぉ、久しぶりだな・・・リト」
「てめー・・・生きてやがったか」
「お陰さまでね。フェイも、でかくなったなぁ」
無遠慮に近付いてくる見知らぬ男に、フェイが一歩退く。しかし、その大きな掌で頭を撫でられれば、何故か温かい気持ちに包まれる。何より、彼からは懐かしい匂いがした。
「そっちはナージャの子か。今日の主役だってーのに、汚ねー面してんなぁ」
つい他所見をしたレンの手から逃れた烏は、泥にまみれた身体を震わせ、レンに仕返しとばかりに泥水をお見舞いすると、ふらふらと羽ばたいて、男の足元へ着地する。
「フェイ、リト、うちへ帰るぞ。リュキアがかんかんだ」
見知らぬ男の差し出した手に、何故かフェイは素直に従った。
ごく自然に結ばれた、小さな手とそれを包む大きな掌。
それが、後に師弟関係となる、ランスロットと、フェイの出逢いだった。