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 それはお母さんのぬくもりから引き離されたある夏のころだった。ワタシは暗い、暗い部屋の中でポツンとうずくまっていた。


「また、あの嫌な眩しい光に照らされる」


 毎日のように訪れる忌まわしいあの光がワタシは大嫌いだった。騒々しくて、好奇に満ちていて、それでも逃げ場なく過ごさねばならないあの光の時間が大嫌いだった。


 その部屋は小柄なワタシにとってとても広かった。床一面には大好物である牧草が敷き詰められており、水だって絶えず飲むことができる。生きていくために必要な物は一通り揃っていた。広くて、静かで、美味しい匂いのする、これ以上無い部屋なのに、それでも落ち着けなかった。これで居心地が悪いと言ってしまえば、きっとただのわがまま娘なのだろう。……でも、やっぱりこの部屋は窮屈だった。


 何より許せなかったのはこの部屋はガラス張りなのだ。おかげで左右の隣部屋が丸見え。お隣さんと同居しているようなものだ。プライバシーも何もあったものじゃない。特に右の部屋に住むチャラそうな子はいつもワタシを口説いてくる。こう思っている今も、ワタシの視界にはそいつがいる。


「あぁ……。なんでこうまでして生きているんだろう」


 ワタシはずっと思っていた。心を窮屈そうに仕舞い込みながら……。


 やがて、いつものように暗かった世界が、真っ白い光の世界に変化する。


「またやってくる。あの光がやってくる」


 そう思うやいなや、けたたましく脳裏を駆け巡る喧騒が、ワタシの聴覚を刺激し始めた。鼓動が激しくなる。息が苦しくなる。怖くて身体が小刻みに震える。


「せめてほんの少しでいいから、このドキドキを和らげてくれる時間が欲しいな……」


 そんな欝な日々を過ごしていたある日、ワタシは暗い部屋から一瞬にして騒々しい光の中に押しやられた。どうやらいつものように『餌を運んでくる人』に抱え上げられたらしい。一気に広がった騒々しい世界に、『餌を運んでくる人』の掌にちょこんと乗せられたワタシはさらなる恐怖で怯えていた。


「怖い。辛い。逃げたい……」


 するとワタシの目前に見覚えの無い人が顔を近づけてきた。やっぱりこの時間は何時まで経っても慣れない。ワタシの身体はますます震え上がった。するとその人は『餌を運んでくる人』に向かってこう話した。


「この子がホームページに載っていた子ですか?」


 ワタシはその瞬間思わず「ホームページって何?」とその人に尋ねてみた。もちろん、この声は届かない。するとその言葉を遮るように、間髪いれず『餌を運んでくる人』が答えた。


「そうですよー。ネザーランド・ドワーフの赤ちゃんです。まだ生後二週間なんですよ」


「へぇー! かわいい~」


 何を言っているのかよくわからない。でも、ワタシが今、知りたいのはそれではない。無謀な事だと知りつつ、とにかくワタシは叫んだ。


「だから、ホームページって何よ!」


 でも、やっぱりその声は届かない。


「抱っこされてみますか?」


「いいんですか?」


 ワタシはいつしか『餌を運んでくる人』の掌から、『ホームページの人』の掌に軽々と移された。だが、この人の掌からは明らかに不安が伝わってくる。恐る恐る抱えるその人の不安が、ワタシの全身にヒシヒシと感じるのだ。正直、死んでもいいから飛び降りたいくらいだ。いや、ひょっとすると飛べるんじゃないか? でも、ま、少しくらい我慢してあげようか。


「こうやって手を添えて支えてあげればこの子も安心しますよ」


「あぁ……。こ、こうですね」


 暫くすると『ホームページの人』も慣れてきたようだ。ワタシを覆い尽くしていた不安の雲も少しずつ晴れてきた。少しの時間我慢してあげた甲斐があったというものだ。


「毛色はリンクスなんですよね?」


 不安の解けたその人は、ワタシを軽く抱き上げると頭をやさしく撫でてくれた。それはなかなか悪くない気分だった。ううん、何だかとても清々しい時間だった。


「ありがとうございます!」


 バタバタと何やら忙しない『餌を運んでくる人』。ふと見ると、隣のあの子がガラスの部屋越しにこちらを伺っている。何だか寂しそうな表情を浮かべていた。


「……ひょっとして、あの部屋から開放されるのかしら?」


 果たして、その直感は本物だった。ワタシはいつものようにあの居心地の悪い部屋に戻されることは無かった。だが、今度は見慣れない茶色いバスケットの中に閉じ込められたのだった。


「ちょっと、ちょっと……。これまでより状況悪くなってない?」


 ワタシの新居となるかもしれないその部屋は、これまでの部屋とは違ってかなり狭い。


「……でも、これはチャンスよね」


 四方八方、牧草で造られたこの部屋は、ワタシにとってお菓子で出来た家みたいなもの。食いしん坊のワタシならば、この程度の広さなら二、三日で食べ尽くして脱出できる。ワタシは心の中でこのチャンスを激しく喜ぶのだった。


 暫くしてバスケットの天井裏から聞こえてくる人の声。その声は紛れもなく『餌を運んでくる人』の声と、さっきの『ホームページの人』の声だ。その他にも何やら「三万何円になります」とか、「あ、五円出します」とか、わけの分からない言葉の応酬が、ワタシの部屋の上で繰り広げられている。


「飼育で何か困った事があればいつでもご相談下さいね」


「はい、どうもお世話になりましたー」


 煩いなぁ。ハッキリ言って近所迷惑だ。今にも起き上がって怒鳴りつけてやろうかと思ったその瞬間、ワタシの部屋が大きく揺れ始めた。


「あ! 危ない! うわぁ!」


 ワタシは暗く狭いバスケットの中で、バランスを取るのに必死だった。右に重心が寄ったと思えば左に。左に寄ったかと思えばまた右に。ワタシは思わず叫んだ。


「そうよ! これはきっと『地震』だ! どうして気付けなかったのか!」


 それはワタシが生まれてから得た知識ではない、遠い過去からの記憶を紐解いて出た結論だった。しかし、その記憶も少々信用できないあいまいなものでもあった。それによれば『地震』が来る前には必ず嫌な信号が流れてくるから、それが聞こえない場所まで逃げれば良いという記憶だった。


「てか、そんな信号無かったじゃないか! 遠い記憶の馬鹿ぁ!」


 そんな独り言を物々言いながら、揺れ動く狭いバスケットの中でワタシはコロコロと転がりまわっていたのだった。


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