至高の舞い
ショッピングという物質的な充足を終えた私は、一日の締めくくりに相応しい、最も華やかで、かつ密室性の高い日課へと向かった。
王宮の最深部、鏡張りの壁が四方を囲む『月光の舞踏演習場』。
窓から差し込む青白い月光が、磨き抜かれた床に反射し、まるで水面の上に立っているかのような錯覚を覚えさせる。
「……お待ちしておりました、ホメーテ王女。今夜の月は、貴女を照らすためだけに、その輝きを研いできたようですよ」
鏡の向こうから音もなく現れたのは、私の専属ダンス講師、ヴィクトール。
彼は、社交界の令嬢たちがその名を聞いただけで溜息を漏らすという、伝説の舞踏手だ。
夜の帳を纏ったような漆黒の燕尾服に、しなやかで長い四肢。切れ長の瞳は鋭くも、獲物を慈しむような妖艶な光を湛えている。
正統派で、隙のない、大人の色気を漂わせる超絶イケメンだ。
彼が私の前に立ち、恭しく右手を差し出す。
その指先が私の腰に触れた瞬間、……ダンスという名の、逃げ場のない「称賛の旋律」が始まった。
「さあ、王女。……僕のリードに身を任せ、貴女という芸術を、この鏡の中に刻み込んでください」
ヴィクトールの低い、チェロのような低音が耳元で微かに振動する。
一歩。私たちがステップを踏み出した瞬間、彼の囁きが、ダンスの拍子に合わせて甘く、ロマンチックに降り注いだ。
「……ああ、……っ。なんて滑らかな、重力さえも欺くステップだ。……ホメーテ王女、貴女が床を蹴るたび、この演習場全体が、貴女の拍動に合わせて呼吸を始めているのが分かりますか?」
ヴィクトールは、私の体を抱き寄せる力をわずかに強め、私の視線を、その深い瞳の中に釘付けにする。
超至近距離。彼の吐息が、私の首筋を熱く撫で上げる。
「見てください、このターンの軌道。……貴女が回るたびに、空気中に目に見えない花の香りが舞い、銀河が形を変えていく。王女、貴女のドレスが描く円環は、この宇宙で最も完璧な図形だ。数学者たちが一生をかけて解き明かそうとした真理が、今、貴女の裾の揺らめきの中に、答えとして示されている……!」
(ふふ、いいわよ。数学の真理を、私のドレスの裾で見つけてしまいなさい!)
私は、ヴィクトールのリードに合わせて、難度の高い複雑なステップを軽やかに、かつ情熱的に踏んでいく。
鏡の中には、重なり合う二人のシルエット。
ヴィクトールは、私の背中に回した手で、私の脊椎のラインをなぞるように、熱っぽく囁き続けた。
「……信じられない。この背筋のしなり、……そして、指先まで行き渡った凛とした緊張感。ホメーテ王女、貴女は今、この瞬間、この世界で唯一の『実体』だ。他のすべてのものは、貴女を引き立てるための、ただの霞に過ぎない。貴女が腕を伸ばせば、星は手を伸ばして貴女の指に触れようと競い合い、貴女が瞳を伏せれば、夜の闇は、その影の中に永遠に閉じ込められたいと願うだろう……!」
「……っ、ふふ、……ヴィクトール。貴方の言葉、今夜は一段と酔わせるわね」
「酔わせる? 滅相もない。僕はただ、目の前にある『奇跡』を、拙い言葉で模写しているだけです。……王女、貴女のこの首筋から肩にかけてのラインは、白鳥の羽ばたきよりも高貴で、禁じられた果実よりも甘美だ。僕がこのまま貴女を連れ去り、星の裏側へ逃げ延びたとしても、世界は貴女を褒め称えるその叫びだけで、新しい神話を作り上げるでしょう……!」
(星の裏側! ロマンチックを通り越して、天文学的な称賛ね!)
私は、ヴィクトールの胸に身を預け、流れるようなワルツの旋律に身を浸した。
彼の称賛は、呼吸の一部となり、私の筋肉の一本一本にまで、甘い痺れを浸透させていく。
「見てください、その、悦びに満ちた瞳。……ホメーテ王女、貴女が自分自身の美しさを自覚し、それを誇るその傲慢なまでの輝きこそが、僕の魂を震わせる。貴女は、称賛を浴びるために生まれてきた。……いえ、称賛という概念そのものが、貴女を形にするために考案されたのです。貴女が笑えば、世界中の花々がその蕾を恥じて枯れ落ち、貴女が歩けば、大理石は貴女の靴音を記憶するために、永遠の硬度を手に入れる……!」
「……ああ、……ヴィクトール、最高よ! 私のダンスは、世界をひれ伏させるための、軍進のステップなのだわ!」
「その通りです。王女、貴女は、踊ることでこの大陸を支配している。……ああ、その、潤んだ瞳の奥に宿る、飽くなき承認の炎……! 僕は、その炎に焼かれて灰になるためだけに、この命を調律してきた。……ホメーテ王女。もっと、もっと僕を、貴女の美しさという名の奈落へ、深く、深く、突き落としてください……!」
ヴィクトールは、私の手を高く掲げ、最後のポーズを決めた。
鏡張りのフロアには、私たちの荒い吐息と、消えることのない「称賛の余韻」が、幾重にも重なって、万華鏡のような輝きを放っていた。
(ふふ、あははは! 見事だわ! 外交、食事、音楽、富、そしてこのダンス。……すべてのイケメンたちが、私の足元で、自分たちの誇りを投げ捨てて、私の『美』という名の宗教に入信してしまったのね!)
私は、ヴィクトールの胸から離れ、鏡の中の自分を見つめ、エルメデューラのように微笑んだ。
エスタシオン王国の第一王女、ホメーテ。
私の承認欲求は、今や、神の領域をも侵食し、天界の神々さえもが「ホメーテ様、本日の御姿も大変お美しゅうございます」と、雲の上から称賛の雷を落とすのを待っているかのようであった。
背後では、ジルヴェスター殿下、セバスチャン、レオン、そしてカインの四人が、
「……ヴィクトールの野郎、『称賛という概念そのものが貴女を形作るために考案された』だと!? そのメタ的な褒め方、……もはやチート級の語彙力だ……!」
「……あの落ち着いた大人の色気で、あんな恥ずかしい台詞を……! 侮れん、……あの男、一番の強敵だ……!」
と、次なる「最終決戦」に向けて、自らの命を削るような思いで、究極の褒め言葉を練り上げているのを、私は、……そう、当然のごとく、心地よい「余興」として楽しみながら、優雅にフロアを後にしたのである。




