2話-25
私は春日野さんに手を引かれて、校舎を進んでいった。それにしても、春日野さんの手はちっちゃくて柔らかくて、可愛らしい。勿論、本人は気にしてるだろうから云わないけど。
「チョコちゃん。私たち、何処へ行くの?」
「ここです。失礼しまーす」
見るとそこは保健室だった。春日野さんが扉をゆっくりスライドさせていって、カーテンの閉まってないベッドが複数と、椅子に腰掛けている保険医の先生が見えた。先生は春日野さんと同じ位の身長で、とても可愛い顔をしている。
「あら、いらっしゃい。今日はお友達も一緒ね」先生は立ち上がってお茶の準備をし始めた。
春日野さんがパイプ椅子を二脚、壁と棚の隙間から運んできた。「まぁ、座りましょう。ここは聖域ですのでゆっくりできます」私に席をすすめてくれて、自分は先生の手伝いを始める。
入学してすぐのオリエンテーションで入って以来、こちらに用がなかったので新鮮な気持ちだ。料理研究会の部員は腱鞘炎や火傷、包丁傷等お世話になる事が多いので、保健室から戻ってきた部員がよく先生の事を話しているのを聞いていた。曰く、保健室には天使がいる。名を天使美羽といい、その治療の腕は本物で、所見にまず間違いはないという。
あまりの人気ぶりに男子生徒は怪我や病気でない限り出入り禁止だそうだ。女子生徒はそろそろ出禁を言い渡されそうだったので、自重、自粛をしているらしい。春日野さんと先生の様子を見てみると、とても良い関係を築けているのが分かる。
「チョコちゃんはお昼の映像を見てこちらへきたのね。お友達は」
「舞咲一華といいます」
「あら、ならあなたがチョコちゃんの『下克上』の相手なのね。ごめんね、モニターに映っていたあなたと目の前にいるあなたが同じと気づけなくて」
「気にしないでください」
私の警察犬は犬の身体能力を得る能力だ。春日野さんみたいに鼻の形が変わることはないが、イメージが警察犬──ドーベルマンなので、髪は短めになり、顔の上半分が毛で覆われる。防寒のタイツ型の衣装と合わせると怪盗にしか見えない。実際はその上にコートを着込んでいるので、それ程怪盗っぽくないが。
「一華さんは凄いんです。お料理も上手で丁寧ですし、お家でも家族の為に料理をされているんです。忙しい方なのに勉強も部活もしっかり取り組んでいる、家族思いの優しい方なのです」
春日野さんが自分の事の様に嬉しそうに話してくれる。私は顔が真っ赤になって、まだ熱い紅茶に口をつけて火傷しかけた。
「あら、そうなの。二人一緒に来たところをみると、とっても仲良しなのね」
「はい! 私は一華さんとはこれからもとっても仲良くしていきたいです!」
「あらあら。舞咲さんもチョコちゃんと仲良くしてあげてね。この子、友達少ないから」
「な、な!? そんな事ないですよ」
私から見れば充分友達がいるように見えるけど、春日野さんは春日野さんで気にしているらしい。
「分かってるわよ。まだ羽月さんと仲良くなれてないのね。彼女の方はとっくに友達だと思っているのに」
「羽月さんはライバルですよ! ……そりゃ、よく声をかけてくれますし、色々と誘って下さいますけど。沢山振り回されるんですよ!?」
「良いじゃない。あの子とチョコちゃんなら相性ばっちしよっ」小柄な先生が足をぶらぶらさせながら、ピースをする。可愛い。
「先生は羽月さんの事ご存知なんですか?」
「ええ。今年度の保健室利用者第一号よ。入学式で倒れた生徒も珍しければ、恰好良い彼氏さんが背負ってきたのも印象的だったわ」
そうだった。羽月さんが入学式で起こした数々の出来事は、当時学内で噂になっていた。彼女も慣れない事の連続で大変だっただろう。それでもお昼の放送では、学園生活を満喫していた。底抜けに明るい彼女の性格が、周りにいる春日野さんたちにも影響を与えるのだろう。少し騒がしいが、心底楽しそうだ。
それから私たちは、昼休みが終わるまで保健室で過ごした。
教室への帰り際、私はふと春日野さんに思っていた事を訊いた。
「チョコちゃんと私は云わば敵同士でしょ? どうしてこんなに仲良くしてくれるの?」
「どうしたんですか、今更」
「いやだって、情報が漏れちゃうかも知れないし」
「単純に一緒にいて楽しいからいるだけですよ。『下克上』の事も私は真央さんに乗っかってるだけですし、それに、真央さんが以前云っていたんです。」
「なんて?」
「勝負の時は『前だけ見つめて走れ』って。」
春日野さんは、そう云って破顔した。春日野さんの中に羽月さんの言葉が息づいている。彼女は否定してるが、彼女にとって羽月さんはとても大きな存在なのだろう。それは、陸上で好成績を収めているのにも関わらず、自分の事を羽月さんよりも低く評価が目立つ言動が多く見られることからも分かる。
「そっか。チョコちゃんは真央さんと共に前だけ見つめて走ってるんだね」
「今の所私の視界には真央さんの背中が見えますけどね」
悔しそうで嬉しそうだ。歯痒くなるその思いを私は知っている。彼女に届いて欲しい想いを乗せて、私は口を開いた。
「いつか横を並んで走れるはずだよ。その事を別に嘆く必要はないよ、ただ楽しめばいい」
──前だけ見つめて走れ。
その言葉を聴いてから、私の中でも変化が現れている。「下克上」を純粋に楽しみたい! 素直にそう思えてきた。
チョコちゃんが私に魔法の言葉を授けてくれたお返しに、私は私の知っている魔法の言葉を送ろう。
「後ろを走り続ける事だって、いつか自分の糧になる。色んな楽しみ方を知れば、そこに新しい世界が広がるんだから!」




