序論 ~死後世界観について~
死後の世界とは、実在するだろうか。
かの尊敬するスティーヴン・ホーキング氏曰く、人間の死は壊れたコンピューターと同じで、一度機能を失ったものに死後などという概念はない。あるのは『無』のみ。とのことだ。
つまり、我々人間もコンピューターも大した差はなく、同じように壊れて動かなくなったコンピューターも死亡した人間と同義だと。
なんと夢も希望もない話だろう。だが、筋は通っている。個人的に私はこの理論を推している。
ではなぜ死後の世界という概念が生まれたのか。
反対に俗説的な死後の世界を考えてみよう。
例えば仏教。ここでは仏道に入り修行した人間は仏となり、釈迦如来すなわちブッタの元へ運ばれるらしい。ここが所謂極楽浄土という場所だ。この仏道に入り修行するという箇所が宗派によって差異はあれど、極楽浄土に運ばれるという根底は共通している。
西洋になると、今度は地獄と煉獄という概念が登場する。
地獄とは、罪を犯した人間が罰で行く場所であり、あらゆる世界の苦が詰めれらた言葉通りの地獄である。後、悪魔なる存在が住んでいるとのことだ。ちなみに悪魔とは、大まかに人を惑わし堕落させる空想の存在とのことを指す。
そして、煉獄。ここは天国の前段階のような場所で、罪を清めるために罰を受ける場所とのことだ。つまり、そこで罪が清められると天国、すなわち極楽浄土のような場所へといけるわけだ。
罪を何と定義するかにもよるが、仮に罪を道徳的規範に反した行為とするなら、この世に罪を犯したことがない人間がいるとは思えない。第一、道徳的規範という曖昧なものに行動をとやかく定めれることが気に食わない。
そう考えると『罪を犯す』という行為はハードルが低い。全人類が罪を犯しているといっても過言ではない。
そこで地獄へのハードルに煉獄を用意した西洋側は一歩考えが回っている。そこは素直に称賛に値する。
総じて。なるほど、実に楽観的だ。そして、人間らしい。
人が死んだ後、地獄だの、天国だの、煉獄だの、極楽浄土だの。どれもこれも、死後の世界に別の世界が存在するという前提に成り立っている。
一体だれがそんなことを確かめたのだろう。まさか、死んだ人間が我々に死後の世界について教えてくれたとでもいうつもりか。だとすると、そもそも死の定義が揺らいでしまうではないか。
まあ、この辺りは幽霊という存在の是非に関わるので今は触れないが。
あぁ、そうそう。何故私が急に死後の世界について考えているのかというと。
今、私は死んだからだ。
訂正する、"死にかけている"からだ。
道路の真ん中で車に轢かれそうになった子供を道路脇へ突き飛ばしたところまでの記憶は鮮明なのだが、どうにも、その後が曖昧で、記憶が混同している。積み上げた膨大な雑学にはアクセスできるのに、私が何者で誰なのか。重要なところがすっぽりと抜け落ちたようだ。
だが、痛みがないのは不幸中の幸いだ。体中の感覚がないので、おそらくは神経がだめになってしまったのだろう。もうぴくりとも体は動かせん。
――静かだ。
渋谷のど真ん中、スクランブル交差点の中心とは思えない。これも幸いだ。静かな分、思考を邪魔する騒音はない。
時間が停止したのか、そう思うほどだ。周囲の人の動きがスローモーションの様に見える。不思議な感覚だ。私だけこの世界から切り離されてしまったような。そこにいるはずなのにいないような。
それと、景色に妙な違和感がある。
なるほど、私の身体が空中に浮いているのか。対向車に衝突した直後だろうか、とにかくすさまじい速度だったのは間違いない。
成人男性である私を吹っ飛ばすほどだ。さぞ、スピードを出していたに違いない。
話を戻すか。
意外にも私はこの状況をちょうどいい機会だと思った。
死に直面した状況で、思考を巡らせるには絶好の環境。ならば、考えるほかあるまい。事実、考えること以外に今できることは何もないのだから。
ちなみに私は仏教徒ではない。
世界総人口の内、仏教徒が占める割合は4%くらいなので別におかしな話ではない。勿論私は仏教的修行とやらもしていないので大概極楽浄土に運ばれるということはあり得ないだろう。
ということで、私は西洋的死後世界にいくことになるかもしれない。
その前提なら、まあ間違いなく。私は地獄行きだろう。
大まか理由として、私は無神論者であることが挙げられる。つまり、神なる絶対的存在を信じていない。
しかし、神か。くだらん。うさん臭い連中がかつて考え出したであろう虚構の存在。詐欺師の嘘の集大成のようなものだ。
と、こんな感じに愚弄しているので、仮に本当に神が存在するなら、――まあそんなことは万分の一もありえんが――私は異端者を超えた大異端者として、神からの怒りを買ってもおかしくはない。
という訳で、現世における思想上の罪から、地獄行き直行だ。
それでも、私は満足だ。何せ、全知全能の絶対の存在とも喩えられる神とやらが、とある80億分の1人の戯言を容易く受け流せず、真に受けているわけだ。
その絶対の存在が、実際は感情に動かされてしまう程度の矮小の器だとひけらかすのとそう変わらない。何たる皮肉か。
全く、愉快。
――寒い。
感覚はないはずなのに、体は凍えている。また不思議な感覚だ。
なるほど、寒さの感じ方にも違和感があると思ったが、観察してみると同時に感覚がない理由も分かった。
私の体はへそを中心に真っ二つに千切れてしまっている。足腰、つまりは、かつて私の一部だった下半身が、宙を舞っているようだ。
足に寒さがないのも、それが原因か。なるほど、謎が解けた。ついでに、痛みがないのがここでも幸いした。もし、体を上半身と下半身に割かれるようなことがあれば、その痛みは想像を絶するだろう。いくら私でも冷静さを欠くに違いない。
――眠い。
さっきから眠気がひどい。食後に血糖値が上がることによって引き起こされる睡魔のような。そういう感覚が近い。
もう死ぬ時間違いのか。まあ、いくらスローモーションの中とはいえ、人間が真っ二つに裂けているのだ。そんな人間の話を聞けば、そいつは一瞬で死んだと理解できるだろう。この少しの時間は、その一瞬の時間がスローモーションによって延長されているのだ。
まずい。段々と頭が回らなくなってきた。
そうか。人はこうもあっさりと死ぬのか。
思い出そう、何を考えていたか。
確か、
ホーキング氏曰く、人はコンピューター。
そうだ。
ならば、この次はきっと―――




