比叡山延暦寺焼き討ち【後編】
※書きたいことが多くなりすぎて長くなりました。すみません
夜明けが近づくにつれ、戦場に立ちこめていた血と煙の匂いが、朝靄とともに薄れていった。
医務衆の陣では、夜通し救助と治療にあたっていた者たちが交代で休みに入っていく。桃慧は治療を続けながらも、少し枯れた喉を顧みず指示を出し続けている。
「……お疲れ様でした。二班も四班も少し横になって休んで。あなた方が倒れたら、助けられる命も助けられなくなりますから」
柔らかな声だったが、その眼差しは夜の間中一瞬も曇ることなく、厳しく、まっすぐだった。
そんな中、ふらふらと桃慧の背後に近づいてくる小柄な影があった。
「も……もう少し……手伝えます……」
あやめだった。眠気で半分閉じた瞼、足元はおぼつかず、まるで夢遊病者のような様子だ。
桃慧は思わずくすりと笑い、そっとあやめの肩を支えた。
「もう限界でしょう?ここまで付き合ってくれてありがとうございます、あやめ」
あやめはこくんと頷いたが、桃慧の袖をぎゅっと掴んだまま離さない。
「……でも……桃慧様、一人になっちゃうと……心配です……」
その言葉に桃慧は一瞬、はっとしたように目を見開き、そしてふわりと微笑んだ。
夜の冷たい空気の中、その笑顔は、灯火のようにあたたかい。
「……大丈夫。あなたがいてくれたから、私はここまでやってこれました。ありがとうございます、あやめ」
その優しい声に、あやめの頬が少し赤らみ、眠たげな目にうっすら涙がにじんだ。
「……よかった……」
まるで緊張の糸がほどけたように、あやめはその場に座り込んでしまう。桃慧はそんなあやめの頭を軽く撫で、寝所へと促した。
「ふふ.....かわいい、少し休んで……」
あやめが去ったあと、桃慧はふと空を見上げる。
血と火に染まった夜が終わり、東の空に白い朝日が差し込み始めていた。
重く、苦しい夜だったけれど、今のやり取りが心のどこかを柔らかく包み込んでいる。
「……私も、もう少しがんばろう」
誰にも聞こえないように、桃慧は小さく呟いた。
夜明けの光が湖面に淡く反射しはじめた頃、一騎の騎馬が医務衆の陣へと駆け込んできた。
その男は兜も鎧も血に汚れ、顔には疲労と苦悩が刻まれている。明智の旗が靡き思わず身構える一同。
その男が馬から降りると兜をとり、槍を置きその場に立ち尽くし口を開く。
「我は明智光秀が家臣、斎藤利三。主君・明智光秀の……行いについて、詫びに参った」
馬を降りた男は、まっすぐ医務衆の拠点へ歩み出た。
それを見た柴田勝家が怒りをあらわに歩み寄る。
「詫びだと……!?貴様、ここにいる者たちがいったいどんな心持ちで、人々を救って回ったかわかっておるのか!」
怒声とともに、勝家は利三の胸ぐらを掴み上げた。
利三は抵抗しなかった。ただ、ぎゅっと奥歯を噛みしめ、赤く腫れ上がった目元を晒した。
その目を見た瞬間、「ぁ....!」勝家の手から力が抜けた。
この男もまた、命令で民の撫で斬りに加わらざるを得なく焼き討ちの最中悔やんでも悔やみきれないのだと悟ったからだ。
怒りは消えぬ。それでも、怒鳴りつける気力は失われていた。
「柴田様、少し齋藤様に"あの方々"をお見せしたいのですがよろしいですか?」
桃慧は怒りを抑え込む勝家を宥めるように話しかける。
「ああっ!構わん!見せてやれ」
投げ捨てるように言い放つと勝家は部下たちの後ろへ下がってゆく。
桃慧が勝家に深々と頭を下げると、静かに一歩前へ進み出た。
「斎藤様、こちらへ」
部下に指示し、利三を琵琶湖側の広場へと案内させる。
そこには、撫で斬りに遭い命を落とした民たちの遺体が整然と安置されていた。
昨夜の地獄の光景の余韻がまだそこに残っている。
頭を踏み潰された赤子や、人の形を残してある焼け焦げた死体、血染めの老婆、利三は言葉を失い、ただ拳を震わせて立ち尽くし、そして耐えきれずその場で跪いて額を地面へたたきつける。
「ぐっ....ぐぅっ......すまぬ.......すまぬっ!」
利三は親子ともども仲良く手をつなぎ眠るその遺体の前で大粒の涙を流しながら嗚咽し、自らの手から血が滲むほど深く握り締め何度も何度も謝り続けた。
「……今ご覧になった光景を、主君・明智光秀様に伝えてください。そして民たちに、謝罪に来るようにお伝えください、話を聞けば彼らは山の上とは関わりが無かったもの達です、それは軍議の場でもわかっていたはずの事でした。」
桃慧の声は冷たくも、決して憎悪に満ちたものではなかった。
まるで天秤の上に「正義」と「罪」を置いて、淡々と裁く裁定者のような声音だった。
利三は深く頭を垂れた。「必ず……伝えます」
眼に浮かべた涙と罪悪感で潰れそうなその身を起こし去ろうとしたその時だった。
「斎藤様」
背中に、桃慧の澄んだ声がかかった。振り向くと、彼女が清水を柄杓に汲み、陶器の椀に注いで差し出していた。
「辛い一晩でしたでしょう……どうぞ、一息ついてください」
その仕草は、戦場の只中にあってあまりにも穏やかで、まるで朝の寺院のような清らかさをまとっていた。
利三は両手で丁寧にそ大きな椀を受け取った。
「……ありがたい」
そのかすれた声で絞り出した一言は、彼の本心だった。
並並に注がれた冷たい水が喉を潤し、ひび割れた心に沁みていく。
桃慧は優しく微笑んだ。
「斎藤様のように、自らの目で見、耳で聞き、心で感じる方がいて……私もこの者たちも救われます」
桃慧の背後で命を紡いだ者たちが粥を食み水を飲み談笑する様子がそこにはあった。
利三の胸に熱いものが込み上げる。
「必ず……主君に伝えます」
利三は再び深く頭を下げ、馬に乗り、炎が収まり静けさを取り戻した山へと戻っていく。
「明智様の家臣様自らがお一人で来られたのは、よほど辛い思いで過ごされていたのでしょう.....なんと心が清い方でしょうか」
隣で警護していた若い柴田兵にそう声をかけると再び怪我人たちの元へ戻り治療を再開するのであった。
明智光秀の陣には、夜明けとともに斎藤利三が戻ってきた。泥と血で汚れた衣を纏い、顔には深い疲労の影が刻まれているが少し晴れ晴れとしたような顔で馬を居り立った。その異様な様子に、光秀隊の家臣たちは思わず道を開けた。
「利三……どうしたのだ」
帳内で軍議の支度をしていた光秀は、最も信頼する腹心のいつもとは違う姿に眉をひそめた。
利三は無言で膝をつき、深々と頭を下げる。
「昨日の行い、民への撫で斬りについて……医務衆の陣にて謝罪をしてまいりました」
光秀の表情が、僅かに凍る。
「謝罪……だと?」
利三は顔を上げ、その赤く腫れた目で主君を見据えた。
「……あの医務衆の陣で見た光景は、地獄でした。焼けただれ、斬られ、泣き叫びながら息絶えた民の遺体が、整然と並べられておりました。中には親子供皆一同殺されたもの、踏みつぶされた赤子なども居りました。そして桃慧"様"は申されました『今一度、この光景を目に焼き付け、民たちに謝罪なさいませ』と」
帳内の空気が一瞬で張り詰める。家臣たちは息を呑み、誰も口を開こうとはしなかった。
「……我らは敵方の寺社勢力を攻めたのだ。民ではない」
光秀はそう呟いたが、その声にはどこか落ち着きがなかった。
利三は声を荒げるでもなく、静かに、しかし強く言葉を紡いだ。
「火をかけた時には既に延暦寺の関係者は山へ籠っており、坂本の町に残っていた者たちは延暦寺とは関わりのない人々でした。それを知りながらも我らは、焼き、斬りました」
光秀の指が、机の上で強く握りしめられる。
「……焼き討ちの命令は……信長公のものだった」
「されど、暴走したのは我らです。桃慧殿をはじめ医務衆は夜通し、我らが斬った民たちを救っていたのです。……彼らの姿を見て、私は……己の剣が何を斬ったのかを、初めて思い知りました」
光秀は目を閉じ、深く息を吐いた。
戦略家であり、冷静沈着な明智光秀でさえ、利三の言葉は胸を抉った。昨夜、炎に包まれた坂本の町、そこに彼の隊が残したものは、勝利ではなく、血と罪だった。
「……利三よ。桃慧殿は……何と申していた」
「斎藤利三殿のような勇気ある方がいらして良かった、と」
光秀は目を見開いた。主君である自分ではなく、家臣を褒めるその言葉そこには、冷たさと人を見る眼が共存していた。
「……あの女子……」
一瞬鋭い視線を感じたが光秀は天幕の外、焼け落ちた坂本の町の方角をじっと見つめた。
敵ではない、味方でもないあの少女は、自分たちの「愚」を静かに照らし出している。
やがて、光秀は口を開いた。
「……利三、この件、私が信長公に進言しよう。民への謝罪と、暴走の始末は……この明智光秀が背負う」
利三は深く頷いた、そして他の家臣たちが聞こうとしなかった一言を投げかけた。
「なぜ先駆け、そして撫で斬り、焼き討ちを仕掛けたのですか?」
光秀は上から睨みつける様に利三を眺めると
「すべては織田家の為だ」
その冷徹な言い方に利三はただ茫然と思いを巡らし一言「左様でしたか」としか答えられなった。
この後、信長は焼き討ちの成果を確認し、家臣たちを激励すると以後の戦後処理を明智光秀へ委ね、馬廻り衆を連れて上洛、御所へと出向き、この度の比叡山延暦寺の焼き討ちの成果を正親町天皇へ直々に述べ上げた。
正親町天皇はこの行いに対し目を瞑ったまま何も話さなかったという。
そして周囲の国々にはこう"伝わる"ことになる。
”信長は比叡山延暦寺にて僧侶・信徒・僧兵・女子供尽く皆焼き尽くし殺し尽くした”
”比叡山には女子供稚児までも殺され道には死体が転がり散々たる有様であった”
”信長は仏だろうが神だろうが恐れない無慈悲な殺戮者である”
そして相反しこうも語られる。
”信長は老若男女稚児幼子関係なく救いの手を差し伸べる”とも
どちらが真実かと問われればどちらも真実である。
織田軍約7万8千
延暦寺軍約4千 うち僧兵・高僧など関わり深い関係者や家族など約1900名は尽く寺へ籠り焼死、もしくは討ち取られた。
然しその延暦寺へ逃げた町人や農民などの約1000名は最後通告などで解放され生き延びたのである。
坂本の町で延暦寺とは無関係で撫で斬りに合った被害者は約600名うち287名が最終的に犠牲になった。
撫で斬りが行われたにも関わらず死者が少なかったのは明智隊でも無関係な者たちを切ることを躊躇した者たちが多くいたことの表れでもあり、医務衆が必死の救助、救命活動を行った成果でもある。
約300弱の救われた者たちは後に語る。
”織田には白衣の菩薩が居り苦痛や死から我らを遠ざけた”と
====【火傷治療】====
火傷とは症状の重軽度様々あるが初期の処置から安心できるまで最低でも3日ほど安心できない負傷である。急いで運ばれ必死の桃慧の治療を受けても助からぬものが居るのである。
坂本の町に陣を張り、早々に運ばれてきた少年を例にその処置と、以後の経過観察と継続な治療を見ていく。
寝台に横たえられた十に満たぬ少年を見下ろした。顔は煤で黒く、前腕と脇腹に赤い腫れと水ぶくれが走っている。
「まずは見立てからよ、あやめ」
桃慧は脈をとり、呼吸を数え、瞳の焦点を確かめる。
脈は早いが触れる、呼吸は浅く速い。声は出る。意識は保たれている。
「火の熱に肌が負けて赤くなっただけのところ(浅いやけど)。水ぶくれを作っているところ(もう少し深い)。白く乾いて感覚が鈍いところ(いちばん深い)。深さが混じるのが火傷の厄介な所です。」
桃慧は少年の身体にふれ、自分の手のひらをあやめに見せた。
「広さは手のひらで見積もるの。掌ひとつで体の百にひとつほど、と覚えて。……この子は右腕と脇で、合わせて掌五つ分くらい。命に関わるほど広くはないけれど、油断は禁物」
① 初期対応(その場での救い)
「冷やして、熱を抜きます」
荷駄の樽から汲んだ清水を、筵の上の樋に流す。布を通して煤や灰を除き、患部に穏やかに注ぎ続けた。
「息が落ち着くまで、ゆっくりと呼吸ができるまで……長くても20分を超えない。冷やしすぎは体力を奪うから」
服は焦げ付いて皮膚に貼り付いていた。桃慧は小刀を火で炙り、冷ましてから布を切り開く。
「貼り付いた布は剥がさない。周りから切り離して、自然に離れるのを待つの」
② 清拭と(必要最小限の)処置
「洗いは清潔がすべて、でないと穢れが出てしまうから注意してください」
鍋で沸かして冷ました湯で布を湿らせ、患部の周辺をぬぐう。皮そのものは擦らない。
「周りの皮膚は強い酒で拭くけれど、傷口には流し込まない。沁みて暴れてしまえば、無駄な体力を奪いこちらの治療が後手に回ってしまうから、繊細だけど重要なことだからね」
ぱんぱんに小さな水疱が張っている。
「張りの強い大きな泡は、根元に近いところを針で一つ刺して水を抜く。針は煮て、冷ましてからね。皮はそのまま“蓋”として残すのが肝」
黒く焦げ、白く乾いた斑も混じる。
「炭のように死んだ皮は、少しずつ。今は無理に取らないで。あとで縁が浮いたところから切り分ける、無理にとると出血や膿、穢れの原因になるからね」
③ 鎮痛と気つけ、体を守る
少年が小さく身じろぎする。
「痛みを遠ざけてあげましょう」
柳の皮には鎮痛剤としての効果があるからこれを煎じたモノを少し、蜂蜜と塩を溶かした水を少し(喉と体の水を支える)。
「火に当たった体は“凍える”の。皮膚が無いから熱を奪われて、震えが来る、肌は冷やしても体は温める。毛布で胸と腹は温かく、患部は冷たく、首筋や血の流れが集まる手首や足首、体の付け根を温める様にするといいですよ」
あやめが頷き、布を丁寧に掛け。首元や脇に綿入りの枕を添えた。
④ 包帯と薬(“清・湿・薄”の三つを守る)
桃慧は小さな壺の蓋をあける。濾した蜂蜜と薄く伸ばした蘆薈を合わせ、清潔な麻布に薄く塗った。
「蜂蜜は腐りを遠ざけ、アロエはひりつきを鎮める。塗りすぎは熱をこもらせるから“薄く”。これを最初の肌にする、まだ皮が出来ていないところに塗る」
その上に煮沸して乾かした麻の布を当て、さらに柔い晒で軽く巻く。
「きつく巻かない。血が通わねば治ろうとする力まで縛ってしまうから患者さんが苦しくないように優しくね」
肘が縮こまぬよう、竹の薄板を当て、布で要所をとめた。
「曲げたまま固まると、戻らない。手は握らせず、少し開いた形で。日に三度は、指を数えながら優しく動かすのよ」
⑤ 見立て紙(記すことは治すこと)
あやめが硯をひく。
「右腕と右脇、掌五つ分。泡あり、白乾き少し。脈早い。飲水、蜂蜜塩水少々。小便の色と回数を記すこと。熱、寒気の有無。包帯替え、朝・夕」
「書くのですか?」
あやめが面倒くさそうに首をかしげる
「ええ。人は忘れちゃうから。書けば忘れないでしょ?それに書けば、治癒の兆しが目に見えてわかるようになるの、その時その時に合った治療が必要なの」
ふんふんと記録をとるあやめの姿を微笑ましく眺めながら言葉を紡ぐ
「人の体は1日じゃ治らないからね、しっかりと記録しながら長い目で治すのが大事。」
⑥ 経過観察(一日目〜三日目)
最初の夜。少年は震え、眠りが浅い。あやめが焼いた石を布で包んだものを懐炉として足元へ差し入れる。
「熱が上がるのは珍しくない。体が戦っている証。でも......」
桃慧は、包帯の縁をそっとめくる。
「赤みが縁から広がる、膿の匂いが強くなる、触れると板のように硬い、これらは“腐り”の兆し。朝の包帯替えで必ず確かめて」
二日目。水疱の“蓋”がしぼみ、縁が浮いたところを小鋏で切り分ける。
「生身はこすらない。煮沸した湯で流すか、酒を布に含ませて周りだけ。蜂蜜はごく薄く塗り足す」
少年は空腹を訴える。
「よく食べ、よく飲ませる。粥に塩をひとつまみ、豆や鰹節を混ぜて食べさせてあげて。壊れた家もお城も材が無ければ元に戻らないでしょ?ちゃんと食べないと治る力が尽きてしまう、人の体は食事によって作られるからね」
三日目。斑に湿った赤が落ち着き、細かな粒のような“新しい土”(肉芽)が顔を出す。
「ここまでくれば道は見えたわ。包帯替えは一日おきに。草木の汁で洗うなら、どくだみや蓬の薄い煎じ。強い酢は使いすぎない、沁みて暴れるから」
夜明け、少年の指を一本ずつ動かす。
「いっしょにやってみましょう、あやめも一緒にね」
「「いち、に、さん……」」
「そう、毎日、同じだけ。“昨日より少し”じゃだめ。“同じだけ”を続けて、そこから一つ増やすのが肝です、一緒にやってあげるのも大事、そうすれば一目で状態がわかるでしょ?」
⑦ 穢れ(合併症)を遠ざける工夫
肘の竹当てを一度外し、関節をゆっくり伸ばす。
「縮こまりは戻らないの。痛みの手前で止めて、息を合わせて。ほら、吸って、吐いて、そうそうゆっくりね」
少年は桃慧の動きを見よう見まねで一緒に取り組む
痒みが出てくる。
「治る合図だけど、掻けば破れる。椿油を手に少し、撫でるように。爪は短く」
桃慧は少年の爪をきれいに短く切ってあげて痒みを理解しながら柔らかい手ぬぐいを渡す。
「搔いちゃうと治りが遅くなるからかゆい時はこの手ぬぐいで軽く擦るんだよ?」
少年は少々不満気だが”はい”と素直に返事をしてくれた。
日差しが強い日、桃慧は白い布で腕を覆わせる。
「陽は跡を濃くする。当てないのがいちばんの薬だから簾などで窓から日を避けましょう」
⑧ 十日目、帯を軽く
包帯は薄く短く。指は自ら動かせるようになった。
「重ねた布を一枚脱ぐごとに、体が自分で歩き出す」
少年の母が涙ぐむ。
「助かりました、桃慧様」
「この子が一生懸命頑張ったからですよ。わたしたちは、邪魔する悪鬼を防いだだけです」
少年の顔にはすっかり笑顔が取り戻され母親と嬉しそうに話しふける
⑨ 深い火傷の者には
隣の寝台では、白く乾いた斑の広い若者。腐りが進み、縁が浮いたところから、桃慧は刃を入れる。
「ここは“枯れ木”ね。残せば腐りが身に入る。切るのは今。あやめ、息を合わせて」
曼陀羅華のごく薄い量で心を遠くし、ケシの汁は米粒ほど。
「痛みを遠ざけるのは大切。でも眠らせきっては....死んでしまいます。量は手前まで」
切り取ったあと、蜂蜜を薄く。布を軽く。
「焦らず、薄く、涼しく、清く。これを守れば、たとえ深手でも道は続く」
⑩ 終いに記し、伝える
夕刻、あやめが見立て紙を読み上げる。
「脈やや早、飲水よく、尿淡し。包帯替え、朝。指運動、十数え三度」
桃慧は頷き、短く言葉を添える。
「“同じだけを続けて、一つ増やす”。明日もね」
寝所へ向かう背に、少年の小さな声が届く。
「おねえちゃん……もう、痛くない」
あやめが振り返り、目尻を濡らして笑った。
桃慧はそっと手を振る。
「よく頑張りました」
焚き火が小さくはぜ、夜がまた降りてくる。
清め、温め、薄く当て、動かし、記す。
たったそれだけのことを、怠らず、揺るがず、同じように。
それが、火の中から拾い上げた命に、静かな明日を連れてくるのだ。
―――――――後日談
戦後多くの隊が各戦線へ戻ることになっても医務衆は最後まで坂本の町にと止まり怪我人たちの治療を行った。
その桃慧たち挺身は深く坂本の町の人々の胸に刻まれることとなった。
医務衆が救い紡いだ命は時が進む度に一人、また一人と日常の生活へと戻っていく。
信長の命令で医務衆が撤退する事となったのは翌月の10月21日
その去り際には涙する子供たちの姿、崇め座り込み拝み続ける老婆の姿など他の隊とは違う光景があったと後の伝記にて書き記されている。




