比叡山延暦寺焼き討ち【前編】
1571年9月上旬。
織田軍は東近江の制圧をさらに一歩進めるため、柴田勝家・佐久間信盛ら主力をもって、六角氏および一向一揆勢が拠点としていた志村城と小川城へ兵を進めた。
志村城攻撃にあたっては、信長自らの厳命があった「撫で斬りにせよ」と
戦意を完全に削ぎ、以後の敵対を許さぬための見せしめである。柴田隊は志村城を包囲すると同時に攻撃を開始。鉄砲の轟音が響き、城門が破られると、織田兵は一斉に雪崩れ込んだ。抵抗する者は容赦なく斬り伏せられ、女子供とて例外ではない。志村城は徹底的に殲滅され、血の匂いがあたりを覆った。
この凄惨な光景に恐れをなしたのが隣に位置したの小川城である。小川城の兵は志村城と同じ運命を辿ることを恐れ、戦わずして開城。無血降伏を選んだ。
さらにその南側に位置する金森城も柴田勝家らの奮戦により続けて攻略され、こうして織田軍は浅井家の南部側の勢力を著しく低下させ、付近の支配権を掌握するに至った。
この間医務衆一行は信長本隊と行動を共にし、行軍途中、定められた地点で医薬品・食料・水の補給を受け、補給地点では、織田本軍の兵たちが無言で医務衆の荷を積み替える。荷駄車の改良と荷箱の改修を行い荷を下ろさずとも使える改修を行い機動化され戦場の準備が着々と進んでいるのが肌でわかる光景だった。
浅井領でのこれまでの戦は一見小規模な戦の積み重ねにすぎぬように見える。しかし実際には、信長包囲網を食い破る信長の冷徹な戦略の一環であった。
浅井家に対し優位な戦況を制した織田軍は、その勢いのまま比叡山へと包囲の手を広げていった。
三井寺は古来より天台宗と対立する寺院であり、信長を迎え入れる形となった。周辺の地形は比叡山を睨むのに適しており、ここから各方面の軍勢に指示が飛ぶ。柴田勝家・佐久間信盛・明智光秀ら諸将も続々と布陣し、湖東から山裾一帯に織田方の陣が張り巡らされた。
医務衆は大きな抵抗が予想される坂本の町、三井寺方面の少し離れた場所に布陣した。
正面には先鋒となるなる明智隊、比叡山から医務衆を守るように山沿いにも先鋒として柴田勝家率いる柴田隊、織田本陣と医務衆の中間に位置し、織田本陣の守護となるのは丹羽長秀率いる丹羽隊、丹羽隊の後方にも宗庵が率いる医務衆第二陣が展開、ここで軽傷者の手当を行う。
同日比叡山包囲戦を前に、信長は桃慧に増員50名を与えた。主として荷駄係の補充である。戦線が広がれば補給と搬送は軍の命綱となる。医療物資・食料・水の搬送を迅速に行うための増強であった。
「よく聞け桃慧、今回の任は比叡山包囲中の医療支援である。いついかなる時でも動けるよう、荷駄を常に整えておけ」
信長は小姓たちに話す戦のお伽噺のように桃慧にも軍略の基本となる補給、輸送の大切さを語り50名の増員を出したのである。
桃慧は増員された荷駄兵たちに厳しく命じる。我らの戦は命を救うものである、一刻一秒を大切にせよと。緊張と不安が入り混じる顔ぶれの中で、彼女の声だけが澄んでいた。
「まずは陣地を整える! 荷駄はすぐに動かせるよう隊列を開いた状態で左右に組んで置け。治療の場は中央に、物資は後方へ!」
農民たちと医療要員たちが一斉に動き出す。杭を打ち、布を張り、治療台を組み立て、荷駄を馬ごと左右に配置して即時移動できる体制を整える。戦場の只中でありながら、その手際は迷いがなかった。
宗庵も後方に座を構え、軽傷者や救援搬送の拠点としての準備を始めていた。
こうして、総勢158名となった医務衆は、比叡山を見上げる広場に陣を構えた。これから始まる戦は、単なる戦ではない虐殺にも似た血の嵐になると桃慧は直感していた。胸の奥に、不思議な高揚と冷たい緊張が同居していた。
9月11日の昼、日が天から地上の姿を眺める昼頃。寺内の広間には、重々しい空気が立ち込めていた。
信長は上座に陣取り、柴田勝家・佐久間信盛・丹羽長秀・明智光秀・木下秀吉といった重臣たちがずらりと並ぶ。その背後には各隊の将校や伝令役が控え、まさに過去の鬱憤を晴らす総決算を告げる軍議である。
障子の向こうからは、秋の風が山の木々を揺らす音が聞こえてくる。しかし、その静けさは戦の嵐の前触れでしかなかった。
「包囲はすでに整った」
信長は低く、しかしはっきりとした声で口を開いた。
「六角・浅井の背後を断ち、金森も落とした。残るは比叡山延暦寺のみ。やつらはなお、僧兵どもを抱え、我らを侮っておる、早々に半金300程を手土産に和睦を迫ってきたが追い返した」
柴田勝家が力強く頷く。「包囲の兵糧攻めであれば、いずれ膝を屈するでしょうな」
それに対し、明智光秀は静かに、しかし鋭く言葉を差し挟む。
「されど、奴らは降伏の気配を見せませぬ。籠もり続けるということは、いずれ内部の飢餓と不安が戦を呼びましょう。ならば……我らから火を入れ、撫で斬りにしてこそ、天下に織田の威を示すことができまする。物見によりますと、既に坂本の町では織田軍に恐れをなし比叡山の関係者たちや、比叡山に加担するものは山を登り寺へと逃げております。」
広間に緊張が走る。信長は明智を見据えた。
「……焼き討ちを進言するか、光秀」
「はっ。ここで曖昧な手を打てば、諸国は我らを侮りまする」
佐久間信盛も渋い顔で口を開く。「だが、焼き討ちとなれば、僧・女子供・商人までもが巻き込まれる……」
宗庵がここで口を挟む
「確かに坂本の町では比叡山に加担しない者たちは見物を決め込み、我らに薪や食料の提供や酒をもってきており恭順の意思が見えます。坂本の町には手を出さず、既に関係した者どもが逃げ込んでいる山と延暦寺、周辺寺院に集中したほうが良いと」
光秀は宗庵を横目でにらむと息をつき、信長を見る。
信長は立ち上がり、床を踏み鳴らした。
「もとより、この比叡山は仏法の名を騙り、欲と武で天下を乱した悪党共の巣よ!民を搾取し、女を囲い、諸国の争乱の火種となり続けた。焼き討ちこそ、天下静謐への道ぞ!」
声が響き渡り、誰一人として口を挟めなかった。
やがて信長は、深く息を吐いて座に戻ると、冷静な声で命じる。
「まずは包囲を保ち、降伏の機を与える。だが、応ぜぬなら......火を放て。坂本の町は様子見とする、抵抗するようであれば容赦はするな。光秀、勝家、佐久間、各々の隊は焼き討ちの準備を怠るな、北で備える木下、滝川、蜂谷も僧兵たちの反撃と浅井朝倉の救援に十分注意せよ。大和より接近する軍があるがそれは松永と筒井の援軍である、必要であられば彼らも助けとなる故、相互に援助致せ」
重臣たちが一斉に「ははっ」と頭を下げる。
軍議は戦略の確認へと移り、包囲線・伝令経路・退避路などが細かく詰められていった。
その一角、医務衆の頭として出席していた桃慧はただ静かにその光景を見つめていた。
桃慧は、信長の目が一瞬自分に向けられたとき、わずかに背筋を伸ばした。信長は何も言わなかったがその眼差しには、「お前の働きも見ている」という無言の圧があった。
元一向宗の医僧でる桃慧に対しその判断を見ているという事だったのかもしれない。
然し桃慧はそんな信長に対し少し微笑み頭を深く下げるだけだった。
こうして、9月11日、延暦寺包囲戦の方針は、信長の口によって決定された。
――――――そして1571年9月12日——————
1571年9月12日の朝は雲が多く今にも雨が降り出しそうな重苦しいものだった。
三井寺の陣中において、信長は再び重臣たちを呼び集めた。最後の軍議となった明朝、寺の空気は冷たく澄んでいた。だが、軍議の場に漂う空気は、それ以上に冷え切っていた。
織田本陣には嫡男奇妙丸(織田信忠)の姿も見える
信長はゆっくりと、落ち着いた様子で口を開く。
「……延暦寺、いよいよ攻める時が来た」
信長は、地図を前に腰を上げると、明智光秀・柴田勝家・佐久間信盛らを鋭い目で見渡した。
「僧兵、強硬な高僧どもはすでに山頂へ籠もった。こちらの忠告にも耳を貸さず、なお抗う姿勢を見せておる」
声には怒りというよりも、冷静な判断と決意がにじんでいる。
「坂本の町から逃げ込んだ町人、女子供も少なからず寺内におるやもしれぬ。ゆえに最後の機会を与える」
場の空気が一瞬、張り詰める。信長は扇を静かに閉じ、はっきりと命じた。
「伝令を出せ。本堂に籠もる者どもに申し渡せ“戦わぬ民は山を下れ”と。町人、女子供、商人に至るまで、皆逃がせ。抵抗せぬ限り、追うことも斬ることもせぬとな」
家臣たちは目を見交わす。信長の徹底した非情な方針の裏に、確かな筋と理が通っていることを、誰もが理解していた。
「……だが」
信長は低く、地を這うような声で続けた。
「この最後通告に応じぬ者、僧兵と共に残る者、その命は仏の加護ではなく、我が炎の中に置くことになる。女子供であろうと、寺に留まるならば、僧兵と同じだ。容赦はせぬ。火をかけ、一人残らず焼き払え」
その声音には一片の迷いもなかった。冷徹さと決断の重さが、場に居合わせた家臣たちの心臓を鷲掴みにする。
明智光秀が一歩進み出て、静かに頭を下げた。
「ははっ、上様の御意、確かに伝えます」
柴田勝家が力強く頷き、佐久間信盛も沈痛な面持ちで命を受ける。
信長はそれを見届けると、扇を再び開き、背を向けた。
「……戦わぬ者には慈悲を、戦う者には容赦なき鉄槌を。これが我が法よ」
その場に控えていた桃慧は、信長の言葉に胸の奥が強く震えた。それは恐れではなく、重さだった。
慈悲と非情、その両方を併せ持つ決断。その結果として、今夜、山の上では数多の命の明暗が分かれる。
こうして、延暦寺に対する最後通告が放たれた。
それは戦国の世において、仏の名を借りた権威と、武の力による新たな秩序との最終的な対峙の始まりだった。
最後通告から数刻、延暦寺からは使者が下りてくるもそれは徹底抗戦すると信長を侮辱し仏の名を借りて自らの行いを正当化するものであった。
この行いに激怒した信長はこれより二刻後の正午より延暦寺攻めを行う、全軍直ちに寺攻めの支度を致せと命令が下った。
その報は織田軍を駆け巡り織田軍本陣には攻撃準備の狼煙が上がった。
低い雲に吸い込まれていくような狼煙はこれから始まる惨劇を感じさせる重く不気味に揺れ動く煙。
然し、その狼煙とは別に坂本の町から黒煙が上がるのである。
その煙は医務衆本陣からはっきりと見える、狼煙と違う、町が焼ける黒煙である。
「まだ戦が始まるには早すぎる、いったい誰が!」
医務衆の前に居るのは先鋒明智光秀率いる明智隊、または先鋒として横に布陣する柴田勝家率いる柴田隊である。
すると脇の道を伝令兵が慌てて信長本陣へ駆けていく。
周囲が慌ただしく波打ち始める。
すぐに柴田隊より伝令が走ってきた。
「申し上げます、坂本の町より炎が上がっております、明智隊坂本の町にて撫で切りを行っている模様、桃慧殿は動かれるか?と殿よりのお伺いするよう参りました」
桃慧は一瞬悩む、まだ信長様より名は出ていない、救走班よりも合図がない
すると後方より騎馬に乗った伝令が医務衆本陣へ慌てて入ってきた。
「桃慧様!上様より至急、出陣せよ!町民たちを救え!救えるのは天下に桃慧のみ!と」
一息つくより早く、桃慧より医務衆へ指示が下る
「医務衆本陣、坂本へ前進する、民たちを救うぞ!」
医務衆に本陣に居た者たちは「応っ!」と答えると荷駄の縄を外し、積み荷をたたみ、荷駄車は立ち上がり持ち手たちが大声で点呼し始める。
「柴田様、丹羽様に伝令!」
桃慧の言葉に反応し木簡に伝令たちが字を書く支度をする。
「医務衆本陣、坂本の町へ突入し救護を開始する、丹羽様には退路の確保を、柴田様には救援の要請を」
伝令たちはそれぞれ復命、復唱し陣を去る
信長様へ返令
「医務衆信長様の期待に全力をもって応えるべく前進する、以上」
信長の伝令も桃慧の命令を復命復唱すると織田本陣へ向け駆け戻る。
「宗庵様へも医務衆本陣は前進し、坂本の地にて救護活動を開始する、第二陣は本陣の位置まで前進、本陣位置で軽傷者並びに避難民匿い、保護するようにと医薬品と水もありったけ持ってきてほしいと」
桃慧は宗庵への伝令に命令すると素早く準備を終えた医務衆へ命令する。
「殿からの命令だ!民たちを助けるぞ!医務衆.....前へっ!」
医務衆本陣は一つの生き物のように陣すべてが動き出し桃慧を先頭に足並みをそろえて前進し始める。
燃え盛る坂本の町を目指して。




