第44話《最終試験》
ラトスーアに武器を取ってくるように言われて、松明の灯りが照らされる武器庫にいた。
彼が選んだのはいつも腰に下げているロングソードと、円形の木を皮と金属で補強したラウンドシールドを選ぶ。
奇しくも、父ゼルトと同じ装備だった。
それを持って戻ると、ラトスーアの後について階段を一歩一歩登る。
辿り着いたのは、ちょうど中間にある手摺のない石橋の上だった。
そこに仁王立ちしているのは、フォティアの師匠コミロフだ。彼は弟子の事を、まるで仇のように殺気を放っていた。
「ラトスーア。これは一体どういう事なんだ?」
「貴方には、コミロフと戦ってもらい、勝ってください」
「これが最終試練? でも何で訓練用の武器じゃないんだ?」
フォティアは自分の鞘を叩く。そこに収められているのは鋭く研がれた刃を持つ真剣だ。
「今回の勝利条件がどちらかを殺す事なのです」
「な、何? 何言ってるんだよ。殺す事なんて――」
「出来ないのか?」
「……コミロフ」
「それともワシが老い先短いからと、負けるはずがないと高を括っておるのか?」
「そんな訳ない。コミロフと殺し合いをするのがおかしいと俺は……」
「馬鹿ものが、そんな甘い考えで、冥王率いる悪魔に勝てると思っておるのか!」
コミロフはバスタードソードを鞘から抜いて、青く輝くルーンが掘られた鋭い切っ先をフォティアに向ける。その全身から放たれる殺気は、本物だった。
「やるしかないのか?」
「コミロフを超えなさい。出なければ貴方はここを出ても仇は打つどころか、生きていくことはできないでしょう」
「くそ。何でこうなるんだよ!」
フォティアは左手でロングソードの柄を握って引き抜き、右手の盾を前に構えて上半身を守るように構える。
「それでいい。本気でかかってこい!」
「ああああああっ!」
フォティアは雄叫びを上げながら、盾を構えて突進する。
コミロフはその場を動こうとしない。弟子がどんな動きをしても対応できる余裕の表れのように待ち構える。
フォティアは盾をぶつけた。
コミロフは避けもせずに胸で受け止めると、片手で押しのける。
「そんなへっぴり腰で、ワシが揺らぐとでも思ったのか!」
今度はコミロフが動く。バスタードソードを両手に持ち、上段から斬りつける。
フォティアは盾で防ぐが、刃が中程まで食い込んでいた。慌ててそれを払って間合いを取る。
コミロフの攻めは止まらない。中段から横薙ぎ、下段から斬りあげる。その全てはフォティアの急所を狙ったものだ。
フォティアは、防御していくが、代わりに盾は鋭い刃を受けて、切れ目だらけになっていた。
「守ってばかりでワシに勝てるのか? そんな風に育てた覚えはないぞ!」
「うわああっ!」
フォティアは先程とは違い、壊れかけの盾に全体重をかけてぶつかる。
「ぬうっ」
盾はそれで砕けたが、コミロフはその勢いに耐えきれずによろめく。
その隙をついて、フォティアはかれの首筋にロングソードの刃を押し当てた。
「どうだ。俺の勝ちだ」
「勝った?まだ終わっていませんよ」
背後から聞こえたラトスーアの声に思わず振り向く。
「その通り、言ったじゃろう。これはどちらかが死ぬまで終わらないと!」
コミロフは首筋に当たっていた剣を握るとそれを奪い取り、その柄を振り下ろした。
フォティアはとっさに避けるが間に合わず、額が裂けて血が流れる。
さらに追い討ちが左足に襲いかかる。
それはズボンの上からでもハッキリとわかる冷たく鋭い感触だった。
コミロフの剣が、フォティアの左ふくらはぎに押し当てられ、刃が引かれる。
フォティアはバックステップで距離を取るがその場で膝をつく。見るとふくらはぎがパックリと裂け、そこから骨がのぞいていた。
「本当に……殺す気なんだ」
額の傷から流れる血が目に入る。赤い視界の中でいつも見慣れた白銀の甲冑が血に濡れた死神の様な姿に変貌していた。
コミロフは左手のロングソードを投げる。それがフォティアの足元まで転がって止まる。
「取れ。武器を持たぬ弱い者を殺す気などない。さあ、それを持ってワシに向かってこい!」
「くそっ、クソッ!」
フォティアは悪態をつきながら、落ちている剣を拾って立ち上がる。右手の甲で目に入った血をぬぐい、左足の激痛を無視して立ち上がる。
「それでいい。かかって来い!」
走って間合いを詰めたフォティアは短い柄を両手で持って剣を振る。
コミロフはそれを弾いて、柄頭でフォティアの腹を殴る。
鈍い痛みと吐き気を堪えながら、攻撃の手を緩めない。
鍔迫り合いになって、剣を掴まれて封じられ頭突きをされても、首を掴まれて投げ飛ばされ、鋭い剣が、全身を斬り裂いても、フォティアは攻撃の手を緩めず、立ち向かい続ける。
それでも目の前の壁は厚くて垂直で、とても超える事はできそうにない。
どれくらいの時間が経ったのだろうか、太陽は一日の役目を終え眠りにつこうとしていた。
フォティアは石橋の上で仰向けに倒れ、息を切らしていた。
全身には赤い線が体に無数に引かれそこから流れる血は、川に落ちて赤く染め上げる。
外側だけでなく身体の内側からも、痛い痛いと訴えてくる。それでも立ち上がる。目の前の壁を越えるために。
けれども膝に力が入らず、すぐに倒れてしまう。
膝だけではない。全身の力はとっくに使い果たし、いつもは軽々と降っていた剣さえも、重くて持ち上げられない。
その間もコミロフはトドメを刺そうともせず、その場で立ったままだ。
フォティアに近づいてきたのはラトスーアだった。
「ラトスーア……」
「もう止めましょう。今の貴方では勝ち目などありません。さあ、私の胸に飛び込みなさい。負けた貴方を慰め癒して、たくさん甘やかしてあげます」
ラトスーアが両手を広げる。その時微かに甘くて懐かしい匂いがフォティアの鼻をくすぐる。
一瞬、甘い誘惑に衝動的にその豊かな胸に飛び込みそうになったが、動こうとする身体を無理やり止める。
「やめてくれ。あなたに抱きつくなんて、子供の頃ならいざ知らず、この歳では恥ずかしくてできないよ」
「そう……」
その時のラトスーアの顔は反抗期の息子を前にしたかの様なとても悲しげな表情だった。
けれどもそれも一瞬の事。冷たい表情に戻った彼女はフォティアに近づいていく。
「ならば私が、少しだけ貴方が本気になれる様に鍵を開けましょう」
「何言ってるんだ?」
ラトスーアは何も答えずに、フォティアの額に口づけする様に人差し指で触れる。
そして、フォティアの中で封じられていた記憶が溢れ出した。
自分が間宮コウとして生きていた時、小説家の父とイラストレーターの母がいて、高校に入ってから喧嘩ばかりしていた妹のこと。
本を買いに駅まで行ってそこで誰かに押されて電車に轢かれて死んだ事。
そして、選択の間で親切な馬に出会い、人間界に戻るか地獄に落ちるか選んだ時に女性が現れて一緒に地獄に堕ちた事。
十六歳の青年はその全てを今思い出したのだ。
「うう、ぐうううっ!」
頭を抑えてその場でうずくまる。前世の記憶まで蘇った為に、脳が空気を入れすぎたタイヤの様に膨らんでいた。
「この記憶、間宮コウは僕だ。父さんと母さんと妹もいた。でもあの場所は……こことは違うあの場所じゃあ。俺は一体誰なんだ!」
混乱するフォティアは血を吐く様な大声を出して、目の前にある革のサンダルを履いた両足に尋ねる。
「今の貴方はフォティア。そして間宮コウは貴方の前世の名前です」
「前世? なんでそんな記憶を俺に見せる?」
「その中で貴方は電車に轢かれて死にました。その時の事を思い出して欲しいのです」
「思い出す?」
フォティアは間宮コウとして最期に見た光景を手繰り寄せる。
(そうだ。電車をホームで待っている自分、あの時は欲しい本を早く買いたくてウズウズしていた。その時誰かに押された……待てよ。その時誰かの声が聞こえた様な……)
『ごめんなさい……許して』
そこで、フォティアの頭の中で何かが繋がった。
「あなただったのか。あの声は……」
「思い出しましたか?」
「ラトスーア。あなたが僕を突き落としたのか!」
「はい。その通りです。貴方の魂に眠る《可能性のカケラ》が必要だったから。その為には前世の肉体から解放する必要があったのです」
「そ、んな……」
ドクンと心臓が脈打つ。母の様に慕っていた人から、最悪の一言を聞いて心は絶望で石のように固く冷たくなっていくのに、逆に全身には力が漲っていく。
「なんで、なんでそんな事をしたんだ。ラトスーア!」
立ち上がり殴りかかろうとしたフォティアは、頭を押さえつけられて座らされる。
「何するんだ!」
「控えるのじゃ。たとえお前でも、炎の女神に無礼は許さん」
「炎の女神?」
「ええ。ラトスーアという天使は存在していましたが、冥王侵略の折に天界の崩落に巻き込まれました。私はその名を借りていただけ」
ラトスーアは、いきなり石橋から飛び出す。普通なら重力に引かれて落ちるはずなのに、彼女の身体だけ重力が存在しないのか、その場で浮かんでいた。
「私の本当の名前は《炎の女神アストラ》といいます。フォティア貴方にその力を授けたのは私なのです」




