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【完結】七人の訳あり王子と、八番目の薬草姫  作者: 木風


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第三十五話 ベルの秘密

「どう?王様業務は?」


秘喪が明けたある日、ベルは母に誘われて中庭を歩いていた。

唐突な問いに、すぐには言葉が出てこない。


長かったような、短かったような。

森で暮らしていた頃の一か月とは、まるで濃さが違った。


レオンハルトの『毒』。

フロリアンの『依存』。

コンスタンティンの『冤罪』。

ルーペルトの『怒り』。

カシミールの『真名』。

ヨアヒムの『結び』。

ジークムントの『傷』。


一つ一つ思い返すたび、胸の奥に少しずつ重みが積もる。

それを『王の重み』と呼ぶには、まだベルは若すぎる気がした。


「慣れないことだらけ。森が恋しいよ」

「そう」


母は短く相槌を打った。

その顔が、どこか困ったように見えて、ベルは少し不思議になる。

周囲から見れば、伝説とまで呼ばれた西の魔女。

国王がただ一人、心から愛した女性。

それでもベルにとっては、ただ一人の、少し秘密の多い母だ。


「お父さんを、どうやって選んだの?」

「選んだ?」

「お母さんはお父さんに『真名』を渡してもいいって、どうやって決めたの」


アーデはすぐには答えなかった。

考えているというより、懐かしいものを手のひらに乗せて見つめているような顔。


「難しいことを聞くのね」

「今さら?」

「今さらね」


アーデは小さく笑った。


「最初から、この人だって分かったわけじゃないわ」

「そうなの?」

「ええ。むしろ、絶対に違うと思ってた」


ベルは思わず目を丸くする。


「でも、偶然よ。……いえ、必然だったのかもしれない」


母は遠くを見た。

寂しそうで、でもそれだけじゃない。

それは魔女の顔じゃなく、一人の女の人の顔に見えた。

噴水の音が遠くで続いている。

春の終わりの風はやわらかいのに、そこだけ冷たい。


「王様は、たくさんのものを持っているように見えるでしょう。でも、本当にほしいものが一番手に入らないこともある」

「……」

「最初は、絶対に巻き込みたくなかった」


ベルは自分の胸の奥が、ちくりと痛むのを感じた。

『巻き込みたくない』。

その感覚は、もう他人事じゃない。


「二十年以上前に知り合って。好きになってしまった」

「『真名』もその時に?」

「いいえ。魔女の縛りは強力なの。相手は王様だったし、『真名』を伝えるつもりなんてなかった」


カシミールが話した通りだ。

いや、きっとあれよりもっと重く、もっと現実的なものだったのだろう。

血と魔力に縛られた、ほとんど呪いみたいなもの。


アーデは続けた。


「あの人は何度も来た。断っても来た。怒っても来た。隠れても見つけた」

「しつこい」

「しつこかったわね。なのに、時間ができるとすぐ来てね」

「王様のくせに?」

「ええ。王様のくせに」


アーデはくすっと笑った。

その笑いが少しだけ若くて、ベルもつられそうになる。


「けれど、最後に決めたのはしつこさじゃないの」

「じゃあ、何?」

「私が『選べる』って、最後まで信じてくれたこと」


アーデはベルを見る。


「そして『この先の人生、僕にください』って言われちゃったの」

「え、ちょろくない?」


思わず出てしまった言葉に、母は声を立てて笑った。

その笑顔が、一瞬だけ若い女の人の顔に戻る。

けれど、きっと母のことだ。

その一言だけで決めたわけじゃないことくらい、ベルにも分かる。


「『真名』はね、渡す側にとっても怖いの。だって、相手を自分の生涯に巻き込むから。自由を奪うかもしれないから。だから怖くて当たり前。迷って当たり前」

「……うん」

「でも、その怖さごと、あなたが決めていいって言ってくれる人なら」


アーデはそこで言葉を切り、ベルの手をそっと取った。

薬草の匂いがした。懐かしい匂い。


「その人になら、渡してもいい。渡したあとで泣くことになっても、自分で選んだと思えるから」


ベルは母の手の温かさを感じながら、ゆっくり息を吐く。

答えはまだ出ない。

でも、急がなくていいのだと、少しだけ思えた。


「……お母さん、やっぱりちょろいかも」

「失礼ね。ちゃんと、たくさん迷ったわよ」


アーデは風に髪を揺らしながら、穏やかに言った。


「きっと、渡して大丈夫よ」


ベルは唇を噛む。

その言葉が、まっすぐ胸の真ん中に落ちる。

慰めの言葉というより、もうずっと先まで見通した人の確信みたいで、余計に胸がざわついた。


「……お母さんは、怖くなかった?」

「怖かったわ」

「それでも?」

「それでも」


アーデは静かに頷く。


「怖いまま、選んだの」


ベルはそれ以上、何も言えなかった。

母の言葉の中に、自分がこれからやることの形が、もうはっきりとあったからだ。


「ベル。あなた、森が恋しいんでしょう?」

「うん」

「なら、王様になっても恋しがりなさい」

「え?」

「王様だからって、何もかも捨てなくていいの。森を恋しがるあなたのままでいい。恋しがる心を持ったまま決めるから、きっと人を切り捨てすぎない」


ベルは少し笑った。

その言い方は、母らしいと思う。

強くあれとは言わない。ただ、自分のままでいろと言うのだ。


「お母さんが一か月前に隠れたのも、私を守るため?」

「そう。余計な心配だった?」

「ううん。助かった」


ベルと二人で、西の森で隠れるように暮らしていたこと。

お互いの存在が、お互いにとっての弱点になる。

それを予見して、あの日まで母は身を隠した。


一度も父に会ったことがないことさえ。

それら全部が、父と母がベルを守るために選んだ形だったのだと、今なら分かる。


「その顔は、もう決めたんでしょ?」

「なんで分かるの!?」

「魔女だからかしら?」


母の顔はどこまでも優しい。

ベルの決めたことを、最初から受け入れている顔。


「嘘よ。あなたのお母さんだからよ」


その言葉に、ベルはこみあげてくるものを隠せなかった。

困惑するベルへ、母の手がそっと伸び、頬を包む。

ずっと見てきた、ほんのりと薬草の香りのする優しい手。

幼い頃から熱を測られ、傷を見られ、涙を拭われてきた手。


「大丈夫。あなたは私とお父さんの子。善き魔女になるわ。保証する」

「……私も魔法使えるの?」

「使いたいの?」

「今は、別に」

「そう思うってことは、今以上の魔法はベルには必要ないってことよ」

「今以上?」

「気が付いてないなら、それでいいのよ」


その言葉で、不思議とベルの心は落ち着いた。

迷いが消えるわけじゃない。

けれど、迷ったままでも進めるのだと、気持ちが少しずつ強くなっていく。


「お母さん。今、会いに行こうと思う」

「そう。でも、もう向こうから来ているみたいよ?」

「えっ?」


母の言葉のすぐあと、近づく足音で分かってしまう。

もう、この足音を聞き間違えない。


「ベル」


声をかけられ、振り向く。


「じゃあ、私はそろそろ森に帰ろうかしら」

「帰っちゃうの?」

「いつでも家に帰ってくるといいわ」

「うん……」

「殿下もよかったら」

「お母さん!」


母のその言葉に、ベルは慌てて遮る。


「ああ、折を見て。ベルと一緒に、この度の礼を」


レオンハルトのその言葉を聞いたアーデは、満足そうに微笑んだ。

そして振り返った、その刹那。

庭園の花びらが舞う中、小さい旋風の中、一瞬で母の姿が消える。


目の前で初めて見た母の魔法。

伝説の西の魔女なのだということが、ベルの中で急に現実味を帯びてくる。


「すまない。邪魔しただろうか?」


その言葉に、ベルはふいっと目を逸らした。

邪魔なんて、と言いたいのに、口が思うように動かない。


次の瞬間、風が吹いた。

花びらが一枚、二枚と舞う。


母の言葉を反芻する。

『真名』を伝えることは、相手を強制的に自らの番にすること。

それは相手に自分しか見るなと言う、魔女による嫉妬深い呪いみたいなもの。

好きだからこそ、怖い。

渡した瞬間に、自分の人生だけじゃなく、相手の人生まで巻き込んでしまうから。


「殿下。あの時の言葉は、今も変わりありませんか?」


幾度となくレオンハルトに告げられた、好意の言葉。

けれど今は、その重みが前とは違って聞こえる。


「変わらない」


たった一言。

一言だからこそ、余計に彼の想いが変わらない証拠でもあった。


「ああ、強いて言うなら」

「強いて言うなら?」


聞き返すと、レオンハルトはベルの手を取った。

あの毒に侵され、震え、手袋で隠されていた手。

今では節の赤みも、発疹も、もうない。


長身の身体が、ベルの目の前に跪く。

二人の間をふわっと花の香りと風が通り抜け、髪が大きく揺れた。


「ベル。この先の人生を、俺にくれないだろうか」


その声は低く、けれど揺れなかった。

王としてではなく、一人の男として差し出された言葉だと、ベルにも分かった。

風が止み、庭園の音だけが二人のあいだに残る。


王と血の繋がらないはずのこの人が、王の娘に向かって、父と同じ言葉を口にする。


『偶然よ。いえ、必然だったのかも』


母の言葉が、頭の中で静かに繰り返される。

何度も。何度も。

花の香りの混じる風の中で、その一言だけが妙に鮮やかだった。


「殿下……私の『真名』は、あなたの人生を縛ります。それでも……」

「構わない。ベルのこの先の人生、ともに生きるんだ。何も変わらない」


レオンハルトは、少しもためらわずに言った。

迷いのない声。

だからこそ、ベルの胸は強く鳴る。

軽く口にした言葉ではないのだと、その一言だけで分かってしまう。


ベルは大きく息を吐き、ゆっくりとレオンハルトの右耳へ顔を寄せた。

近づくたび、もう後戻りできない気がして、指先がかすかに冷える。


「西の魔女の娘の『真名』、『ベルフレア』。——それを、あなたに」


ただ一人にだけ聞こえる、小さな声で伝える。


「ベルフレア」


その瞬間、レオンハルトの指先がぴくりと動いた。

握っていたベルの手が、ほんの少しだけ強く握り返される。

けれど力はすぐに緩んだ。

縛らないように、意識してほどいたのだと分かる。

その慎重さが、ベルにはたまらなく優しかった。


「……あなたしか知らないというのは、なんだか、照れます」

「よい名だ」


レオンハルトはそう言って、目を伏せた。

伏せたまま、しばらく言葉が出ない。

いつもなら一言で切る人が、黙る。

黙ったまま、呼吸を整えている。


ベルは小さく呼んだ。


「殿下?」

「……すまない」


レオンハルトが、まるで負けを認めるみたいに言った。


「今、言葉にすると……きっと強くなる」

「強く?」

「お前を縛る言葉になる」


ベルは胸の奥が熱くなるのを感じて、視線を逸らした。

嬉しいのに、怖い。

好きだと言われることより、好きだからこそ縛りたくないと分かってしまうことの方が、ずっと深く刺さる。


レオンハルトは顔を上げ、ベルの手の甲に唇を落とした。

触れるだけ。熱を残すだけ。それ以上はしない。

奪わないための口づけだと、ベルには分かった。


「返事は?」


聞きたいはずなのに、その声は強くない。

急かさない声。

待てる人の声だ。


ベルは小さく笑ってしまった。


「……ずるい」

「ずるくない」

「ずるいです。跪いて、そんな声で聞くのは」

「……では、聞かない」


レオンハルトはすぐに引いた。

その引き際が、妙に切ない。

本当に聞かないままでいそうで、ベルは慌てて言った。


「聞かないで、とは言ってないです」

「なら」

「……答えます」


ベルは、ゆっくり頷いた。

頷いた瞬間、自分の胸の奥の結び目が、ふっとほどけた気がした。

怖さが消えたわけじゃない。

それでも、もう言えると思った。


「レオンハルト殿下。いえ、レオ。——私は、あなたが好きです」


言い切ると、喉の奥が震えた。

王宮の静けさが、いっそう大きくなる。

風の音も、花びらの擦れる気配も、全部が遠のいたみたいだった。


レオンハルトは、ほんの一瞬だけ目を閉じた。

それから、まっすぐベルを見る。


「……ありがとう」


ただそれだけ。

けれどその言葉は、感謝の形を借りて、ベルの選択を大切に抱きしめるみたいに。

そして、同じくらい静かに続ける。


「ベルフレア。俺はお前の自由を奪わない。お前が王でいる間も、森を恋しがる夜も、全部、お前のままでいていい」


ベルは言葉が出ず、ただ頷いた。

頷くだけで精一杯だった。


レオンハルトが立ち上がると、背の高い影がベルを包む。

でも抱きしめない。

抱きしめたら、ベルが『選ばれる側』になってしまう気がしたのだろう。

代わりに、レオンハルトはベルの額に、そっと自分の額を当てた。

近いのに、優しい距離。

触れているのに、奪われる感じが少しもしない。


「……今後は用がなくても堂々と訪ねられる」

「今それ言いますか?」

「用はある」


レオンハルトの声が、少しだけ笑っている。


「お前の隣にいる用だ。——今日から、正式にな」


ベルは目を閉じると、花の香りが風に混じる。

胸の奥で、さっきほどけた結び目が、今度はやわらかく結び直されていくような気がした。


一月前に父が死んだ。

母に父からの書簡を渡され、七人の王子と出会った。

偽りに揺らされ、火に脅され、言葉に傷ついた。

それでも最後に、自分で選ぶ余白だけは守り抜いた。


どこからが偶然だったのだろう。

それとも、母の言葉通り、すべてが必然だったのかもしれない。


けれど、これだけは確かだ。


——この先の未来は、誰にも決められない。

ベルフレアとレオンハルトだけが、選んで、紡いでいく。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

ベルが七人の王子たちと作り上げる国。

どんな国になるのか……もし気になりましたら、ブックマーク、★★★★★、リアクション、よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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