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売れない画家 2


 「わぁ、綺麗……」


 茉莉花は目を輝かせながらエドモンドの絵を見入っていた。エドモンドの渡したスケッチブックには、花や様々な建物、風景、人物が描かれていた。


 「色が付いてるものは無いけど……」

 「ううん! 鉛筆だけでも色々想像できるよ? この場所はきっと明るい場所なんだとか、この日は曇ってたのかなとか」


 茉莉花は微笑みながらページを捲った。エドモンドは茉莉花を優しい眼差しで見つめるとふっと笑い茉莉花の横に腰を下ろした。そして茉莉花が開いているページを覗き込んだ。


 「この絵は確かドイツで描いたな」

 「ドイツの建物って可愛いんだね?」

 「そうそう。メルヘンチックな建物が多くて、町そのものがもう絵になるって言うか、場所によってはおとぎ話の中に居るみたいだった。歩いてるだけで楽しかったなぁ」

 「これは?」

 「これは確かスペインの教会。ほらここは丸っこいのにこっちは尖ってて面白いでしょ? なんか見た瞬間違和感があってさ、描きたくなっちゃったんだよねー。あ、これもスペイン。この二枚同じ建物の中なんだ」

 「そうなの? こっちの絵は良く本とかで見かける教会の中みたいだけど、こっちは? なんか同じようなアーチがいっぱい……」

 「歴史的にも珍しい場所なんだ。あれだよ、えっと宗教的な関係。このアーチ、ジャスミンも行ってみれば分かるけどすごいんだ! 圧巻だよ! 宗教は違ってもきっとこの時代の人にも分かったんだろうね? これがすごい物だって! だからこうやって制圧した後も同じ敷地に残してるって聞いた。少し異様な場所だけど、こうやって違う宗教の様式が混じってるのってすごいなぁって思う。思想は違ってもこういう芸術的な部分で人って認めて分かりあえるのかもしれないね?」


 エドモンドは自身のスケッチブックを見ながら優しく微笑んでいた。


 (エドって、やっぱり絵を描くだけあって感性も豊かなんだよね? きっと私が思わないような所まで色々思うんだろうな……。なんだかそういうのっていいなぁ。人とは違うものを見てるってどんな感じなのかな?)


 茉莉花は感心したようにエドモンドを見ていた。エドモンドは茉莉花の視線に気づくと、少し照れたように笑っていた。


 「ごめん。変な事言ったね? あまり気にしないで?」

 「ううん。エドって色んな事思ってるんだろうなって思った。きっと私がこの場所に行っても綺麗とか凄いとか思うだけなんだよ。きっとその時代の人の事とか考えないと思う。芸術で人と分かりあえるなんて私は思えないと思う。だからエドって凄いなって思った」


 茉莉花はエドモンドに笑顔を向けていた。


 「……。そうかな……」

 「そうだよ! エドは思慮深い人なんだと思う! 会ったばかりだけど、周りの事もちゃんと見て考えてくれる優しい人なのかなって思う」


 エドモンドは茉莉花から目を逸らし少し気まずそうな顔をした。茉莉花は不思議に思いエドモンドを見つめていた。


 「……。おだてたって何も出ないよ!」


 エドモンドはすぐに悪戯っぽく笑うと茉莉花の目を見てそう言った。


 「いいよ。そんなの期待してないから」


 茉莉花はエドモンドが笑顔を見せたことに内心ほっとし、スケッチブックを捲った。


 「私も行ってみたいな……」


 茉莉花は眉を下げクスリと一人笑った。エドモンドは茉莉花から目を離して俯いた後天井を見上げた。


 「ベルに頼んでみたら?」


 茉莉花はまたクスリと笑うとスケッチブックから目を離さずに言葉を発した。


 「無理だよ」

 「そうかな?」

 「だってあの人は私をここに閉じ込めておきたいんだ」

 「……」

 「エドなら、知ってるの? どうしてベルナルトさんは私をここに連れて来たの? どうしてこんな、閉じ込めるみたいなことするの?」


 茉莉花は真っ直ぐにエドモンドを見た。エドモンドはその視線に狼狽え、眉を下げた。


 「さぁ……。外はほら何かと危ないじゃない? この屋敷の周りだってあの塀が無ければ、野生の動物がやって来るでしょ? ジャスミンを危険な目に合わせたくないんだよ」

 「そんなの理由にならないよ……。ならもっと違う場所にすればいいのに、わざわざ逃げ出せないような、何処かも分からない土地に連れてくるなんて、やっぱりおかしいよ」

 「ベルにも何か考えが……」

 「じゃあどうして何も言わないの? 私、あの人の事信じられない……。名前だって……」


 茉莉花はそう言うと俯き悔しそうに唇を噛んだ。


 「名前?」

 「私の名前。私の名前は茉莉花なのに。ベルナルトさんだって知ってるのに、それなのにあの人は私の名前を変えた! ジャスミンって呼ばれる事は嫌じゃない。茉莉花は日本の名前だし、皆、馴染みが無くて呼びにくいのも分かってる。だからジャスミンって愛称で呼ばれるのはいいの。でも、でもそれが本当の名前じゃない」

 「うん」


 茉莉花は堰を切ったように話し始めた。その横でエドモンドは静かに聞いていた。


 「でも、ベルナルトさんは私の名前をジャスミンにした。この屋敷の、敷地の外に出るなら私はジャスミン・ローゼだって……。ここに居る間だけが茉莉花だって。戸籍も全部変えられた……。あの人一体何者なの? なんでそんな事出来るの? おかしいよ。出会った時、私の事ジャスミンって呼ぶのは失礼だって言ったのに、名前を変えることは失礼じゃないの? どうして私から何もかも奪うの……?」


 茉莉花はギリリと更に唇を噛み額に皺を寄せた。エドモンドは茉莉花に手を伸ばしそっと茉莉花の頭を抱き寄せた。茉莉花はハッとしたがエドモンドになされるまま体を傾け、預けていた。


 「大丈夫。ベルはそんなに嫌な奴じゃないから」

 「どこが……」

 「その内分かるよ。ほらいい所もあるでしょ? 男の俺から見てもいい男だよ? 色男だし、金持ちだし」

 「そんなの知らない。関係ないもん」

 「からかうと面白いよ?」

 「面白くない。からかうほど仲良くもないもん」

 「でも大丈夫。君の事を思ってるから。もう少しだけベルの事信じてあげてよ。俺に免じて」

 「……エドが言うなら」


 茉莉花は頬を膨らませ納得はしていないが妥協したようだった。エドモンドは眉を下げ困ったように笑っていた。


 「困ったなぁ。俺の唯一って言っていいほどの親友が離婚の危機だなんて」

 「結婚だって、ベルナルトさんが勝手に……」

 「うん、そこら辺は全部知ってるよ? だから俺の前では別に取り繕わなくてもいいよ?」


 茉莉花は驚いたように目を見開きエドモンドを見上げた。


 「知ってたの?」

 「うん。当然。だって俺ベルの親友だし」

 「なんだー。昨日ちょっと冷や冷やしたのに!」

 「知ってる」

 「私の事もからかったの?!」

 「うん」


 エドモンドはクスクスと笑いだし、茉莉花は頬を膨らませエドモンドに詰め寄った。


 「じゃあ、やっぱりエドは理由も知ってるんでしょ!?」

 「さぁ? 無理矢理結婚したのは知ってるけど、どうしてかとか、ジャスミンをここに連れてきた理由までは知らないよ。ベルに聞いても教えてくれ無さそうでしょ?」

 「む、確かに……」


 茉莉花は頬を膨らませエドモンドを問い詰めるのを止めた。エドモンドはほっとしたように小さく息を吐いた。


 「じゃあエドにはベルナルトさんの悪口言ってもいい? 愚痴ってもいい?」

 「そんなにベルに不満抱えてたんだ! 面白そうだね?」

 「だって、誰にも話せなかったんだもん! 使用人の人達は皆ベルナルトさんの味方だし、チェンはこんな事言うと困っちゃいそうで可哀想だし……」

 「チェンってあのベルが連れて来た新入りの子?」

 「うん、とても良くしてくれるの」

 「それは良かったね。まぁ俺でいいなら話くらいはいつでも聞くよ」


 茉莉花はパァッと顔を明るくさせてエドモンドをキラキラとした目で見つめた。


 「本当? 私、話せる人が出来て嬉しい!」


 ヘニャっと頬を赤くして笑った茉莉花を見てエドモンドも少し頬を赤く染めた。茉莉花から目を離すと気恥ずかしそうに指で頬を掻いた。


 「ジャスミンって、普通に表情豊かな子なんだよね……?」


 茉莉花はキョトンとして首を傾げていた。


 「話してると色々な表情見せるし……」

 「私は普通だよ? 無表情何て言われた事もないし、それにエドとは話してて楽しいし」


 ニコリと笑った茉莉花を見てエドモンドは少し間を置いて口角を上げた。


 「君にとって良い事を一つ、教えてあげようか?」


 妖艶に微笑み茉莉花を見つめるエドモンドに、茉莉花は言い知れぬものを感じ背筋に冷たい物が走った。


 (なんか、エド、今までと違う……?)


 茉莉花の様子に気が付いたのか、ニコリと見慣れた微笑みを浮かべたエドモンドに茉莉花は胸を撫で下ろした。


 (気のせいだよね?)


 「教えて欲しい?」

 「うん」


 エドモンドは茉莉花の耳元に顔を寄せ囁いた。


 「ベルが死んでしまえば、君は解放される。……手伝ってあげようか?」


 茉莉花は目を見開き驚いてエドモンドの顔を凝視した。エドモンドは相変わらず微笑みを浮かべ茉莉花を見ていた。


 「じょ、冗談だよね? そんな事思ってないよね? だってエドはベルナルトさんの友達でしょ……? 私をからかってるだけなんだよね?」


 茉莉花の額には汗が流れ出ていた。顔も青くしていた。エドモンドはふっと笑うと茉莉花の頬に手を添え、目を合わせた。


 「俺、君の事結構気に入ってるんだ。可愛いし。魅力的だし。この国の法律知らないでしょ?」

 「離婚は、出来ないって……」

 「離婚はね、女である君からは出来ない。ベルは君を手放す気はないみたいだし。でも配偶者の死による再婚は許されている。配偶者の死後三年以上経てば再婚できるんだよ? どう? 俺と二回目の結婚しない?」


 妖艶に微笑むエドモンドに茉莉花は目を見開き小さく震え背筋を凍らせた。


 「くっ、ふふっ」


 茉莉花の頬から手を離したエドモンドは口元を押さえ笑い出した。茉莉花は気が抜けた様にソファに背中を預けエドモンドを見つめた。


 「冗談だよ! そんな神妙な顔しないでよ」

 「だ、だよね? よかった……。だってそんな物騒な話……」

 「でも、その物騒な話、よくあることだから」

 「え……?」

 「この国もだけど、まだまだ女性の自由が無い国って多いんだ。そういった国の女性が自由になれる方法ってさ、そんなにないよね? だいたいやることは決まってる」

 「……」

 「そうならないようにして欲しいけど……、それでも君が我慢できなくなった時は俺を頼ってね?」


 茉莉花は何も言えずに顔を強張らせた。エドモンドは眉を下げ茉莉花を見つめていた。


 「即答は出来ないか……。頑張れ、ベル……」


 小さく呟いたエドモンドの言葉は茉莉花には届いていなかった。


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