第九話 侯爵令嬢の侮蔑と聖女の涙
王城を出て、公爵家に向かって馬車が大通りを進んで行くと、大聖堂が目に入った。
いつにも増して行列に並ぶ人々が多かった。「並ぶ」というより、「集まっている」という様子だった。何か違和感があった。
クローデリアは馬車を止めさせ、通りで降りて大聖堂に近づくと、大声でわめく女の声が聞こえた。
「聖女のあなたが無能だから、こんなに毎日行列ができるんじゃないの。往来の邪魔なのよ」
大声の主はセラフィナだった。
——ユリウスにフラれた腹いせにエリシアを侮辱しに来たのだろうか。
クローデリアの胸がざわついた。
「こんな簡単な傷も治せないなんて、あなた、聖女を騙る偽物なんでしょう? 図々しいにもほどがあるわ」
そう言って見せたセラフィナは自らの腕を見せた。
「そんな傷はなかったです……」
「何を言い訳しているのよ! 私が嘘をついているというの? 小汚い平民が貴族をバカにするんじゃないわよ」
「申し訳ございません。ではもう一度治療させていただけますか?」
エリシアが手を伸ばすと、セラフィナはその手を思い切り叩いた。
「その汚い手で触らないで」
見ていられなかった。
クローデリアは人混みをかき分けて前に出て行こうとした。
しかしそのとき、大聖堂の中からグレゴール大司教が出てきた。
「これはセラフィナ様、いかがされました?」
「大司教、この平民の女が治療もせずに、私のことを非難するんです。聖教会はどうなっているんですか?」
セラフィナは再び腕を掲げた。よく見ると、爪でたった今傷つけたように血のにじむ薄い傷があった。
「それは大変失礼いたしました。聖教会が責任を持って聖女を『教育』し直しますので、ご容赦ください。必ず状況を改善するようにいたしますので」
その発言は、グレゴール大司教が聖女よりも上なのだと、強い印象を与えた。
「皆様、申し訳ございません。本日は聖女の魔力が枯渇してしまったようなので、また明日お越しください」
グレゴールは群衆に向かってそう告げた。
群衆はざわついた。中には聖女を非難する汚い言葉も多く混じっていた。
群衆が大聖堂から去っていくなか、クローデリアはエリシアを追った。
「クローデリア様ではないですか? どうかなさいましたか? 申し訳ございませんが、本日は聖女の治療はできそうにございません」
エリシアより先にグレゴールがクローデリアに気づき、声をかけてきた。
「患者ではなく、友人として来ているのです。大司教様、少しエリシアと話をさせてもらえませんか?」
エリシアはクローデリアのほうにも向かず、俯いたままだった。
グレゴールがクローデリアを品定めでもするかのように、舐めるように見てから口を開いた。
「いいでしょう。精一杯慰めてやってください。ご友人として。これからも『聖女』としてしっかりと勤めてもらわないといけませんのでな」
クローデリアは何も答えず、エリシアと並んで大聖堂の「聖女の間」へと歩いた。
「聖女の間」に入るなり、エリシアは泣き出した。クローデリアは黙ってそれを見ていた。泣きたいだけ泣いたほうがいい、と思った。
「王都なんて大嫌い」
エリシアが泣きながら言った。
「クローデリアだって、本当は私のことをバカにしているんでしょう?」
「そんなことない……」
「貴族だからって何が偉いの? 人の傷も治せないくせに。あなたなんて人を呪うことしかできないんでしょう?」
そう言って、エリシアははっとした。
クローデリアはただ悲しそうにエリシアを見つめていた。
「ごめんなさい……。私、何てことを……」
エリシアは少し冷静になってきたようだった。
「いいのよ、エリシア。私は貴族だけど、人の役に立つような魔法は使えない。あなたは平民の出自だけど、人を癒す魔法が使える。でも私がしないような失言もしてしまう。皆、いいところも悪いところもある、同じ人間よね。私もこんな王国は嫌いだわ」
エリシアは頷いた。そして思い出したように言った。
「あの女の人よ、クローデリアに毒を嗅がせたのは」
エリシアはセラフィナのことを言っているのだ。
「そうだと思っていたわ。本当に嫌だわ。私なんて命まで狙われるほど妬まれているのよ。貴族なんていいものじゃないでしょう? あの女もやっかみばかりで大変ね。……どうしたら皆がもっと住みやすい王国になるのかしらね」
そのとき、エリシアが真剣な顔をした。
「クローデリア、あなたは王妃になったらいいわ。それで王国を皆が暮らしやすいところにして」
クローデリアは驚いて、笑った。
「そうね、王妃になったらあんな侯爵令嬢は潰してやるわ」
クローデリアは冗談めかしくおどけて言った。
「私は本気でそう思っているのよ。侯爵令嬢だけじゃない。大司教も町の人たちも大嫌い。お願い。こんな王国に生き続けていく価値なんてないわ」
王太子ユリウスがいる限り、クローデリアが王妃になることはありえない。
仮に王妃になったところで、王国の最高権力者になるわけでもない。
でも——とクローデリアはつい夢想した。もし最高権力者になったら、誰にも後ろ指を差されることなく、カイと一緒になることもできるだろうか。
クローデリアはそんな夢想をしてしまった自分自身を嘲った。
しかしそのとき、クローデリアの中に、うっすらと淡い野心のようなものが生まれていた。
「私も私ができることを頑張るから」
クローデリアの夢想を見透かし、何かを決意したかのように、エリシアがそう宣言した。




