第七話 告解室のグレゴール大司教
聖女エリシアに治療を受けてすっかり全快したクローデリアはその後、折を見て再び大聖堂を訪れた。
改めてエリシアの治療の礼をしたかったのと、グレゴールの示唆した罰を受けていないか心配もあった。
ところがその日も、大聖堂は聖女の奇跡を求める人々に溢れていた。神官がクローデリアを目にすると、すぐにエリシアに取り次いでくれようとしたが、クローデリアは、治療の時間が終わってからまた来ると辞退した。自分のために重病人や重症者に取り返しのつかないことがあってはいけないと思ったのだ。
夕刻、日も落ちかけ、大聖堂の扉が閉められる頃合いを見計らい、クローデリアは再び訪れ、エリシアとの面会を求めた。昼間の神官がまだおり、クローデリアは中に通された。
エリシアはクローデリアの姿を認めると、驚きながらも歓迎した。
通常はグレゴール大司教が聖女との面会を許可することはなかったのだが、「第二王子の婚約者の公爵令嬢」は特別だったようだ。
エリシアはクローデリアを「聖女の間」に招き入れ、お互いに友達が少なかった二人はすぐに意気投合し、秘密を打ち明け合うまでになったのだった。
平民の出自で、王都に突然来ることになったエリシアはともかく、生まれながらの貴族のクローデリアも腹を割って話せるような女友達はおらず、とても楽しく、嬉しい一日になった。
話し込んですっかり世も更けてしまい、クローデリアは帰宅することにした。
エリシアに別れを告げ、「聖女の間」を出ると、神官が待っていた。神官は大聖堂を去る前に、グレゴールに会っていくよう、クローデリアに告げた。
エリシアの話を聞いた後にグレゴールに会うのは気が滅入ったが、断ってエリシアとの面会を禁止されたり、エリシアがとばっちりを受けるのは避けたかった。仕方なくクローデリアはグレゴールに会うことを承諾した。
神官に案内されたのは狭い告解室だった。部屋の中には間仕切りがあり、グレゴールの顔を見ないで済むのは良かった。あの顔を見たらまた吐き気を催しそうだった。
その安堵と同時に、外に漏らしてはいけないような話をするのかと警戒心は強まった。告解室での会話が外に漏れることはない。
クローデリアが間仕切りの前に座ると、その向こうのグレゴールが口を開いた。
「クローデリア様、あなたは相当に人から恨みを買っていらっしゃるようだ」
唐突なグレゴールの発言にクローデリアは驚いた。
「不躾にすみません。しかし聖女があなたに『診断』を施したときに、見てしまったのです。あなたに殺意を持つ方が、あなたにだけ効果のある毒を持った香を用意していたのを」
そのこと自体はクローデリアも認識していた。命を狙われるほど憎まれているとは思いもしなかったが、今回のことではっきりした。
「グレゴール大司教、あなたはその犯人をご存知なんですよね?」
「……存じています。おそらくあなたもお心当たりがあるでしょう。しかしその犯人自体は重要ではないと思います」
「……何が仰りたいのですか?」
「あなたがそのような立場にいらっしゃるということです、クローデリア様。レーヴェンハイト公爵家という王国内有数の実力のある貴族の令嬢であり、第二王子レオンハルトの婚約者のあなたは、羨望の対象でもあり、強い嫉妬の対象でもあるのです」
「わかっておりますわ。それは避けようにないことですもの」
「このままではいずれ命を奪われかねません」
グレゴールははっきりとそう言った。
「公爵家には優秀な騎士もおります。彼らが守ってくれます」
「騎士に策謀は見抜けません。現に今回も策謀によって命を奪われかけたではないですか」
「いざとなれば、エリシア……聖女様が救ってくださるわ。私たち、すっかり仲良くなりましたのよ」
「聖女は聖教会、つまり大司教である私の指示なしでは何もできません。『お友達』のために簡単に動けるわけがないでしょう」
間仕切りごしにもグレゴールが薄気味悪い笑みを浮かべるのがわかった。グレゴールとエリシアの「お仕置き」によるつながりを思い出し、クローデリアは吐き気を催した。
「私が申し上げたいことはとても単純なことです。聖教会ならあなたをお守りできる、ということです」
クローデリアは再び悪寒を感じた。この男が、タダでクローデリアを守ろうなどとは言わないはずだ。
「……見返りに何を求めるのですか?」
クローデリアが問うと、「ふはははっ」とグレゴールが笑った。耳障りな笑い声だった。
「……見返りとは人聞きが悪い。王国の要人である公爵令嬢様をお守りするのは、王国への『忠誠』のためですし、聖教会の『善意』でもあります」
グレゴールはそこで沈黙した。クローデリアの反応を見ているようでもあった。しかしクローデリアは何も答えない。この怪物のような男は、「忠誠」や「善意」と最も遠いところにいるのではないか、とクローデリアは思った。
クローデリアが何の反応も見せないため、グレゴールは再びその口を開いた。
「しかし、そのために、私は大司教として聖教会を守り続けなければならない。でなければ、クローデリア様を守り、王国に加護を与え続けることもできないのです。聖教会を守るのに、最も重要なことは何か? 王政府とうまくやることです」
歴史的に、王政府と聖教会は難しい関係だった。政治の中枢である王政府が王国の権力を掌握しているのだが、聖女信仰の強い王国では、聖教会の人気も根強い。両者はときにいがみ合い、ときに協力するということを繰り返していたのだ。
「うまくやる、というのは?」
グレゴールが何か恐ろしいことを考えているのではないかとクローデリアの警戒心は高まっていった。
「そんなに構えないでください。大したことではありません。今回、クローデリア様とお近づきになれたことで、婚約者である第二王子のレオンハルト殿下との関係も良好になることが見込めます。ただ……」
グレゴールがひとつ咳払いをした。
「王太子ユリウス殿下はあまり聖教会をよく思っていないと聞きます」
知っていたか、とクローデリアは思った。王太子ユリウスは政治には疎かったが、正義感が強かった。彼は聖教会を取り巻く黒い噂や、聖女が平民に奇跡を与えないことも知っており、彼らを快く思ってはいなかった。
先日の祝福の儀式の参加も見送る予定だったのだが、父である国王とレオンハルトに強く言われ、やむなく参加していた。そこで起こったクローデリアの異変も、ユリウスの聖教会への不信を強めることになったと聞いていた。
「そこで、クローデリア様にうまくとりなしていただけませんでしょうか?」
それは予想したとおりの依頼だった。しかし……
「グレゴール大司教、申し訳ありませんが、それは私には荷が重いですわ。ユリウス殿下は簡単にお心を許すことはないと思います」
「わかっております。私にお会いいただけるとも思っておりません。ただ……聖女エリシアにならお会いいただけるのではないのでしょうか?」
「いえ、残念ながら、ユリウス殿下は聖女にもよい印象をお持ちではないようです。彼女が平民を癒さず、王侯貴族ばかりを優先して癒すことを快く思っていないのです」
「それは誤解です。聖教会は平民も救っております」
「裕福な平民だけでしょう?」
「それはそうです。すべての方を癒すなど、いかに聖女であろうと不可能です。それであれば、より聖教会に貢献していただける方を優先するのは道理というものです」
「そんな……」
「そもそも、貧困者や傷病者が王国に溢れているのは、王政府の悪政のせいではないのですか? 聖教会はその尻拭いまでしなければならないのですか?」
クローデリアは言葉に詰まった。グレゴールが間違ったことを言っているとわかっているのに、正論のように聞こえてしまって、どう反論していいのかわからなかった。
「私は王政府を責めるつもりはありません。ただ、王政府と聖教会が協力しあえたらすばらしいと思いませんか? もし聖女と王太子が結ばれたなら、王国が大いなる繁栄を迎えられると考えているのですよ」
グレゴールは聖女を通して、自らの権力を確固たるものにしようとしているのは間違いなかった。そのために、エリシアとユリウスの心まで利用しようとするのは、クローデリアには許しがたいことだった。
「今のユリウス殿下は戦争のことで頭がいっぱいです。それ以外のことはまったくご興味をお持ちにならないと思います」
そのクローデリアの言葉を聞いたグレゴールが、思案をするように沈黙した。
「なるほど……それは使えそうだ」
グレゴールは小さく呟いた。
「何か?」
「いえ、何でもありません。ですが、その時が来たら、ぜひクローデリア様にお口添えをいただきたい。お引き留めして申し訳ありませんでした。どうぞお帰りください」
クローデリアは何か失言をしたかと不安になった。
この強欲にまみれた聖職者が何かよからぬことを思いついたであろうことに、確信に近いものがあった。




