第六話 戦慄の宣言
その日のラフレスタの夕刻も、普段と変わらない美しい茜色に染まっていた。
季節は夏から秋に変わりつつあるが、晴天に恵まれた空は残暑を名残惜しむよう茜色に輝き、今日という一日が無事に終わった事をラフレスタの住民に知らせる。
これが普段の一日ならば、今日も一日ご苦労様と住民達は口々にして家路へ着くことだろう。
しかし、今日は普段とは違っていた。
巨大な男の像がラフレスタの夕空に浮かんでいたからである。
光の魔法を駆使した投影であるが、これほど大規模、かつ、長時間に自分の像を投影できるのはどれほどの魔力が必要になるのだろうか・・・
それができるのは、この男が膨大な魔力を持つ魔術師であるか、それとも、この男が有能な魔術師を数多く雇える財力を持つのかのどちらかであり、今回は後者であった。
そんな彼が右手を上げると、それが合図なのか、街の至るところで鐘の音が鳴る。
けたたましく鳴るその鐘の音はどこか暴力的であり、無秩序で鳴ることも相まり、住民達を不快にさせた。
屋内に居た人達も何事が始まったのか?と次々に戸口から顔を出す。
そうして、空に巨大な人影が浮かぶ事実に気付き、ただ驚くのだ。
その巨大な人物は十分に鐘の音の効果が得られたことを確信し、上げていた手を下げる。
この合図に従って一斉に鐘の音が止む。
先程までけたたましい騒音に包まれていた街は、一転しての静寂。
人々の注目は否が応でも、この空中に映し出された人物へと注がれる。
こうして自分へ注目を集めることに成功した巨大な人影は満足して、演説を始めるのであった。
「私はジョージオ・ラフレスタ。第五十五代ラフレスタ領の領主である」
彼の宣言でラフレスタの住民は「やはり」と納得する者が大半だ。
ラフレスタの市井の民であっても領主であるジョージオと直接会う機会は圧倒的に少ないが、それでも彼の肖像画は街の至る所に掲げられていたからである。
自分達の支配者の顔と名前が一致し、これ本物のラフレスタ卿による演説だと認めることになる。
ただし、このジョージオという男と普段から面識のある人物が見れば、果たして普段のラフレスタ卿はこのように堂々とした態度が取れるのだろうか?と疑問符を投げかけることになるが、そんな事を思う人など圧倒的に少数派だったりする。
そんな評価もあったが、このときの彼は支配者の名に恥じないよう威風堂々とした姿で演説を始める。
「我々、ラフレスタ家は初代帝皇より代々このラフレスタを治める名誉を預かり、私の代で早いもので五十五代目となる。約千年の悠久の時をエストリア帝国と共に繁栄してきたのだ」
ジョージオの言葉は力強く、演説を聞く領民達は彼の言葉に引き込まれていく。
人の心に響く演説をするのは有力な貴族領主にとって大切な能力ではあるが、このジョージオ・ラフレスタにもその能力が備わっていたようだ。
一部には、彼は無能で、女性のような言葉を使う奇人とも評されていたが、それでも、伊達に幼い頃より英才教育を受けていた訳ではない。
幸か不幸か、今は彼の秘められた能力が現在いかんなく発揮されて、凛々しい演説が続けられる。
そんなジョージオ卿からは、現在のラフレスタがいかに素晴らしく繁栄できているか、その繁栄にラフレスタ家がどれほどの心血を注いできたかを熱弁していた。
そして、彼はその成果を強調し、自分達ラフレスタ家こそがエストリア帝国繁栄の礎であり、要であるとまとめる。
ここまではラフレスタの領民達も自分達の自尊心に恥じない演説であり、大いに受け入れられる内容だった。
しかし、ここからジョージオ卿の演説は奇妙な方向へ進むことになる。
「・・・こうして、我々は明日の帝国の英傑達を生み出す教育機関の要としてエストリア帝国に大きな貢献をしてきたのである。しかし! 最近の帝都中央の官僚の連中からは不遜な噂が囁かれている。それは我々に対する課税の話だ!」
ジョージオ卿の口から出た『課税』という単語にラフレスタ住民は心中穏やかにはならない。
その『課税』については市井でも噂になっている話題だったからである。
「皆の者も一度は噂で聞いたことがあるのではないか? 多くの学校を有する我が領を妬む地方の領主から『ラフレスタに利権が集中するのを削ぐべきだ』と意見があるのは、誠に事実である」
ジョージオ卿はこの噂話を肯定。
ラフレスタは『学校』と言う名の多くの教育機関を有しており、城壁都市という限られた土地に、この教育機関が多く割り当てられている。
それはこのラフレスタが、国民の教育に力を入れるエストリア帝国の中でも特別に教育を注視した都市として造られた歴史より来ており、この街が帝国の人材の担い手として積極的に協力している事からも、その見返りとして多くの補助金が割り当てられているのも事実であった。
それが本当に純粋な教育機関だけで存在する街ならば、別の地方都市から妬まれることも少なかったのだが、近年はこの教育機関を維持するために周辺の産業がこのラフレスタへ集まる傾向にあり、特に技術力に優れた工芸所や商会が大きく利益を上げていた。
この急先鋒となっているのがエリオス商会であり、近年、新規性の高い魔道具の販売やその取引により急成長を果たしており、結果として莫大な利益を上げていた。
その利益はエリオス商会が大きく成長する原動力にもなったが、それに加えて、領地に支払う税金も増えたため、結果的にラフレスタの財政を潤す事にもつながっていた。
エリオス商会は目立つ存在だが、それ以外の商会でも同じように利益を上げているため、それがこのラフレスタの財政に多大な貢献をしていたりする。
周囲の領地から見てもラフレスタは恵まれた領地、恵まれ過ぎた領地のように映る。
当然、これに面白くないと思う輩もいる訳で、彼らは「ラフレスタばかり狡い」と意見上申してきたのである。
少数派ではあるが帝都の中央官僚にもその意見に同調する者がいて、ラフレスタ領の補助金を下げて、税率を上げてはどうかと囁かれるようになった。
しかし、それらは極少数の意見であり、そして、その根本がラフレスタ領に対する妬み、という不純な動機から来ているものであったため、実際に実行される事はない。
だが、この噂だけは市井に拡散しており、真面目に働くラフレスタの住民にとっては悪い意味で感心の深い話題でもあった。
そうして、本日、領主であるジョージオ・ラフレスタがこれを肯定した事で、その噂がより真実味を帯びてしまったのだ。
「我々が今日の発展を成しえてきたのは、自身の弛まない努力の結果であり、他者から便宜を図られての事ではない。しかし、中央の官僚共は何も解っていないのだ。それに我が領を妬む他の領主からも嘘の情報と己の保身から、帝皇に途方もない事を進言し、ラフレスタの補助金をすべて無くし、税率を今の倍にすると言ってきている!」
そんな発言に住民達はどよめき立った。
税率が突然二倍になるなど、エストリア帝国の歴史上で聞いたことも無い話だ。
「これを暴挙と言って何と言おう!」
ジョージオ卿の怒りは住民達にここで正しく伝わった。
もし、これが事実だとすると中央政府には正義が無いとも言えた。
何が悲しくて、自分たちは奴隷のような生活を強要されなくてはいけないのか。
真面目に働き、その結果として利益を上げたことが、一体どのような罪だと言うのだろうか。
「我々はこの悪辣な中央政府の支配を受ける訳にはいけない。私はここに決断する。今日を以て、我らラフレスタの民はエストリア帝国より独立を宣言する!」
そんな宣言に一部の住民達からは「おおーっ!」と歓声が上がる。
ジョージオ卿の言葉を信じ、正義はラフレスタ側にあると勘違いした一部の血気盛んな住民達だ。
一瞬とは言え、この瞬間にジョージオ卿の演説を信じた彼らは、後日、多大な後悔をする事になるが、未来が誰も解らない以上、現在の彼らはジョージオの決断を推した。
「おーー! ラフレスタに栄光を!」
「俺たちは中央の官僚なんかには支配されないぞ!」
「ラフレスタ万歳。ジョージオ公、万歳」
熱狂的な支持者によりラフレスタの街中のあちらこちらで喝采が木霊した。
それは一部の声であっても、目立つものであり、人の心理としてはそういった声に引きずられたりもするのだ。
大多数の住民はジョージオ卿が途方もない宣言を始めたと感じているが、熱狂する人達の声を聴き、もしかしたら、これが正しい行いなのでは?と思ってしまうところが大衆心理の罠でもあった。
「おお! 私を支持する声がここまで聞こえるぞ。皆の者にはこの場で感謝の意を伝えたい」
ジョージオ卿は熱狂する住民の声が自分の居城にも届いたのだろう、良い笑顔になる。
「そして、この決定は帝国の第三皇子であるジュリオ皇子からも支持を受けている。正義は我らにあり。正義を我々にありだーっ!!」
「うぉー、正義は我々にあり! 正義は我々にあり! ラフレスタに栄光あれ!!」
ジョージオ卿の掛け合いに乗せられる住民達。
一種異様な光景だが、盛り上がる彼らは既に冷静ではなく、この異様さに自ら気が付くことはない。
熱狂する一部の住民と、その熱に毒されていく大多数の住民達。
彼らはだんだんとジョージオ卿のペースに乗せられており、違和感に気付く者もいたが、それは本当に少数派。
そして、その熱気は瞬く間に伝染し、ラフレスタ中の住民を虜にしていく。
「ジョージオ! ジョージオ! ジョージオ!」
街の至る所でジョージオ卿を称える声が響く。
これが新たな時代の幕開けとなるのだが、その実は狂気の時代の幕開けであり、この夜より始まったラフレスタの騒動をこの時に予想できたものは居ない。
この領主ジョージオ・ラフレスタ卿による宣言は、後の歴史でこう呼ばれる事になる。
『戦慄の宣言』と・・・
ラフレスタに混乱と災いをもたらした大事件がこの瞬間に始まったと、後の歴史家の見解は一致していた。
そんなことになってしまうとは露知らぬ大多数の住民達は、ラフレスタに到来する新しい時代が来ると信じていた。
しかし、少数派であるがこの宣言に大いなる違和感と疑念を持つ人間もいた。
それがハルであり、アクトであり、ロッテルであり、ジョージオ卿の実の娘であるユヨー。
それに加えて、同じ場に居合わせた学生達と教師陣、第二警備隊の面々である。
「ハル、これをどう思う?」
アクトは自分が最も信頼する人物に問う。
「いきなり独立を宣言するなんて、違和感がありまくりじゃない。あなたのお父さんはそれ程に短慮な人なの?」
ハルが問い正すのは勿論、ジョージオ卿の実子であるユヨー・ラフレスタ。
ユヨーは顔面蒼白となり、地面にへたり込んでしまう。
「・・・そんな・・・お父様が・・・あのお父様が、こんな宣言をするなんて・・・とても信じられません・・・」
彼女はハルから目を逸らし、地面だけを見て、ただそう呟くのみだ。
そんなユヨーの様子を見て、ハルは益々に扇動とも言えるこの宣言を戯言として確信する。
「もしこれで、彼の口から『獅子の尾傭兵団』という単語が出てきたら・・・黒ね」
その一言で、ハルの頭の中でどういう結論に至ったかをアクトにも大体に想像ができた。
エリザベスやサラが何者かに誘拐された事。
そして、再び姿を現れたとき、魔仮面をつけていた事。
その魔仮面はハルが作った白魔女モドキの仮面の技術を模写していた事。
白魔女モドキの仮面は獅子の尾傭兵団の手に渡っている事。
それを渡したジュリオ皇子は急に身体の不調を発した事。
身体の不調について、エリザベスとサラがその事情を知っていた事。
そして、そのジュリオ皇子の支持を得たというジョージオ卿が独立を宣言した事。
次々とパズルが組み上がっていく。
すべての事象は『獅子の尾傭兵団』を中心につながっていたことに気付かないほうがおかしい。
今、思えば、失踪事件に関しても獅子の尾傭兵団の本隊がこの街に集い出してからだ。
決定的な証拠を掴んでいる訳ではないが、アクトも十中八九、この事件の裏には『獅子の尾傭兵団』が絡んでいると、その直感が訴えていた。
そして、その悪い予感に応えるかの如く、巨大なジョージオ卿からは決定的な次の一言が発せられる。
「最後に、非常事態として街には戒厳令を布く。そして、私はラフレスタの防衛に関して『獅子の尾傭兵団』に全権を委託する事にした。しばらくは彼らを通して我らの指示を出す。警備達も含めたラフレスタのすべての領民は彼らの指示に従うのだ」
不敵な笑みを浮かべたジョージオ卿の像は、最後にそれだけを言い残してラフレスタの夕空に溶けて消えていくのであった。