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第二話 最後の勧誘

 街の入口で拘束されたハルはすぐに護送用の馬車に乗せられた。

 馬車車内の窓は完全に目張りがされており、外から様子を窺う事はできなかったが、これはハルを晒し者にしないためのロイの配慮だったりする。

 アクトも手錠を掛けられはしなかったが、有無を言わずに同行を余儀なくされた。

 しかし、これはアクトも望んだ結果であるため、特に抵抗はせず、ハルと伴に馬車に乗り込む。

 車内に会話は無く、重い苦しい雰囲気が続くが、これしきの事で潰される程に三人の心は弱くない。

 どれほどの時間が経ったのか、馬車はラフレスタの街中を右へ左へと進み、やがて停止する。

 こうして馬車がたどり着いたところはハルとアクトに見覚えのある場所だった。


「ここはジュリオ殿下の屋敷・・・」


 アクトがそう呟くとおり、この城壁都市ラフレスタの中心である第一地区にある皇族の別荘。

 どうやらハルの尋問は一般的な犯罪者が取り調べられる警備隊の詰所ではなく、ジュリオ殿下自ら行う事が明白になったとアクトは思う。

 彼らは屋敷内に案内されて、やがて、見覚えのある大広間へと続くドアの前までやって来た。

 先導する執事が重厚なドアをノックする。


「入れ」


 遅延なく、室内より入室を許可する声が響き、執事はドアを開きハルとアクト、そして、ロイを部屋へと案内すると、その重厚なドアは静かに閉じられた。


「ああ、ハルさんだ・・・本当にハルさんが来た!」


 静まり返った部屋でそんな声を響かせるのはキリアである。

 ここにはロッテルとジュリオ皇子からなる第三皇子の関係者だけではなく、選抜生徒の学生達一同、両校の代表であるグリーナ学長、ゲンプ校長、そして、街の警備隊組織を代表してアドラント・スクレイパー警備隊総隊長、加えて、ロイの部下でもあるフィーロ・アラガテ副隊長も関係者として集められていた。

 キリアの声に続き生徒達はざわつくが、ロッテルが手を上げると全員が静まりかえる。


「まずは、よく無事に帰ってきた、と言っておこう、ハルよ」


 ジュリオ皇子は感情をあまり感じさせない声でそう告げ、対するハルからも何かを応える事はない。


「予の前に来させよ」


 ジュリオ皇子がそう指示を出すと、ハルはジュリオ皇子が座る長テーブルの向かい側へと立たされた。

 この部屋の中央に設置された長テーブルは中央にジュリオ皇子が座り、そこから左右に分かれて、ハルとその後ろに立つアクトをとり取り囲むように配置されている。

 まるで裁判か何かのように見える光景だったが、実際にそのとおりなのだろうとハルは思う。

 そして間もなく、ジュリオ皇子が口火を切る事でハルの予想したとおり、裁判が始まった。


「さて、警備隊ロイ隊長より君の罪状が既に説明されていると思うが、何か異存はあるかな?」

「いいえ」


 ハルは短くそう答える。


「ほう。では罪を認めるのだな」

「私は自分のした事に後悔はありません。私が皇子様に暴力を働いた事は紛れもない事実ですから」

「そうか。ならば、予に働いた傷害罪と皇族に対する侮辱罪が今回の罪として適用されるな」

「その罪状に、貴方が私に行った『婦女暴行未遂』も付けて下されば、私に異論はございません」


 ハルはジュリオ皇子を睨み返す。

 その眼光は鋭く、女性でありながらも、この場で皇族と言う相手を射抜くほどの迫力を宿す。

 しかし、ジュリオ皇子もその程度で狼狽するほど胆力は弱くない。


「・・・くくく・・・ははは。相変わらず其方は強情な女よ。しかし、その強かさが其方の魅力であると認めよう。眼鏡を外し、益々、予の好みの女の顔になったものだ」


 ジュリオの指摘したとおり、今日のハルは眼鏡を外していた。

 彼女の印象は少しだけ変わり、そのため、眼光もより鋭く見える。

 そんな眼鏡を外したハルの姿を見て、ジュリオ皇子はまだまだ余裕の笑みを浮かべていた。


「ハルよ、お前の罪状はそれだけではあるまい。お前が更なる罪深い存在である事は調べがついておるのだぞ!」

「他の私の罪とは?」

「白々しいな。単刀直入に言わせもらおう。其方は『白魔女』であろう。それも本物の方のな」

 

「えっ!?」


 ジュリオ殿下のその指摘に、ハルとアクトは顔色ひとつ変えなかったが、この場に居合わせた彼ら以外の人間には激震が走る。


「我々は白魔女の正体が誰なのかを早くから調査していたのだ。その捜査線上に其方の名前は早くから挙がっていた。なかなか確信を持てなかったが、エレイナを捕えた時、其方は彼女に『必ず助けに来る』と魔法で語ったのは、あの時(・・・)に言ったように既に調べがついておる。其方は誰にも気付かれないように伝えたつもりだったが、我々はその事実を察知していたのだよ」


 そう言うとジュリオ皇子は水晶のペンダントを懐より取り出す。


「この魔法のペンダントは見たもの、聞いたものを記録する魔道具だ」


 そう言いジュリオ皇子は魔法の水晶のペンダントを地面に叩き付ける。

 水晶は破壊されて、白い霧が発生し、そこにはエレイナとハルが人目を盗み魔法で会話している一部始終の映像が映し出されていた。

 その映像の最後にハルが小さい声で「必ず助けに来る」と伝えたのがハッキリと記録されていた。

 魔法の声を記録する機能もあるのだろう。

 そして、このペンダントは虜囚となっていたエレイナに付けられていたものだったらしい。

 ジュリオ皇子の陣営側はこれを動かぬ証拠を見せつける形で、どうだ! と言わんばかりの態度だ。

 

「これで犯人はほぼ確定したようなものだ。そして、其方が白魔女となりデルテ渓谷の処刑場に姿を現した。その戦闘において、ロッテルが白魔女である汝を追い詰めた時、魔力が低下したよな。そのとき、お前の髪―――その青黒い髪の一部が露わになっている。さらにローブにかけていた魔力も落ちて、一部が灰色ローブに特徴的な花柄の意匠が見られた。これはアストロの制服を以って他ならない。そして、白魔女はアクトを伴い谷底へ落ちて、その谷からアクトとハルが生還してきたのだ。白魔女が一体いつの間にハルと入れ替わったと言うのだ? 我々とて莫迦ではないのだぞ。これだけの状況証拠がそろっているのだ。其方こそが本物の『白魔女』であろう!」


 これらの証拠は光の魔法で事前に映像としてまとめられており、ジュリオ皇子の傍らに立つ魔術師により映像の再現がなされていた。

 無駄にコストをかける派手な演出であるが、ジュリオ皇子のその的確な指摘は、傍から見ても完璧、ハルを追い詰める恰好となる。

 これは十人中十人が白魔女の正体がハルであると認めるほどに適確な状況証拠である。

 その証拠を観せられた当事者以外の全員に衝撃が走るが、この瞬間に感嘆を言葉で発せられた者は頭と口が直接つながるキリアだけであったりする。


「そ、そんな。ハルさんが白魔女さんだったなんて!」


 いろんな意味で豪胆とも言える彼女だが、彼女以外の者はこの衝撃より中々解放されず、口から言葉を発する事さえ忘れていた。

 そんな者達を置いてけぼりにして、ジュリオ皇子は話を次に進める。


「これで其方の罪状はさらに増え、帝国反逆罪が追加される。この帝国反逆罪が確定すると、残念な事に其方の未来は『死罪』を免れることはないし、自分はおろか三親等にも連帯責任が及ぶだろう」


 不敵な笑みを浮かべるジュリオ皇子。


「例え、逃げたとしても無駄である。手配書は帝国全土に配られるし、其方のような青黒い髪と黒い瞳を持つ容姿など滅多におらぬ。直ぐに捜査の網にかかる事となろうぞ」

「・・・」


 ハルはそんなジュリオ皇子の通告には屈せず、眉一つ動かさない。

 それはハルがジュリオ皇子の真意を前もって魔法で解っていたからに他ならない。

 今この瞬間も彼女の得意技である『心の透視』の魔法が発動しており、ジュリオ皇子が現在、何を考えているか、ハルには既にお見通しであった。

 彼女には魔法を阻害する枷を付けられていたが、警備隊に支給される程度の魔道具では彼女の膨大な魔力を減衰させる事はできない。

 ジュリオ皇子の陣営はその事実をまだ解っていないが、ジュリオ皇子はハルの事を豪胆な女性として評価していたため、このときの彼女の不遜な態度を見ても特に不自然だとは思わないようだ。

 そんな事によりも、ジュリオ皇子は自分の筋書き通りに交渉が進む事実に満足していた。


「ふふふ、其方は予が何を要求しているのか、既に解っているようだ。頭のいい奴め」

「・・・端的に言うと、私と取引をしたい訳ね」

「そのとおりだ!」


 ハルが餌に食いついたことで、ジュリオ皇子は俄かに顔を歪めた。

 ポーカーフェイスを続けられなかったのは彼の若さ故によるもの。


「しかし、本来ならば許されぬほどの罪を犯した其方だが・・・そんな其方を予が買ってやろう。予の力で、其方の罪を全て無かった事にしてやろうじゃないか。帝国内の自由と平安を約束してやろう。しかし、その対価として、予の軍門に下るのだ。予のために動き・考え・手足となり働く。予はそれほどまでに其方のことを高く評価しておるのだぞ」


 ジュリオ皇子から出たそんな勧誘の言葉にハルは直ぐに返答する。


「私に『真の自由』を保障してくれるのであれば、本当は『無干渉』して頂きたいものです。殿下の言っている事は矛盾してはおりませんか?」


 そんな不遜な彼女の言葉に、脇にいたロッテルが眉をしかめる。


「ハル殿、殿下にそのような物言いは不敬だぞ!」


 しかし、ジュリオはこれさえ不問にする。


「まぁ、ロッテル、声を荒げるな。ハルよ、其方が言うのも尤もな論理であり、本来ならば予が報酬を支払う立場であるとも言えよう。よって、其方が予に対価を要求する事は妥当であると思っているのだが・・・予の傘下に入る事で其方の事を他の勢力より守ってやるのだぞ、そのぐらいの奉仕をしても其方に損はあるまい」

「やはり、殿下と私とでは価値観が全く異なります。私には殿下に自分の身や心をそこまでご奉仕する覚悟はありませんし、この先、必要とあればこの身ぐらいは自分一人で守る実力は御座います」


 ハルはきっぱりと拒絶の言葉を口にするが、ジュリオ皇子にとってこれは数ある想定問答のひとつに過ぎない。


「やはりそう言ってくるか・・・しかし、この程度で予は諦めんぞ。予は其方に身体や心まで奉仕しろとは言わん。其方がその後ろにいるアクトと恋仲なのは十分に承知しておる。アクトも同じく予の陣営に来るがよい。そして、其方達が結婚を希望しているのであれば、予が仲介してやろう。公式に貴族と正しい戸籍を持たぬ平民の其方が結婚できる手段はそう多くはあるまい。其方にとって悪い取引ではないはと思うが、どうだ?」


 ジュリオ皇子はニヤリと笑みを浮かべる。

 これは交渉事の鉄則で典型的な『飴と鞭』の方法。

 ハルに対して、一方で厳しく、その一方で魅力的な提案をする事で、自分に有利な交渉を進める術である。

 ジュリオ皇子は強かな戦略家というよりも策略家であり、冷静さを失った人間ならば彼の謀に引っかかっていただろう。

 しかし、ハルは違う。

 何故ならば、この瞬間も彼女の得意とする無詠唱魔法―――『心の透視』を発動させて、ジュリオ皇子の思考をすべて見抜いていたからだ。


「それは確かに魅力的な提案ですわね。一考に値しますわ」


 口元に手を当ててオホホと笑うハルの姿は上品と言うよりも、どこかわざとらしい。


「そこまでして、私に肩入れするのは何故でしょうか? ジュリオ殿下の、本当の目的を、是非ともこの場でお聞かせ願いたいものです」

「本当の目的とな・・・ それは知れたことよ。魔道具師として優秀な技術を持つ其方を、他の誰よりも予の手元に置いておきたい、というのが本音だな」


 しかし、ハルはジュリオ皇子からその答えを聞いた直後、彼を睨み返す。

 ハルの眼光は眼鏡を付けない事でその鋭さが増していたが、今回は一番の迫力を示す。

 急に得体の知れない重圧を感じたジュリオ皇子は、この瞬間にハルの雰囲気が一転したように感じた。


「この嘘つき男! あなたが私に期待しているのはそんな事じゃない・・・あなたが私に求めているのは『七賢人』の代わりでしょ!」

「な、なぜそれを!!!」


 ハルのその一言でジュリオ皇子はひどく狼狽した。

 ジュリオ皇子は巧みな話術と完璧な体裁でハルを陥れたつもりだった。

 しかし、絶対に解るはずないと思っていた自分の真の企みを、こういとも簡単に露呈されてしまったのだ。

 ジュリオ皇子が大きく動揺したことで、彼の真意がハルの指摘どおりだったと周囲に知らしめる結果となってしまう。


「アクト。皆に説明してあげて」


 ハルの呼びかけで、この部屋に入ってからこれまで一言も言葉を発していなかったアクトが初めて口を開く。


「・・・『七賢人』。それはエストリア帝国の創世記に登場した架空の人物を示しており、この物語はエストリア帝国出生の民はおろか、ゴルト大陸中の人間ならば、一度は聞いているほどの有名な御伽話だ」


 アクトは学校で行われる授業のように、淡々とこの『七賢人』の物語について掻い摘んで話し始める。


「エリトリア帝国の創世記の伝承によると、戦乱の続く世で、後に初代帝皇となる人物がこの争いを収めようと決意した時、天より光が差し込み、そして、彼の元に七人の賢者が現れた。彼らは高い知識と技術を持ち、初代帝皇に様々な助言を行うことで乱世を見事に平定し、そして、初代帝王はエストリア帝国を建国できた。この七賢人はエリトリア帝国が無事に立国できた事を見届けると天に帰って行く。そんな物語」


 アクトが簡単に物語のあらすじを説明するが、ハルはそれに続く。


「そうね。でもこの有名な御伽話には、どうやらちょっとした秘密があるようよ。この物語は初代帝皇によって巧みに広められた話らしいし、これには真実と嘘が混ぜられている。特に七賢人の台頭は荒唐無稽な話のようだけど、半分は本当、半分は嘘の話し。真実の部分は彼らが高い技術を持ち有能な人材であった事と、様々な知恵を初代帝皇に授けた事かしらね。そのお陰で初代帝皇は帝国を律する事ができたと言っても過言ではない功績だったようよ」


 まさか・・・という呟きが辺りから聞こえる。

 このエストリア帝国創世記は御伽話として有名であり、その出来過ぎた話しから、聞き手の誰もが空想上の創作物であると認識していたからだ。

 しかし、ハルがこうして話す姿には、どこか真実味があり、この御伽話の半分が真実だったと彼女が言うと、本当にそういう風に思えてくるから不思議だ。

 聞き手からそんな心象を得られているのを知ってか、知らずか、ハルの話は核心へと移っていく。


「そして、この七賢人の話しの嘘の部分・・・それは、彼らが天から来て天に帰ったという事ね。彼らは決して神の使いではなく普通の人間だったと初代帝皇は認めていた。それでも、初代帝皇は自らの判断で彼らの存在を神聖化して隠す事にしたようね。何故なら、彼らの持つ高い技術と高度な知識は、あのときの時代からすると数世代も先を行くような技術だったようで、利用の仕方ひとつで強大な力にもなった。この技術力の悪用を恐れた初代帝皇は彼らを天の住人として扱い、戦いが終わった今はもうこの地には存在しない、と宣言し、彼らを歴史の表舞台から消し去ったの。そうでしょ? ジュリオ皇子」


 ハルから問われて、ジュリオ皇子は一瞬どう答えるか迷ったようだが、それでも次の瞬間、彼は観念したように大笑いする。


「くっ・・・ふ・・ふ・・ふふふ。どうやら其方はすべてを解っていて、この予に言わせたいようだな。よかろう。聞かせてやろうではないか、我らが皇族一族のみに伝わる伝承をな!」


 ハルやアクトが、どうやってその事実を知ったのかは解らないが、ジュリオ皇子はもう完全に開き直り、ハルの望みどおり七賢人の話を聞かせてやることにした。


「其方の言うとおり、初代帝皇ランス・ファデリン・エストリアは確かに七賢人の存在を歴史の表舞台から消した。彼らが格別の力を持つのも事実だったようだが、歴史の表舞台から消すことを要求したのは七賢人の方からの申し出だったと聞く。それに何を隠そう、後に初代帝皇ランスの妻のひとりは七賢人だったと言われているしな」


「!!!」


 ジュリオ皇子が暴露した皇族の秘密に、この場に居合わせた帝国民は本日何度目になるか解らない衝撃を受ける。

 七賢人が実在した話も驚きだが、そのひとりが初代帝皇の妻になっていたなど聞いた事の無い真実だったからである。


「七賢人は決して天の人ではない。我々と変わらない人間であったと聞く・・・」


 ジュリオ皇子の言葉にハルが次のように続く。


「そう。彼らは異邦人だった・・・私と同じようにね」

「!!!」


 ハルからの衝撃の告白。

 この場に居合わせた人の中には『異邦人』という単語の意味が解らない者もいたが、グリーナやゲンプなどそれなりに学のある立場の人間はハルの口より出た言葉に我が耳を疑った。

 しかし、当のジュリオはそのハルの言葉にしてやったりとする。


「遂に認めたな」

「この期に及んで誤魔化し続けるのは難しいと判断したからよ。それよりも話を続けて頂戴」


 ハルは自分の事を脇に置き、ジュリオ皇子に話の続きを促す。

 皇族に対して全く敬意の籠らない態度だったが、この場でそれを再び指摘するほど心に余裕のある者は既に居なくなっていた。(あのキリアでさえもである・・・)

 そして、当のジュリオ皇子はハルの望みどおり七賢人の話を続けてやることにした。


「そう。彼らは天から降り注ぐ光と伴にこの世界に現れた。その場に偶然居合わせた初代帝皇ランスが彼らと邂逅を図り、温かくこの世界に迎い入れたと聞く。彼らがこの世界に来たのはまったく事故のようなもの。彼らは自分達がどうやってこの世界に来たのかさえ解らない状況だったらしい。彼ら異邦人は魔法を全く使えなかったが、その代りに我々とは次元の異なる高い技術力と文明を持っていたようだ。そして、彼らの知識は千年前の乱世において大いなる武器となった。異邦人達と良好な関係を続けていた初代帝皇ランスは、彼らの協力を得て戦いに明け暮れる世界を平定できるほどの力を得られたと聞く。異邦人がもたらす知識はその時代においてそれほどに強力な影響力があったのだよ」


 ジュリオ皇子はいつの間にかゆっくりと席を立ち、話を続ける。


「世が平定した後、争いの無くなった世の中でも異邦人達の知識はとても役に立ったらしい。彼らの知識は、現在、我々が使う言語や文化、政治、経済、法律、全ての事の起源に関係するほど強い影響力があったと聞く」


 これでハルは「なるほど」と合致した。

 この世界の言葉や文化、人の名前などが元々の世界の西洋語圏に似ている事がずっと不思議だったのだ。

 偶然の一致にしては妙だと思ったが、過去に西洋人がこちらの世界にやって来たのであれば全てに説明がつく。


「その後、彼らはどうなったの?」

「千年も前の話なので正確な事は解らないが・・・初代帝皇の妻になった者、貴族になった者、放浪の旅に出た者、隠居した者などの伝承が残っておる。そして、すべての者がこの地で生涯を終えたと記録されておる。この世界の人と交わり、その子孫の血は薄まり、やがてはこの世界の人の一部となる。予もその子孫のひとりなのであろう」

「つまり、元の世界に戻れたものは一人もいないということ?」

「そうだ」


 ニヤリと笑みを浮かべるジュリオ皇子。

 そして、再びハルに向かってこう告げる。


「だから、其方が何処に逃げようとも、逃げられる場所など初めから無いのだ。『この世界』という檻からは逃れる事はできない。其方は予の元に来るべきなのだ。身の安全は保証するし、待遇も悪いようにはせんぞ」

「だから『お断り』と言っているでしょう。あなたのその先の目的は解っている。私を新しい七賢人として祀りあげる事。そして、あなたの真の目的は私の女性としての身体。あなたの子を私に身籠らせて、自分を初代帝皇と同じように振る舞うことで、権威争いで優位な立場にいたいだけ。そのためならば、あなたはアクトを暗殺することだって厭わない。私達がそんな事に巻き込まれるなんて御免だわ」


 ハルが今まで以上に強い口調でジュリオ皇子に対して拒絶の態度を示す。

 しかし、ジュリオの方も既に嘘の仮面で繕う事は捨てていた。

 彼は、それで何が悪い、と居直ったのだ。


「ふん。やはり其方は帝国内の矜持が何んたるかを解っていないようだ。帝国では帝皇が最も尊き存在である。帝皇が中心となり未来永劫に栄える。それがこのエストリア帝国の理。その理のために国民が存在し、貴族が存在し、領土が存在し、社会がそのように動いている。これはこの帝国では変わらぬもの、変えられないものなのだ。全ての物事が帝皇の威光によって動いておる。今よりもより良き社会、より平等な社会を作るためには、強大な力が必要である。それは予が帝皇になる事で初めて手に入る力であり、予が帝皇の座に就いた暁にはこの帝国をもっと発展させる事ができるだろう。そのためにはまず帝皇の座に就く事が重要なのだ。そのために其方は予に身を捧げればよいのだ。其方の力を予のために使え。初代帝皇ランスの妻がそうしたようにな」

「嫌よ!」


 ジュリオ皇子からの度重なる勧誘をきっぱりと断るハル。

 彼女の意思は鉄よりも固く、ジュリオ皇子に付け入る隙をまったく与えない。

 それを悟ったジュリオ皇子の忍耐はこれで限界を迎えることになった。


「小癪な女め! 予が歓待の礼を尽して下手に出ていれば、つけ上がりよって!!」


 ジュリオ皇子の怒気により場の温度は一気に低下する。

 これはジュリオ皇子が生まれながらにして帝王の覇気を持っている・・・と言うよりも、この帝国に住む人間の習性と言った方がよいかのかも知れない。

 彼は立場が低いと言っても、それは皇族の中での話であり、この場に居合わせている一般市民からして皇族という存在は雲上人だ。

 エストリア帝国に生まれた者―――いや、このゴルト大陸で生を受けた人間とって、皇族の者が怒りを露わにする事態は、末恐ろしい状況であると心に刷り込まれている所以であった。


「ハルよ。其方はいまいち現実が理解できていないようだが、このエストリア帝国において皇族の命令は絶対である。その意味が解るであろう、アクト・ブレッタよ。この目の前に居る無礼な女に苦痛を与えよ。予に危害を加えた無礼な女だ。片腕を切り落としてしまえ!」


 ジュリオ皇子によって非情な命令がアクトに下された。


「何、心配する事はない。この屋敷には優秀な癒し手が駐在しておる。例え、片腕が無くなろうとも命に別条は起こらん。まぁ、多少生活が不便になるぐらいだ」


 ジュリオ皇子は普段の彼からは絶対に見せない凄惨な笑みを浮かべる。

 アクトは皇子の命令に黙していたが、それに代わり、脇に控えていたロッテルがこの皇子の暴挙を止めに入った。


「ジ、ジュリオ殿下。これは少しやり過ぎですぞ。」

「ロッテルよ、黙れ! これにはエストリア帝国の皇族としての威厳がかかっておる。たかが小娘ひとりごとき、従わせられなくて何が皇族だ!」


 ジュリオは激高して、ロッテルを退けた。

 彼から初めて見せるあまりの憎悪に満ちた激しさに、思わず絶句してしまうロッテルだったが、そんな事にはお構いなしとしてジュリオ皇子はアクトに迫った。


「さぁ、早く履行するのだ、アクトよ。お前がやらねばブレッタ家は逆賊となるぞ。今こそ帝国に仕える貴族として責務を果たす時だ」


 そのジュリオ皇子の言葉に、ようやく動き出すアクト。

 彼は剣の柄に手をかけた。


「お、おい、アクト。何をやっている。止めろーー!」


 この推移を黙って見守る彼の親友であるインディは、ハッとなり、アクトの行動を止めようとする。

 彼が今、斬ろうとしているのは、彼が守ろうとしていた人間のはず。

 数日前の死闘で、彼女を助けるために自分の身を顧みず奈落の底へと飛び込んでいった相手なのだ。

 そして、今日、このふたりが戻ってきたとき、彼と彼女を見てインディは悟った。

 このふたりには明らかに深い絆を纏って戻ってきた。

 互いの信頼を超えるそれ以上の何か。

 愛情さえも超える何かを纏い戻って来たこのふたり。

 アクトがそんな相手を斬るという愚行を何としても止めなければならないとインディは思う。

 しかし、当のハルは観念したように手錠のかけられた両腕を上げる。

 この手錠型の拘束具はインディも存在を良く知っている。

 魔術師を拘束するのに使われる魔道具であり、魔力を大きく減衰させるものだ。

 これを付けている以上、あの天才と言われたハルでも無力な女性と同じなのだ。


「アクトーーーーーッ!」


 インディが叫ぶのと、アクトが剣を抜いたのはほぼ同時。

 アクトが魔剣エクリプスを抜くと、凄まじい速さでそれを振りぬく。


キンッ!


 甲高い金属音がして、時間が数秒間止まったような沈黙。

 そして・・・ゆっくりとハルの自由を奪っていた手錠に亀裂が走り、上下にズレる。

 その亀裂はやがて金属製の手錠全体に拡がり、そして・・・粉々に砕け散った。

 粉末状になった手錠の残骸には幾分かは魔力が纏っており、アクトの使う魔剣エクリプスに吸収されて、そして、黒い霞となって宙へと消えた。

 魔力がこの魔剣に吸収された結果である。

 そんな驚きの光景もあったが、これでハルは自由の身になり、アクトはその戒めを破った魔剣を今度はジュリオ皇子に向かって突き立てる。


「これが、俺の答えだ!」


 アクトはハルの脇に立ち、ジュリオ皇子へ挑むようにして目を逸らさない。

 ジュリオ皇子はアクトの暴挙に歯ぎしりを覚える。


「こ、小癪な! お前の選択が一族を路頭に迷わす結果になるのだぞ。解っているのか?」


 ジュリオ第三皇子は自分の言う事を利かなかった臣民を酷く睨むが、その程度で負けるアクトではない。


「ブレッタ家の剣は帝国を守るための剣でもあるが、それは皇族を守るためではない。正しき者、弱き者を守る剣であれ。それがブレッタ家の習わし。俺にとってハルは何があっても守るべき存在であり、守らなければならない存在だ。これだけは誰にも文句は言わせない! 父や兄も解ってくれると思う。もし、万にひとつ賛同を得られなかった場合、俺は父や兄だって斬る。ブレッタ家と縁を切っても構わない!」


 堂々と、そして、清々とジュリオ皇子に自分の正論を述べるアクト。

 その姿は何処か晴れ晴れしく、自分の身体の中から何か悪い物を出せたような顔をしていた。


「さぁ、ハル。これで俺はお前と伴に進めるぞ。何があってもお前を守り、全世界を敵に回しても君を信じる」


 右手で剣を持ち、左手はハルに向かい掌を広げる。


「アクト!」


 彼女はその手を迷いなく迎え入れ、そして、彼に身を預ける。

 ふたりは互いに身を寄せ合うように密着し、そして、アクトの魔剣エクリプスだけはジュリオ皇子に向けられて威嚇したままだ。


「ぐぬぬぬ。愚民のアクトめ! 予に恥をかかせよって。しかし、お前たちが反乱する事を全く予想できなかった予では無いわ。来たれ守護者よ!」


 アクトに虚仮(コケ)にされた事でジュリオ皇子は最後の手段に出た。

 彼の声に呼応するように、突然の疾風が窓より室内へ入ってくる。

 そして、その魔法の風に乗って現れたふたりの人物。

 その人物を見て、アクトは驚愕に顔を歪めた。

 

「なっ、お前たちは!!!」

 


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