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・ギア/フィフス 千年妖狐と魂葬者・壱――VS千年妖狐/殺し愛の幕は上がりて

 ――「……ねえ、約束して。生まれ変わってもまたぼくを見つけるって」

 



 ――「……ああ、約束する。例え世界が終わってもぼくは君を探し出す」














 第五章(ギア/フィフス) 千年妖狐と魂葬者






 むかしむかし、あるところに一匹の狐がいました。

 淡く桃色がかった乳白色の美しい毛並みを持つその狐は、他の狐より少しだけ賢く、少しだけ大きく、少しだけ優れていて、そしてとても好奇心の強い変わりものの狐でした。


 狐はある時思います。

 人間ってすごい。冬の寒さから身を守る毛皮も大地を素早く駆ける術も獲物を切り裂く爪も牙も持っていないのに、彼らは自分たちで工夫して何でも創り出してしまう。彼らが生み出す物はどれも不思議で面白く便利で、ぼくらには到底真似できない。


 狐は人里に下りるのが好きでした。

 人間が使う不思議な道具や、不思議な街並み、文字を駆使したコミュニケーション。

 そのままでも美味しい野菜や肉を合体させてさらに美味しくしてしまう魔法のような術の数々。

 それら全てが狐にとっては憧れの的でした。


 人間の里には不思議な建物もありました。

 立派な構えの割に人気のないその場所は、自分と似たような形の像が飾られているのもあって、狐にとってお気に入りの場所でした。


 ある日、自分とそっくりな形をした像の足元に不思議な食べ物が乗っている事に気付きます。

 こんがりとしたきつね色をしたその物体は抗い難く狐を誘惑してきて、気づけば狐はその不思議な食べ物――お稲荷様のお供え物の油揚げを全て食べてしまったのです。


 お供え物を食べてしまった狐は、お稲荷様の怒りを買い罰として世界の輪から外されてしまいます。

 そうして世界の輪から弾き出され、妖怪となってしまった狐は、長い月日を経て終わらない生の苦しみの中、恨みや嫉み妬み嫉妬憎悪を募らせ恐ろしい怪異の主になったのです。

 

 千年を生きるその白い狐を、人々は畏怖を込めて千年妖狐と呼んだのです。



☆ ☆ ☆ ☆


 眼前に立つ嫣然とした笑みを浮かべる狐の少女を、斑輝喜逸は知っていた。

 知っている筈だった。

 だが、出会った時以上におどろおどろしい陰気を纏う眼前の少女が、喜逸が共に旅をしてきた妖狐と同一人物であると、頭が理解しても感情が理解を拒んでいた。


 ……今の妖狐を見ていると、泣き出したいくらいの焦燥感がひたすらに胸を締め付けてくる。


「……喜逸殿、妖狐殿のこの霊力は……まさか……」

『間違いありません。不可解だった時和極夜の弱体化。両者の数値の変動率的にも全て合致します! 極夜サマです! おそらく、ちなみ達と戦う時には既に、己の霊力の八割以上を陰気へ変換した上で千年妖狐へ譲渡していたのでしょうっ! 御主サマ、今の千年妖狐はちなみ達の知るソレとはまるきり別人! このままでは殺されてしまいます! 御主サマ撤退をッ!』


 トンと、軽やかに台座から降り立った彼女の足元。

 妖狐の身体が直接触れた場所から、世界が罅割れ、沸き出し膨れ上がった陰気の泡沫が弾けて毒々しい瘴気が溢れ出す。


 隠形と同時に、儀式場に結界も敷いていたのだろう。

 太極図より一歩踏み出した途端、その歩み一つで世界を異界へと堕とすその様は、何よりもこの世全ての生命と真理への冒涜に他ならない。


 怪異の主? 笑えない。そんなちゃちな物では断じてない。


 そこにいたのは、存在するだけでこの世界の陰陽のバランスを崩し、宇宙の真理を破壊し続ける最凶最悪の怪物だった。


「お前……本当に。妖狐、なのか……?」

「――あは! あはははははははははははははははははははははは!」


 思わず零れた喜逸の問いに、気が触れたように妖狐が笑いだす。

 何がそこまで面白いのか、お腹を抱え堪えきれないとばかりに哄笑をあげる妖狐。


 その可憐で美しい少女の外見は少しも変化していないのに、目には見えない部分が変わり果ててしまっている事が分かってしまう。 


 それが度し難く不気味で恐ろしく悍ましいと同時、悲しくて悔しくて怒りで頭がどうにかなってしまいそうだった。


 目の前の少女は確かに妖狐の形をしているが、その内側に詰まっているのは泥だ、汚泥だ、形容しがたい悪意と怨念の塊だ。

 かつての馴れ馴れしくやたら好意的で不遜な癖にどこか寂しがり屋で、喜逸の事を真に想ってくれていたあの妖狐ではありえない。

 共に旅をしていた時に感じた隣にいるだけで不思議と安堵するような心地良さは、もうどこにも見当たらなかった。

 ――加速する。

 増していく。焦り、どうしようもない焦燥の炎が喜逸の胸を焼き焦がす。


「おかしなことを言うんだな、きーつは。ふ、ふふ。ぼくが、他の誰かに見えるとでも?」

「……いや、そんな事はねえ。ただ、世界を滅ぼす魔王様にしては、どうもパッとしねえ間の抜けた姿をしてやがると思ってな。……ほらよ、ごっこ遊びはしまいだ。お痛の分は後でこってり叱りつけるとして、ひとまずお開きだ。俺を散々振り回して存分に楽しんだろ、お前も」


 半ば懇願するように、届くとも思っていない言葉を重ねた。

 致命的な決別が、目の前にある。

 それが分かっているからこそ、彼は妖狐へ対して馬鹿だの殺すだのアホだの死ねだの、いつものように軽々しく言葉を吐くことができない。


 そんな、かえって距離感の遠い喜逸の気遣いや態度が、妖狐を深く傷つける。


「……嗚呼、そうだ、そうだよな。ごっこ遊びは……もう、お終いにしよう」

「……ああ、世界を滅ぼすだのなんだのってはここまでだ。お前は俺の旅に付いてくる。そういう契約じゃねえか。だから次の場所へ行くぞ、もたもたしてると美味しい依頼が――」

「――『円環輪廻の五百年』」


 喜逸の言葉を遮ったその単語は、喜逸の胸の内をざわめかせる不吉な響きを伴っている。


「この五百年はさ、終わりが終わらなくなった世界をもう一度終わらせて、さらにもう一つ上の段階へ世界を進ませ産まれ変わらせる為の、転生の五百年だったんだそうだ」

「……そう、時和極夜がお前に言ったのか?」


 どこか夢見心地な妖狐の言葉に、喜逸は地雷原を歩くような感覚で探るように問いかける。


「ああ、そうだ。ヤツはぼくに言ったんだ。終わりの終わらないこの世界を終わらせる。そうして今度こそ、愛する人と離れ離れになることのない、誰もが幸せな世界を創り出すって」

『――御主サマ、千年妖狐の能力値総合、急上昇中。上昇パターン、魂葬者の『崩界』使用時の物と酷似! このまま彼女の変化を見過ごすのは危険です、速やかな対処もしくは撤退を推奨しますッ! 御主サマ! 聞こえてますか御主サマ!?』


 高まる緊張感と不穏な空気。

 喜逸の嫌な予感を裏付けるように坐武羅から返されたゴーグルからちなみの声が響く。

 だが、動けない。

 金縛りにあったように、身じろぎ一つでもすれば命が吹き飛ぶと本能が恐れ、身体が痺れたように動けない。


「きーつ、きみは何をしに来たんだ? 世界を滅ぼすと宣言したぼくの元へ。裏切り者のぼくの元へ。怪異の主のぼくの元へ。こんな所にノコノコ現れたきみは、ぼくを殺しにきたのか?」

「…………違う、そうじゃねえ。俺はお前を――」


 何をしに来たのか。

 その問いに、お前を助けに来たと。そう答えるのは簡単だった。


 だが、それは……何かが違う気がした。


 結局、この戦いは喜逸の我儘だ。


 己がこれまでやってきた事全てを棚に上げて、己の我を貫き通すだけに始めた戦い。

その為だけに、喜逸は確かに掲げていた己の信念を捻じ曲げ、筋の通らない事をしている。


 自分の終わらせてきたものを蔑ろにする理由に、妖狐の為を持ちだすのは卑怯な気がした。

 ……斑輝喜逸は千年妖狐を助けたい、取り戻したいと強く思っている。


 だが、それと同時にやはり喜逸は知りたいのだ。

 妖狐が知っているであろう過去の自分。そしてそんな自分とかつて関わっていたのだろう妖狐の過去を。妖狐との過去を。


 喜逸が抱く空の信念やこの身を今も焼き尽くさんとする衝動、そして悶える如き焦燥感。

 それらの起源となるものを妖狐が知っているかもしれない、そんな打算じみた思いがある事だって否定はできない。

 けれど、空っぽな己の隠された過去を知りたいと願うのは、失われた五百年前の過去への執着からではない。

 むしろその逆なのだと喜逸は思う。


 斑輝喜逸は、きっとこれから先の五百年を歩む為に此処にきた。妖狐の元にやって来た。


 出来る事ならば、この先の五百年をまた妖狐と一緒に歩いて行きたいと強く思う。


 そして、先へ進む為には、己の過去を知り、全てを受け止める必要があるとも思うのだ。


 だから、やはり。

 斑輝喜逸が答えるべきは。


「――時和極夜にも言ったぞ、聞いてなかったのかお前。俺は、未来を取り返しに来たんだ」


 今度は身体が竦んで動けないという事はなかった。

 いつものやり取りのように馬鹿を言う妖狐に呆れたように肩を竦めて、迷いなく、そう言い切れた。


 だが、そんな喜逸の答えに、妖狐は引き攣ったような笑みを漏らす。


「ひはっ、ふふふ、あははははっははは!! ――そうか、未来か。きーつは世界ではなく、この終わりの終わらない今を先に進めたいのか……!」

「そうだ、クソ親父の考えてる事に興味はねえ。この終わらない世界を終わらせるものがあるとしたら、それはあの野郎のふざけた企みじゃねえ、俺がこの手で終わらせる。だから――」

「――残念だ、きーつ。ぼくはその提案だけは絶対に呑めない」


 だから、一緒に来い。

 伝えたかった喜逸の言葉は、最後まで言い切る事無く妖狐に遮られる。

 あまりにあっさりと突き付けられた拒絶と決別に、喜逸は思わず声を荒げていた。


「……なっ、どうして!?」

「この先の五百年に斑輝喜逸の魂は耐えられない。機械仕掛けの永久人であるきみの魂の耐用年数は、他の固体より短いのだそうだ。既に五百年を過ごしたきみは、もうすぐ壊れる運命にあるらしい。だから、ぼくは今を先へ進める事はしたくない。きーつの言葉には頷けない」

「――っ、馬鹿か、お前はッ! らしいとか、だそうだとか……んなモン、何の確証もねえだろ! あのクソ親父がお前を騙して利用するために出鱈目言ってるだけじゃねえか!」

「ああ、そうだ。その通りだ。きっとぼくは、いい様にヤツの口車に乗せられているんだろうな。でも、それで構わない。きーつを失う可能性が一パーセントでも存在する。ぼくにとってこの世界を滅ぼす理由はただそれだけで十分だ。より確実に、より長くきーつと共にいられる世界があるのなら、ぼくは迷わずその世界を選択する。……もう嫌なんだ、耐えられないんだ。独りぼっちは嫌だ。またきみに会えなくなる可能性がある世界なんて、想像するだけでも耐え難い……! だからきーつ、ぼくは世界を滅ぼしきみを殺してきみを救うよ」


 場違いに穏やかな声で、歌うように妖狐が告げた世界を滅ぼす理由は滅茶苦茶だった。


 そもそも、喜逸の魂の耐用年数が短いだの、既に五百年を過ごしたからもうじき壊れる運命だの、何の確証もない極夜の言葉を嘘だと分かっていながら鵜吞みにするその様は、もうやけくそになっているとしか思えない。


 そもそも、愛する人と離れ離れになることのない誰もが幸せな世界とは何だ? 


 永久人なんて狂ったものを作り出した男だ。

 仮に時和極夜がそんな世界を本当に創ろうとしていたとして、ヤツが生み出す幸福が真っ当な物だとはとても思えない。


「――なあ、妖狐。だいたいよ、俺が機械仕掛けの永久人だってことをお前はとっくの昔に知ってたんだろうが。命もない人形の俺なんざの為に、なんだってお前はここまで……」

「それこそ愚問だな。ぼくがきーつの為なら死んでも構わないと思っていることを、きみは知っている筈だ。そしてぼくの想いの源泉がいつにあるのかもきみは気が付いている。だからこそきみは此処へ来た。本当の意味で未来へ進む為には、過去と向き合う必要があったから」


 ああ、そうだ。その通りだ。

 それが未来を取り返すという事で、これから先を妖狐と共に歩む事と思ったのだ。

 だから喜逸は、妖狐の知る斑輝喜逸をちゃんと知らなければならない。


「そこまで分かってるならさ、今からでも遅くねえだろ。……なあ、妖狐。俺とお前が戦う必要なんざ、本当はどこにもないだろうが」

「――そうだね。でもぼくは、きーつを殺して世界を滅ぼすと決めた。そして、きーつが知りたがってる事は一つだって教えてやらない、絶対に。これがぼくの選択で、ぼくがきみと歩みたいと願った末路だ。ぼくはね、きーつ。きみの為なら世界だって滅ぼせるんだよ」


 胸が痛い。

 焦燥感が心臓を縛り上げる。

 衝動の炎が情けない喜逸を叱咤する。

 お前は何をやっているんだと、覚えてもいない記憶の中の誰かに罵られ呆れられ怒られているようだった。


 致命的な流れを自覚する。

 最悪の事態が目前に迫っている事を理解して、それでも喜逸は縋るように言葉を紡ぐ――届かないと分かっていてなお、それは必要な事である気がしたから。


「……馬鹿だよ、俺もお前も。なあ、どうしてこうなっちまうんだ。ようやくよ、少しだけ自分に素直になれる気がしてたってのに。なんだって最後の最後まで『魂葬者』と『千年妖狐』は殺し合わなきゃならねえんだ……ッ!」

「――ああ、そうだ。それでいい。さあ、きーつ。殺し愛おう。真っ当な命なんてありもしないぼくらの命、そのどちらかが燃え尽きるまで」


 斑輝喜逸と千年妖狐。


 確かに互いを思っていたはずの二人は、致命的にその道を違えた。


 共に真っ当な生命ではなく、正しくは生きてすらいない筈の二人。


 共に、永久の時を過ごしながら、終わりを肯定する者と終わりを否定する者。


 共に、眼前の相手を救おうとした者達の成れの果て。


 終わらない終わりを終わらせる『魂葬者』と、世界を滅ぼさんとする怪異の主『千年妖狐』


 結局、両者はどこまでも相容れなくて、故に、出会った時からこの戦いは宿命づけられていたのかもしれない。




「――《霊刻起因(ニルヴァータ)》――」




 そうして告げられる己の『心の根源』を刻んだ『霊刻』を起動させる即身成仏への起句。

 仏の教えが失伝し歪んだ世界で、決して正しく機能しないその『霊刻』システムは『魂葬霊具』を有さない妖狐をも偽りの覚者へと至らせる。




「――《世界は円環の渦、輪廻の輪。回転する二重螺旋》《廻り、廻り、廻りうねって、上から下へ。下から上へ。行ったり来たりを繰り返す》《……廻る螺旋を止めるのだぁれ?》《円環輪廻の五百年》――」




 妖狐が『霊刻』を刻んだのは己自身。千年妖狐にとっては自らの肢体こそが『魂葬霊具』。

 道具のように浪費し消耗し消費しすり減って壊れ狂っても我が願いを叶えられるなら構いはしない。

 自身を卑下し、目的の為に道具のように乱雑に扱い続け、その強き根源を成そうとした。

 そんな彼女の歪な心の在り方は、まさにこの歪な世界で『悟り』と呼ぶに相応しい。


『千年妖狐の陰気なおも増大! 上昇の勢い、止まりません! ……不味いです、本当に不味いですよこれぇ! 極限まで膨れ上がった陰気が周囲の陰気を吸い込む極点と化しています!』

「もっと分かりやすく頼む! 具体的に何がどうヤバい!?」

『陰気のブラックホールと化した千年妖狐の元に余所から陰気が収束、無限に膨張し続ける永久機関になりかけています! このまま事態が進行すれば、千年妖狐は膨張に耐えきれず破裂。溜め込んだ陰気が爆発的に広がり、世界の陰陽のバランスが完全に崩壊……最悪の場合、リバーシのように全てが裏返って、この地上が冥界になってしまいますッ!』

「さながら陰気の風船爆弾ですな……となると、彼女を殺してしまうのも不味いのでは」

「殺さず何とか止めるに決まってんだろ。いちいち物騒な僧侶だなお前もッ!」


 怪異とは偏った陰気の塊である。故に極夜は、妖狐を計画に利用した。

 巨大な陰気の塊である千年妖狐に許容量を上回る陰気を注ぎ込み暴走させ、世界中の陰気を収束させる極点へ成長させる。

 陰気を吸い込み続け陰気の爆弾と化した妖狐を破裂させる事で世界の陰陽のバランスを一気に崩壊させる。

 それが、極夜が千年妖狐を用いて行おうとしている贍部州の冥界化。時和極夜の齎さんとする世界の救済。

 死した妻と息子と永遠を過ごす為の、世界を巻き込む無理心中だった。


 ――妖狐の霊力、なおも増大。

 『悟り』に至った心の在り方である第十住心――すなわち『秘密荘厳心』を顕在化させ己の内の仏と一体化する『顕得成仏』を強制発動。即身成仏を果たす。


 仏となった覚者は、その『心の根源』に従って展開した己の真理で、世界の真理を破壊し捻じ曲げる。その現象を、人は――




「――崩界(ダーマ・ダートゥ)――『減速輪廻千(げんそくりんねせん)()()観音(かんのん)』」




 少女の内側に強引に押し込まれていた泥のような陰気が爆発的に膨張、妖狐の美しい乳白色の毛並みが濃密な陰気に侵され漆黒へと豹変し、そのまま世界を侵食した。

 妖狐の矮躯、その背後に仏像の光背の如く立ち昇る高さ十メートルを優に超える黒々としたソレは後光などではない。

 膨張し無数に枝分かれした妖狐の尻尾。

 かつて二股だったその尻尾は漆黒に染まり数え切れない程に数を増やし、無数に枝分かれして妖狐本体の体積の数十倍から百倍以上の体積を誇っていた。

 それでも収まりきらなかった尻尾が、妖狐から完全分離し外部ユニットとして中空に漂い、主を守るように喜逸を照準している。


 臀部から伸びる尻尾の数五〇〇。

 完全に切り離され宙に浮かぶ尻尾の数五〇〇。

 その総数――一〇〇〇。


 尻尾が触れる空間が罅割れ、毒々しい泡沫がぶくぶくと亀裂より生じては弾け、噴き出す瘴気が世界を穢し陰陽の調和を破壊する。

 まるで千の怪異を引き連れる千鬼夜行を一人で体現するような異様な光景。

 その圧倒的な陰気の発露は、常人であれば一秒と正気を保てまい。


 千尾弧観音。

 まさにその名に相応しき暴威を纏う怪異の少女の素顔を隠すように、狐の顔を象った流線形の赤い仮面が現出。

 妖艶に微笑む口元を除いて妖狐の顔を覆い隠す。


「……おい、坐武羅。お前の『崩界』、あと何分持つ?」

「ははは、自慢ではありませぬが、拙僧こう見えて霊力のスタミナにはあまり自信がないものでしてな。喜逸殿のサポート含め消耗激しく、もってあと一分程度かと……」


 坐武羅の『崩界』は干渉型と強化型の複合型。

 相手の能力値を全項目強制的に一段階引き下げる強力な能力を持っている。

 逆に言えば、坐武羅の『崩界』が維持されている六〇秒の間に決着が付かなかった場合、既に時和極夜を超越する霊威を放つ千年妖狐が、さらに強くなる事を意味している。


『――尻尾一つ一つに強大な霊力反応を確認。あれらの尻尾は実体のない霊力の塊のようです。おそらく、千年妖狐の崩界の肝であるとちなみは予測します。敵詳細の分析作業開始――』

「制限時間は六〇秒。それまでにアレを何とか出来なかった場合、世界が滅びるって訳だ」

 

 ゴーグルを被り直し拳を構え臨戦態勢に入る喜逸。視界の端で顔を青くしたちなみが真剣な表情で唾を飲み分析を始め、隣で後光を発する坐武羅が長槍と化した土蜘蛛喇叭を構える。


「……それじゃあ、きーつ。死んでくれ」


 直後、それに反応できたのは坐武羅だけだった。


「――喜逸殿!」

「え、――あ?」


 喜逸を突き飛ばし咄嗟に前に飛び出た坐武羅が、槍を縦横無尽に振るう。

 切り裂き切り上げ薙ぎ払い、槍を引く動作で石突を用いての背後への打突。

 反動を利用した突きとそこからの神速の逆袈裟が迸り、槍を支点に身体を回転させ致命を潜り抜け、それによって得た遠心力でもってさらに大きく渦を描き長槍を薙ぎ払う。

 押し寄せる凶悪な霊力を孕んだ尻尾の弾丸。

 それら霊力尾を三十七切り伏せた直後、死角から飛来した七と槍を潜り抜けた三、ダメ押しとばかりに十三の尻尾が次々と坐武羅に直撃。

 数十メートルの距離を軽々と吹き飛び、地下空間の壁に叩き付けられる。

 さらに、壁にクレーターが生じる程にその長躯が現在進行形でめり込み続け、破戒僧が苦悶の呻きを発した。


『坐武羅サマの周囲に重力フィールドを感知ッ! 霊力尾に触れた相手に疑似重力を発生させる能力と推察します! 魂葬霊具以外で弾丸に触れるのは致命的と判断。なお、射出された霊力尾の消滅確認。再装填の気配なし。回避もしくは霊具による全弾迎撃を推奨です!』


 霊力で構成された尻尾の弾丸を千発回避すれば理論上は勝てるとほざくちなみに毒づきたくなる。

 直撃を受け、重力によって完全に動きが封じられた坐武羅はどうにか気力で『崩界』を維持している状態だ。

 それも長くは続かないだろう。


「……くそがっ、死ぬなら俺が馬鹿狐ぶん殴ってからにしろよ。だから死ぬなッ、坐武羅ァ!」


 素早く立ち上がりながら己を奮い立たせるように吠えて、右腕の伽羅俱利腕の噴流噴射によって加速と同時、左手にドローイングした結界符と人形符二枚、計三枚の術符を構えながら五行相生――火生土。

 俱利伽羅剣の五行を利用し工程を一つ省いて霊力を練り上げ疾駆する。


 目標まで距離二〇。

 飛び道具を用いる妖狐に対し、喜逸は距離を詰めねば戦えない。

 そして圧倒的な手数を誇る妖狐の攻撃に応じるには、創意工夫が必須事項だ。


『――坐武羅サマの『崩界』終了、その制限時間を五〇秒に設定――弾道予測算出完了っ、適宜修正しつつ誤差三〇から五〇ミリで、一秒後の弾道予測線表示!』


 視界に次々表示される予測線、一秒後に到達する致死の弾道を伽羅俱利腕の加速を駆使し、身を捩り、右拳で殴り飛ばし俱利伽羅剣で切り裂いて、一筋の旋風となって荷重の弾幕を命からがら潜り抜ける。

 コンマ秒単位の加速と減速を繰り返し、絶妙な緩急でもって狙いを外す。


 僅か五秒の攻防、躱した弾丸の数は三十四。右腕の回転率をあげていく――相生・土生金。


「……ホントっ、いい加減にしろよッ、クソ妖狐ォ! いつまで駄々こねてやがるっ。こんなことして、お前……そんなに俺に、殺されたいのかよ……ッ!」

「うるさい……うるさい、うるさいッ。ごっこ遊びはもう終わりだと、そう言った筈だッ!」

「――んだよそれ、ふざけんじゃねえぞッ! お前、今までの旅は全部ごっこ遊びの嘘だったとでも言うつもりか……ッ!」


 それでも依然として歴然な手数の開き、視界を埋める予測線に喜逸は堪らず人形符を切る。

 左右に一人ずつ展開、両脇から飛来する霊力尾を全て身代わりに押し付け、自分は正面から迫る弾丸にのみに集中。

 時間と距離を稼ぐ。

 歯車よ廻れと、鋼と鋼の噛み合う音を轟かせる。


 直後重々しい地響きと共に膝を突いた人形が崩れ、死角からの一撃を結界符でカバー。

 五十六発の弾丸をやり過ごす。

 距離十五、残り四〇秒。

 回転機構が相生を重ね土生金から金生水へ。


「俺は……あの旅が嘘だったなんて思いたくねぇ! 理由なんざ分からなくとも、お前の想いはいつだって確かに本物で……だから俺は。妖狐、お前を……ッ!」

「嘘つきは……どっちだよ! 何も……覚えてない癖に。ぼくは、ずっときみを信じて待っていた! 待っていたんだァ! なのにきみは、きみだけがぼくを置き去りにした……ッ!」


 喜逸の言葉に妖狐は耳を塞ぐ。戦慄くように震えその髪を掻き乱し、最後には自らを掻き抱くようにして、妖狐は己の感情を剥き出しにその全てを眼前の喜逸へとぶつけてくる。


「どうしてだよきーつ。迎えに来てヨ、――やだ来るな。ぼくを愛シて、――やめて怖い。大好きキ。――もう嫌だ。ぼくを妖狐と呼ぶきーつなんて……死んでしまえばいいんだッ!」


 ――バづンッ! 直後。風船の破裂音をさらに大きく不穏にしたような音が耳元で弾けた。


 刹那、空を舞う俱利伽羅剣。


 ギョッとして見れば喜逸の左腕が第一関節の部分を射抜かれ千切れかけていた。

 咄嗟に右手で俱利伽羅剣を掴んだ喜逸は肩の辺りから左腕を切断。

 落下と同時に冗談のような轟音を響かせて、喜逸が斬り落とした左腕が地面に深々とめり込んだ。


『……なっ、複数の尻尾を纏め筒状の束にして、捻るようにして引き絞り加速、撃ち出した……!? は、速すぎて弾道予測追いつきません! ち、ちなみはこんなのお手上げですよぉ!』


 一気に五〇の霊力尾を消費する黒雷の如き一矢。

 ちなみですら見切れぬ弾速を誇る致死の一撃が、千年妖狐の周囲に多数同時展開される。


 その数、六つ。


「こんな世界滅びればいい。ぼくは……ぼくはもう、独りぼっちになりたくない。皆死んで命なんて世界からなくなって、それでこの先ずっと一緒にいられるのなら……ぼくは……ッ!」

「――づぁあああああああっっ! 間に合えぇえええええええええーッ!!」


 距離一〇、残り三十五秒。

 どうせ見切れぬ一撃だ、防御は捨てる。

 酸素を取り込み、燃料と霊力で燃焼させタービンを回す。

 廻れ廻れ、廻って猛れ。

 回転率が上昇する。爆発するような噴流噴射の勢いにさらなる加速を果たし、同時、回転式五段歯車機構によってさらに相生を重ねる――金生水から水生木。


 まだだ、止めるな、止まるな廻れ! 

 がごんッ、がぢっ。間髪入れずに歯車が廻り、鋼と鋼が噛み合う音が響いて――五行五連生・『一の終』地獄道――是、円環輪廻の輪と見たれり。



 六道輪廻、一の周。到達せしは地獄道。さあ、咎人よ地獄の業火に裁きを受けよ――



「――『灼熱地獄・悪龍悪鬼炎獄拳武』ッ! 急急如律令!!」



 本体から完全に切り離され宙に浮かぶ霊力尾。その残弾全てをつぎ込んだ視認不可の黒雷の一斉射が放たれる。

 そんな致死の矢雨が降り注ぐ中を、異形の龍腕を宿した少年が空気を打ち破るようにさらに加速、疾駆して――直後。


 衝突する二つの破壊に、一人の五体が砕けた。

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