一枚だけ。
周囲を高校生に囲まれた蕾は、顔を真っ赤にして周囲を窺っていた。日向の友人達が居るとはいえ、ここまでの人数と対面する経験など無かった蕾からすれば、正に連れて来られた猫状態だろう。
時折、悠里に向かって助けを求める顔を向けるも、悠里は悠里でそんな蕾が可愛いらしく、にこにこと笑って傍で笑っている。
日向がテーブルへ辿り着くと、そこでようやく蕾はふっと安心したように口角を上げた。
「おにぃちゃん……」
「大丈夫大丈夫、皆、蕾に会えて嬉しいんだってさ。……まだお昼前だけど、何か欲しいものはある?」
日向がメニューを蕾の方へ傾けながら問い掛けるも、蕾はようやく平仮名を多少読めるようになったぐらいで、漢字が入ったり知らない単語があると読めないのだ。
だが、こういう時は目線を何処かに絞ってあげる事で精神的に落ち着かせる事が出来る。日向の目論見は成功したのか、蕾はメニュー表を彩る花柄模様や、女子による可愛らしい手書きフォントで描かれた文字を見て、顔を綻ばせた。
「わー、かわいいねー! おみせやさんみたい!」
「うん、そして蕾はお客さん。兄ちゃん達が店員さん役だよ」
「みんな、てんいんさん……あ、あっ!」
再び周囲を見渡した蕾は、突然何かを思い出したかのように立ち上がる。
すると、そのまま一度起立の姿勢を取ってから、膝に手を当ててお辞儀をした。
「あらがきつぼみれす、ごさいです! お、おにいちゃんが、おせわなってます!」
微妙に噛みつつ、そして緊張からか呂律が回って無かったり、一部省略された言葉で蕾が周囲のクラスメイト達にご挨拶をする。
「……後半のは何処で覚えたんだろう」
「そりゃ間違いなく、オジさんとオバさんだろ。子供はよく見てるから、新垣家の教育がそれだけしっかりしてるって事じゃねぇのか?」
いつの間にか輪に加わっていた雅が、笑いながら日向の隣にやって来ていた。
「みやびくんだー!」
「おう蕾ちゃん、いらっしゃい。お腹減ってないか? 俺が作ったヤキソバあるぞ、偶には兄ちゃんの手料理以外を食べてみないか!」
「まだおなかすかないから、いらなーい! たべるなら、おにーちゃんつくったのたべるよ!」
「新垣家の教育は素直な子に育つなぁ……」
ははは、と乾いた笑いを浮かべながら、雅が日向の視界からフェードアウトしていった。
若干肩が震えてたようにも見えたが、見間違えでもそうでなくとも、どちらにせよ触れてはいけない事案だろう。
「みやびくん、へんなかっこうしてたねぇ」
「つ、蕾ちゃん、そのぐらいにしておいてあげて! 成瀬君が精神的に死んじゃう……!」
衝立の向こう側で鳴り響くジュウジュウという鉄板の音が、そのまま雅の嗚咽のように聞こえて悠里が引き攣った笑顔で蕾の肩を掴んだ。
「新垣君の妹ちゃん、お腹空いてないならゲームしていって貰ったら? ……間違い探しゲームか、迷路のゲームか、どっちがやりたい?」
「えー、でも案外お腹空いてるけど、気を遣ってるだけかもしれないよ。なんか食べさせてあげようよー」
「ジュースは? オレンジジュースあるよ、飲む?」
周囲を囲む他の女子生徒達が、黄色い声で蕾に声を掛け始める。すると蕾は再び顔を真っ赤にして俯き、肩を縮こまらせてしまう。
その仕草が可愛いのか、周囲の女子達は破顔して蕾の頭を撫でたりと、既に扱いがマスコットになってしまっていた。
騒ぎ方が大きくなる前に止めようかと日向が思った矢先、一人の女子生徒が手をパンパンと鳴らしながら集団に割って入ってくる。
「はいはい、そこまでにしてあげなって。蕾ちゃんが困っちゃってるし、周りにもお客さん居るんだからね。可愛いのは分かるけど、仕事忘れちゃいかんよ、仕事」
衣装で最初は誰なのか判断が付かなかったが、沙希だった。
日向と同じように大きなマントを制服の上に着用しているが、頭部はトンガリ帽子、手には杖を携えている。
沙希の衣装は手に持った小道具と不安定な帽子から接客には不向きなので、割り当てられている仕事は廊下での客引きだ。
「此処は悠里達に任せて、皆は他のお客さんの注文取りね。これからお昼時に入るから、まだ忙しくなるよ!」
コンッ、と杖で床を衝いて鳴らすと、それでようやく集団は散開した。
「鹿島さん、ありがとう……助かった」
「いいっていいって。新垣君も、簡単な調理だけなら他の調理班に任せちゃえば? 蕾ちゃんが折角来てくれてるんだし」
「うん、でも……すぐ傍だから、俺だけ特別に休む訳にはいかないし、やっちゃうよ」
「真面目だねぇ、なぁなぁでやっちゃってもいいのに。まぁ悠里が居れば平気そうではあるね」
そう言うと沙希は、蕾と一緒に間違い探しの絵本を開いている悠里を見て頷いた。他のクラスメイトが持ってきてくれたらしく、蕾はすっかり絵本に釘付けとなっている。
ふっ、と笑った日向が蕾の様子を見ていると、蕾は日向の視線に気付いたのか顔を上げた。
「おにーちゃん、おしごとするの?」
「うん、役割があるからね。そこの衝立の裏でやってるから、見えなくなるけど……平気?」
「だいじょうぶー! ゆうりちゃんもいるから! がんばって! さぼっちゃだめよー!」
言いながら拳を突き上げ、ピースサインを向けてくる蕾に、日向も同じくピースを作って返す。
振り向くと、沙希がくすくすと口元を隠して笑っていた。
「成程、そうだね。妹ちゃんの前でサボってる兄貴の姿は見せられないか」
「そういう事。今じゃ蕾の事を任せられる友達も沢山出来たし、頼りにしてるよ」
からかい交じりの沙希の言葉に、日向も同じく軽い調子で返す。わざと白々しい言い方にしてしまったが、本心でもあった。
その言葉を聞いた沙希が、逆に呆気に取られたように一瞬固まって、再び破顔した。
「新垣君がそういう性格だったってもっと早くに皆が知ってたら、大人気だったかもしれないのに」
今度こそ冗談か本心か、判断し辛い沙希の言い分に肩を竦めてから、日向は衝立の向こうへと戻った。
それから十五分程、日向は昼の混雑に向けて粉物を焼きつつ、時折衝立から顔を出しては蕾の様子を確かめる事を繰り返した。その度に蕾は笑顔で手を振ってくれるので、日向も気合が入ろうというもの。気付けばほとんどの材料を使い果たすレベルで、着々と作り置きのお好み焼きが増えていったのだった。
「日向、麺と生地が少なくなってきたから取りに行ってくる」
「俺が行こうか?」
「いいよ、お前が居ない時に蕾ちゃんに何かあったら困るだろうし、一瞬でも傍に居ないのは不安になるだろうよ」
雅は鉢巻を外すとポケットに捻じ込み、そのまま教室を後にする。
日向もひと段落しようと、後ろにある窓をほんの少しだけ開けて換気すると、秋の冷たい風が火照った身体を冷やしてくれて、思わず胸元のシャツをパタパタと仰ぎだしてしまった。
その空気に誘われたのか、衝立から顔を出す人物が居た。
「あり、新垣君ってば休憩してる」
普段の服装とは違うせいか、日向にはそれが唯だとは一瞬分からなかった。特に頭の上に載せているヘアバンドが印象を変えているので、こうして見ると普段の元気な印象よりも大分大人しく見えてしまうのだ。
「ちょっとね、材料切らしちゃって。雅が今取りに行ってくれてるんだ。フロアは忙しい?」
「忙しいけど……バラついて来てくれてるから大分楽かな、固まって来られるとキツいから、運が良かったねぇ。あ、そうだ新垣君よ!」
そのままぴょん、と衝立から完全に一歩前に出て日向の前に立つと、唯はそのままエプロンドレスの両端を摘まんでみせた。
「どう? 可愛い?」
「うん、似合ってるよ……って、さっきも言ったじゃない」
唯の事だから、こうして自分が恥ずかしがる事を訊いてからかってくるのだろう、そう思って笑う日向に対して、唯は少しだけはにかんだ笑顔を見せた。
「似合ってる、じゃなくて。どう?」
「どう……って」
「可愛い?」
じっと見詰められて、一瞬だけ戸惑う。もう一度、唯の姿を見た日向は、今度こそしっかりと頷いた。
「うん、可愛い。普段の恵那さんじゃないみたいだ」
普段の、の部分に少し含みを持たせてみたのは、いつものやり取りの癖だろう。いつの間にか、唯とはこうして軽口を叩き合うのが日常になっていた。
日向の言葉に、唯は一度だけ目を閉じて、両手を頭の後ろにやると、何かを解いた。
ばらり、と唯のトレードマークのポニーテールが解けると、肩にまで届く髪がふわりと広がる。
そしてポケットからスマートフォンを取り出すと、数回画面を操作して片手に持ったまま、日向の隣へと踏み出した。
「隙ありぃ!」
ぐっ、と腕を絡ませられたかと思うと、唯が身を寄せてくる。
そして突き出した左手には、画面がこちらを向いた状態のスマートフォンがカメラモードで起動されていた。
日向は驚いた表情のまま、カメラへ目線を向ける事も忘れて隣の唯を見るが、唯の視線は前を向いてしまっている。
カシャリ、とシャッター音が消えると唯はすぐにパッと離れてスマートフォンの画面を確認し始めた。
「いきなり過ぎて目線向けられなかったんだけど……」
困惑したままリテイクを求める日向に、唯は意地の悪い笑みを浮かべてみせた。
そして、今さっき撮った写真を日向に見せてくる。そこには、画面の中からウィンクする唯と、その唯を見て驚いた表情のまま固まっている日向の姿があった。
「へへ、新垣君があたしの事をいやらしい目で見てる写真きたー!」
「酷い誘導の仕方! 風評被害じゃない?! せめて撮り直させてよ!」
「やーだぷー!」
べっ、と舌を出した唯は、そのまま再び衝立の向こうへと戻ろうとして、振り返った。
「ありがとう」
「うん……?」
先程とは打って変わって穏やかな声。それはまるで、静かな波が寄せて返すようで。唯にはとても似合わない声だと思えたが、同時に今の髪型の唯にはとても似合ってるとも感じた。
「なんでもない、後もうちょっと、頑張ろうね!」
けれど、その姿は幻だったかのように、唯はいつもの唯へと戻り、衝立の向こうへと去って行ったのだった。
普段とは違う場所から書いてるので、変なテンションで書いてるかもしれないです……。
でも献本で貰った唯が可愛いから書きたかったんです(本音)






