それぞれの学校祭。
「えっへっへっへ……」
スマートフォンを握り締めた唯は、教室の一角で周りに見えないように画面を開き、嬉しそうに、けれどそうと分からないように微かに笑った。
自分と日向しか映っていない写真。表情を驚きに染めて……でも、その視線は唯に注がれている、そんな写真が、唯にとっては温かく、何よりも尊い一枚だった。
「このぐらいの御褒美なら、あたしも貰う権利ぐらいあるよねぇ」
今度こそ、へにゃりと笑いながら、唯は今日までの事を思い出していた。
★
時間を少々遡り、日向が登校してすぐに体調不良で帰宅したその後。
「……なにこれ」
唯は担任の小野寺教諭より、日向が日々記載している進捗表を受け取り、中を改めた。
一見して普通の、それこそ唯が想像する通りの几帳面な文字と見易い大きさで書かれた文字群は、それだけでは唯が声を洩らす原因にはならなかった。
問題は、それに挟み込まれている、折り畳まれたルーズリーフの方にこそあった。
進捗表を受け取り、中を検分する為に開いた時にぱらりと落ちたそれを拾い、広げ、絶句した。
黒い。
最初に抱いた感想はそれだ。びっしりと何かが書かれた紙には、白い部分を探すのが難しい程の無数の走り書きと、それらを却下するように引かれた二重線。
そして、その中でも特定の文字を囲む丸印が唯の視界に飛び込んでくる。
「これ……資材とか食材の値段表……?」
ずらっと並んだ文字の大半は、唯にも覚えのある店名と、文房具から看板用の板材、ペンキ、調理に使う小物や食材などの商品名。
驚くのは、その数と、文字に付けられた二重線と丸印の意味だ。
「………価格、調査? でも、なんで……この店、新垣君の家とは逆方向なのに………」
恐らく市内、それも学校を中心として徒歩か自転車ならば問題無く行ける範囲で絞ってある。
唯は視線を動かすと、ルーズリーフの右下に書かれていた小さな文字を発見した。
『残高 +81円』
大きく丸をつけてあるそれを見て、意味を理解した。
スムーズに進み過ぎだと、どこかで思った事はあった。
誰かが何かを作りたい、欲しいと言った時、日向がそれを却下する事はほぼ無かった事を思い出す。
思えば、このクラスの模擬店は幾つかのテーマの複合体だ。他のクラスと違い、テーマが分かれればそれだけ必要な物の種類は自ずと嵩張り、予算を食い潰す。
それがこれだけ何の弊害も無く、この状況まで辿り着けるものなのか。
「予算、ギリギリだったんじゃん……」
追加予算を受ける事も出来るが、其の為には提出書類と審査、適正に予算が運用されているのかどうかなど、細かいチェックを受ける必要がある。
それすらも、このリターチ表を整理して提出すれば、問題なく通る事だろう。そのぐらい書きこまれている事が一目で分かる。
予算の追加をいつでも受けられるように、そしてそもそもが予算を食い潰す事のないように、日向が一身に塞き止めて居たのだ。
「ん? なんだ、それ」
唖然とする唯の手元を、傍にやって来た雅が覗き込む。そしてその紙片を見ると、唯ほどに驚く事は無かったが、その顔には苦笑いが浮かんでいた。
「やりやがった、というよりも、やってやがったな……って感じか」
「これ、どうやって調べたんだと思う……?」
「さぁな。ウェブ漁ったのか、チラシでも漁ったのか。後は多分……帰り道にでも寄ったんじゃないか?」
「この店、新垣君の帰り道になんてないよ」
唯の指がある一点を示す。店名には全国チェーンのホームセンターの名前があるが、そこは日向の家よりも唯の家がある住宅街の、更に奥地にある。
「馬鹿じゃん……」
一日だけなら多少の苦労も、これだけの資料を集めるとすると、一体何日掛かったのだろう。
もしくは、毎日ルートを変えて一つずつ潰して行ったか、休日に回ったのだろうか。
「馬鹿じゃなけりゃ、全部と引き換えに蕾ちゃんの子守りなんてやろうと思わねぇよ」
「そっか……そうだよね」
唯は手元の紙を、大事そうに抱え直す。
(一途だよね、本当に。誰もここまでやってくれるなんて思って無かったのに。あたしが見つけなかったら、誰にも見られる事なんて無いのに)
もうこの状況では、託された唯に出来る事など数えるほどしかない。けれど、その一つだって手を抜いたりするつもりも無かった。
「これだけの情報量、纏めるのは苦労しそうだよね」
予算関係だけではない、それぞれのグループが何をしてきたのか、どの作業に対してどの程度の進捗だったのか、これからやるべき事は何なのか。
些細な問題に対しても原因の解明から対処法、果てはこの先起こりえる可能性のある問題に対しては、その予防策まで。
恐らく、これを提出された実行委員側も相当に驚いただろう、文句をつけようにも突き付ける隙が見当たらないのだ。
「後は適当にやっても大丈夫だとは思うぞ、日向だって自分でやる事を想定して用意したんだろうし、誰かに肩代わりさせるなら、もうちょい簡潔にやっただろ」
雅の言葉を、唯は「冗談でしょ」とでも言うように、肩を竦めて一蹴した。
「あたしには、このぐらい訳無いわ。あたしが新垣君と張り合えるのなんて、ココだけなんだけど」
トントン、と自分のこめかみを指先で突きながら、唯は口元を三日月に曲げてみせる。
「もっと早くに唯ちゃんを頼っておけば良かった、って。そう思わせてあげる」
★
自分がやった事なんて、ほとんど日向の後始末に終始している。唯は今もそう思う。
もっと自分から距離を詰めるべきだったし、もっと日向の行動と、性格を理解する必要があった。
だけど、あの時に手に取った一枚の紙に対する密かな感動は、あの結末でなければ感じる事は出来なかっただろう。
(――ねぇ、悠里。やっぱ、あたし達は親友だよ、心の底からそう思う。だってさ、あたし達が好きになった男の子は、こんなにも一途で、生真面目で、不器用で……。だからあんたが好きになる人なら、あたしが好きにならない訳は無かったんだよ)
「唯、三番さんのテーブル、注文お願い!」
悠里の声がすると同時、唯は手元で光る画面を即座にオフにしてポケットへと仕舞う。
「あれ、髪……下したの?」
普段と違う唯の髪型に、悠里が驚いて手を止めた。悠里にとっては見るのが初めてではないが、教室の中で唯がその髪型にした事はほとんどない。
「動きづらいから嫌だ、って言ってたのに。でもやっぱり可愛いね、それ」
「色々と思う所があって、ねぇ。さぁ、もうちょいであたし達の自由時間だ、ラストスパートやっちゃるかー!」
シャツの袖を捲り上げる唯の姿は、より女性らしさを描いた髪型とは裏腹に力強さに溢れていた。
「あー、ちょっと! 折角可愛いのに、そういうがさつな所を出さないでよ!」
後方から聞こえる悠里の言葉は、あえて聞かない事にする。
今は、このほんの少しのアピールポイントがあればいいのだ。
お昼も佳境に入り、それぞれが想いを抱きながら、学校祭は続く。
蛇足になるかな、とも思ったのですが、書きたかった唯視点での学校祭準備編です。
少し短めなのですが、キリがいいので……。
次の回には、あの人を登場させる予定です(どの人だ)






