Past
彼女はこう、なんていうかな、そう、とても大胆に走る人だった。相棒のVivio RX-RAのテールを振り回しながら誰も突っ込めない領域に入っていく。コリンマクレーみたいな走りっていったらいいのかな。小さなVivioでの快進撃は見てて愉快だったし、一瞬で引き込まれた。道路脇で見てる観客が彼女が通るとみんな熱を帯びるんだ。雨でも、晴でも、雪でも、アイスバーンでも、彼女のVivioは独特なあの音を撒き散らし目の前を猛スピードで駆け抜けて行く。今思えば彼女はほとんど減速らしい減速はしなかった。アクセルオフと同時に大きめのステアを切り、ほとんどブレーキをせずに大きなコーナはクリア。ヘアピンなんかはギリギリまでブレーキを我慢してクラッチキックを用いたV字ターン。そういえば、エボⅥにバトル吹っかけられたとき、ちゃっかり勝っちゃってたっけ。豪快で、繊細で。過激で儚い。彼女の走り。
最後に見たのはあの何の変哲もない秋の夜。月見にピッタリな満月の白い月光の下で。
残暑の残る蒸し暑い夜の峠を彼女は走った。バトルだったか、TAだったか、はたまたフリーランだったかは覚えていない。ただ、コーナーのアプローチからいつも通り豪快な慣性ドリフトに持ち込んだ彼女のVivioが俺の見た最後だった。というより、俺のいたギャラリーコーナー出口で何らかの拍子にコントロールを失った彼女のVivioは激しい音とともにロールオーバー、のちコースオフ。50mの距離を転がり落ちた。小さなミスが大きなクラッシュの呼び水となる。それはこの世界ではよくあること。黒色がはびこる眼下に白色のVivioはみえなかった。そこから少しの間記憶は抜けて、気づけばひん曲がったガードレールを前にへたりこんで彼女の名前を叫んでいたんだ。
思い出したくもなかった。拭えぬ悲壮感、絶望感。結果的に言えば思い出す云々の前に忘れる事すらできなかったわけだが。またこの虚脱感に襲われる。
そして眼前の男は言う、指示するところまで乗せていけ、と。面識のない、といえばそれはウソだが、決して馴れ合ったこともなければまともに会話一つしたこともない。何故俺が…。そんなことも思ったが、ここは仕方なしとしよう。しかしまぁ、エスロクの室内ってのはこの手の車にしては広いかもしれないが、やっぱり成人男性2人が仲良く乗ってるととても狭く感じる。
どれだけ走っただろう、相も変わらず車内に会話はない。車窓に60キロで流れる田舎町を狭い車内で男2人で眺めるだけ。静かだ。
"あー、もう"
耐えられなかった。堪らずエスロクのリアウインドウを開ける。車内にはエスロクのエンジンの鼓動やターボの呼吸がなだれ込む。
「ーをみ・・・」
唐突に人の声がポツリと沸いた。
「はい?」
自分でもこんなふ抜けた声が出るとは思わなかった。
「次を右です。」
少しむっとしたように男はセリフを吐いた。
ブレーキ、クラッチ、ギアを5速からNへ、ブリッピング、クラッチをつないで3速へ。言われた交差点を右折する。真夜中の人っ子一人いない交差点で方向指示器を出すこの虚しさよ。
「次を左」
操り人形のように自分の意思とは関係のないようにステアリングは回っていく。通りを暫く進む。集合団地から水田、畑から工場地帯。車窓は移り変わる。
「どこに行くんですか?」
沈黙に耐えられず聞いてもしょうもないことを聞いてしまった。
「もう着きます。」
男は至って冷たく機械的に言った。
地方都市を抜け男の案内のままにその都市近郊の住宅街の一角を走っていた。
「着きました。」
時計を見ると、車を走らせ初めてから1時間経っていた。ライトが照らすのは至って普通の修理工場。止まってる車もサンバー、ライフ、〇oogleM〇Pによるとどうやら県境を跨いだらしい。
スマホを覗く間にも男は暗闇のなかを進んで行く。駆け足で追いつきながら行く手を見ると、どうやら店の裏手へ進んでいるようだ。
裏手の軒下にはタイヤとホイールキャップの山が築かれ、その脇には粗雑に置いてある、または捨ててあるサスペンションの入った籠。その横には軽ワゴンサイズのスクラップが置いてある。ボンネットもバンパーもない。フロントガラスもないしルーフは原型を留めていない。リアもご多分に漏れずグチャグチャだ。ドアも取り外したのか吹っ飛んだかはわからないが、現状ない。きっと酷い事故にあったんだろう。トラックに潰されたとか、あるいは崖から落ちたとか。
奥を見ると紺色のポルシェ944が置いてある。雨ざらしで。見たところ腐食箇所はなく、水垢も少ない。放置されているわけではないようだ。センターコンソールには5MTが収まり、シフトノブはアルミ製に変えてあった。まあなんとも言えない違和感である。おっと、リアタイヤ溶けてるじゃないか。
「ちょっと、何見てるんですか。」
不意にまた機械的な声が背中を叩く。なんだ、コイツはアンドロイドかなにかか?
「これです」
男が指さすのはさきのスクラップ。
「これ…?」
まじまじと見つめて見るが、やはりどこまで見ても鉄くず以外何物でもない。
いや、待てよ、あの赤いBRIDEのバケットシート…。まさか。