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真祖吸血鬼、まだ存在しないアメリカに寄生する 〜合法的な血液供給のため、建国前から国家運用保守を始めました〜  作者: パラレル・ゲーマー


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8/17

第8話 真祖吸血鬼、勝ったはずなのに根本原因が残っていると知る

 季節は巡り、一七六六年の春から初夏にかけて。


 フィラデルフィアの街に、一陣の熱狂的な風が吹き荒れていた。


 発端は、港に飛び込んできた一隻の船がもたらした知らせだった。


「おい! ロンドンからの知らせだ! あの忌まわしい印紙法が、議会で撤廃されたぞ!!」


 船長の興奮した怒号は、瞬く間に港湾から街中へと波及した。


 ヴァレンタイン衛生用品商会の無料配布所で石鹸を受け取っていた港湾労働者たちが、どっと歓声を上げる。


 高級宿屋の主人は客室の窓を開け放ち、酒場では昼間からエールの樽が開けられた。


 産婆の老婆たちは「これで、お前さんのところの『手洗い説明紙』も、またおおっぴらに配れるのかい」と安堵の笑みを浮かべ、理髪店では顔を半分剃りかけの男たちが身を乗り出して最新の噂を交換し合っていた。


 そしてフランクリンの印刷所では、若き職人たちが凄まじい勢いで印紙法撤廃を報じる号外を刷り始めている。


 俺が構築した『衛生のための石鹸ネットワーク』は、今回ばかりは街の怒りや政治的ボイコットではなく、純度百パーセントの『祝賀の声』をハンター支部の地下まで運んできた。


 俺は執務室の中心で両手を天に突き上げ、感涙に咽んでいた。


「紙が……! 死に絶えかけていた紙が、ついに生き返ったぞ!!!」


「お前は印紙法騒ぎ以来、紙に感情移入しすぎだ」


 ギデオンが帳簿から顔を上げ、冷ややかに言った。


「いやいや、これの重大さが分かってないな支部長は! 手洗いの説明紙! 売買の契約書! 信用手形! 通貨換算表! 商品のラベル! 印紙税っていう首輪をつけられて窒息寸前だった商会の紙という紙が、奇跡の蘇生を果たしたんだぞ! バンザイ!」


「……石鹸屋のオーナーが、紙の復活に対してこれほど狂喜乱舞する光景は、普通に異常ですね」


 部屋の隅で短剣の手入れをしていたアーサーが、ぼそりと突っ込んだ。


 街全体が喜びに沸いている。


 商人たちは「これなら非輸入運動を解いても良いのではないか」とささやき合い、英国からの輸入品の再発注を考え始めている。


 俺は少しだけ引っかかりを覚えた。


「……情報網って、怒りや不満だけじゃなくて、こういう祝賀や安堵の感情も一瞬で拾い上げるんだな」


「当然だ。人が集まり、交差する場所には、その時代のあらゆる感情が否応なく溜まる」


 ギデオンの言葉に、俺は少し前にジョン・アダムズが言った『情報は力であり、責任だ』という言葉を思い出していた。


 このネットワークが祝賀を運ぶなら、状況が変われば次はまた怒りも、恐怖も、暴力すらも超特急で運んでくるだろう。


 でも、今は街が明るい。


 俺の心の中にも、「おっ、これで一旦歴史のバッドエンドルートは回避したか?」という楽観的な空気が漂っていた。


 *


 数日後、少し落ち着きを取り戻したフランクリンが、支部を訪れた。


 彼はロンドンの知人たちとも太いパイプを持っているため、本国の議会でどのような議論が交わされたのか、その裏側の事情まで把握していた。


「植民地の抗議の声は、間違いなくロンドンの議会に届いていたよ」


 フランクリンは少しだけ誇らしげに、しかし疲れた顔で語った。


「非輸入運動による本国商人たちの莫大な経済的損失、各植民地からの一致団結した請願、そして印紙販売人が辞任に追い込まれたことによる治安の悪化。……本国も、このまま印紙法を維持することが、帝国の商業的にも政治的にも極めて危険であると認めざるを得なかったのだろう」


「要するに、本国の連中も『やべ、これ以上絞ったら植民地経済が完全に死んで、俺たちの利益もなくなる』って気づいて慌てて手を引いたわけだ」


 俺が身も蓋もない言い方でまとめると、フランクリンは苦笑して頷いた。


「少なくとも、印紙法は撤回された。印刷業者としても、また一人の商人としても、この重荷が取り除かれたことは素直に喜ぶべきだ」


「これで、お前の商会のあの大量の手洗い説明紙も、心置きなく配れるようになるのだろう」


 ギデオンが肩の荷を下ろしたように息を吐く。


「そうですね。商会の政治的炎上リスクも、これで多少は下がりますか」


 アーサーの言葉に、同席していたジョン・アダムズが、静かに、ひどく冷ややかな声で応じた。


「多少は、下がるでしょう。しかし……我々は、決して喜びすぎるべきではありません」


 アダムズだけは、祝賀ムードに一切流されていなかった。


 だが、未来の歴史の結末を知っている俺と、十八世紀の現在を生きている彼とでは、懸念の理由に対する温度差があった。


 俺はとりあえず、目の前の実務的な喜びを優先していた。


「いやー、でもマジで助かったよ! これで、紙を節約するための『焼印』と『木札』の地獄から少しは解放される!」


「……戻すのか?」


 ギデオンが鋭く反応した。


「いや、そこはちょっと悩んでる。焼印の木箱は案外丈夫だし、現場の評判もいい。それに、紙への依存を減らせたこと自体は、商会の運用としては明確な改善だったからね」


「なるほど。障害発生時の暫定対応を、そのまま通常運用に組み込んで恒久化するわけか」


 俺が言うと、ギデオンが嫌そうに顔をしかめた。


「お前はまた、元いた世界のよく分からない職業の理屈を持ち出してきたな」


「でも現場あるあるでしょ? トラブル対応で作った仮システムが、なんだかんだ一番安定しててそのまま本番採用されるやつ」


 印紙法が撤廃されたとはいえ、商会には膨大な『後始末』が残されていた。


 最大の問題は『商品ラベルを元に戻すか』だ。


 富裕層や高級宿屋からは「最近のヴァレンタイン石鹸は簡素すぎる。欧州秘伝の高級感と華やかなラベルを戻してほしい」という要望が出ている。


 一方で、港湾労働者や産婆、民兵たちからは「余計な飾りのない、フィラデルフィア製の実用重視の今の形がいい」と好評なのだ。


「政治的炎上を回避するために急遽『植民地製』のブランドに切り替えたら、今度は富裕層向けの高級感が落ちるっていう別のクレームが発生した」


「元はと言えば、お前が最初から怪しい欧州設定で偽装商売を始めたのが原因だろうが」


「ブランドの運用ルールって、一度変えちゃうと元に戻すのが死ぬほど難しいんだよ!」


 俺は頭を抱えながら結論を出した。


 白箱は『フィラデルフィア製』を明記しつつも、『欧州式製法』を強調した少し高級なラベルを復活させる。


 港用は植民地製の実用ブランドとして据え置き。


 産婆用はラベル無しの小分けにし、口頭での手洗い啓発を徹底。


 民兵用はワシントンの要望通り焼印木箱を継続。


 医師向けには説明紙を復活させるが、政治的な語句は引き続き一切禁止。


 そして『紙』の運用についても。


「紙だけに依存するから、法改正でシステムが落ちるんだ。ポスター、木札、焼印、産婆や理髪師による口頭説明。この複数経路の運用は全部残す。リスク分散だ」


「やけに慎重だな。もう印紙税はなくなったのだぞ」


「いつまた理不尽な税金システムが再起動するか分かんないからね。本国を全く信用してない」


 俺の言葉に、アダムズが「極めて賢明な判断です」と珍しく同意した。


 *


 もう一つの後始末は、社会全体に蔓延した『非輸入運動』の空気だ。


 印紙法の撤廃を受け、商人たちの間では「そろそろ本国からの輸入品を解禁してもいいのでは」という声が大きくなっている。


 だが、一度民衆の間に根付いた『輸入品をチェックする』『政治的な意図を持って消費を選択する』という感覚は、そう簡単には消えない。


「消費活動が完全に政治と結びついたまま、元に戻らなくなっちゃったな」


 酒場の窓から、イギリス製の布地を忌避して自家製の粗末な服を着ている若者たちを眺めながら、俺は呟いた。


「当然です。一度、人々が自分たちの財布を『本国に対する政治的武器』として使えると知ってしまった以上、その強力な記憶は永遠に消えません」


 アダムズが重々しく答える。


「成功体験が残っちゃったか……」


 印紙法の撤廃は、表面上は間違いなく植民地側の『大勝利』だった。


 だが、俺はこの勝利の裏で、本国と植民地の双方が、極めて危険で致命的な『学習』をしてしまったことに気づいていた。


 植民地側は学んだ。


 理不尽な法律でも、暴動を起こし、ボイコットし、販売人を脅迫し、横の植民地同士で繋がって圧力をかければ、本国は必ず退く、と。


 一方、本国側も学んだはずだ。


 植民地人は隙を見せれば暴徒化し、本国の議会の権限すら否定しようとする。だからこそ、我々は主権を明確にし、次はもっと強硬に押さえつけなければならない、と。


「……最悪だ」


 俺は思わず顔を覆った。


「どうした、ヴァレンシュタイン。勝利ではないのか」


 ギデオンが眉をひそめる。


「勝利だよ。でもこれ、次の障害の規模を桁違いに大きくするタイプの、最悪の一時しのぎの勝利だ。双方が完全に間違った成功体験を得てる。……これ、ただ次の衝突のための火薬の量を倍プッシュしてるだけだよ」


 俺の言葉に、アダムズが「……不快になるほど、正確な見方です」と同調した。


「だからこそ、今は慎重でなければならない」


 フランクリンが戒めるように言うが、俺の内心の呟きは止まらない。


 慎重にしたところで、数年後にはまた別の法律で大炎上するんだよなぁ……。


 *


 そして、その祝賀ムードに冷や水を浴びせる『本命の決定打』が、遅れてフィラデルフィアに到着した。


 ある夜、フランクリンとアダムズが揃って支部を訪れ、一枚の文書の写しを机に叩きつけたのだ。


「なんだこれは? 印紙法撤廃の公式文書か?」


 ギデオンが紙を覗き込む。


「いや……『宣言法』だ」


 アダムズの顔は、怒りよりもむしろ深い絶望と警戒で硬直していた。


 俺は最初、そこまで深刻に捉えていなかった。


「宣言法? なにそれ。本国が『今回は譲ってやったけど、俺たちの方が偉いんだからな!』って負け惜しみを言うための、勝利宣言みたいなやつ?」


「名前だけ聞けば、そう聞こえるかもしれないな」


 ギデオンが同意するが、アダムズが険しい顔でその文面を読み上げた。


『アメリカ植民地は、大英帝国の王冠と議会に従属するものである。イギリス議会は、植民地を【あらゆる場合において】拘束する法律を作る完全な権限を有する』


 ——ピタリ、と。


 俺の表情が固まった。


「……あらゆる、場合?」


「そうです」


「税金だけじゃなくて?」


「あらゆる場合だ」


 フランクリンが重い声で補足する。


「商業も?」


「あらゆる場合という文言なら、そうだろう」とギデオン。


「じゃあ……契約も? 通貨の発行も? 紙の流通も? 軍隊の宿営も? 西部の土地も? 港の管理も?」


「文言上は、すべてそう読めます」


 アダムズが吐き捨てるように言った。


 俺は手元の紙をバシッと叩いた。


「……これ、印紙法を消した代わりに、本国の『root権限』を公式に宣言してるだけじゃん!」


「るーと、とは何だ。また未来の怪しい技術用語か」


「システムの管理者権限のことだよ!」


 俺は椅子から立ち上がり、黒板の代わりの羊皮紙に図を書き殴り始めた。


「いいか!? 確かに『印紙法』っていう特定の致命的なバグは消した! でも、本国議会は『俺たちはこの植民地システム全体に対して、いつでもどこでも好きなようにルールを書き換える最強の権限を持っている』って公式仕様として宣言したんだぞ!」


 俺は羊皮紙を指差して叫んだ。


「つまり、障害対応で一時復旧しただけで、一番ヤバい根本原因、つまり主権と代表権の問題は、完全に仕様として残ったままなんだよ!」


「……またお前の元職業みたいな理屈を言い出したな」


「これは完全にシステム運用保守の案件なんだよ!」


 *


 街の空気と、この地下室の空気との間には、絶望的なまでの温度差があった。


 外ではいまだに祝賀の鐘が鳴り、人々は「俺たちが本国を屈服させた!」と美酒に酔いしれている。


 港湾労働者にとっては「石鹸の紙がまた貰える。印紙がなくなったなら俺たちの勝ちだ」。


 宿屋の主人にとっては「紙の税金が消えたなら、元の商売に戻れる」。


 商人にとっては「宣言法など、所詮は本国が顔を保つためのただの紙切れ上の空論だ。まずは止まっていた荷を動かすのが先だ」と。


 誰も、この数行の文言の本当の恐ろしさに気づいていない。


「ただの紙切れ上の空論が、どうやって現場を物理的に殺しに来るか……俺はもう、砂糖法と通貨法で嫌というほど見てるんだけどな」


 俺が忌々しそうに呟くと、アダムズが深く同調した。


「民衆が目の前の重荷が消えたことを喜ぶのは当然です。だが、我々法律家は、祝賀の声よりも『文言』を見なければならない。法に刻まれた文言は、未来の権力行使のための鋭利な刃になります」


「法律家ってほんと理屈っぽくて面倒くさい生き物だと思ってたけど、今回ばかりは完全に同意するよ」


「あなたの喩えは下品で不愉快ですが、言わんとしている事の危険性は極めて的確です」


 俺はアダムズに向き直った。


「じゃあ、これからどうするの? 根本原因のバグが残ったままのこの土地で」


「法的な抗議と、我々の権利の主張を淡々と続けるしかありません」


 アダムズの目は据わっていた。


「暴徒化は避ける。無用な流血は避ける。だが、この『権限の所在』という問題の火種から、決して目を背けない」


「……めんどくさいけど、それが一番正しいルートだね」


「あなたは私を毎回『面倒くさい』と評価しますね」


「最高の褒め言葉だよ。たぶんね」


 アダムズは俺の目をじっと見つめ返した。


「ヴァレンタイン氏。あなたは、これが単なる『一時的な勝利』に過ぎず、数年後に必ず破綻すると確信している顔をしていますね」


「……そんなに顔に出てる?」


「隠しきれないほど出ていますよ」


「じゃあ、出てないってことにしておいて」


「無理ですね」


 彼は俺が何らかの未来の知識を持っていることを疑っている。


 だが、今はそれ以上踏み込んでこなかった。


 以前に交わした『未来での答え合わせ』の約束が、彼の思考の底に残っているからだ。


 フランクリンは、少しだけ肩を落としていた。


 彼はまだ、イギリス本国との決定的な決裂を望んではいない。


「本国は、商業的・実利的な面では確かに退いた。だが、主権という思想の上では一歩も退いていない。……君の言う通り、根本の病巣は残ったままだ」


「本国側からすれば、印紙法を撤廃しただけだと『反乱に屈した弱腰』って国内で叩かれるからね。だから宣言法を出して、体面と『いつでも首を絞められる権利』だけは確保したってわけだ」


「君は時折、帝国と植民地の血みどろの政治を、まるで事務処理の書類決済のように淡々と見るな」


「政治なんて、結局のところ『誰がどこまでの責任範囲と権限を持っているか』の綱引きでしょ」


「それを軽く言及できるところが、君の恐ろしいところだよ」


 フランクリンは微かに笑い、そして言った。


「それでも。今回は大規模な流血ではなく、撤廃という政治的決着に至った。我々の抗議が議会に届き、商人の声も届き、少なくとも一度は本国の悪法が退いた。そこには、確かに意味があるのだと思いたい」


 俺も、それには素直に頷いた。


「うん。そこは否定しないよ。障害対応でシステムが落ちた時、とりあえずの『一時復旧』で現場の業務を再開させるのは、一番大事な初動だからね」


「またお前の元職業の理屈だな」


「でも、恒久対応をしてないから、絶対またシステムは落ちるよ!」


 *


 俺の予言通り、火種は印紙法の外側でもすでに燻り始めていた。


 数日後、ギデオンのハンター情報網と商人の噂を通じて、北のニューヨーク方面から不穏な報告が入ってきたのだ。


「ニューヨークで、イギリス駐屯軍の宿営場所と、食糧・物資の負担をめぐって、現地の議会と軍が激しく揉めているらしい」


 一七六五年に制定された『宿営法』を巡る対立の激化だ。


 俺は思わず天を仰いだ。


「……紙の税金の次は、兵士の飯と寝床の負担かよ」


「北米を守る駐屯軍を維持するには、現地の協力が必要不可欠だ」


 アーサーが正論を述べる。


「分かる。防衛費が必要なのは分かるよ。でも、現地の議会の同意も予算設計のすり合わせもなしに、『法案通したから、あと負担よろしく』って上から丸投げしたら、そりゃ現場は燃えるに決まってるだろ! 本国、現地の負担を舐めすぎじゃない?」


「また本国批判ですか」


「だって、仕様の作りが雑すぎるんだもん!」


 さらに、南のヴァージニアからは、ワシントンからの丁寧で重い手紙が届いていた。


 印紙法の撤廃には一応の安堵が示されていたものの、彼の関心はすでに別の『火種』に向いていた。


『印紙法撤廃は喜ばしいことです。しかし、宣言法の存在は極めて危険です。本国の議会が【あらゆる場合において権限を有する】と宣言するならば、あの王室宣言線によって西部に引かれた境界線……我々の土地に対する正当な請願も、いつまた紙の上で一方的に退けられるか分かりません。辺境の衝突が落ち着けば、退役兵や投資家たちの土地への渇望は、むしろ高まるばかりです』


 俺は、ヴァージニアの広大な農園と、王室宣言線の噂を思い出した。


「紙の火事が一段落したと思ったら、今度は土地と兵士の宿営の火種が燃え上がってきてる……」


「国というものは、そういった火種の集合体なのだろうな」


 ギデオンが悟ったように言う。


「完全に要メンテ物件だね」


 何より恐ろしいのは、印紙法が撤廃されたにも関わらず、俺の石鹸の販路を通じて出来上がってしまった『反英の政治ネットワーク』が、一向に解散する気配を見せないことだった。


 酒場の秘密会合は続き、港湾では本国への不信の合言葉が残っている。


 商人たちは「また本国が無茶を言ってきたら、いつでも不買運動で対抗してやる」と鼻息を荒くし、若者たちは「自分たちの行動が本国を動かした」という成功体験に酔っている。


「あれ? 印紙税なくなったのに、政治集会減ってないじゃん」


「一度強固に結ばれた人間の網は、当面の目的が一つ消えた程度では簡単には解けませんよ」


 アーサーが冷徹に分析する。


「お前の作った石鹸の販路と同じだ」


 ギデオンが帳簿を閉じながら言った。


「一度、人々の生活の中に入り込んで流通網を築いたものは、その役割を変えてでも社会に残り続けるのだ」


「……俺の石鹸ビジネスと反英ネットワークを対比するの、嫌だからやめてくれない?」


 反英ネットワークの常設化。


 これが後に大陸会議へと繋がり、決定的な革命運動の基盤となっていくことを、俺は歴史の知識として嫌というほど知っていた。


 *


 夜更け。


 俺は自室の机に向かい、いつものノートを開いた。


 外ではいまだに、遠くの酒場から祝賀の歌声が漏れ聞こえてくる。


【ヴァレンタイン衛生用品商会・1766年印紙法撤廃対応メモ】


 ・印紙法:無事撤廃。俺の愛する紙たちが生き返った。


 ・植民地の状況:お祭り騒ぎの祝賀ムード。港も宿屋も印刷所も、だいたい明るい。


 ・フランクリン:一安心。ただし宣言法には苦い顔。


 ・アダムズ:喜びすぎるなと警告。いつも通り理屈っぽくて面倒くさいが、法的な見立ては完全に正しい。


 ・石鹸商会:説明紙や契約書、換算表の運用負担が軽くなる。


 ・今後の運用:ただし、印紙法騒ぎの障害対応で作った『焼印・木札・口頭説明』ルートは恒久化して継続。本国の法律、特に紙に依存する仕組みは危険すぎて信用できない。


 ・ブランド戦略:フィラデルフィア製路線を継続。欧州秘伝の高級感は、富裕層向けに限定運用する。


 ・非輸入運動:表向きは緩むが、『政治的な消費』の成功体験が民衆にガッツリ残る。


 ・反英ネットワーク:目的を達成したのに解散しない。むしろ常設化の気配。


 ・宣言法:本国議会が植民地を「あらゆる場合において」拘束できると公式宣言。


 ・つまり:印紙法という個別障害は消えたが、本国議会の絶対主権という根本原因は残存。


 ・ニューヨーク:駐屯軍の宿営と負担問題で揉め始めている。次の火種。


 ・西部の土地:ワシントンから不穏な手紙が届く。火種は消えていない。


 ・俺:勝ったはずなのに、胃がめちゃくちゃ痛い。


 最後に、ページの真ん中に太字で大書きした。


【結論:勝ったと思ったら、根本原因が仕様として残っていた】


 俺はそこで一度、ペンを止めた。


 ただ、これは本国や植民地だけの話ではない。


 俺自身もまた、「今回も商会を守れた」という成功体験を得てしまっている。


 小さく賢く立ち回れば、歴史の濁流を避けられる。


 目の前の運用範囲だけを守っていれば、巨大な破綻に巻き込まれずに済む。


 そんな甘い錯覚を、俺も少しずつ抱き始めているのかもしれない。


「……それも、根本原因の一つかもな」


 俺は小さく呟いた。


 外の街は、勝利の美酒に酔っていた。


 紙は再び流通し、商人は取引を再開し、印刷所の機械は軽快なリズムを刻んでいる。


 だが、俺の手元に残った『宣言法』の文面の写しは、今日街で配られたどんな祝賀の号外よりも、ずっとずっと重かった。


 そこには、イギリス議会が植民地を『あらゆる場合において』拘束できると、明確に書かれている。


 印紙法は撤廃された。


 だが、本国は植民地を絞り上げる権限を、ただの一ミリも捨ててはいないのだ。


 つまり、この十三植民地という『国になる前の巨大なシステム』は、今日、一時的に復旧しただけに過ぎない。


 次の致命的なエラーを引き起こす根本原因は、仕様としてシステムの中枢に残ったままなのだ。


 俺はノートを閉じ、ペンを置いて、誰にともなく静かに呟いた。


「国家の運用保守って……表向きの障害対応より、根本原因の分析をしてる時の方が、ずっと絶望的で地獄だな……」


最後までお付き合いいただき感謝します。


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― 新着の感想 ―
おや、これはネットワークから反英運動に一枚噛まされる流れでは・・・?
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