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真祖吸血鬼、まだ存在しないアメリカに寄生する 〜合法的な血液供給のため、建国前から国家運用保守を始めました〜  作者: パラレル・ゲーマー


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第10話 真祖吸血鬼、税関という名の現場監査に怯える

 タウンゼンド関税という新たな嫌がらせの報せが届いてから数週間。


 フィラデルフィアのハンター支部地下に設けられたヴァレンタイン衛生用品商会の仮設事務所では、防衛のための果てしない帳簿整理が続いていた。


 俺は長机の上に、羊皮紙や束ねられた書類をずらりと並べ、一つ一つ指差し確認を行っていた。


「えーと、今月の原料仕入れ帳がこれ。油脂、灰、香料の購入履歴。で、こっちが石鹸の製造量と出荷量。木箱の発注数に、新しく刷り直した手洗い説明紙の枚数。産婆向けの無料配布分と、ワシントン経由の民兵向け納品分。高級白箱の売上推移に……銀貨・各植民地紙幣・物納品の換算表、と」


 大量の書類の束を前にして、俺はなぜか頬を引き攣らせて笑っていた。


「ははは。なんかこうして書類を並べてると、完全に監査対応の準備だな。前世で社畜やってた頃、年度末になると経理や監査法人に出すために必死で書類の辻褄を合わせて、毎日胃が千切れそうになったのを思い出すよ」


 隣でインク瓶に羽ペンを浸していたギデオンが、胡乱な目を向けてきた。


「お前は、なぜわざわざ自分の過去の不愉快な記憶を掘り起こして、自分で自分の胃を痛めつけているのだ。不死の怪物なら、もっと鷹揚に構えておれ」


「監査というものはね、実際に来る前から対象者の精神を削り殺すもんなんだよ。数字のズレ一つで首が飛ぶ恐怖、元ハンターの支部長には分からないかなぁ」


「大袈裟な。たかが帳簿の確認で、吸血鬼が死ぬほどのことでもあるまい」


「精神が死ぬの!」


 部屋の隅で短剣の刃を拭っていたアーサーが、「怪物の精神などどうでもいいですが」と呟くのを無視して、俺は書類の束をトントンと机に叩きつけて揃えた。


 この時はまだ、ただのブラックジョークのつもりだったのだ。


 自分の商会がどれほど致命的な矛盾を抱えているか、完全には実感しきれていなかったから。


 *


 地下室の分厚い扉が叩かれ、フランクリンの印刷所から見習いの少年が飛び込んできたのは、その直後だった。


 少年の顔には、いつものような子供らしい活気がない。


 ひどく強張った、真面目すぎる顔つきだった。


「ヴァレンタインの旦那! フランクリンの旦那から伝言です」


「どうした? また『紙が死んだ』って泣きついてきたのか?」


「いえ……『税関が、組織になった』と」


 俺の手から、書類の束がバサリとこぼれ落ちた。


「……組織に、なった? なんだよそれ、嫌な言い回しだな」


 ギデオンが立ち上がり、少年に歩み寄る。


「どういう意味だ。詳しく説明しろ」


「えっと、ロンドンの本国が、北米植民地での税関の取り締まりを強化するために、新しく『税関委員会』っていう大きな役所を置くことになったそうです。本部はボストンに置かれて、港を見張る役人の数も一気に増えるって……旦那が頭を抱えてました」


 俺は、こめかみを押さえて固まった。


「税関が……ただの窓口じゃなくて、組織として動く……?」


「今までも港には税関吏がいただろう。何が違うのだ」


 アーサーが怪訝そうに尋ねるが、俺は絶望的な声で返した。


「全然違うよ! 個別の窓口担当のおじさんが『まあこんなもんか』でハンコを押すのと、専門の監査組織がチェックリストと強権を持って本気で乗り込んでくるのは、天と地ほど違うんだよ!」


「お前の元職業の感覚で言うと、どれくらいの違いだ?」


 ギデオンが尋ねてくる。


「片方はちょっと面倒な税務署の窓口対応。もう片方は、本社の監査部が帳簿の裏の裏まで暴きに来る抜き打ちの特別監査! 地獄だよ!」


 *


 その日の夜、俺たちはフランクリンの印刷所の奥の部屋に集まっていた。


 メンバーは俺、ギデオン、アーサー、フランクリン、そして偶然フィラデルフィアに滞在していたジョン・アダムズだ。


 机の上には、タウンゼンド諸法に関連する大量の文書や新聞の切り抜きが散乱している。


「本国の連中は、単に関税の法律を通しただけでは不十分だと考えたようだ」


 フランクリンが、ランプの火を細めながら重い口を開いた。


「税を決めたのなら、それを確実に取り立てる実働部隊が必要になる。そのために、ボストンに新たな税関委員会が設置されたのだ」


 アダムズが、腕を組みながら法的な観点から補足する。


「彼ら税関吏には、強大な権限が与えられます。船の積荷を調べ、輸入品のリストと照らし合わせ、倉庫に入り、帳簿を調べ上げる。すべては密輸を根絶するためです。本国から見れば、これは帝国の正当な税収を守るための、至極真っ当な行政の執行行為でしょう」


 俺は唸り声を上げた。


 彼らの理屈も、頭では理解できるのだ。


 本国から見れば、植民地の港は不正と密輸の温床だ。


 関税はまともに支払われず、税関吏は買収されて機能不全に陥っている。


 七年戦争の莫大な借金はまだ残っているし、北米に駐屯している軍隊の維持費も稼がなければならない。


 法律を作った以上、それを厳格に執行しなければ、議会の権威そのものが地に堕ちてしまう。


「だからこそ、取り締まりを強化する。……うん、税を作った側からすれば、徴収部門にテコ入れするのは普通の判断だよ」


 俺は両手をテーブルに突いて言った。


「でもさ、その税金そのものに『代表なき課税だ』って反発してる現場から見たら、ただの暴力的な強制取り立てでしかないんだよ」


「まさにそこです、ヴァレンタイン氏」


 アダムズが鋭い視線を向けてきた。


「本国はこれを『執行の徹底の問題』だと見ている。しかし我々植民地人は、これを『権利への不当な侵害』だと見ている。両者は同じ出来事に直面しながら、全く違うものを見ているのです」


「認識の齟齬が解消されないまま、現場の運用ルールだけが強制的に上書きされて降りてくる。……だいたいそういう時って、システムが物理的に炎上するか、現場で死人が出るんだよな」


「不吉なことを言うな」


 ギデオンが眉間を揉み解しながら言った。


 俺の恐怖は、抽象的な政治論ではなく、もっと具体的で致命的な部分にあった。


「ねえ、アダムズ先生。税関の監査が入るって、どこまで調べられるの?」


「彼らが最も嫌悪される理由は、その強大な捜索権限にあります。援助令状と呼ばれるものを用いれば、彼らは疑わしいと判断した場所に立ち入ることができる。船の積荷を改め、倉庫の中身を数え、帳簿と在庫を照合する。そして密輸品だと判断すれば、貨物を丸ごと差し押さえる権限を持っています」


「ちょっと待って。倉庫の中身まで数えられるの?」


「密輸品が隠されている疑いがあれば」


「……帳簿は?」


「商売に関わる以上、当然精査されます。仕入れと出荷の辻褄が合わなければ、たちまち疑われますよ」


「……在庫の数も?」


「当然、見られるでしょうね」


 俺は、さーっと全身から血の気が引くのを感じた。


 吸血鬼だから元々血の気はないが。


「……俺の商会、終わったかもしれない」


 頭を抱えて机に突っ伏した俺を見て、ギデオンが珍しく本気で驚いた顔をした。


「お前がそこまで怯えるとは珍しいな。吸血鬼の正体がバレることを恐れているのか?」


「違う! いや、吸血鬼バレも大問題だけど、商会として見た場合、もっと致命的なバグがあるんだよ!」


「なんだと?」


「『この莫大な量の石鹸を、一体どこでどうやって製造しているのか、帳簿上で一ミリも説明できない』ってことだよ!」


 俺は立ち上がり、机をバンッと叩いた。


「俺、密輸なんて一切してないのに、密輸業者より出所が説明できないんだよ!!」


 静まり返った部屋の中で、ギデオンが天を仰いだ。


「……最悪ではないか」


「ええ、実際に最悪ですね」


 アーサーが冷や汗を拭いながら同意した。


 *


 ハンター支部に戻り、俺は黒板代わりの大きな羊皮紙に、自らの商会の『ブラックボックスの棚卸し』を書き出していった。


 自分で自己監査を行うのだ。


【税関監査で突っ込まれたら即死する点リスト】


 1.原料の仕入れ量と、製品の出荷量が全く合わない。


「表向き、うちの石鹸はフィラデルフィア近郊で作ってることになってるよね。でも、実際に市場に流してる石鹸の大半は、俺が夜な夜な異次元倉庫から召喚した未来の石鹸だ。油脂や灰を買った記録はあるけど、それで作れる量と、実際に売り捌いてる量が天地ほど違う。帳簿上は、石鹸が虚空から無限増殖してることになる」


「錬金術か、悪魔の所業としか思えんな」とギデオン。


「言うな!」


 2.製造設備が圧倒的に足りない。


「これだけの量を安定出荷してるのに、うちの工房と呼んでる場所の規模が小さすぎる。巨大な釜も足りないし、作業員もいないし、燃やした薪の量も少なすぎる。実態が伴ってない」


「完全に怪しいですね」


「監査人みたいな冷たい声で突っ込むなアーサー!」


 3.品質が安定しすぎている。


「この時代の職人が手作りする石鹸にしては、品質が均一すぎるんだよ。色、大きさ、香り、泡立ち。それに劣化も少ない。現代の工場で作られた製品なんだから当たり前なんだけど、これを見られたら絶対に出所を疑われる」


「良い商品を提供していることが、監査の弱点になるとはな」


 4.包装が整いすぎている。


「紙の税金を避けるために木箱と焼印にしたけど、その木箱の規格も揃いすぎてる。未来感が漏れ出てるかもしれない」


「最初から怪しいとは思っていたぞ」


「ならもっと早く言ってよ!」


「言ったらお前はやめたのか?」


「……やめないけど!」


 5.昼間の運営責任者の所在が曖昧。


「俺は夜しか出歩かない『欧州系の出資者』って設定になってて、昼間の実務は元ハンターのギデオンが仕切ってる。商品品質は異常に高いのに、帳簿は整いすぎている。誰が見ても怪しい」


「普通に秘密結社ですね」


「秘密結社ではあるんだけど、税関から見たら完全な違法商会に見えちゃうんだよ!」


 ギデオンは大きくため息をつき、腕を組んだ。


「……税関は、お前が吸血鬼かどうかを調べに来るわけではない。だが、商会の倉庫と帳簿の矛盾を徹底的に洗われれば、結果的にお前の存在そのものの秘密にも肉薄されることになる。つまり、商会の『完璧な偽装』こそが、お前の身バレを防ぐ最終防衛ラインだということだ」


「石鹸の帳簿が、真祖吸血鬼の防衛ラインになってるの、状況が意味不明すぎるだろ……」


「元はお前が、こんな意味不明な事業を始めたからだ」


「健康で清潔な合法血液供給インフラを構築するためだよ!」


「ならば、監査人に疑われない程度には、合法らしく振る舞え」


 ギデオンの正論に、俺はぐうの音も出なかった。


 *


 すぐさま、商会の致命的なバグを塞ぐための『税関対策会議』が招集された。


 メンバーは俺、ギデオン、アーサーに加え、法律の専門家であるアダムズと、フィラデルフィアの裏の事情にも通じているフランクリン。


 さらに、商会で帳簿係を頼んでいる者と、ダミー工房の管理役も呼んだ。


「税関の監査が入っても、一撃で死なない商会にするための計画を策定する」


 俺は羊皮紙の前に立ち、対策を書き出していった。


 対策一、フィラデルフィア近郊の工房設定の実体化。


「今までは『近郊で作ってます』って口先だけで誤魔化してきたけど、今後は実際に小規模な工房を稼働させる。石鹸釜を置き、灰汁を作り、油脂を仕入れ、人を雇って試作品を作らせる。普及品の一部は、本当にそこで現地製造する」


「なるほど。すべてを異世界から持ち込むから説明がつかない。嘘の中に本物を混ぜるわけか」


 ギデオンが頷く。


「そう。監査対応の基本中の基本だよ。現場の実態を見せられるようにしておくんだ」


「最悪の基本ですね」


 対策二、原料購入記録の増大。


「油脂、灰、香料、木材の購入記録を意図的に増やす。それでも出荷量とは完全に合わないから、俺は『高級品は特殊な濃縮製法で作っているため、少量の原料で大量に生産できる』っていう設定で押し通そうと思うんだけど」


「それは法廷で論理的に説明できますか?」


 アダムズが冷酷に尋ねる。


「うっ」


「もし税関から『科学的な製法の説明』を求められ、実演させられたらどうするつもりだ?」


 フランクリンが追い打ちをかける。


「うっ……」


「却下だな」とギデオン。


「じゃあどうすればいいのさ!」


 結論として、実際の原料の仕入れ量を無駄に増やし、余剰分は『廃棄』や『失敗作』として帳簿上処理することになった。


 工房には常に強い石鹸の匂いと、生活感を漂わせておく。


 対策三、作業員の雇用実態を作る。


「今まではギデオンとハンター支部の身内だけで偽装してきたけど、今後は本当に現地の人間を雇う。ただし、彼らに秘密の全容を知られないように、作業を完全に分断する」


 灰を作る者。


 木箱を組み立てる者。


 ラベルを貼る者。


 梱包する者。


 配送する者。


 誰も全体像を把握できないようにする。


「作業工程を分割して、末端の人間が全体の秘密に辿り着けないようにする……。やはり秘密結社の手口だな」


「違うよ! 近代的な工場の分業システムだよ!」


「どちらも本質的には似たようなものです」とアーサー。


 対策四、白箱の一部を本当に現地加工する。


「高級ラインの白箱は、未来の石鹸のままだと形が綺麗すぎて浮く。だから、一度削って現地の香料を少しだけ混ぜ、現地製の型に詰め直す。表面をあえて粗くして、『完全すぎる形』を崩すんだ」


「高品質なものを、わざわざ手間をかけて質を下げるのか?」


 フランクリンが不思議そうに言う。


「未来の完璧な製品は、この時代だとノイズになるんだよ」


「お前の存在そのものと同じだな」


「うるさいよギデオン」


 対策五、帳簿の一元管理と隠蔽設計。


 俺は当初、「税関に見せる用のダミー帳簿」「商会内部の真の帳簿」「ハンター支部極秘帳簿」の三層構造にしようと提案した。


 しかし、アダムズが即座に却下した。


「帳簿を三つも持つのは極めて危険です。人間が管理する以上、必ずどこかで矛盾が生じ、税関吏の厳しい追及の前に破綻します」


「じゃあ、一つの帳簿に全部の真実を書けって言うの!?」


「全部を書く必要はありません。嘘を増やしすぎるから破綻するのです」


 ギデオンが補足する。


「嘘は少なく、本物を増やすのだ。税関に堂々と見せられる『本物』の事実を積み上げ、その陰に『見せられない秘密』をすっぽりと覆い隠す」


「……監査対応っていうより、完全に隠蔽工作のシステム設計じゃん」


「今さら何を言っているのですか」


 アーサーの冷たい視線が痛かった。


「やってることが完全に悪徳企業じゃん……。前世の監査より怖いよ。こっちはバレたら、追徴課税じゃ済まなくて、普通に異端審問で討伐されるか牢屋行きだぞ」


「討伐の方は、条約違反と見なされれば、私たちが担当することになる可能性がありますね」


「味方みたいな顔して最悪の宣告をするなアーサー! 俺は密輸なんかしてない! ただ出所が説明不能なだけなんだよ!」


「それは、法律上は極めて黒に近い悪い状態です」


「やめて法律家!」


 *


 税関対策に奔走していたある日、フィラデルフィアの港湾で、俺は予期せぬ接触を受けた。


 港湾労働者向けの無料配布所の視察を終え、裏通りを歩いていた時のことだ。


 薄汚れ、潮の匂いを纏った一人の男が、物陰から声をかけてきた。


 この界隈で顔の利く、密輸商の元締めの一人だった。


「ヴァレンタインさんよ。あんたの商会の石鹸箱、最近この港でよく見るようになったな」


 男の顔に、悪意はない。


 ただ、厳しいこの時代を生き抜くための、商売人特有のしたたかな笑みが張り付いていた。


 彼らにとって、密輸は単なる犯罪ではない。


 本国の理不尽な関税を回避し、生活を防衛するための手段であり、英国の通商独占へのささやかな対抗手段でもあるのだ。


「あんたの石鹸は、港の連中にも評判がいい。税関の役人も、ただの衛生用品の箱だと思って、比較的甘く見ているようだ」


 男は声を潜めた。


「どうだ? あんたの木箱の底を、少しばかり二重にする気はないか。そこに上等な茶や、オランダの布を仕込むんだ。あんたは手数料を得る。俺たちは税を避ける。港の連中も潤う。誰も損をしない、良い商売だと思うがね」


 俺は、一秒の逡巡もなく即答した。


「絶対にダメだ。うちの石鹸箱に、密輸品を一つたりとも入れるな」


「……固いこと言うなよ。あんたも本国に腹を立ててるんだろう? 紙や茶にまで税金をかけるような強欲な連中だ。少しくらい抜け道を作ってやっても、罰は当たらねえさ」


「気持ちは痛いほど分かる。現代人の感覚からしても、税制がクソなら抜け道を探したくなる心理は理解できるよ。でも、俺の商会だけはダメだ。俺は『合法寄生』を貫くために、必死で帳簿を合わせてるんだから!」


「……合法寄生?」


「資本主義の神髄だよ!」


「説明になっていない」


 背後で控えていたギデオンが溜息をついた。


 密輸商の男は、つまらなそうに肩をすくめた。


「綺麗な顔して、綺麗な事ばかり言うんだな。いざとなると税関の犬を恐れて逃げるのか。まあいい、せいぜいその綺麗な手を汚さないように気をつけることだな」


 男は闇に紛れて消えていった。


「……俺、綺麗事で血を飲むために、ここまで頑張って監査対策してるのにな……」


 だが、この接触をキッパリと断ったことで、港湾の空気が微かに、しかし確実に変わってしまった。


 俺は正しい判断をしたはずだ。


 だが、正しい判断が常に歓迎されるとは限らないのが、この時代の植民地の恐ろしいところだ。


 港湾労働者や反英派の急進的な若者たちの一部から、「ヴァレンタイン商会は、口では本国への不満を言うくせに、いざという時には俺たちの味方になってくれない」「本国の税関を恐れて逃げる臆病者だ」というレッテルを貼られ始めたのだ。


「俺、別に反英運動の闘士になりたいわけじゃないんだけど……」


「ですが、周囲はそう見始めています」


 アーサーが冷酷に事実を突きつける。


「お前の商会は、もはやただの石鹸屋ではないのだよ」


 ギデオンが、闇に沈む港を見つめながら言った。


「港の生活に入り込み、産婆や理髪師を通じて各家庭に浸透し、民兵にまで物資を供給している。これだけ社会の血管に入り込んでおきながら、自分だけは無傷の中立でいたいと願っても、周囲の人間がそれを許さない。港で物を売るということは、港の人間関係や、その裏にあるしがらみまで丸ごと買うということなのだ」


「政治ネットワークに続いて、密輸ネットワークにまで接続しかけてるじゃん……。俺、清潔な石鹸を売りたいだけなのに!」


 *


 後日、フランクリンにこの一件を愚痴ると、彼は密輸を完全に否定することはなかった。


「密輸を手放しで褒めるつもりはない。だが、植民地の商売というものは、長い間、本国の法律と現地の抜け道との間でバランスを取りながら動いてきたのだ。本国の机上の規制が、我々現地の実情から遠く離れすぎれば、人々は当然のように生きるための抜け道を探す。それをすべて個人の道徳の問題として片づけることはできないよ」


「分かる。痛いほど分かるけど、俺の箱は絶対に使わせない。うちの商会は、監査に弱すぎるから」


「それでいい。君の商会には、密輸品など運ばなくても、すでに十分すぎるほど説明のつかない秘密が詰まっているからね」


 フランクリンの言葉に、アダムズが法的な観点から援護射撃をした。


「もし違法な荷を運んでいることが発覚すれば、いざという時、法廷であなたを守る余地が極端に狭まります。法を守る姿勢を見せておくことは、最終的な防衛線になります」


「アダムズ先生の言葉が、今回ばかりはめちゃくちゃ心に染みてありがたいよ!」


「常にありがたがりなさい」


 しかし、俺たちがどれだけ警戒しようとも、税関の影は確実に迫ってきていた。


 数日後、フィラデルフィアの港で、ついに『本物の税関吏』と遭遇してしまったのだ。


 トマス・ウェザビー。


 英国から派遣された、中堅の税関補佐官。


 貴族のような華美さはなく、実務家特有の鋭い目つきをした男だった。


 彼は決して悪人ではない。


 本国の法律を執行し、帝国の税収を守るという職務に忠実なだけの、生真面目な官僚だ。


 彼から見れば、密輸商は自由の戦士などではなく、王の税を盗む卑劣な犯罪者に過ぎない。


 彼は俺の物語のために配置された悪役ではない。


 この時代の制度に従い、この時代の当然の職務を果たしている一人の人間だ。


 だからこそ厄介だった。


 悪人なら、まだ分かりやすい。


 だが、誠実な職務者は、こちらが誤魔化すたびに、正しい顔で一歩ずつ近づいてくる。


 俺は物陰に隠れ、表向きの代理人であるギデオンが対応するのを見守っていた。


「ヴァレンタイン衛生用品商会……。最近、この港でよく名前を見るな」


 ウェザビーは、荷揚げされたばかりの石鹸の木箱をコンコンと杖で叩いた。


「製造地はフィラデルフィア近郊とある。……原料はどこから仕入れている?」


「地元の業者から、油脂、灰、香料を仕入れております。帳簿はすべて整えてあります」


 ギデオンが、元ハンターの凄みを完全に消し去り、隙のない商人の顔で応じる。


 ウェザビーはギデオンを値踏みするように見つめ、やがて小さく頷いた。


「そうか。……いずれ、近いうちにその帳簿を詳しく見せてもらうことになるかもしれないな。最近は、ありとあらゆる箱に密輸品が紛れ込んでいるからな」


「必要があれば、いつでも」


 ギデオンは恭しく頭を下げた。


 俺は物陰で、両手で口を塞ぎながら内心で絶叫していた。


 必要、発生しないでくれェェェェェ!!


 *


 夜。


 胃の痛みを抱えたまま、俺はノートを開いた。


【ヴァレンタイン衛生用品商会・税関監査対応メモ】


 ・タウンゼンド諸法:税金をかけるだけじゃなく、取り締まり強化の実働部隊が本命だった。


 ・ボストン:新しい税関委員会が設置される。本社の監査部門が北米に常設されるようなもの。


 ・税関吏の権限:船、倉庫、帳簿、貨物を調べる。密輸防止が目的。


 ・本国側の見え方:植民地は密輸だらけで法が軽視されている。取り締まり強化は当然の行政行為。


 ・植民地側の見え方:勝手に税金を作った上に、自分たちの倉庫や船まで漁る許しがたい侵害行為。


 ・俺の見え方:どっちの理屈も分かるけど、頼むからうちの倉庫と帳簿だけは見ないでほしい。


 ・最大の問題点:ヴァレンタイン商会は密輸をしていない。しかし、未来石鹸を異次元倉庫から出しているため、輸入記録も製造記録も完全に説明不能。


 ・対策:フィラデルフィア近郊に本物の小規模工房を整備。原料購入記録の増大。作業員の分業雇用。低級品は本当に現地製造し、白箱はあえて現地加工で品質を落とす。帳簿は『嘘を少なく本物を増やす』隠蔽特化型へ。


 ・密輸商の接触:石鹸箱を使いたがっているが、絶対拒否。


 ・副作用:港湾の一部から「味方ではない」「逃げるやつ」と見られ始める。合法寄生が違法寄生に落ちる寸前で踏みとどまったが、港の裏の物流に目をつけられた。


 ・ウェザビー:本国側の税関補佐官。悪人ではない。職務に忠実なだけ。だからこそ最悪。


 ・俺:密輸してないのに、密輸業者より説明が難しいブラックボックス企業を運営している。


 最後に、ページの真ん中に大書きする。


【結論:密輸してないのに、税関監査が一番怖い】


 税金というものは、紙の上に書かれた数字や法案の文言だけでは終わらない。


 税を取るためには、必ずそれを取り立てる『実働部隊』が来るのだ。


 港を見張る者が来る。


 船の底を調べる者が来る。


 倉庫の扉を開けさせる者が来る。


 そして、帳簿の数字の裏を読もうとする者が来る。


 本国から見れば、それは大英帝国の秩序と財政を守るための、当然で不可欠な仕事なのだろう。


 植民地から見れば、それは自分たちの生活と商売を理不尽に踏みにじる、絶対的な暴力だ。


 そして俺から見れば、それは必死に構築してきた合法寄生ビジネスの心臓に真っ直ぐ突きつけられた、鋭利な『監査のナイフ』そのものだった。


 俺は密輸商人ではない。


 王の税を盗んではいない。


 だが、密輸商人よりもはるかに、自分の商売の根幹を説明できないのだ。


 その恐ろしい事実に気づいた時点で、俺の不死の胃袋はすでに半分ほど死にかけていた。


 ボストンに置かれたあの税関委員会は、俺の商会だけではなく、植民地全体の港という港に、見えない巨大な監査と抑圧の影を落とし始めているということを。


 次に燃え上がるのは、税金そのものへの反発ではない。

最後までお付き合いいただき感謝します。


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― 新着の感想 ―
欧州から密輸してないだけで、未来から密輸しているようなもんだしなあ・・・。
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