第4話 空き巣犯を追え! 後編
薮中と堤の包囲網が狭まりつつあることなど知る由もない盗田は、
南欧風の家の庭側に面した居間の窓ガラス前にいた。
ここは彼に取って好都合とも言うべき場所で、庭を囲む垣根の植物は密集している常緑樹で、
人の背丈よりも高く、庭側の通りからは容易に敷地内を垣間見ることが困難な造りをしていた。
犯行現場を発見される危険度が減った盗田は、辺りを多少気するような素振りを見せたが、
どこか余裕めいた笑みを浮かべると、庭に面した窓ガラスのカギ付近をマスキングテープで
器用に曲線を描くように囲むテーピングを施した。
そしてスーツの内ポケットから何かを取ろうとする素振りを見せたが、一瞬戸惑いを見せた。
それはガラスを割る際に使おうと持っていたはずのマイナスドライバーが
無くなっていることに気づいたからだ。
舌打ちをした盗田は辺りを見回した。
庭全体を均等に芝が覆い、よく手入れされていることが一目でわかる。
きっと使えそう道具が敷地内のどこかにあるはずだと盗田は庭の周りを物色しはじめた。
庭の脇に白いプランターが置いてある。
そこには小さな家庭菜園を作ろうと植えたのであろうか、植物が規則的な間隔で枯れていた。
その脇には金属製の小さなスコップが枯れた植物とコラボレートするオブジェのように
斜に構えて土にささっていた。
「これにすっか」
薮中は卓越した刑事としての本能が導くまま走り、突然、走ることをやめて立ち止まった。
堤は急に立ち止まり辺りを見回す薮中に声を掛けた。
「急にどうしたんですか?」
「この辺り、何だか臭うぞ……」
「犯人、またやらかす気ですか」
「そうかもしれんなぁ」
微かにガラスの割れる音が聞こえてきた。
「薮中さん、今ガラスの割れるような音が、微かに聞こえませんでしたか?」
「確かにそんな感じだったな」
「さっきの犯人ですかね」
「可能性は高いな。多分あの家っぽいぞ」
「行ってみましょう」
薮中は的確に音のした方位を捉えていた。薮中と堤は斜め前に見える南欧風の家、
薬持(やくもち)邸へと向かった。
薬持邸の居間では、盗田が早速辺りを物色している。
「さっきはしくじったからな、その分ここで儲けさせてもらうか」
不敵に微笑み、居間にあるチェストの引き出しを一番下の段から幾つか開けて物色しはじめたが、
金目の物は何も無かった。盗田が舌打ちをして一番上の引き出しを開けると、コレクションケースが現れた。
中には極端に大粒ではないがダイヤの指輪が入っていた。微笑む盗田は安堵したのか
「何だぁ〜あるじゃないか」
とダイヤの指輪を部屋に差し込む日の光りに透かして見た。
「んっ?偽物じゃないか!まったくついてないなぁ……はぁ〜」
その頃、薮中と堤の包囲網は薬持邸の庭を囲む垣根まで迫っていた。
垣根の間から微かに見える敷地内をあちこちから覗いている。堤は垣根の植物を両手でゆっくりと広げ、
その隙間から庭側の窓ガラスを見ていた。
すると窓の鍵部分が小さく割れているのが確認できた。
「薮中さん。あそこ」
薮中も堤が両手で開ける隙間から敷地内をそっと覗いた。
「何処だ?…あぁ〜割られているなぁ」
「間違いなくここですよ」
「犯人は…まだ居るなぁ」
二人はなおも垣根の隙間から様子を窺っていた。
薬持邸のお向かいに住んでいる主婦が、トイレで発したおなら臭を室外へ排出すべく
トイレの窓を開け放った時、お向かいさんの家の前を男二人があやしい素振りで敷地内を
覗いている光景を発見してしまった。
「あっ、臭う、あの二人!きっと泥棒だわ!警察に電話しなきゃ」
主婦は、電話をかけるために慌ててトイレから出て行った。
その時、薬持邸の居間では、盗田が居間にあるキャビネットの下段にある扉を開けて内部を物色していた。
「何だ、領収書ばかりじゃないか」
それらは、ヤセる、健康になるなど、甘い誘惑と殺し文句でお馴染みの通信販売で購入されたと思われる
サプリメントのものだった。思わず盗田はぼやいた。
「何だこの家の住人は、健康オタクか?」
ふと目の前にあるキャビネットのガラス棚に目を向けると、何やら大瓶や小瓶などの容器が
棚全面に種類や容器のサイズを揃えて綺麗に並べられているのが見えた。
それはさながら小さな薬局ではと思わせる光景でもあった。
盗田は呆れた。
どうせ高い金を払うんだったら、バランスの取れた食事に金をかければいいのに、と。
薮中が薬持邸の金属でできた門から、きしみ音を出さないように気配りしながらゆっくりと門を開けると、
堤と共に忍び足で敷地内に入り、盗田がいるのであろう居間の窓から見えないように、
家の壁沿いを忍び足で歩きながら、割れた窓に近づいて行った。薮中が堤に手で合図を送りながら囁いた。
「私が行くから援護を頼む」
堤は深く頷きながら右手でOKサインを出した。
薮中がそっと窓の端から居間を覗くと、そこには薮中に背を向けて棚などを物色している盗田が見えた。
薮中は盗田の背後から気づかれぬよう、足音を発てないように後ろから、そっと歩み寄って行こうとした。
だがその時、居間にあったガラステーブルに気づくのが遅れ、ガラステーブルの端にすねをぶつけてしまった。
「痛!」
薮中の口を突いて出た小さな叫びに驚いた盗田は振り向き、
鳩が豆鉄砲を突然食らったように目を見開いて口を開けた。
薮中はとっさに
「動くな!警察だ!」
と身構えた。
そんな言葉に耳を傾けて言うことを聞く犯人などいるはずもなく、
盗田は薮中を突き飛ばそうと体当たりをしてきた。薮中は一瞬よろめきはしたが、
盗田が庭に飛び出すすんでで背中に飛び掛かった。
二人は転げるように庭に飛び出すと激しい取っ組合いをはじめた。
それはとても激しく、一方的な戦いではあったが、時々応戦してくる盗田の戦意は、
観戦する堤を興奮させるに値した。
興奮し闘争心に火がついてしまった堤は、格闘を観ているだけでは我慢できなくなったのか
「俺も混ざります!」
と格闘に参加することを表明して、薮中が盗田から一瞬手を離した隙に、飛び掛かった。
堤は水を得た魚のように左手で盗田のむなぐらを掴むと、盗田をサンドバックのように右拳で激しく連打した。
盗田が激しく抵抗しながら
「放せー!」
と叫んだとたん、薮中と堤は
「放すかー!」
と重低音の聞いた野太い声でハモった。
ニ対一、しかも、薮中と堤は共に柔道五段の持ち主である。もはや正義の眼差しでは
見てはいけない光景が、生け垣で被われ、目撃者も得られない場所で繰り広げられていた。
盗田は一方的にパンチや平手を浴びせられボコボコにされてはいたが、
時折返すパンチが薮中と堤の闘争心という炎に油を注ぐ結果になっていた。
堤は腕を直角に曲げ、盗田の側面に力のこもったフックを綺麗に決めた。
薮中はフックが綺麗に決まり、微笑む堤にさらなる闘争心をあおられ、
よろけながらやっとの思いで立っている盗田の左頬に目掛け、
空気を切り裂くような鋭い右ストレートを綺麗に決めた。
この後も盗田が殴られる音や「うっ!」「あっ!」「おっ!」などの
うめき声が辺りに聞こえるばかりになった。
盗田はもはや薮中と堤になすがままの状態でやられているだけだった。盗田は残されたわずかな力で叫んだ。
「逃げないから、もぉやめてくれぇ〜」
薮中はもはや抵抗などできる気力すらない盗田に大声で吐き捨てた。
「大人しくせんか!」
盗田はその言葉で、もはや抵抗など無意味であることを悟ったのだ。
盗田は空気を入れて膨らますRODYのように、薮中と堤に馬乗りにされ、ただ耐えているしかなかった。
庭にレンズの欠けた黒縁メガネが落ちている。
盗田の身なりはもはやぼろぼろで、顔にあざがあり鼻血まで出している。
「もう、いい加減にしてくれぇ」
とふるえながら盗田は薮中に両手を差し出した。その瞬間、薮中は達成感に満ちあふれた。
「堤、手錠を」
「はい」
堤は満足げに盗田の両腕に手錠をかけた。盗田は安堵感からなのか、ため息をついてうな垂れた。
薮中は満足そうで爽快な笑顔でベルトに付けていた携帯電話を取り外すと、
捜査課に犯人の身柄を確保したことを伝え、応援の要請をした。
薮中と堤は今にも崩れそうな盗田の両腕を支えながら、薬持邸の玄関先まで出てくると
パトカーのサイレンが聞こえてきた。
盗田はその音にかき消されそうな吐息のような声で薮中たちにぼやいた。
「あんたたちは過激すぎるよぉ」
薮中は盗田を見据えてこう言った。
「たまたま過激な警官に当たっただけだ。気にするな」
「なぁ、犯人をこんなにしてもいいのかよ」
「お前を憎んでいるわけではない。罪を憎んでいるんだ」
薮中はそうさらりと言い放つと爽やかに微笑んだ。堤もまた盗田に苦言を呈した。
「これに懲りて正しい道に進んでくださいね」
「何て刑事たちだ。ひでーよ」
盗田は犯人として会ってはいけない二人に出会ってしまったことを今さらながらに後悔しきりでうな垂れた。
するとパトカーや覆面パトカーが薬持邸前に到着し、豊田刑事や制服警官たちが車から降りると、
すぐさま薮中に走り寄ってきた。薮中は豊田のあまりの段取りのよい応援に少し驚いていた。
「随分早いな、連絡してから一分も経っていないぞ?」
「泥棒らしい人が近所の家を覗いていたとの110番通報がありましたので」
「市民の協力に感謝しないとな」
「通報では不審者は二人いるとのことだったんですが、捕まえたのは一人ですか?」
「ああ、一人だ。通報者は何と勘違いして二人としたのかな?」
豊田は今にも崩れそうな盗田を見て首を傾げた。
「そんなことより薮中さん。そいつの顔、どうしたんですか?」
盗田は意を決して薮中を指差し、豊田に向けて残された力を振り絞って叫んだ。
「この刑事たちにやられたんだっ」
薮中は思わず怒った。
「失敬なことを言うな!お前が暴れたからこうなったんだろーが!」
「そんなぁ〜」
もはや何の発言権もない立場であることを知った盗田であった。
だが、豊田には分かっていた。
薮中と堤のコンビに追われた犯人が、ケガもせずに逮捕されることはありえないことを。
豊田は盗田にささやかなねぎらいの言葉を優しくかけた。
「可哀想に、悪いことをした報いだな」
「あの二人の居ないところに、早く連れて行ってくれ、うぅ〜」
盗田はすすり泣きながら豊田にすがり懇願した。
「分かった、分かった」
豊田は犯罪にあった被害者を扱うように盗田の肩を優しく抱きながら覆面パトカーへと連れて行った。
薮中は去りゆく盗田の背中を見つめて
「私たちに懲りて、きっとこれからは真っ当な道を進むだろう」
と満足気だった。
「それにしても薮中さんの右ストレート、見事でしたねぇ」
「いやいや、堤のフックも切れ味が良かったぞ」
「そうですか」
薮中と堤は戦闘の余韻を楽しむかのようにしばし語り合った。
それから数時間後、辺りがすっかり闇に包まれた曙警察署の捜査課に
藤堂 為良(とうどう ためよし)課長、梶原、泉、豊田、堤、
という薮中以外の刑事たちが揃って憩いの一時を送っていた。
藤堂課長が集まっている刑事たちの労をねぎらった。
「みんなご苦労さんだったな」
「スピード解決はいいですね」
と豊田が答えると梶原は
「いつもこうでありたいな」
と賛同した。
「本当は我々が暇なことが一番なんですけど」
泉がもっとも合理的な意見を述べると、ベテラン刑事の梶原は
「もっともだ」
と深々とうなずき、刑事たちを微笑ませた。
藤堂課長が一人足りないことに気づいた。
「堤、薮中は取り調べ中なのか?」
「はい。さっき取り調べ室を覗いたら、犯人に説教しているようでした」
豊田は覆面パトカーで盗田を護送していた時の様子を語りはじめた。
「犯人、薮中さんにビビってましたし、署に向かう覆面車の中では、早く安全なブタ箱に入れてくれって
懇願していましたから、調書を執り終えるの早いんじゃないですか」
藤堂課長は呆れた。
「薮中はまた犯人に何かやったのか?」
堤が真っ先に答えた。
「薮中さんいわく、犯人とのスキンシップだそうです」
藤堂課長はぼやいた。
「まったく薮中にも困ったものだなぁ〜」
刑事たちは無言で深くうなずいた。
それから刑事たちは、一時間程、地味で面倒ではあるが、
大切な事務である捜査報告書の作成に精を出した。
終業時間を過ぎると泉は誰かと約束があるのか、軽快なキーの打ち込み音をたて終えると
ノートパソコンのモニターをたたみ、先陣を切ってデスクを後にした。
「お先に上がります」
豊田はまだ書類を書き終えていないようにも思えるほど、戸惑うようなキーの打ち込み音を発てていたのだが
「まっいっか」
と小さな声で囁くと
「俺も上がります」
と言ってデスクを後にした。堤が豊田の行動を横目で見て微笑んだ。
「豊田さん、お疲れ様です」
「おぅ。やりたい事があるからお先に失礼するよ」
そう言って部屋を出て行った。
その後、梶原が席から立ち上がり、ワープロと戦う堤に歩み寄って肩を叩いた。
「堤、居眠りするなよ」
「大丈夫ですよ」
「さて、私も帰るとするか」
藤堂課長が席を立った。
「堤、後を頼んだぞ」
「任せてください」
「じゃあお先に」
「お疲れ様でした」
堤は静まり返った捜査課で独り黙々と報告書を書き続けていた。
ふと壁にかけられている何の色気もない壁掛時計を見ると、時刻は午後十時過ぎを指している。
堤のはかどらない報告書書きではあったが、今日までしこたま溜め込んでしまっていた
他の捜査報告書も一気に仕上げる覚悟を決め、独りで黙々とパソコンの操作を続けた。
しばらくすると缶コーヒーを二つ手にした薮中が部屋に入ってきた。
「あっ薮中さん、取り調べ、お疲れ様です」
「おう。ほれ」
と薮中は堤に缶コーヒーを手渡した。
「ありがとうございます」
堤はとっさに新しい携帯電話を使ったのだと悟った
「あっ、もしかして、あれ使いました?お財布携帯」
「勿論だ。今の私は、らっきょうを与えた猿みたいなものだ。飽きるまでは使い倒すぞ」
堤は微笑んだ。
「そんなことよりなぁ堤、さっきの犯人な、今日だけでも空き巣に入ったの四件らしいぞ」
「朝っぱらからそんなにやっていたんですか」
「隣の管轄で二件、うちの管轄で二件だ。まっ、うちの管轄は未遂だったけどな」
「私たちがいますからね」
薮中は微笑みながら腰に手をあてがい、缶コーヒーを一気に飲み干した。
「なぁ堤、今日宿直だったよな?」
「はい、そうです」
「私は家が恋しくなってきたからそろそろ帰るな」
「お疲れ様でした」
「んっ、後はよろしくたのむな」
薮中は捜査課の扉を開けて出て行った。