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今日はお泊り

 少年は少し悩んでいた。


 事の始まりは、昨日(きのう)の昼からである。

「ねぇ(ひろし)くん。博くんって、一人住まいだったよね。夕食や休みのときなんかは、どしてるの?」

 唐突に少女から、こんな質問をされたのだ。

「ん? そうだな……。コンビニで弁当買って喰ったり、たまに外食もするけどな。こんなこと聞いて、どうするんだ?」

「『こんなこと』じゃないよ。コンビニのおべんとや外食ばっかだと、身体に悪いよ」

 少年の普段の食生活を聞いて、少女は異を唱えた。

「そんなコト言われたって、面倒くさいし。俺、料理なんて、滅多に作らないし」

 男の一人暮らしとしては、さもありなんである。彼は、幼少期から学問に明け暮れる生活を送っていた。食事は単なる栄養補給。文字通り世界を飛び回っていて一つ所に居た試しなど無いし、今では、両親でさえマレーシアで悠々自適の生活をしているのだ。(ひと)りなど慣れている。そう思っていた。

 しかし、

「それじゃダメだよ。そうだ! 明日のお休み、わたしが、ご飯作りに行ってあげるよ」

 と、少女はそんな事を突然言い出した。

「え? 生美(いくみ)、俺んち来るのか?」

 少年はビックリして、思わずそう聞き返していた。

「何か変かな?」


(俺んちのマンションなんか、スパイやエージェントの巣窟だぞ。そんなトコに、生美を入れていいのか? マジで危ないぞ)


「えーっと、変じゃないけど。一つ屋根の下に若い男女が二人だけで居るのは、どうかと思うぞ」

「そかな。だって、ご飯作って、一緒に食べるだけでしょ。ついでに、お勉強とか教えてもらえると、なおうれしいな」


由香里(ゆかり)ちゃんに教えてもらった、お料理作戦。絶対に成功させるんだから)


 面食らっている少年も少年だったが、少女は少女で、何か作戦があるようだった。

「そうか。分かったよ。じゃあ、いつもの分かれ道の所まで迎えに行くから、そこで合流な」

「うん。ありがと」


(やった! 第一段階成功だぁ。明日は、何作ってあげよかなぁ)


 当日の事を思って、少女はルンルン気分で席に戻って行った。


 そして翌日、少年は、少女と待ち合わせた場所に立っていた。少女の位置情報から、もうすぐここに着くことは分かっていた。だが、ここに来て、未だ少年は逡巡していた。本当に彼女を家に上げてもいいものやら。

 しばらくすると、少女の姿が見えてきた。なにやら大きなエコバッグを抱えている。

「博く~ん、お待たせ~」

「生美、すごいな、その荷物。持ってやるよ」

「あ、ありがとう。でも、これ重いよ」

「なら、なおさらだよ。ほれ、よこしな」

「うん、ありがと」

 そんなやり取りの後、二人は並んで歩道を歩いていた。


(楽しみだなぁ。博くん、どんなお家に住んでんだろ)


 そう思うと、少女の顔は、自然と緩んでしまう。

「何をにやにや(・・・・)してんだ?」

「ん? だって、楽しぃんだもん。博くんのお家に行くの、初めてだから」

「そんな、たいそうなモンじゃないぞ」

「でも、楽しみなんだもん」

「そうかぁ?」

「そうなの。だって、こうやって二人で並んで歩くことだけで、もうワクワクしてるんだよ、わたし」

 そんなものなのかなと少年は思ったが、悪くはない気分だった。


 そうこうするうちに、少年の住むマンションが見えてきた。

「俺んち、あそこのマンション。居心地が良いトコかどうかは別として、見晴らしだけはいいよ」

「うわぁ、すんごく大きいね。見晴らしが良いってコトは、上の方の階に住んでんだ」

「ん、まぁ上の方と言うか、最上階」

「ええ、最上階なの! すっごーい」

「そんな凄くないよ。あ、ここ入り口だから」

 そう言うと、少年は、マンションの入り口を指した。

 二人で自動ドアを通ってエントランスホールに入ると、管理人室の小窓が見えた。

「お帰りなさいませ、坊ちゃま」

 マンションの管理人である。少しゴツイ顔立ちをしている。

「おう、帰ったぞ。それより、その坊ちゃま(・・・)はもう止めろよ」

「かしこまりました。はて、そちらのお嬢様は、どなたで?」

「俺の彼女(・・)だ」

「あ、こんにちわ」

 少女がお辞儀をして応える。

「言っとくが、彼女にほんのちょっとでも何かあったら、お前ら、ただじゃおかないぞ! 国ごと焼き尽くしてやる。他のやつら(・・・)にもそう伝えとけ」

「かしこまりました」

 管理人は深々と礼をすると、エレベーターホールへのガラス戸がスライドして開いた。

 何者にも動じず先に立って進む少年に着いてゆくように、少女が入った。

「アレか? マンションの管理人だよ。顔はゴツイが、根は優しいやつさ」

「博くん、すごい! 『坊ちゃま』だって。どこかの御曹司みたい」

 少年は顔を顰めると、

「だから、そう言われるのは嫌なんだよ」

 と、照れくさそうにそっぽを向いていた。


 ホールの正面の扉は無視して、彼はスタスタと少し奥まで歩いて行く。すると、他とは違ったエレベーターが1機あった。少年がその前で立ち止まると、電子音が鳴った。

《眼紋照合……掌紋照合願イマス……掌紋照合シマシタ。……音声確認ヲシマス》

「俺だ、帰ったぞ」

《声紋確認……判定完了。オ帰リナサイマセ、ゴ主人サマ》

 そうすると、目の前の扉が左右にスライドして開いた。

「生美、入るぞ」

「あ、はーい」

 少女が慌ててエレベータに乗ると、静かに扉が閉まった。

「俺専用の直通エレベータだ。おい、この娘もメンバー登録しろ」

《カシコマリマシタ。眼紋確認……入力完了。掌ヲ壁ノ窪ミニ押シ付ケテ下サイ……掌紋確認……入力完了。オ名前ヲ言ッテ下サイ》

「あ、(さかき)生美(いくみ)です」

《声紋確認……入力シマシタ。めんばーず登録完了シマシタ》

「よし。生美、これで、お前一人でもエレベータに乗れるぞ」

「ほぇー、何か……すごいね。最新のセキュリティーだぁ」

「ああ、そうか? 俺が設計したものなんだが」

「も、もしかして、もしかだけど。このマンション、博くんの?」

「ああ、よく気が付いたな。俺がオーナーだ」

「すんごーい。こんだけおっきいと、家賃収入で暮らせるね」

「そん代わり、すごいほど税金で持ってかれるけどな」

 少女のすごいすごいに、少年はこそばゆいような照れくさそうな表情を浮かべていた。と、その時、また電子音がした。

《到着シマシタ。どあガ開キマス》

「生美、下りるぞ」

「あ、はーい」

 少女は少しおどおどしながらも、少年に着いてエレベータから出た。そういえば、いつ動いたのか、いつ登っていたのか。そして、いつ到着したのかも分からなかった。高速エレベータにはつきものの、あの浮遊感や加速度が、全く無かったのだ。この少年は、重力加速度をも彼の支配下にする(すべ)を開発してしまったのであろうか。

「ここから上──最上階までの三フロアが、俺んちだ。このフロアと、すぐ下との間には、厚さ五メートルの特殊鉄骨鉄筋コンクリートと衝撃吸収樹脂ゲルの層で区切られてる。ここに入るには、あのエレベータに乗るか、さもなければ、屋上から壁伝いに侵入するしかない」

「へぇー。すんごいねぇ。でも、何でこんなにゴッツいセキュリティーなの?」

 少女は、頭に浮かんだ疑問を、そのまま口にした。

「そうだなぁ、俺がガキの頃から、世界中の大学や研究施設で研究や開発をしてたのを知ってるだろう」

「うん」

「ナノマシンマテリアルやホロメモリ演算プロセッサ、超AIプログラム、特殊フィルム素材など、軍事的、経済的に世界がひっくり返るような技術や知識・開発力を俺は持っているんだ。だから、始終それを狙って各国のスパイやエージェントが俺の周りではひしめいてるんだ。さっきの管理人も含めて、このマンションの住人のほとんどが、そんなやつら(・・・)さ。あ、ほら、ここにも盗聴器がくっついてやがる」

 そう言うと、彼は、少女の肩から米粒のような黒い粒を摘み取ると、指先で押し潰して破壊した。

「お前も気をつけろよ。管理人にああは言ったが、何処で手を出してくるか分からんからな」

「な、何か……、スパイ映画みたいだね」

 彼女は、両の拳を握り締めると、少年を見上げた。

「ははっ、そうだな。それも慣れればおつなもんだぞ」

「あ、それ、わたしの台詞」

 などと二人で雑談をするうちに、どうやら部屋に着いたようだ。

「俺だ、開けろ」

《認証完了。扉開キマス》

 少年が呼びかけると、エレベータと同じように、廊下の一面が音も無くスライドして開いた。

「ここだ。入るぞ」

 少年がそう言うと、

「はい」

 と少女が応えて、中に入った。

「スキャンを開始しろ」

 少年の声に電子音が応える。

《了解。すきゃん開始シマス……32個ノ発信源ヲ確認。消去シマス》

 すぐに二人の身体のあちこちで小さな破壊音がして、細かい埃のようなモノが舞った。

「俺達の身体に仕掛けられた、盗聴器や発信機だ。毎日こうだよ。ひつこいよな、あいつらも。まぁ、仕事だからな、しょうが無いか」

「凄いね。いつ付けられたんだろ。わたし、全然分かんなかったよ。でも、それを見つけて壊す方も、凄い技術だよね」

「まぁ、俺の設計だからな」

 そう言われて、少年は、まんざらでもないという顔をしていた。

 いつの間にか、盗聴機のなれの果てのホコリは、どこかしらに吸い込まれたのか、きれいに消えていた。そして、更に奥に見える扉が開く。

《ろっく解除シマシタ。オ入リ下サイ》

「お、お邪魔しまぁーす」

 と、少女は律儀に電子音に応えて、奥に上がった。

「こっちがダイニングキッチン。その隣がリビングだ。生美、来てみなよ。ここから外の景色が見えるよ」

 少年にそう言われて、少女はリビングに入った。壁の一面に大きな窓があって、外の様子を眺めることができた。

「うわー、すんごい。何メートルくらいあるんだろうね」

「百メートルくらいかな。夜は、夜景が綺麗だよ」

「わぁ、楽しみだね」

 何気ない少年の言葉に返ってきたのは、意外な返事だった。

「え? もしかして、夜まで居る気なのか?」

 少年の問いに、少女は悪びれることなく答えた。

「そだよ。大丈夫だって。お父さん達には、ちゃんと『友達の家に泊まる』って言ってあるから」

 あっけらかんと答えた少女に、さすがに少年も焦った。

「ええ! 友達って言っても、独り暮しの男のところだぞ。よく許してもらったな」

「だいじょぶ。『由香里ちゃん達とお泊りする』って言ってあるから。だから、だいじょぶ」

「大丈夫って……。間違いがあったらどうすんだよ。俺だって、……一応、男なんだが」

「博くんはそんな人じゃ無いって信じてるもん。ねっ」

「う……そうか。なら、仕方がないか。うーん、一応ゲストルームがあるから、泊まれることには問題ないが……。いいのか?」

「何が?」

 純朴な表情と返答に、逆に少年の方が腰が引けてしまっていた。

「そ、そうか。いいのか……」

「そ、いいの。さてと、博くん、お料理手伝ってね」

 少女はにっこりと微笑むと、少年にそう言ってのけた。


(よし! 第二段階も成功っと。今日はお泊りだ。楽しみだな。由香里ちゃんに言われたように、今日はちゃんと勝負パンツだから、だいじょぶ。ガンバレ、わたし)


 少女よ、何をガンバル気なのだ……。



 一方の少年は、ドギマギしながらも、少女とキッチンにいた。最新のシステムキッチンである。IHコンロや、電子レンジ、大型の電熱オーブンも組込まれている。

「うわぁ、凄いキッチンだね。こんな凄いの持ってるのに、使ってあげなきゃ可愛そうだよ」

「う~ん。電子レンジや湯沸しくらいには、使ってるんだけどなぁ」

「あ、冷蔵庫はこれ? これも、凄くおっきいね。ああ、ドリンクや冷凍のレトルトばっかり。思った通りだ。こんなんじゃ、身体に悪いよ」

「あははは、面目ない」

 少女の指摘に、少年は思わず頭を掻いていた。

「さてー、まずは里芋の皮むきからね。それと、お湯を沸かしておいてっと。ああっと、その前にご飯を炊かなきゃ」

 少女は、イチゴ模様がプリントされたエプロンを着けると、手際よく調理を始めた。

「炊飯器はぁと……これね。よかったぁ、無理してお米も砥いできといて。博くん、お鍋とかフライパンとか、どこぉ?」

「あ、それはこっちの戸棚を開けると、まとめて入ってるよ。ええっと、これと、これで、いいのかな?」

「うん、だいじょぶだよ。博くんは、おやかんでお湯を沸かしててねぇ」

「あ、ああ、分かった」

 さすがにIQ520の天才でも、この場ではただの小間使いである。

 二人は、キッチンで仲良く昼食の準備をしていた。

「博くんって、好き嫌いはある?」

「特に無いけど、納豆と牛乳は苦手かな」

「そなんだぁ。今回の献立には、どっちも入ってないから。うん、だいじょぶ」

「あ、ああ、そうか。ありがとう」

 そんなことを言われても、何か実感が湧かない。家庭の手料理を食べたのは、何年前だっただろうか。

 そうこうするうちに、ご飯が炊きあがった。少女によると、少し蒸らした方が良いのだとか。その間に、食器やおかずを用意する。最後に、ほっかほかのご飯をよそうと、互いに向かい合ってダイニングテーブルに座った。

 さて、本日のメニューはと言うと、里芋の煮っ転がしに、豚肉のしょうが焼き。お味噌汁と、おしんこ、野菜サラダである。

「では、いただきます」

 少年が両手を合わせる。

「何かぁ、新婚さんの食卓みたいだね」

 照れくさそうに、少女が答える。

「え、ああ。そんな感じもするな」

「博くん、結婚するときは、ちゃんとお料理の作れる人を、お嫁さんに選ぶんだよ」

「はは、なら生美で決まりだな」

「そんなの分かんないよ。今は未だお付き合いしているだけ。婚約とか結婚とか、先は長いし。結婚するときには、横に居るのはわたしじゃないかも知れないんだからね」

「そんな風に考えてたんだ。生美って、意外とドライだな」

「でも、『そんなときまでわたしだったらいいな』ってコトくらいは思ってるよ。今は博くんだけだよ」

「俺も、生美以外には考えられないな。こうやって面と向かって話すと、ちょっと照れくさいけどな」

「そだね、はは」

 そんな会話をして、二人は仲良く二人だけの昼食を楽しんでいた。


「ああ、美味かった。ご馳走様です」

「おそまつさまでした」


 食事が終わって、二人で後片付けをした。そして、今はリビングのコタツでくつろいでいた。


「お茶、淹れるね」

「ああ、ありがとう」

「紅茶と日本茶、どっちがい?」

「あーと、じゃぁ紅茶。左側の棚に、茶葉とかティーセットとかあるから、適当に使っていいよ」

「それじゃ、遠慮なく……うわ、このダージリン、凄く高級なやつじゃない。これ茶さじ一杯で千円くらいするよ。こっちの茶器も、ブランド物じゃない。な、何か、使うのが怖いな」

「ああ、それか。開発やら何やらとかのお礼とか。あとは、お歳暮とかで貰った物ばっかりだよ。中味は俺もよく知らないんだけど。毒とかじゃないことは、調べがついている」

「あ、あーと……そなんだ。えーっと、茶葉が開くまでちょっと待っててね。これくらいのフレーバーだと、五分はかけなきゃいけないかな」

 滅多に見ない上物に、少女はドギマギしながら砂時計をひっくり返した。


「もういいころかな。……よし。博くん、お茶できたよ。そっち持って行くね。あ、それから、おせんべとかクラッカーとか買ってきてるから、お茶請けにしよう」

「分かった。ええーと、これかな。おっと、こりゃいっぱい買ってきたな。小遣い無くなるぞ」

「えへへ、博くんちに行くのが楽しみで、つい、いっぱい買っちゃった。お茶のお味はいかがですか、旦那さま」

「ん、……おわ、すげぇ美味い。紅茶って、こんなに美味いものだったっけ」

「んとね、茶葉がよかったからだよ。紅茶は、茶葉の品質や淹れ方で、味も大きく変わるんだよ」

「こんなに美味い紅茶に、せんべいは風情がないな。こっちのクラッカーにしよう」

「あ、わたしにも一つ頂戴。……ありがと。何か、いいよね。こう、まったりしてて」

「そうだな。何か快適すぎて、眠くなってきたな。ちょっと昼寝してもいいか?」

「いいよ。わたしも、適当にくつろいでるから」

「ああ、そうしな」

 少年は朝からの緊張がとけた所為か、いつの間にか、静かな寝息を立てて眠りに落ちていった。少女は、そんな少年の寝顔を、微笑みながら見つめていた。


(さて、お昼が終わったから、次はお掃除かな)


 少年が眠ったのを見て、少女は次の作業に取り掛かろうとしていた。


 少年が眠っていたのは、小一時間ほどであったろうか。目を覚ました少年は、リビングに少女が居ないことに気がついた。

 辺りを見渡し聞き耳を立てると、かすかに<ゴウンゴウン>という音が聞こえる。それが洗濯室の乾燥機であることに気がつくのに、時間は掛からなかった。

「まさか……あいつ、洗濯とかしてるのか。よく場所が分かったな」

 少年は飛び起きると、洗濯室へ向かった。ちょうど少女が別の部屋から掃除機を持って出てきたばかりである。

「生美、何やってんだ」

「ん? 折角だから、お掃除とお洗濯をしとこうって思ったの。よく眠れた?」

「ああ、よく眠れた……じゃなくって。何で洗濯室とか風呂場とか分かるんだよ。まさか、俺の部屋も覗いたとか言うんじゃないよな」

「あのね、コンピューターさんに訊いたの。メンバー登録されたから、何でも教えてくれたよ。こんな感じでね。『榊生美です。博くんのお部屋のドアを開けて下さい』って」

《カシコマリマシタ。どあ開キマス》

 静かな音がして、少年の部屋のドアが開いた。

「ああ、しまった。そうだった。うっかり、上位の権限にしてたんだっけ」

 彼は、迂闊な自分を呪っていた。少女の来訪に浮かれていたのかも知れないと。と、そのスキに、少女はいそいそと少年の部屋に入ろうとしていた。

「わぁ、ダメ、ダメ、入っちゃダメ」

 慌てて止めようとする少年を、軽くいなして少女は、

「どーして? あ、分かった。エッチな本とかあるんでしょう。もうわたしが居るんだから、夜のお友達とはお別れしようね」

 と言うと、掃除機を引きずって行った。

「い、いや、そんなの無いから。ここは自分でやってるから、いいんだよ!」

 少年の主張も、少女には通用しないようだ。トコトコと彼の部屋に入り込む。

「あ、意外。思ったより片付いてる」

 書斎兼寝室の部屋には、端末のディスプレイや大型のカラーレーザープリンタが雑然と備えられ、その隙間に申し訳無いようにベッドが置かれていた。

「いったいどんな部屋を想像してたんだよ。エッチな本なんて無いよ!」

「どーかな? 博くんだって、普通の男の子でしょ。溜まってきたときなんか、どーしてるのかなぁ?」

「どうしてるって……、そんなの、どうでもいいだろう。校正中の論文や、社外秘の資料とかあるから、あ、あまり触らせたくないんだよ」

「ホントにそれだけかなぁ。わたしんち、二つ下の弟が居るから分かるんだよねー。……あっと、不振な本、発見!」

「あ、それは! それは見ないで」

「だぁ~めだよう、見ちゃおうっと」

 少女は逃げながら、ベッドの隅に隠すように突っ込まれていた、帳面のような本を開いた。

「ああああ、見られてしまった」

「あれぇ、これって、……わたしの写真集だぁ」

「ううう、だから見ないでって言ったのに」

 少女が開いた本は、まさしく彼女の写真で埋まっていた。しかも、先週行ったプールの時や、体育の時間のモノまで。いったいどうやって撮影したのか、下から見上げたような、かなりきわどい(・・・・)写真まであった。

「わ、わたしの写真で、処理してたの?」

「め、面目ない……」

「な、何か、複雑な感じ。怒っていいのか、喜んでいいのか、……わけ分からん」

「それも没収ですか、生美様?」

 肩をうなだれて観念した少年を、少女は抱きとめた。

「もう、いけない子なんだから」

「生美?」

「そーゆー時は、わたしを呼べばいいの。すぐに来てあげるよ」

「あ、いや、しかし、そう簡単なものじゃなくって、……ああ、何て言ったらいいか……」

「『男はみんな狼なんだ』って由香里ちゃんが言ってたよ。でも、こんな可愛い狼なら許してあげる」

「え、本当?」

「ほんとだよ。その証拠に……ん」

 少女は少年の首に腕を巻きつけると、顔を重ねた。

「ぷふぁ。ね、これでも信じらんない?」

「生美」

「大好きだよ、博くん」

 頬を染めて見つめる少女に、少年は一瞬あっけにとられたが、何が起こったかを理解すると、

「お、俺も好きだよ、生美」

 と応えていた。

 いつしか、少年の部屋の大きな窓が、真っ赤な太陽を映していた。

「わぁ、明るくておっきいねぇ」

「うん、そうだね」

 そうして、少年と少女の影が再び合わさった。



 こうして、本日も平和に暮れ、人類はその滅亡へのタイムリミットを一日だけ延ばすことができたのだった。




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