天才はメイド様がお好き?
ザワザワザワ──朝の学校は喧騒にまみれている。
ザワザワザワ──少年は、いつもよりも少し遅れて校門を通り抜けた。
その時、少女は、教室でクラスメイトと雑談をしているところだった。
「……へぇ~、そうなんだ」
「でもねぇ、家、弟が猫アレルギーだから飼えなくってさ。仕方ないから、知り合いに引き取ってもらったんだ」
「猫っていいよねぇ。ふわふわしてて」
「それよりさぁ、榊さんって、彼氏とどこまで進んでるの?」
談笑の続く中、唐突に、友人の一人が尋ねてきた。少女はきょとんとすると、こう応えた。
「彼氏って、誰? の事……」
「とぼけなさんな。あの美形天才少年のことに決まってんだろう」
「博くんの事?」
そうは答えたものの、少女は、ピッタリと当てはまる言葉が思いつかない。
「当たり前じゃぁないの。あんなにいつも一緒にいたら、そう思われない方が変じゃん」
友人の中でも活発な方──大木由香里の追求は絶えなかった。
「そ、そかなぁ? 別段、彼氏とか思ったことないし。お付き合いしてる、ってことでもないんだけど……」
少女は少し赤くなると、俯き加減にそう応えた。
「それに、告白もしてないし……されてないし。……えとぉ、なんていうかな。あのね、側にいるとホッとするって言うか、いごごちいいなぁってゆーか。それだけ、なんだけど……」
煮え切らないような少女の言葉に、友人は、飛び上がる程に驚いた。
「ええー! うそぉ、それじゃあ、キスとかも未だだったりするの」
「や、やだぁ、そんなの出来ないよぉ。……は、恥ずかしいし」
その単語は、初心な少女には過激だったようだ。だが、追求は、未だ終わらない。
「生美ちゃん、そんなんじゃダメだよ。無愛想なところさえなけりゃ、あんな美形男子、他にいないよ」
「それに、あいつんとこ、すげぇー金持ちらしいじゃない」
遂に、話題は少年の財産にも及んだ。少女は答える。
「うん。何か、特許とかがいっぱいあって、ライセンス料だけで暮らしてけるんだって」
彼から雑談混じりで聞いたことを、そのまま口にしただけだった。でも、友人達からは、更なるどよめきがあがった。
「マジで!」
「阿久津、マジ、スゲー!」
「ほんと、凄いじゃん。生美ちゃん、玉の輿だよ! 絶対に逃がしたらダメなんだからね」
そんな周りの状況に、少女は戸惑うばかりだ。
「で、でもさ。……付き合うとかって、何かよくわかんないし」
少女は赤くなると、本当に俯いてしまった。そんな少女を力付けるように、周りから声が押し寄せる。
「榊さん、そんなこと言ってたら、他の娘に取られちゃうよ」
「そんなコト言われたってさ。わたし、ドジだし、とろいし、何にも無いところでコケたりするし。……顔だって十人並みだし。良いとこないし。……釣り合わないよ」
「そんなことないよ。生実ちゃん、可愛いよ」
「だいたいな、そのひっつめ髪がいけないんだな。ほれほれ、オネエサンがキレイにしてあげるから」
そう言いながら、クラスメイト達は少女の周りに集まると、お下げの三編みを解き始めた。
「やだよー、髪なんて、このままでいいよー」
「まぁまぁ、そうおっしゃらずに」
多勢に無勢。とうとう、結われていた少女の髪は、解かれてしまった。
「生実ちゃん、もちょっと顔上げて。……う~ん、ナチュラルウェーブのロング。このままでも結構可愛いんだけどなぁ……。ちょっといじった方が良さそうね」
そう言うと、友人の一人が彼女の背中側に回った。解けた頭髪を、頭の後ろで束ねてみせる。
「ポニーテールねぇ。なかなか似合ってるけど……。もうちょっと、インパクトが欲しいわね」
「じゃ、これは?」
そう言うと、今度は髪を二つに分けて、頭の左右で握った。
「ツインテかぁ。ちょっと、元気っぽ過ぎない?」
「もうちょっと清楚な感じにしようよ」
「んー、じゃあ、これは?」
最終的に、少女は友人達の玩具にされてしまっていた。
それからしばらく経った頃。少年が教室のドアをくぐった時、少女達は未だ塊って騒いでいた。
(何やってるんだ?)
「あっ、彼氏登場」
「彼氏だ」
「彼氏ー」
(え? 俺のことなのか? 彼氏って何だ)
少年は手招きされるままに人垣へ向かった。
「じゃじゃ~ん、こんなん出来ました~」
と言われると同時に、人垣が左右に開かれた。
(何だ? ……そう言えば、生実の姿が見えないぞ)
彼が不審がっていると、周りからこんな声があがった。
「ほら、榊さん、顔上げて」
「う~、やだよぉ。恥ずかしいよぉ」
(え? 生実って。生美の席にいるのって……、誰だ?)
少年が怪訝に思っている時、目の前の席に座っていた少女が顔を上げた。
「ひ、博くん。……変じゃない、かな」
「い、生美なのか?」
少年は、その場に立ち竦んだ。髪型の変わった少女に見惚れてしまったからだ。
(可愛い……)
「今日は時間も押していたので、シンプルにポニテにしてみましたぁ」
「どう? 可愛くなったでしょう。惚れ直した?」
「う、うん」
(し、知らなかった。女の子というのは、髪型だけでこうも変わるのか)
この世に知らぬことなしと思っていた少年は、初めて知った現象に少なからずショックを受けていた。
「さぁさ、もっと近くで見なよ」
「い、いいのか?」
「やだぁ、恥ずかしいよ」
「えっ、ダメなのか」
少女は赤面すると、再び俯いてしまった。そんな彼女に、少年は少し近寄ると、マジマジと観察し始めた。
「阿久津君、ご感想は?」
「えっ。か、可愛い」
「でしょ、でしょ。やっぱ、シンプルにポニテでまとめたのは、大正解だったね」
「ポニテ、って何だ?」
初めて聞く単語に、彼は問い返した。
「ポニーテール。この髪型の名前だよ」
「髪型に名前なんてあるのか?」
「ほほう、稀代の天才少年にも苦手分野があったか」
少年は、幼少期を海外で過ごし、生活のほとんどが学究に費やされていた。従って、このような日常文化については、不得手が少なからず存在した。
「あのなぁ、阿久津くん。女の子ってのはなぁ、髪型のほかにも着る服やアクセサリで、すんごく変わっちゃうんだぞ。その辺のことをだなぁ、生美ちゃんの彼氏としては、もう少し知っておいた方がいいんじゃないかと思うぞ」
少女の友人達にそう言われて、少年は思わず頷いていた。そして、もう一度、少女をマジマジと観察する。
(か、可愛い)
「どうしたら、髪型とか服装とかに詳しくなれるんだ? 教えてくれ」
少年は、まじめな顔で訊いた。
「え? えーと、どうしたらいいって……。あたしは、その辺のファッション雑誌読んだり、ヘアサロンで聞いたりしてるだけなんだけど」
「そういやさぁ、最近は、インターネットでも髪型とか洋服のアレンジとかができるサイトなんかがあるよ」
少年は、生真面目にそれをメモると、
「よし、分かった。俺はちょっと用事を片付けてくる。後は頼んだぞ」
と、それだけを言い残して、さっさと教室から出て行ってしまった。何処へ向かったのかは、少女や友人達にも分からなかった。
「な、何あれ?」
「う~ん、天才のやることは、凡人には分からんわ」
そこへ、今までずっと俯いていた少女が割り込んだ。
「わたし、もういかなぁ。いつもの髪型に戻したいんだけど……」
弱々しく呟くような声に、
「ダメ! 今日は一日、それだからねぇ」
と、否が下された。
「ひ~ん、そんなぁ」
少女は、恥ずかしさでいっぱいいっぱいになってしまっていた。
その後、午前の授業の間も、少年は戻ってこなかった。
「ん~、阿久津は休みかぁ?」
「先生、阿久津くんはサボりで~す」
「そうか、サボりね。まぁいいか。あんなヤツの前で授業やっとると、どこかで間違いを指摘されそうで、気が抜けんからなぁ。助かった、今日はリラックスして授業がやれる」
「あははははは」
「よし、授業始めるぞ。ん~と、お、見かけない美人がいるなと思ったら、榊か。よし、教科書52ページの英文を読んでくれ」
「は、はい」
指名された少女は、立ち上がって教科書を読み始めた。
少年が教室に戻ってきたのは、午後の授業が終わってしばらくした頃だった。
「あ、彼氏生還」
「彼氏だ~」
「生美ちゃん、彼氏帰ってきたよ~」
周りから囃し立てられて、二人とも顔を赤くして俯いていた。そんな彼に、少女の友人達の一人が声をかけた。
「そういや、阿久津ぅ。あんた、授業サボって何しに行ってたんだ?」
そんな質問に、少年は、ぶっきら棒に返答した。
「ん? ああ、情報収集だ。この俺に分からないことがあるなんて、許されないからな」
「何だそりゃ」
周囲の怪訝そうな顔を物ともせず、少年は彼女達に近づくと、こう宣言した。
「俺は、女性のファッションを制覇したぞ!」
思いもよらなかった発言に、
「何それ。ちょーキモいんですけど」
と、女子達の一人が応えた。まぁ、当然の反応だろう。
対して少年は、その女生徒を指差すと、
「ボブカット」
と言ってのけた。
「え? 髪型のこと? ん、まぁ、あってるけど……」
次に、別の女子生徒を指差すと、
「ツーサイドアップ」
と、その娘の髪型も指摘した。
そうやって、少年は次々に女生徒達を指差しては、髪型の名前を当てていった。
「まさかとは思うけど……、アンタ、もしかして、授業サボってそんなこと調べてたの?」
「その通り。もうこの俺に『ファッションセンスが無い』、などとは言わせんぞ」
「は、はぁ……」
皆が呆れる中、少年は更にこう続けた。
「服の方も極めたぞ。ブレザー、セーラー服、メイド、ゴスロリ、猫耳、ウマ娘……。どうだ、参ったか」
両腕を胸前で組んで悦に浸っている彼に対し、細やかながら反論が出た。
「あのう、それ、ちょっと方向が間違っているんですけど」
「え? 違うのか! 俺の調査では、東京に於いて流行っているそうなんだが」
「それはですねぇ、一部地域に限っての事でして……」
その言葉に、少年のプライドは、再び打ち砕かれていた。
「そ、そうだったのか。もっと根本的なところから調べねばならんようだな……。よし、今日はもう帰るぞ、生美」
「は、はい」
いきなりそう言われた少女は、おたおたしながらも帰る準備をし始めた。
こうして、二人は教室を、学校を後にし、家路につくこととなった。
帰り道、少年と少女は並んで歩いていた。どちらも、時々、相手をチラ見しながらである。
(生美のポニーテール、可愛いな。俺が色々憶えて、更に可愛くしてやるからな)
(ううう、恥ずかしいなぁ。博くん何にも言ってくれないし、やっぱり似合ってないのかなぁ。明日はいつもの三編みにしよ)
彼女がそんな事を思っていた時、突然、少年の方から声を掛けてきた。
「なぁ、生美。ちょっと、そこの公園に寄ってかないか」
前フリもなく言われた所為で、少女は少しばかり戸惑った。だが、断る理由も思いつかなかったので、主是した。
「え? いいけど、何?」
対して、少年の答えは、次のようなものだった。
「あ、ああ。ちょっと、実験したいことがあってな」
そう言ったものの、少年もそれっきり黙ってしまった。少し顔が赤い。
(何だろ、博くん)
二人は公園に入ると、近くに見つけたベンチに、並んで腰を下ろした。
そんな時、先に声を掛けたのは少年だった。
「あのなぁ、生美。ちょっと、頼み事があるんだけど、……いいかなぁ」
「えっ、なぁに。わたしで出来る事だったらいんだけど」
少女の了解を確認した少年は、鞄の中からスティック状の棒のような物を取り出しながら、
「実は、これは授業をサボって……、いや情報収集と並行して作った試作品なんだ。これを……」
しかし、残念ながら、頼み事の続きは次の罵声で遮られた。
「あ、いたぞ。阿久津だ!」
「見つけたぞ、阿久津。今日こそは、ただじゃおかないからな!」
やってきたのは、先日とっちめたばかりの不良少年達であった。
「お前等かよ。いいところで邪魔しに来やがって。ウザイんだよ。お願いだから、ケンカでもナンパでも、他所行ってやってくれよ」
少年は、本心からそう思っていた。
「うるせぇ、てめぇには、いくつもの借りがあるんだ。今度こそ、返させてもらうぜ」
「俺には貸した覚えはねぇな。とっとと、どっかへ行っちまえよ」
大事な実験を邪魔されて、少年の機嫌は一気に悪くなった。
「てめぇのおかげで、こっちは、面子丸潰れなんだよ」
「今日こそは逃がさねぇぞ」
「こないだの落とし前、つけるんだからな」
一見しただけで、如何にも頭の悪そうな彼等に、少年は辟易していた。遂に我慢の限界に達したのか、ベンチから立ち上がって、不良達に立ち向かうように彼等を睨みつけた。
「生美を可愛くしようと思って作ったモノだったが……。最初の実験は、お前達ですることにしよう」
彼は、低い声でそう言うと、件のステッキのようなモノを右手に持つと、不良達に差し出すように掲げた。
「何だっ、また卑怯な手でくるのか」
「そうだ、卑怯者め」
少年の手の内を読めない不良達は、口々に罵声を飛ばした。
「数を頼りにやってくるお前等に、卑怯者呼ばわりされたくないわ! そんなお前らに、俺からのプレゼントだ。ありがたく受け取れ」
少年はそう言うなり、ステッキの一部を指で押し込んだ。きっと、何かのスウィッチであろう。すると、ステッキの先端から、金色の微粒子が迸った。それは、公園の空を埋め、不良達に降り注いだ。
謎の粒子を浴びた不良達は、数秒としないうちに光輝き始めた。
光っている。彼等の服が光っているのだ。
のみならず、光に包まれた彼等に更なる異変が起こり始めた。
「はははぁ、どうだ。お前等の浴びた微粒子は、俺特製のマイクロマシンだ。洋服の繊維や空中の元素を取り込むと、予めプログラムされた服にドレスアップするように仕込んである。もっとも、お前等にに似合う服などありはしないがな。だが、安心しろ。採寸はしていなくても、ちゃんとお前等の体格に合わせるようになってるからな」
少年の言葉に危険なモノを感じた彼等だったが、知能の現界を超えた情報には処理が追いつかない。
「な、何じゃぁ、こりゃ」
「くそっ、卑怯な手を使いやがって!」
口々に罵る不良達は、どうしてか、足を動かせないでいた。そんな様子も十秒程。しばらく経つと、不良達の服が変形を終えた。同時に、眩い光も消失する。
「な、何じゃ、コリャ」
なんと、彼等の学ランは、ひらひらのリボンで飾り立てられた『メイド服』に姿を変えていたのだ。
「あははは、こりゃあお笑いだ。近くの茶店にでも雇ってもらえよ。いいアルバイトになるぞ」
嘲るような少年に怒りをぶつけようにも、メイド服では格好がつかない。
「兄きぃ、こんな格好じゃ恥ずかしくてやってられませんよ」
「こんなのを人に見られたりしたら」
「阿久津めぇ。何て卑怯なんだ!」
怒り心頭の不良達だったが、この恰好を見られるわけにはいかない。
「ちきしょう、阿久津。今度あったら、ただじゃおかないぞ」
「覚えてやがれ!」
と、お決まりの捨て台詞を吐くと、その場から我先にと撤退して行った。
不良たちの撃退に成功した少年は、改めて少女に実験の申し出をしようとしていた。
「それでなぁ、生美、俺の頼みというのは、これを使って……」
「ひ、博くん。わ、わたしに、あんな恰好をさせようとしてたの?」
「う~ん、単刀直入に言うと、そうなんだけど……。ダメ、かな?」
「ダメ」
「え~、どうしてだよ。生美なら、似合うと思うぞ。絶対、可愛くなるぞ」
強情にダメと言われては、少年もムキになってしまう。
「絶対にダメ。……だって、恥ずかしいじゃない」
(もうちょっと大人しい服だったら、OKしてあげたのに。……博くんの、バカ)
「ちょっとだけだからさぁ。実験に付き合ってくれよ。お願いします、生美様」
「ダメダメ、絶対ダメ。博くんのヘンタイ、オタク」
「そんなこと言わずにさぁ」
「ダメったらダメ。絶対ヤ」
「ちょっとだけだから」
「嫌なものはヤなの」
そんなこんなで、今日も少年の才能は無駄に消費され、人類はその滅亡へのタイムリミットを一日延ばすことになったのだった。