初デート
その日、少年はいつもより少し遅い朝食を摂っていた。今日は休日である。
ふと時計を見ると、少女との待ち合わせの時間には、未だ一時間の余裕があった。今日は、二人でショッピングをすることになっていた。朝食の後片付けを終えると、少年は手早く身嗜みを整え、出発の準備を始めた。
約束の場所に着いた時、少女は未だ来てはいなかった。時間は未だ充分ある。少年は、自販機で缶コーヒーを買うと、近くのベンチに腰を下ろした。
休日に二人だけで過ごすのは、初めてのことだ。少年はやや緊張した心持で、少女が現れるのを待っていた。
(今日は何処へ行こうか。別段計画も無いし……、生美に合わせるか。天気予報では、夕方から小雨だったな。帰りは、少し早い時間がいいだろう)
少年は、念の為に持ってきた折畳み傘が鞄の中にあるのを確認すると、ベンチの背もたれに身をあずけた。
「お待たせぇ」
少女は、五分ほど送れて待合せ場所に到着した。走って来たらしく、息が上がっている。
「ご、ごめんねぇ。仕度してたら……はぁ……じ、時間がかかっちゃ……って」
少女は、しばらくの間、両手を膝頭に置いて上半身を支えていた。そんな彼女に、少年は声をかけた。
「気にすることはない。俺も、さっき来たところだよ。今日は……、三編みじゃないんだな。ツーサイドアップ……っていうのかな」
「ごめんね、結ってる暇がなくなっちゃって。……へ、変じゃないかな?」
ようやく呼吸が楽になったのか、少女は腰を伸ばすと、髪を手で整えていた。そんな彼女の仕草さえ、少年には愛おしかった。
「すごく似合ってる、可愛いよ」
と、少女の事を褒めたものの、照れくさくなったのか、彼は公園に設置されている大時計へ目を向けた。
「ホント? へへへ、よかったぁ。ごめんね、ちょっといっぷくさせてもらっても、いかな。走って来ちゃったから」
「別にいいよ。ここ空いてるから、座れよ」
「うん、ありがと」
一言ことわって、少女は少年の隣に腰掛けた。
「博くん、今日はいつもの学ランじゃなくて、ブレザーなんだね。何か大人っぽいね。……か、恰好いいよ」
「そうか? ありがとう。生美も、その服すごく似合ってる」
少年は、いつに無くにこやかに対応していた。
(緊張を緩和するナノマシンを摂取しておいて、良かった。あんまり可愛いから、俺、ちょっと変になりかけてた)
そう。それも、彼の発明品の一つだった。未だ試作品だったが、この程度の用途には充分に役に立つ。
「それじゃぁ、そろそろ行こうか」
「うん」
しばらくして少女が落ち着いた頃合いに、二人は連れ立ってベンチを後にした。
「何処へ行こうか? お昼には未だ早いから、買い物かな」
「そだね。ずいぶん寒くなったから、冬物をもう少し買い足したいんだけど」
「服屋かぁ。この辺にいい店なんて、あったかなぁ?」
「あっちのショッピングモールに、色々なお店があるんだって。そこで、い?」
「なるほど。じゃあ、そうしよう」
「うん、ありがと」
そんな会話をしながら、二人は、ショッピングモールへと歩き始めた。
登下校以外で、二人だけで並んで歩くのは、今回が初めてである。
級友からは彼氏彼女と呼ばれているが、今日のようなデートですら、初めてだったのだ。それ故か、少女はかなり緊張していた。
(周りからは、どう見えているのかな。わたし、博くんとちゃんと釣り合ってるかなぁ。で、でも……、きょ、今日はがんばらなくっちゃ。由美子ちゃんの言うとおり、勝負パンツじゃなきゃダメだったかなぁ)
少女は、ある決心をしてきていた。それも緊張の原因であった。
実は、少年も、少女と同じ事を考えていたのだが。
(も、問題は、タイミングだ。シミュレーションでは九十九%の成功率だったし、今日はナノマシンで緊張を抑制してある。おい俺、勝負どころだぞ。ガンバレ、俺)
二人は仲良くウィンドウを見ながら歩いていた。はたから見れば、だが。
「あ、あの服、可愛い」
「どれだ?」
「あの左端のやつ」
「そうか……。ちょっと入ってみようか」
「いいのかなぁ」
「いいに決まってるだろう」
そんなやり取りの後、二人は店内に入っていった。少年は、こんな店に入るのは初めてだった。少女も、父兄同伴以外では入ったことは無い。こんな状況では、嫌でも緊張してしまう。
だが、少年には『ナノマシン』という味方がある。何事もないような顔で、洋服を物色している少女を、少し離れた場所から眺めていた。
「博くん、こんなのは、どかなぁ」
少女は水色のワンピースに、白のカーディガンを合わせたものを手にしていた。
「どれどれ? 良いんじゃないかな。試着してみたら」
「でも、いいのかなぁ。冬用にしては少し薄手だし、値段も結構高いし……」
「大丈夫だよ、行っておいで」
「そ、そう? じゃ、ちょっと待っててね」
そう言うと少女は服を手に、試着室に入っていった。
「おまたせぇ。どかな、これ」
試着室のカーテンが開くと、少女はくるりと回って自分の姿を少年に見せた。カーディガンの裾がふわりと舞い上がる。
「うん、いいんじゃないかな。よく似合ってるよ」
「そか、ありがと。……でもなぁ、ちょっと高いし。うん、今日は試着だけにしとこ」
「買わないのか?」
「う~ん。ちょっと予算オーバーなんだ、エへへ」
「そうなのか。折角よく似合ってるのに」
「いーの。色々試着するのが楽しいんだから。違うのにするから、もうちょっと待っててね」
そう言うと、少女は再び試着室のカーテンを閉じた。
それから二人は、色々見立てながら、店の中を回って歩いた。
「これなんかどかな。おそろいのセーター」
「うん、暖かそうだね」
「値段も手ごろだし、これにしよかな」
「いいんじゃないかな」
少年は二着のセーターを受け取ると、レジのある方へ向かおうとしていた。
「あ、わたしも払うよ。一つはわたしのだし」
「いいよ。少しは、俺にも格好良いことをさせてくれよ」
「そお。……じゃ、今日は甘えとくね。そのうちどっかで埋め合わせするから」
「期待してる。じゃ、しばらくその辺で待ってて」
「うん、わかった」
そう言って、少年はレジへ向かった。
しばらくして、彼は紙袋を下げて返ってきた。
「生美、今、何時ごろ? 服みてたら、結構時間掛かったな」
「なに? 時間。……んとね、一時過ぎくらいだよ。何か、お腹空いてきたよな気がするね」
「お昼どきを逃したからな。まぁでも、これくらいの時間帯の方が混まないから、いいかも知れないね」
「そか、じゃあ次は、なんか食べにいこか」
「何食べたい?」
「そだねぇ、パスタとか……かな。ど?」
「成る程、パスタね。あっちの方に行くと、美味しい店があるらしいぞ。どうする、生美」
「うんっ。そこにしようよ」
意見がまとまったので、二人は、レストラン街へと向かった。
目的の店は、レストラン街の中央付近にあった。案の定、客はもう引け時で、さほど待たずに席に座ることができた。
二人でテーブル席に座り、二人でメニューを見て、二人で注文を考えた。
「生実は、何にする?」
「わたし、カルボナーラにしよかな」
「じゃあ、俺はこのキノコと海鮮のパスタにしよう」
店員にオーダーを告げると、しばらくして注文の品が運ばれてきた。
「お、なかなか美味そうだな」
「ほんとだね」
「いつもの弁当も美味いけど、たまにはこんな昼食もいいな」
「そだね」
二人は他愛のない雑談をしながら、食事を楽しんでいた。
「あぁ、喰った喰った」
「わたしも、お腹一杯」
「さて、これからどうする? 夕方くらいから雨になりそうだから、あんまり時間のかかることはできないけど」
「そなの? わたし、お天気の事とか全然考えてなかったよ」
店から街路へ出てみると、なるほど、さっきまでの青空が雲で覆われていた。
「この空模様じゃ、危なそうだな。そろそろ退散するか」
「そだね。でも残念。もっと博くんと遊びたかったな」
「俺もだよ、生美」
空模様を心配しながら、二人は家路へと急いでいた。
そんな時、
「そうだ、生実。ちょっと、そこの公園に寄ってもいいかな?」
「いいけどぉ、何?」
「ん? 未だ店で買ったものとかを分けてなかっただろう」
「あ、そか。わたし、すっかり忘れてたよ」
二人は公園に入ると、手近なベンチへ腰を下ろした。
「紙袋を余分にもらってきてたんだ。これを使って分けよう」
あらゆることに用意のいい少年に、少女は少しばかり驚いていた。自分達の間──ベンチの上に、買ってきた物を分類しながら置いていく。少年は、その手際もよかった。
「色々買ったよねぇ。でも、博くんがほとんど払ってくれて、なんか悪いなぁ」
「いいんだよ。俺が買ってやりたかったんだから」
「あれ、この包みって何? わたし、覚えてないんだけど」
「あ、これか。今日試着したワンピースとカーディガンだよ。よく似合ってたから、つい買っちゃった」
そう言う少年は、包みの中身を少女に見せた。
「そんなの、無理しなくてよかったのに。高かったでしょう」
「お前も知ってるだろう、俺んち金持ちなの。それに、生実の着てるところをもっと見たかったから」
「ごめんね。ありがとう、大事にするね」
「もっと欲を言えば、着るのは俺の前でだけにして欲しいとか……なんちゃって」
少年は、少しだけ顔を赤くすると、そんなことを呟いた。
「うん、わかった。ホント、ありがとね」
そうやって、めいめいの荷物を分け終えても、二人はベンチから動こうとしなかった。
無言の時間が流れる中、遂に少年が口を開いた。
「あ、あのな……、ちょっと、生実に言っておきたいことがあって……」
「え? わ、わたしも。わたしも、博くんに聞いてもらいたいことがあったんだ……」
双方とも赤くなりながら、同じようなことを言っていた。
「じゃあ、生実が先でいいよ」
「えっとぉ、うんと、博くんが先でいいから……」
「そ、そうか。なら俺から」
(くそ、ナノマシンが効いているはずなのに、すごく緊張してきた)
「あ、あのな、俺、生実のこと、……ずっと前から、す、好きだったんだ。俺なんかでよかったら、付き合ってくれないかな?」
(あああ、言ってしまった。い、生美は、……どう、答えるんだろう)
「わ、わたしも。わたしもね、博くんのことが、好き。……でも、わたしなんかで良いのかな? わたし、ドジだし、とろいし、……博くんとは、全然釣り合ってないかも知れないし。……でも、それでも、付き合ってくれる?」
「何言ってんだよ、生美は可愛くて、いつも側に居てくれて……。それで気持ちが落ち着くってゆうか、安心してられるんだ。他の女の子じゃ、駄目なんだよ」
「わたしも、博くんに側にいてほしい」
「……生美」
「博くん……」
少年は少女の肩をつかむと、ゆっくりと引き寄せた。少女も、それを拒みはしなかった。そして、二人の顔が間近に迫り、重なり合おうとしたとき……、
「ダメ」
と言って、少女が拒んで少年を突き放した。
「な、何で? やっぱり、俺のことは……」
「へ? あ、ち、ちがくて。……えっと、あれ」
耳まで赤くなった少女は、公園の木の密生しているところを指差した。そこには、この前に因縁をつけてきた不良集団の姿があった。
「お、お前等ぁ。そんなところで、何してるんだよ!」
「あ、見付かっちった」
「今……、今なぁ、すっごくいいところだったんだぞ。あと、ホンの少し、だったんだぞ!」
少年は半分涙目で、不良達に訴えた。
「あ、あーっと。俺達のことは気にせず、続きをどうぞ」
「どうぞどうぞ」
「今更、そんなこと出来るかよ。折角、いい雰囲気だったんだぞ。もうちょっとだったんだぞ。それが、お前等の所為でぶち壊しだよ。ちっきしょう、どうしてくれるんだよ」
「どうしてって……なぁ」
「そうだよ、なぁ……」
「……も、もう許さないぞ。今度という今度は、本気でお仕置きしてやる。かかってこい! 今すぐ、ぶっ潰してやる」
怒り心頭の少年に対し、不良達は引っ込み気味だった。『悪いことをした』という自覚があったのだろう。間も悪かったし。
「そう言われたってなぁ……」
「何か、今日は、そんな雰囲気じゃないから、無しってことで」
「俺達、引き揚げるからさぁ、貸し借りなしってことで」
それが、彼等なりに気を使った言葉だったのかも知れない。しかし、少年の方は、決して許す気は無かった。
「それじゃぁ、俺のこのやり場のない怒りをどうしてくれる。絶対に逃さないからな」
そう叫んだ少年の足下から、黒い影のような塊が這い出てきた。以前に、学校の屋上で見たマイクロマシンの集合体に似てなくもない。
「うわ、な、何だこりゃ」
「まさか……アレか。に、逃げろ! 虫に襲われるぞ」
これから起こる恐ろしいことに勘付いた不良達は、急いで逃げ出そうとしていた。しかし、奇妙に蠢く黒い塊は、無数に分裂して彼等に飛び付くと、服の中へ入り込み、更に皮下へと侵入していったのだ。
「こりゃ、何だ」
「気色悪いぞ」
「阿久津め、何しやがった」
不良達は、逃げるのも忘れて、身体に取り付いた不気味なモノを振り捨てようと暴れていた。だが、それは、無駄な行いだった。五秒もしないうちに、彼等は全身を掻きむしりながら、その場で、七転八倒をし始めたのだ。
「か、かかか、痒いぃ。痒い、痒い、痒いー」
「くそ、何だこりゃ。痒い。何て事しやがるんだ」
「うおおぉ、痒い。むちゃくちゃ痒い!」
少年は、公園で転げ回る不良達を、冷たい目で眺めていた。
「それは、俺特製の特殊なナノマシンマテリアルだ。皮下に潜り込むと、痒み物質であるヒスタミンを生産・分泌し続ける。細胞と同化してヒスタミンの分泌が終わるのは、明日の朝だろう。それまで、全身の痒みに耐えられるかな」
少年は、殺虫剤から逃げ惑う害虫でも見るような眼差しをしていた。
少女の方はというと、ベンチの影にしゃがんでいた。両手の平で、真っ赤になった顔を覆っている。
そんな彼女の事を気遣ってだろう、少年はベンチを一周して少女の元へと戻ってきた。
「ごめんよ、生美。もっと違った場所を選んでおけばよかった」
「……うん」
「あ、あれ、生美。今日は、俺のことを怒らないんだな」
彼は、いつもとは違ったリアクションに、戸惑っていた。
「だ、だって、……わたしだって怒りたくなることだってあるもん。こ、こんな恥ずかしいの、もう無理だよう」
「悪い……。俺のこと、嫌になった?」
「ううん」
彼女は、彼の方を向かずに、声だけで返事をした。
「付き合うって話、ダメかなぁ」
「そんなことないよ。むしろ、わたしにはもったいないくらい。ホントに、わたしでいいの?」
そこで初めて少女が顔を上げた。それを、少年は優しい面持ちで迎えた。
「当たり前だろう。でなきゃ、緊張を緩和させるナノマシンを服用してまで今日に臨まないよ」
柔らかく言う少年は、地面にかがみこんでいる少女を抱き止めた。
「こっから先は、誰も邪魔しないところで。ね」
「ん」
そう言う少女も、少年を抱き締めた。
いつのまにか、細い雨が二人を濡らしていたが、少年も少女も気にはしていなかった。
「明日から、わたしたち、彼氏彼女なんだね」
「そうだな」
小雨はいつまでも二人を濡らしていた。
しばらくして公園を後にした二人は、折りたたみの傘の中にいた。
少女は、少年の片腕にすがるように寄り添っていた。少年も少女も何もしゃべらなかったが、二人の心は暖かい雰囲気に包まれていた。
そうして、人類はその滅亡までのタイムリミットを一日分延ばすことができたのだった。




