修学旅行に行こう
時間はあっという間に過ぎ、今日から二泊三日の修学旅行だ。
少年達は、こだま号で京都へ向かっている最中であった。
「ああ、寝みい。何で、こんな各駅停車で、京都くんだりまで行かなきゃならんのだ」
我知らず、少年は愚痴をこぼしていた。
「仕方ないよ、博くん。近くの新幹線の最寄りの駅には、こだま号しか停まんないんだから」
「田舎はやだねぇ、生美ちゃん」
「由香里ちゃんも、そんなこと言わないの。こうやって、ゆっくり景色眺めながら行くのも良いんじゃない」
「時速200キロ以上で走ってるのに、景色も何も無いだろう。それに、トンネルや防音壁の方がよっぽど多いんだぜ」
「博くん、そんな実も蓋もないこと言わないでよ」
「ああ、分かったよ。んじゃ、黙っとく」
少年はムスッとすると、とうとう口を噤んでしまった。
(ホントは、こんなバカみたいなことで喧嘩なんかしたくないんだけどな)
心の内では、少年も後悔していた。
(そういえば、よく考えたら、俺って修学旅行に行くのって初めてじゃないか? 日本の小学校も中学校もまともに通ってなかったしなぁ。本来、修学旅行って何しに行くんだ? よく考えたら解らんことだらけだ)
そう思った少年は、少女達に訊いてみた。
「なぁ、修学旅行って何の為に行くんだ?」
少年は素直に自分の疑問を伝えたつもりだった。
「珍しいね、博くんが誰かに質問するなんて」
少女は、少しビックリして、目をパチクリしている。
「だって、俺、修学旅行って初めてだから」
そんなやり取りに、周囲も話に加わってきた。
「えっ? マジ。阿久津って、旅行なんかバリバリに行ってるかと思ってたよ」
由香里の言うのも尤もではある。
「旅行そのものは、たくさん行ってるよ。各国の研究機関を渡り歩いてたからな。でも、『修学旅行』みたいな団体旅行って、経験したことがない。だって、俺、日本の小中学校に通ってなかったからな。日本以外の国には、ソレ的なモノって無かったし。そもそも、俺の身分からして『学生』じゃなくて『研究職』扱いだったからな。それに、そもそも観光旅行なんかに行った記憶がない。旅行って、ただの移動手段だったから」
「ふむふむ、聞いてみると可哀想な話だな。学生にとっての修学旅行は、社会体験の場なんだ。大人になって社会に出て、仕事の出張や何かで旅行するときに、ちゃーんと出来るようにするために、こうやって体験させとくんだな」
「そなの? あたしは、運動会や文化祭みたいな、学校行事の一つって考えてたけど」
「由香里ちゃん、修学旅行は遊びじゃないよ」
少女がそう言うと、少年はますます分からなくなってきた。
「生美、遊びじゃなかったら、何を勉強しに行くんだ?」
「だから社会体験だよ、社会体験」
「本当かなぁ」
少年はまだ納得がいかないようである。
「そんなに深刻にならなくっていいじゃん。皆で楽しく観光旅行が出来るんだから」
との由香里の言葉にも、少年は、
「お前はいつも呑気だな」
と返していた。
そうするうちに、新幹線は京都駅に到着した。
列車から降りると、彼等はホームでクラスごと班ごとに並ぶと、点呼をとられた。
「これから駅を出て、一旦ホテルに入ります。ホテルにチェックインしたら、今日は金閣寺や北野周辺の神社や仏閣を見学します。皆さん、高校生として相応しい行動をとって下さい。では、これから順番に改札口に向かいます」
先生がそう言うと、一組から順番に駅の改札を抜ける。そして、その先でも並ばされるのだ。
そうするうちに、少年達のクラスの番になった。彼が改札を抜けようとした時、少年に声をかける者がいた。
「阿久津先生。お久し振りです。K大の門田です。ドイツではお世話になりました」
「おう、久し振り。元気してるか?」
「はい、それはそれは。ところで、今日は阿久津先生に折り入ってお話があるのですが」
門田はそう言うと、少年の手を引っ張って連れて行こうとした。
そこへ、担任の教諭が急いでやって来た。
「あなたは何です。この子はうちの学生で、今、修学旅行中なんですよ」
そう言われて門田は、懐から名刺を取り出すと、担任に渡した。
「私、K大で教授をしております門田と申します。今日は、阿久津先生が京都に来ると知って、ぜひともお願いしたいことがあって参りました」
「K大って、K都大学ですか! そんな人がうちの学生に何の用があるんですか」
「阿久津先生、是非ともこの理論式の計算と、データとの突合せを行っていただきたい」
門田教授の強引な申し立てに少年は否と応えた。
「俺は嫌だ。今日は修学旅行で来たんだ。お前の為じゃない」
しかし、門田教授は引き下がらなかった。
「お願いです。これが出来なかったら、次年度の予算が出ないんです。数学課に依頼したり、スーパーコンピューター『垓』を駆使しても、出来ないんです。もう頼れるのは阿久津先生しかいないんです。お願いします。論文も連名にしますから」
「それって、俺が内容と英文のチェックをやるってことだよな。やだよ、そんなの」
「お願いします。もう頼れるのは阿久津先生しかいないんですぅ」
門田教授は、最後には半泣きになっていた。
「修学旅行中に生徒がいなくなるなんて不祥事は、見過ごすことはできません。お引取りください」
担任は、しごく当然な反論をした。そこへ門田は懐から何かしらの紙束を取り出すと、
「先生、これは今日泊まるホテルの周辺で使える、割引チケットです。普通の旅行雑誌には出ない隠れた名店のものもあります。是非とも使って頂きたい」
そう言って、彼は紙束を担任の手に握らせた。
(しまった。うちの担任、賄賂に弱いんだった)
門田教授は、未だまだ攻撃の手を緩めようとはしなかった。
「更にこの学生を付けましょう。この子は、京都生まれの京育ち。京都のことなら、土産を安く買えるところも、隠れた銘酒を呑めるところも知っています。その代わり、阿久津先生を何とかお借りできないでしょうか」
担任は少し考え始めた。
「待ってくれよ。俺の初めての修学旅行を、下らないことで台無しにしないでくれ!」
「阿久津先生、こっちも背水の陣なんですよ。もう他に頼るところがないんです」
門田教授は、遂に泣き落としに入ろうとしていた。
「じゃぁ、どんな数式かちょっと見せてみろ」
「え、じゃぁ手伝ってくれるんですか?」
「中身次第だ。もし下らないモノだったら、絶対手伝わない」
「下らないモンじゃありませんよ。MITから全世界の有名な大学に配られてるものだとのことですよ」
門田教授はそう言うと、A4サイズの小冊子を取り出して少年に見せた。
少年はそれをパラパラと見ていたが、あるページから急に冊子を見る目が厳しくなってきた。
「おい、門田。この数式群が何なのか解ってるのか?」
門田教授はちょっと頼り無さげに、
「新素粒子の崩壊過程の確率計算だと聞いていますが」
少年は門田教授を見上げると、バカにしたように言い放った。
「アホかお前は。これはなぁ、反陽子爆弾の製造方程式だ」
少年の言葉に、教授は明らかに動揺していた。
「そ、そ、そんなバカな。反陽子爆弾なんて」
「正確には、製造方程式のごく一部だ。きっと、細かく切り分けて、各大学や研究機関に配っているんだろう。まっ、しょうがないかもな。これだけ見て、反陽子爆弾の製造方程式群の一部だと解るのは、俺を含めて世界に五人もいないと思うぞ」
少年は、門田教授に紙束を返すと、
「どうする? 反陽子爆弾の製造に加担するか、予算を諦めるか、どっちがいい」
と、薄笑いを浮かべていた。
「ねぇ、博くん。反陽子爆弾なんて危ないもの作るのに手を貸すなんて、止めてよ。わたし、博くんにそんなことして欲しくない」
少女は少年の手を取って、列に引き戻そうとしていた。
しかし、少年は悪魔のような笑みを浮かべていた。少なからず、爆弾の製造式に興味を持ったようだった。
「俺にとっちゃ、京都の古臭い寺なんか見て回るより、よっぽど面白そうだ。ククク。反陽子爆弾だぜぇ。原爆や水爆の何十倍もの、いやそれ以上ものエネルギーを一瞬のうちに開放できるんだぞ。地殻の中で反応させれば、小さな大陸なんてあっという間に崩壊する。素晴らしいスペクタクルだ」
少年のこの態度に、他の生徒達は一瞬怖気を感じて、後ろに下がっていた。それは、担任の教諭や門田教授達も同じだった。
この少年にとって、『科学の探求の為には人命や自然破壊も厭わないのか』と誰もがそう思った。
「あ、阿久津先生、冗談はよしてくださいよ。これが反陽子爆弾の製造方程式だなんて。嘘なんでしょ」
門田教授は恐る恐る少年に訊いた。
「お前、俺がこんなことで冗談言ったことがあるか? 惑星規模の破壊兵器なんだぜ。わくわくするよなぁ」
「先生、よしんば反陽子爆弾が製造可能になったとしても、作りませんよ。いや、作ったとしても使えるわけがない」
門田教授は、未だ信じられないと言う顔をしていた。
「使うよ。折角作れると分かったんなら、実際作るし、作ったらどんなものか見てみたいだろう。ヒヒヒヒ、たぁのしみだなぁ」
その時、ただ一人、少年に声をかける者がいた。少女である。
「博くん!」
「な、何だよ生美」
少女は、少年の顔を両の手で挟んで自分の方へ捻じ曲げると、彼に確認するようにこう言った。
「博くん、わたしのこと好き?」
「あ、ああ、勿論だよ」
「大好き?」
「そ、そんなこと、ここで言うのかよ。恥ずかしいじゃないか」
「わたしのこと大好き? って訊いてるの」
「ああ、大好きだよ」
少年は渋々答えた。
「ホントに好き? 誰よりも何よりも一番好き?」
「本当だよ。誰よりも大好きだ」
少年は、観念してこう答えた。
「わたしが博くんのこと嫌いになったら?」
「ええ、そんなのヤダよ。生美が俺のこと嫌いになるなんて」
「わたし、博くんが、爆弾なんて危ないもの作るんだったら、嫌いになっちゃうかも知れない」
「えっ! そうなのか」
「うん」
「分かった。門田には悪いが、方程式の解析は無しだ。俺、生美と修学旅行を楽しみたい」
少年がそう言うと、少女はちょっと背伸びをして彼の頭を撫でると、にっこり笑って、
「良くできました」
と、言った。
門田教授は、
「反陽子爆弾の設計式だったのか……。こりゃ、諦めるしかないかぁ」
と言って、首を項垂れていた。
「阿久津先生、久し振りに逢えて良かったです。自分の未熟さが、よく分かりました。また京都にお越しの際には、研究室に顔を出して下さい。私も含めてご指導をお願いします」
「おう、今日は手伝えなくて悪かったな」
そう言うと二人は握手をして別れた。
担任は、やれやれという感じで、生徒達にバスに乗るよう促した。
「ほら、他のクラスが待ってますよ。皆さん、急いでバスに乗ってください」
そうして、少年と少女もバスに乗ってホテルに向かった。
午後は夕方まで、金閣寺と周辺の神社仏閣を見学した。
もちろん、少年も、少女と初めての修学旅行を楽しんだのだった。
こうして今日も無事に一日が終わり、人類はその絶滅までのタイムリミットを一日だけ延ばすことができたのだ。




