オマエはダレだ
少年と少女のクラスに、転校生がやって来て一週間が経った。
本当に何もない一週間だった。
だが、転校生への疑念は、彼らの脳裏から消えることはなかった。
──彼は何かが違う
そう感じ続けていた。
間野が転向してきて二週間ほどが過ぎた時、事態は意外な形で進展を見せた。
「生美ちゃん、例の転校生──間野くんが、あんたと話がしたいんだってさ。放課後に、体育館の裏まで来てくれって」
「え? わたし? 何で間野くん、そんなコト言ったのかな?」
突然の事に、少女は訝しんでいた。
「そんなの、あたしに訊かれても分かんないよ。じゃ、確かに伝えたからね」
彼女は、不思議そうな顔で、廊下へ出てゆく級友を見送っていた。
「おーおー、遂に三角関係か。天才君危うし! 彼女を盗られちゃうかもよ」
「いいね、いいねー、こういう展開。危機を乗り越えて、二人の絆は強くなってくるものなのだよぉ」
案の定、友人達が冷やかしにかかってきた。
「茶化さないでよ、由香里ちゃん。……放課後かぁ。ちょっとドキドキするなぁ」
「俺も同席するぞ。構わないよな」
傍らで聞き耳を立てていた少年が、口を挟んだ。
「一人で来いなんて、言ってなかっただろ」
「うん。言ってなかった、と思う」
こちらの申し出にも、少女は面食らっていた。
「それは、そうかもだけど……。なぁ、阿久津、修羅場になんないかな?」
気を利かせたのか、由香里と呼ばれた女子がそう言った。
「修羅場? 結構なコトじゃないか」
「なら、……いいけど」
「ねぇ、博くん。だいじょぶ?」
少女は、不安気に少年を見上げた。
「大丈夫だ。お前の事は、俺が絶対に守ってやる」
少年は決意を固めていた。
そして放課後……
少年と少女は、二人で体育館の裏へ出向いた。
そこには転校生──間野が一人で待っていた。
「待たせたな」
少年が、そう声をかけた。
「ごめんねぇ、間野くん。やっぱり、一人で来なきゃいけなかったかなぁ」
言い訳をしながら、少女が少年の背中から顔を出した。
「いいよ。むしろ、この方が好都合だ。余計な時間が省けます」
間野はそう言うと、「ククク」と笑っている。
「この辺りには、既にイリュージョン・プロテクトをかけた。覗き見されても構わないようにな。それから盗聴器や発信機の類も、スキャンしてキャンセルしてある。これで、心置きなく本音で語り合えるぞ」
「さっすが、IQ520の天才君だ。まさに、至れり尽くせりですね」
「お前、一体誰だ? 普通の人間じゃないだろう。答えろ、何処の組織のエージェントだ?」
少年は、転校生にそう詰問した。
「ん~、まあ間違ってはいませんかねぇ。エージェントと言われれば、その通りですし」
少年から指摘されても、彼の態度は変わらない。のらりくらりと、曖昧な答え方をしていた。
「間野、何の目的があって接触してきた。お前が話をしたいのは、生美じゃなく、俺の方だろう」
「大正解。その通りですよ。……それでねぇ、僕は何者でしょうかぁ?」
意趣返しをされても、大して情報が無い中、如何に天才とはいえ容易には分からないに違いなかった。
「そんなコト、俺に訊いても判るはずないだろう。ただ、真っ当な組織の者じゃないことは分かっている。各国の政府・非政府機関に、ここしばらくは大きな動きはない。宗教・教会関係には妙な活動が見られるが、直接エージェントを動かしたという知らせは聞いていない。と言う事は、地下活動をしている組織の者。または、単独で動いている人間、ぐらいだな」
少年の情報収集能力は、如何程のものなのだろうか。彼は、既にここまでの事を調べ上げていたのだ。だが、それでも、転校生の問への答えには、程遠いような気がしていた。
「フフフ、まぁまぁ良い線行っていますね。特に『地下活動』ってトコがいい。ですが、ちょっと違ってますね。その、『人間』ってとこですかねぇ」
不敵な笑みを浮かべながら、間野は不思議な物言いをした。
「何? どういうことだ?」
「え、なに? ま、まさか、人間じゃない……ってことなの?」
少女は、思わずそう口走っていた。
「阿久津くん。君、夢は見ますか?」
再び、間野が尋ねた。やけに唐突な質問だった。
「夢ですよ、夢。よく見る夢とか、覚めても記憶から消えない夢とか。心当たりないですかねぇ」
「…………」
遂に、少年は押し黙ってしまった。転校生は、それをどう受け取ったのだろうか、更に次のように続けた。
「ほう、心当たりがあるんですね。言って下さい、どんな夢だったのか。さぁ、どうぞ」
間野に対して、少年はいつになく緊張していた。この転校生には得体の知れないところがある。人の心を不安にさせる何かが。
だが、そんな少年など目に入らないかのように、彼は語り続けた。
「夢──それは神秘の世界への入り口。大いなるモノどもは、夢を通じて特殊な能力を持った──そう、限られた特別な人々にだけ、メッセージを送るのです。僕、それから君のような人にね」
話の行き先が見えない。しかし、少年には思うところがあったのかも知れない。
「む、何のことだ」
そう言い返すと、身体を半身に構えた。
「言った通りですよ。夢のことです。君の観た夢は、どんなモノだったのでしょうね。聞かせてくれませんか、どんな夢だったか。この付近は、誰も盗み聞き出来ないようにしてあるんでしたよね。さぁ、どうぞ、遠慮はいりませんよ」
いつしか少年は、脂汗を流していた。背筋をぞっとするものが走る。
「俺の見た、……見ている夢は……」
「そう、そうです。いつも見ている夢の事です」
「俺の見る夢は、俺にこう囁いている。『思い出せ、お前の役割を思い出せ』と。そして、いつも思い出せないまま目覚める。……いや、思い出したくないんだ。俺に……、この俺に役割などない」
少年は、立ち尽くしたまま動くことが出来なかった。それだけの言葉を搾り出すだけがやっとだった。
──このままでは精神的に負けてしまう
「そんな事はないでしょう」
またしても、間野が続けた。
「夢はね、訴えているんです。阿久津くん、君にね。君は、ある重要な『役割』を持って生まれてきたのです。ねぇ、本当は分かっているのでしょう、自分の役割が何なのかを。でも、それを認めたくなくて、遠まわしに否定している。遠ざけている。そろそろ正直になりましょうよ」
彼の口調に、少年は全身の毛穴が開くような悪寒を感じていた。
「夢──それは大いなるモノたちのメッセージ。……ま、大いなるモノと言っても、二種類あるのですけれどね。さあて、クイズです。僕は、どっちの側のエージェントでしょうか? もちろん、阿久津くん、君とおんなじ側のエージェントなのですよ」
「……言うな」
少年の声は囁くようだった。
「それ以上は言うな!」
語気を強めたはずなのに、思ったよりも声は出ない。
そんな少年達の周囲を、間野は踊るように巡っていた。
「さて、時に阿久津くん。君、この地球上の状態をどう思いますか? 地震に異常気象、温暖化……。時として強烈な寒波が襲い、時には台風や津波が飛来する。地球に住む何億もの人間が暮らすために、地は掘り返され、山は時に平地となり、海は時に干上がり果てる。鬱蒼とした森といえど、人の手により焼かれて灰となり、河にも海にも汚物が流れ込む。大山脈ですら悲鳴を上げてのたうち回り、肥沃だったはずの大地は砂漠と化した。さぁ、どう思います? 君は」
少年は、すぐには答えられなかった。
「この地に住まう人間達のために、どれだけの犠牲を、負担を、罪を、大地と大洋に擦り付けているか。『こんな人間達なんか要らない』って、思うことはありませんか?」
歌うように、踊るように、彼は少年の周りを巡り続けている。だのに、それだけなのに、少年は微動だに出来なかった。
(心理操作か? いや、これは、暗示でも幻覚でもない。何者だこいつ。術者か?)
「くっ、戯言を言うな」
堪らなくなって、少年は拳を上げ、不気味な転校生を排除しようとしかけていた。
「ダメェェェェ!」
その時、少女が、少年を抑えた。
同時に、少女の発する『何か』に、間野は我知らず退いていた。
「むぅ、やはり、『あちら側』の者でしたか。あなたを小娘と侮っていましたが、……失敗だったようです。まさか、こんなにも簡単に我等の救世主を虜にしてしまうとはね。想定外です。ここは、引き下がるとしましょう。阿久津くん、僕は、……僕達は、諦めていませんから。君は、必ず思い出してくれます。そして、きっと、その役割を果たしてくれるでしょう」
その言葉だけを残して、転校生は、いつの間にか霞のようにその場から消え失せていた。
彼がいなくなったからだろうか。少年はその場に片膝をついて、踞った。全身が冷汗でぐっしょり濡れている。
この少女にだけは聞かせたくないことを言わされようとしていた。これだけは知って欲しくないことを。
長くはない邂逅の末、ただ一つだけ判ったのは、彼が『地下』の者達の眷属だと言う事。これは間違いないだろう。心理強化をしておかなくてはならない。遅れをとらないために。生美を──少女を危険な目に合わせないために。
「博くん、だいじょぶ?」
少女は、疲労困憊の少年を抱き起こそうとしていた。
「あ、ありがとう。生美のおかげで助かった。……しかし、何者だあいつ」
「だいじょぶだよ、だいじょぶ! 博くんには、わたしがついてるもの」
少年は少女を見上げながら、「そうだな」と応えた。
この日はかろうじて何事もなく終わった。人類は滅亡へのタイムリミットを、取り敢えず一日だけ延ばす事が出来た。だが、明日もそうだとは限らない。人類は、少年が覚醒しないことを祈るしか、術を持っていないからだ。




