死を迎える為に(生を謳歌する)
なんてことを延々と考え続けるのも、『鷹はもういない』という現実を俺が受け止める為に必要なことだった。そうやって俺は目の前の現実を理解し、自分なりに処理していくんだ。
<生命は死ぬ為に生まれてくるという矛盾を知りながらも生きることに喜びを感じることができる人間という生き物の矛盾>を自分の中に落とし込んでいく。
他人から見ればとにかく面倒臭い手順に見えるとしても、俺にとっては必要なことだし。
『鳥でも人間でもない、ひどく中途半端で無理のある生態を持っていたタカ人間の鷹。お前にとってこの空はどんな風に見えてたんだろうな……』
なんてことを、雲一つない空を見上げながら思う。
タカ人間は、鳥のようには自由に空を飛べない。彼女達の翼は、あくまで短距離を滑空する為のものだ。羽ばたくことによって飛び上がるには体が重すぎるし、体重に比べれば筋力も低い。
例の不定形生物由来のキメラとしてでなければ恐らく自然には生まれてこなかったであろう生き物。彼女達にとって<空>は、力いっぱい飛び上がっても届かない世界なんだろうな。地上から十数メートルの高さじゃ、空中ではあってもさすがに<空>とは呼べないだろうし。
それでも彼女達はこの台地の自然に根付いて生きている。
俺達がいる台地以外のところでは、恐竜型の大型生物が闊歩していて、不定形生物が生み出したらしいキメラについては、現状ではほんど確認できなかった。ここよりさらに過酷な生存競争が行われているそこでは、中途半端なキメラでは生き延びられないのかもしれない。
それを思えば、この台地の環境は奇跡のようなものなんだろうなと改めて思う。
周囲を断崖絶壁に囲まれた高地であることが巨大生物の進入を阻み、かつ、空気濃度の高すぎる<下界>に比べて人間由来の生物が暮らすには絶好の区切られた場所。
惑星全体から見れば本当に小さな世界だが、それなりに山地もあり平野もあり、草原や密林もあるというバリエーションにも富んでいる。
まったく。神様とやらがいるのだとしたら、それこそ他とは違った生き物を繁殖させる為に用意した<箱庭のようなもの>っていう気もしてしまうな。
俺達は、そこで生きている。
自分達の命を全うする為に。
刃も鷹も、自らの命を全うした。
順番からすれば次は伏か密か。
それなりに年齢は重ねていても、肉体の衰えをよく調べれば、<その時>まではまだしばらくの余裕があるだろうことも分かる。それまでの時間を満たされたものにしていかなくちゃな。
『死を迎える為に生を謳歌する』
これもまた、矛盾だなあ。