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人間が思考に(割いている分も)

『ストレスとの向き合い方の手本を子供に示すのは、人間にしかできない』


という訳で、ロボットがどれほど高度に発達しようとも、子供が人間として育っていくにあたって結局は人間にしかできない部分はなくならないので、人間の親が不要になることはないそうだ。


一時は、


『人間のすることすべてをロボットがやってしまえるようになる』


『いずれ人間は不要になる』


などと言われた時期もあったらしいが、ロボットが極めて高度に発達し、高性能になり、それを改めて人間と比較し、人間との類似性と差異を検証することで、


『ロボットと人間はまったく別種の存在であり、完璧な互換性は持ちえない。今後、ロボットが新しい<種>として成立していくとしても、それはあくまで人間とは別の<種>であり、置換されるべきものではない』


という結論が大勢を占めてるらしいな。


俺はあくまで素人でしかないが、なるほど確かに、感情を備えたロボットであるメイフェアを見ていても、


『人間に似てはいるがやっぱり違うものだ』


って実感があるばかりで、


『やっぱり人間じゃないよなあ』


と感じるのは正直なところだ。そして、


ほまれの<親>はなんだかんだ言っても俺なんだな』


とも感じる。


もちろん、メイフェアはすごく良くやってくれてる。彼女がいたからこそほまれはボスの座に着けたんだろう。ボスとしての役目もしっかり果たせるようになった。


だが、それでも、なんだ。


たぶんこれは、俺が実際に<親>で、ロボットであるメイトギアの助けを借りてるからこその実感なんだろうな。


『親としての何もかもすべてを丸投げにしてしまうのは、何か違う』


という感覚しかないんだ。


ロボットを道具として大切にしつつも、しかし依存しすぎない。頼り切らない。自分の役目を放棄しない。


それでこそ、ロボットの存在意義も確立されるってことなのかもしれないな。


人間社会の中で、当たり前のようにロボットに依存した社会の仕組みの中で生きていた頃にはピンとこなかったものが、皮肉にも人間社会を離れたからこそ身に染みるんだ。




なんてことを、結局はこれから先も俺は延々と考え続けることになる訳だが、それはそれで楽しくもある。


『人間は考える葦である』


と、大昔の人間は言ったそうだが、ほまれ達を見ていればこそ、なるほどなとも思うんだ。


ほまれ達は、人間が思考に割いている分も野生の中で生きていく為の能力に振り分けることであの厳しい環境でも生きていくことができる。それはとてもすごいことだとしみじみ思ってしまうな。



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