たった一人の大切な者の為に(神にすら歯向かう)
王に囲われ、後宮のような生活の中で、王の寵愛を受けるべく女性同士の駆け引きや足の引っ張り合いの果てに、王の側近だった人物の娘は謀殺されたという説が今では有力だと言われてる。
で、謀殺された娘は王には愛されてはいなかったという話にする為に、一方的に弄ばれたと思われるように印象操作が行われたようだ。
そして、愛する娘をそんな形で失った父親としての情が、王を裏切らせたのだとか。
その側近は言ったそうだ。
「王は、王としては唯一無二の素晴らしい存在でした。億の人間が彼のカリスマに魅せられて崇拝したことでもそれは紛れもない事実です。
しかし、そういう者に憧れ、共に覇を目指したいと願うのも人間なら、たった一人の大切な者の為に神にすら牙を突き立てようとするのもまた、人間という生き物なのです」
エレクシアのデータベースに保存されてた、その時点での最新の伝記の中に記されていたそれに、今の俺は共感せずにいられないんだ。
王の覇道に高揚しつつも、もし、光や灯をそんな形で喪ってしまったら、俺も同じことをするかもしれないな。ってね。
もちろん、そんなことで、崇拝していた王を裏切るのはおかしくないか?という印象があるのも事実だ。しかし、人間が合理的な考え方だけで自分を律することができるわけじゃないのも事実。
その側近の周囲でも様々な出来事があったらしいから、そういう諸々の中で正気を失っていた可能性もあるだろうし。
また、それとは別に、密達をただの自分の妾のように思ってそう扱っていたら、こんなに穏やかな暮らしにはなってなかったかもしれないとも思う。
自分をただの道具のように扱われることを喜ぶ人間も、この世には確かにいるかもしれない。でも、そんなに多くはないと俺は思ってる。何より俺自身がそんな風に扱われて嬉しい訳じゃないからだ。
だったら他人も基本的にはそうだと想定するのが先じゃないか? その上で、深く知り合って、特殊な性癖みたいなものが見えてきたならその時点でまた接し方を考えればいい筈だ。
密達は厳密には人間じゃないが、人間としての形質も少なからず残ってる訳で、メンタリティの一部にもそれが残ってるのは確認済みだった。
『優しくされると嬉しい』
そう感じる感覚が一部に残ってるんだよ。
ちなみにヒト蜘蛛には、基本的にはないようだ。人間の思う<優しさ>というものが彼らには理解できない。思考のほぼすべてが、『食えるか否か』『危険か否か』『生殖できるか否か』で占められているらしい。
もっとも、ヒト蜘蛛の中でも蛮はやや特殊で、<関心>というものを持っていて、それがエレクシアへの執着を生んでいたらしいから、中にはそういう例外的な存在もある。
普通のヒト蜘蛛は、脳の機能の殆どを、あの巨体をボノボ人間を凌ぐ俊敏性で正確に操る為に費やしていることで精神的な活動がほぼできないものの、蛮は僅かに精神的な活動をしているということみたいだな。