愛を学ぶ(子供のうちは、な)
俺が今、なぜ幸せなのかといえば、結局は自分が愛されているという実感があるからだと思う。
密も、刃も、伏も、鷹も、俺を愛してくれていた。
そして、<愛されてる実感>があったのは、俺の両親が、俺を愛してくれたからなんだっていうのも改めて感じたよ。
そうでなきゃ、何が愛か、どういうのが愛されてるってことなのかピンとこなかった気がするし。
正直、人間社会にいた頃は<愛>って言葉が嫌いだった。映画やドラマで<愛>って言葉が出てくるたびに鼻で笑ってた。
『愛なんてものが本当にあるんなら、どうして俺や妹がこんなに苦しまないといけないんだ!?』
と思ってた。
だが、今なら分かるよ。『愛は万能じゃない』ってことが。相手によるんだってことが。
俺がどんなにあれこれ理屈を考えたって、グンタイ竜や蛟のことは愛せない。種族の問題じゃなく、密のことは愛せても、だからといって他のボノボ人間までも同じようには愛せない。
そうだ。単純な話だ。誰だって『好きだ。愛してる』って言える相手のことは愛せても、ロクに知りもしない他人のことは愛せないし、愛さなきゃいけない義理も世間にはないんだ。
それで『自分達は愛されてない』と拗ねるのとか、筋違いにも程があるよな。
とは言え、あの苦しい状況じゃ、それも無理はなかったかもしれないから、同じような境遇で苦しんでる人間に、
『世間がお前達を愛さなきゃいけない義理はない!』
とまでは、面と向かって言えないが。そう思わずにはいられない気持ちも想像できるし。
だがその一方で今は、自分が好きな相手になら恥ずかしげもなく言えるようになった。
「愛してる」って。
両親に愛されてた実感があるから、どういうのが『愛する』ことになるのかも分かるし、密達に愛されてることも分かるんだ。
『愛というものが分からない』
そう言う人間は、あくまでなんらかの疾患の場合を除いてではあるが、愛された実感がないから、『何が愛なのか』が分からないんだろうな。それが分からないから、だから愛されていてもピンとこない。自分が想像する<愛>を探して迷走する。
でも俺の場合は、両親から無意識のうちに感じてたのと同じものを密達からも感じたから、自分が愛されてるんだと分かった。それと同じものを密達にも返して、そして光達にも向けたんだ。
俺が光達に向けたそれがまた、俺に返ってくる。
そうだ。<愛>は、一方的に甘受するものじゃない。自分が愛されたら、それと同じものを相手に返して初めて成立するんだということも、密達や光達に教わった。一方的に甘受することが許されるのは、幼い子供のうちだけだ。
<愛>というものを学ぶ為に、な。