笑う者
不気味な笑い声をあげる異形の体は大きかった。
三メートルくらいはあるだろうか。
「弧影さん、下がって」
危ないので弧影さんには下がってもらう。
俺の目の届く範囲でだが。
あまり遠くに行き過ぎて、他の異形に襲われたら助けにいけない。
難しいところだ。
「ヒヒ、ヒヒヒヒ、ヒヒヒ」
異形はあいかわらず、不気味に笑っている。
しかしこの異形、隙だらけに見えて隙がないように感じる。
どうする。
このまま、睨みあってても埒があかない。
先手必勝でいくか。
今の俺の瞬発力なら、一瞬で間合いを詰められる。
「それでいくか」
破敵を握りしめ、突っ込む。
「フッ!」
十メートルの距離を一気に詰める。
目の前には不気味に笑う異形が突っ立っている……はずがいない。
「どこだ!?」
慌てて辺りを見渡す。
いつの間にか、左側に異形が回り込んでいた。
異形が丸太のような腕で殴りつけてくる。
「ちくしょう!」
とっさに逆方向に跳ぶ。
異形の攻撃をなんとかかわすことができたが、もの凄い風圧を感じ、胆を冷やす。
「まともに当たったら即死級だが、かすっただけでも相当やばいぞ」
不気味に笑う異形を見る。
顔はどちらかというと人間に近い。
だが、体の方は毛むくじゃらで、はち切れんばかりの筋肉に覆われている。
動きもかなり俊敏だ。
「こいつも厄介な奴だな」
不気味に笑い続ける異形を、恨めしげに睨み、呟く。
この動きの速い異形を、どうやって攻撃する。
さっきみたいに突っ込んでも、カウンターをくらう恐れがある。
ならば……。
「逆にこっちがカウンターを狙うか」
じりじりと異形に近づいていき、間合いを詰める。
「ヒヒー、ヒーヒヒー!」
あと数歩で、俺の攻撃の間合いに入るという所で、異形が攻撃を仕掛けてきた。
俺を掴まえようと、両腕を伸ばしてくる。
「フッ!」
とっさに右側に跳びながら、異形の左腕を斬りつける。
「ギィィィィィィィー!」
「チッ、浅いか」
斬りつけることに成功したが、切断するには至らなかった。
「グウゥゥゥー!」
異形が俺を睨みながら、唸る。
先ほどまでの不気味な笑いは、鳴りを潜める。
「笑う余裕もなくなったか」
不快な笑い声を聞かなくて良かったが、異形は慎重になってこちらの様子を伺っている。
「同じ戦法は通じないか」
さっきのカウンター狙いは、もう使えないだろう。
ならば、こちらから攻撃を仕掛けるしかない。
異形は左腕を負傷している。
狙わない手はない。
「フッ!」
異形の左腕めがけ、突っ込む。
「グオォォォ!」
異形が切れかかった左腕で、殴りつけてくる。
「クッ」
俺は左腕を斬りつけることなく避ける。
「グアァァァ!」
異形は左腕の攻撃を囮にして、右腕で殴りつけてくる。
だが、その攻撃を読んでいた俺は、破敵で右腕を斬りつける。
「フッ!」
今度は綺麗に腕を斬り落とす。
「ギャアアアアアアアア!」
異形は耳障りな悲鳴をあげる。
「オラァ!」
左腕も斬る。
「ギャアアアアアアア!」
両腕を斬られた異形が、狂ったように叫ぶ。
そんな異形の姿を見て、俺は微かに笑う。
「さっきみたいに笑わないのか!」
悲鳴をあげる異形にそう言い放ち、がら空きの胸に破敵を突き立てる。
胸から血が噴き出す。
「グッ」
返り血を顔に浴びる。
「クソッ、ちょっと飲んでしまった」
苦々しく顔を歪める。
「グオオオオオオオオ!」
異形が断末魔をあげ、光の粒子になり、俺に取り込まれる。
「終わったか」
ほっとして呟く。
「柳さん!」
物陰に隠れていた弧影さんが、俺の名前を呼びながら駆け寄る。
「大丈夫かい、弧影さん」
弧影さんは何も答えず、俺の胸に飛び込んできた。
「心配しました」
弧影さんは、俺の胸に顔を埋めながらそう言った。
ああ、そうか、俺はもう一人じゃないんだ。
守らなきゃいけない人がいる。
絶対に負けるわけにはいかないな。
「大丈夫だよ、弧影さん」
そう言って弧影さんの頭を撫でた。
≪妖怪解説≫
【狒狒】ひひ
動物のヒヒではない。
山中に棲み、怪力。
人間の女性をさらうとされる。
人間を見ると大笑いをし、唇がまくれて目まで覆ってしまう。
狒狒の名は笑い声が由来。
狒狒の血を飲むと鬼を見る能力を得るとされる。
次話は9/6の予定です。




