50、何もいらない
途中からサイラス視点です。
「……あいつのやり方に、巻き込まれた可能性がある」
誰かが低く呟き、男たちは視線を落とした。
重い沈黙のあと、中央の男がゆっくり顔を上げる。
「……だから、詳しく聞かせてもらおうか」
静かな声だったが、その奥には逃がさない意志があった。
私は一度、息を整えてから口を開いた。
「あなた方は、この街で高利貸しから金を奪い、被害者に返していると言いましたね」
「……ああ」
「では、その高利貸したちは?」
「ほとんど同じ元締めだ。裏で全部繋がってる」
「元締めの名は」
男は少し迷い、それから低く吐き捨てた。
「……フェルカ伯爵だ。俺たちも何度も潰されかけた。仲間も……あいつのせいで失った」
「潰された、とは?」
「借金が払えなかった家がな、まとめていなくなるんだ」
「……いなくなる?」
「港に連れていかれたって話だけ残って、誰も戻らねぇ。金よりタチが悪い。あいつは……人間まで回収していきやがる」
空気が、わずかに張り詰める。
その瞬間、隣でサイラス様が小さく息を吐いた。
「やはりか」
「心当たりが?」
男が目を細める。
サイラス様は静かに頷いた。
「王都の失踪報告、借金絡みの事件、密輸……すべて同じ経路だ。そしてこの借用書。印は酷似しているが、線の癖が違う。──偽造だ」
「……偽造だと? 俺たちの印じゃねぇのか」
「似せている。だからこそ悪質だ。罪を着せるために、わざと“あなた方そっくり”に作られている」
サイラス様は淡々と事実確認し、静かに断定した。
そこまで聞いて、胸の奥で全てが繋がった。
レオンの母、借用書、失踪、海賊の濡れ衣。
そして──この街の裏を牛耳る貴族。
これが、偶然で重なるはずがなかった。
私は、ゆっくりと顔を上げる。
「……偶然では、ここまで揃いません。……フェルカ伯爵が、この街の裏を牛耳っている──そう考えるのが自然です」
自分でも驚くほど冷えた声に、男たちの視線が一斉に集まった。
「借金も、失踪も、密輸も。全部、彼の縄張りの中。だから──あなた方が邪魔なんです」
「……邪魔?」
「恐怖で支配したい人間に、“感謝される義賊”は都合が悪い……だから海賊に仕立て上げ、罪を被せ、排除しようとしている」
はっきりと言い切ると、しばしの静寂が落ちた。 そして男が小さく舌打ちした。
「……ちっ胸糞悪ぃ話だな。俺たちは、ただ……借金取りから奪っただけだ。弱い者を苦しめる貴族の理不尽に耐えられねぇだけだ……なのに、その名前を利用されちまったってわけか」
視線だけが、床に突き刺さる。
そこにあったのは、剥き出しの怒りではなく、噛み殺した悔しさだった。
声も出せず、ただ歯を食いしばるしかなかった人間の顔が胸の奥に引っかかった。
その重さが、胸の奥に静かに沈む。
──ひどく、覚えのある痛みだった。
「……フェルカ伯爵だけは」
レオンの顔が浮かぶ。
母を待っていると言った、あの声。
笑っていたのに、どこか無理をしているみたいで。
……たった一日しか話していない。
それなのに、思い出せる顔が多すぎる。
胸の奥がぎり、と軋んで呼吸がうまくできなくなった。
それでも──声だけは、驚くほど静かだった。
「……見逃す気はありません」
◇◇◇
俺は黙ってエリーの横顔を見ていた。
怒っているはずなのに。
泣き出してもおかしくないはずなのに。
彼女は、ただ静かだった。
声も荒げず、取り乱しもせず、まるで最初から決まっていたみたいに──静かに覚悟を固めている。
……あの顔が、一番まずい。
いっそ怒鳴ってくれた方がいい。
泣いて、みっともなく縋ってくれた方がずっといい。
助けて、と一言言ってくれさえすれば──
そうすれば俺は迷わず手を伸ばせる。
強引にでも、奪うみたいにでも、守れた。
けれど──
ああやって何も言わずに決めてしまう人間は、誰にも頼らず、ひとりで全部背負う。
誰よりも先に、自分を削る。
(……まただ)
胸の奥が、鈍く軋んだ。
守れなかった記憶。
間に合わなかった後悔。
群衆をかき分け、必死に伸ばした手の先で──
触れられるはずだった温もりが、指の隙間から零れ落ちた。
……忘れられた日は、一日もない。
止めようとは思わない。
──止める資格が、俺にはない。
彼女は最初から、自分の足で前に進む人間だ。
俺はそれを隣で見ているだけでいい。
……それ以上を望む資格なんて、最初から持っていない。
……そのはずなのに。
彼女が一歩前に出るたび、胸の奥が置いていかれるみたいに痛む。
もう二度と届かなくなるんじゃないかと、どうしようもなく怖くなる。
気づけば、彼女の袖に手が伸びかけていた。
引き止めるために、どこにも行かせないように、ただ自分の傍に縛りつけるためだけの手だと理解した瞬間、背筋が冷える。
それは守るための手じゃない。
失うのが怖くて奪おうとしているだけの、卑怯な手だ。
俺は奥歯を噛み締め、伸びかけた衝動ごと拳の中に押し潰した。
そんなのは、彼女の望みじゃない。
彼女を閉じ込める檻でも、縛る鎖でもなく──俺がなりたいのは、ただ彼女の前に立ってすべてを受け止める盾だけだ。
それ以上は、望まない。
……それだけでいいはずなのに。
もしまた、選ばされる時が来たら。
彼女が傷つく未来と俺が傷つく未来を並べられ、それでも足りず、彼女か世界かなんて理不尽な天秤を突きつけられたとしても──
俺は、きっと迷わない。
(迷うわけがない)
考えるまでもない。
世界の方が軽い。──それだけの話だ。
何万人に恨まれてもいい。
歴史に悪として刻まれてもいい。
処刑台に立たされても構わない。
俺ひとりで足りるなら、それでいい。
それだけの話だ。
こんな考えを、当然のことのように抱えている男が、何食わぬ顔で彼女の隣に立っている。
知られれば軽蔑されるだろう。
だが、どうでもいい。
彼女に向くはずの悪意も罪も、まとめて俺ひとりが背負えば終わる。
ただ、彼女が振り返ったとき。
そこに立っている人間だけは、最後まで俺でありたい。
それ以外は──本当に、何もいらない。
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