3、余命宣告、再び
「……さま?…エリザベス様!」
その声に、はっと我に返る。
声のした方へ視線を向けると、そこにいたのは侍女のエレナだった。
エレナは泣きそうな顔で、こちらを見つめている。
ベッドに座る私のそば、床に座り込むようにして、覗き込んでいた。
「……エレナ……?」
かすれた声で名を呼ぶ。
「あぁ、エリザベス様……ショックなのはよくわかります……私ももう、どうすればいいのか……」
そう言った途端、エレナの瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
(ショック……? どういうこと……?)
それより──今の状況は、どういうことなのだろう。
ここは離宮にある見慣れた私の部屋。
けれど私は、確かに首を刎ねられて処刑されたはずだ。
首を斬られ、命が途切れるあの瞬間の感覚を、私は今もはっきり覚えている。
冷たい刃の感触も、血の匂いも、意識が闇に沈むあの感覚も。
……なのに、どうして私は生きているの。
無意識に首元へ手をやり、そっと撫でる。
傷も、血も、何もない。
鼓動だけがやけに早く響く中、必死に思考を巡らせているとき──
「こればかりは……もうあの幻の薬草を探すしか……」
低く掠れた男の人の声が聞こえ、思わず顔を上げた。
この部屋にはエレナしかいないと思っていた。
反射的に声のしたほうを振り返る。
そこに立っていたのは、白衣を羽織った小柄なおじいさんだった。
(この方は……)
見覚えがある。
そうだ。私を診察してくれた、町のお医者様だ。
けれど、彼と直接会ったのはあの日が最後のはず。
それ以降は、エレナがときどき症状を和らげる薬を受け取りに行くだけで、私は顔も合わせていない。
どうして今、ここに──?
混乱が収まらないまま、もう一度エレナのほうを見る。
そこで、ふと違和感に気づいた。
彼女の頬にあるはずの傷跡が──ない。
たしか一年前、転んだ拍子にガラスで切ったと言っていた、小さな傷。
いつも薄く残っていたその跡が、綺麗さっぱり消えている。
胸がひやりと冷えた。
慌てて自分の手を見下ろし、そのまま身体にも意識を向ける。
相変わらず体調は悪い。けれど、さっきまでの重さが嘘みたいに、明らかに身体が軽かった。
鉛のようだった手足が、ちゃんと自分のものとして動く。
(まさか……)
どくん、どくん、と心臓がうるさいほど脈打つ。
必死に息を整えながら、私はゆっくりと顔を上げ、目の前の医者をまっすぐ見つめた。
確かめなければ。
縋るような気持ちで、私は口を開く。
「……お医者様、申し訳ありませんが……もう一度、最初からお願いしてもよろしいですか……?」
掠れた声でそう頼むと、医者は一瞬だけ目を伏せ、痛ましそうに息をついた。
「……かしこまりました。現実を受け止めきれないお気持ちは、よくわかります……」
その声音はひどく優しかった。
まるで、何度も同じ言葉を告げてきた人の諦めと同情が滲んでいる。
けれど、私は聞かなければならなかった。
これは夢じゃない。
本当に、あの“日”なのかを。
医者は静かに、ゆっくりと言葉を並べていく。
症状の説明は、以前とまったく同じだった。胸焼けから始まり、食事が取れなくなり、やがて動くことさえ辛くなる──
しかし私は王女とは名ばかりの存在で、宮廷医に診てもらうことなど許されていない。
だから唯一私を気にかけてくれる侍女のエレナが、こっそり街で“名医”と呼ばれているこの先生を離宮まで連れてきてくれたのだ。
あの日も、今日と同じように。
そして──
「……診断結果ですが」
医者の声が、わずかに重くなる。
「お身体はすでにかなり衰弱しています。このままでは……余命は、およそ二年半から三年ほどかと……」
淡々とした宣告だった。
けれどその言葉は、刃のように胸に突き刺さった。
「先天的に魔力を多く持って生まれた方に発症する、非常に珍しい病気です。申し上げにくいのですが……いままで私が診てきた同じ症例の方で、今も生きている方は……おりません」
医者は言葉を選ぶように、静かに告げた。
「そう……」
自分でも驚くほど、あっさりとした声が出た。
悲鳴も、取り乱しもしない。
ただ胸の奥に、冷たいものがすっと落ちていくだけ。
──これも、前に聞いた。
一言一句、違わない。
あの日と、同じだ。
同じ部屋。
同じ医者。
同じエレナの泣きそうな顔。
そして、同じ宣告。
(……まさか)
どくん、と心臓が大きく跳ねる。
(時間が……戻っている……?)
私が余命宣告を受けたのは、今から二年半前。
その頃の私は、もう歩くのも辛いほど衰弱していて──
少し立っているだけで息が切れて、体は鉛のように重かった。
処刑台に上がるときでさえ、自分の足で立てなかったほどだ。
そこまで思い出して、確信する。
──間違いない。
私は一度、死んだ。
そして今、あの日に戻ってきている。
「……わかったわ。わざわざ、ここまで来てくれてありがとう。これからどうするかは……少し、考えてみるわね。エレナ」
「……ぅっ、ぐす……はい……こちらに……」
エレナはとうとう堪えきれず、ぽろぽろと涙をこぼしながらも、私の意図を察したのだろう。小さな箱を抱えて戻ってきた。
その仕草ひとつひとつが、胸に痛い。
「ごめんなさいね。王女とは名ばかりで……」
箱を受け取り、そっと開く。
「こんなものしか用意できないけれど、今日のお礼よ。お金を渡すことができなくて、本当に申し訳ないのだけれど……受け取ってくれるかしら」
中に入っていたのは、あらかじめ用意していたルビーのネックレスだった。
小ぶりではあるが、深い赤色は濁りがなく、確かな価値があるものだ。
──少なくとも、今の私が差し出せる精一杯。
医者は一瞬だけ言葉を失ったように目を瞬かせ、それから静かに首を横に振った。
「いえ、こんな……!! 受け取れません……!! 私は何もできることがありませんし、ただ……余命をお伝えしたにすぎません……」
医者は慌てたように首を振った。
その表情は痛々しいほど申し訳なさに満ちている。
治すことができない。
救えない。
医者として、それがどれほど悔しいことなのかは、私にだってわかった。
けれど──だからこそ。
「いいえ。それを教えてくれただけでも、十分ありがたいことなの」
私はそっと微笑む。
「知らずに怯えて過ごすより、残された時間を知って生きる方が、ずっといいわ。……だから、受け取ってくれると嬉しいの」
王女として、何も持たない私が、唯一差し出せるもの。
せめてこれくらいは、きちんと払わせてほしかった。
「……そういうことでしたら……」
しばらく迷った末、医者は深く頭を下げ、ようやくネックレスを受け取った。
「ですが、これはあまりにも高価すぎます。せめて……定期的に症状を和らげる薬をお持ちします。それくらいは、私にさせてください」
「ええ、お願いするわ」
かすかに震える声でそう言って、医者は何度も頭を下げながら離宮を後にした。
(……前と、同じ……)
まるで台本でもなぞっているかのように、何もかもが記憶通りだった。
エレナが医者を王城の外まで、また人目を避けながら送り届けに行ってくれたため、部屋には私ひとりだけが残った。
静寂が落ち、さっきまで張りつめていた空気が嘘のようで、ようやく息がつけた。
ここでやっと、落ち着いて自分の状況を考える余裕ができる。
ゆっくりとベッドから足を下ろし、床に立つ。
まだ少しふらつくが、処刑直前のあの重たい身体に比べれば信じられないほど軽い。
私はそのまま鏡の前まで歩いた。
映った自分の姿を見て、思わず息を呑む。
──若い。
やはり、少し若返っている気がする。
顔色はまだ血の気があり、頬もわずかにふっくらしている。
やつれきった記憶の中の自分より、どこか幼い。
余命宣告を受けたのは、私が十六歳のとき。
鏡の中の私は、まさにその頃の姿だった。
あの騎士たちがなだれ込んできた日は、しばらく臥せっていて、ようやく起き上がれるようになったばかりの日だった。
先ほどの医者が処方してくれた薬茶を、ベッドの上で飲んでいた──そんな場面まで、はっきり思い出せる。
試しに頬をつねってみる。
「……いたっ」
じん、と頬につねった痛みが走る。
それは紛れもない現実で、胸の奥がどくんと跳ねた。
原因はわからない。
奇跡か呪いかもわからない。
ただ──時間が巻き戻ったとしか、思えなかった。
そして──思い出す。
あの死の間際、断頭台の上で、走馬灯のように流れ込んできたもう一つの記憶。
前世の記憶。
そして、この世界が、私がかつて読んだ小説の中の世界だという事実。
前世は日本で働く、ごく普通の社会人だった。ある日、事故であっけなく死に──そして、この世界に転生した。
(……まさか、小説に転生するなんて)
心の中で乾いた笑いが漏れる。
生まれ変わりだの転生だの。
前世では、ただのフィクションとして消費していた物語。
それが自分の身に起こるなんて、誰が想像するだろう。
けれど現実として、私はここにいる。
そして、この世界には見覚えがあった。
読んだことがある。
物語の流れも、登場人物も、結末さえ。
記憶の奥底を探れば、断片的ではあるけれど、ストーリーは思い出せる。
かなりの数の小説を読んできたはずなのに、なぜかこの作品だけは妙に鮮明だった。
……これも、いわゆる「転生チート」というやつなのかもしれない。
もっとも。
だからといって、状況が好転するわけでもないのだけれど。
読んでいただきありがとうございます!




