間話① 当て馬婚約者?
エリザベスが記憶を取り戻したころの当て馬(とエリザベスが思っている)婚約者の話です。
「──は? 今なんて言った?」
王太子ジークハルト──俺の主であり、側近として仕える男が、目を丸くしてこちらを凝視する。
「エリーが死ぬ。だから帰る。じゃあ」
「待て待て待て待て! 聞き捨てならないが、説明が足りなすぎるだろ!」
踵を返そうとした瞬間、腕を掴まれた。
舌打ちが出そうになる。
今は、一分一秒すら惜しいのに。
「離せ。一刻も早くエリーのところへ行かなければならない」
「落ち着け! そんな顔で睨むな!」
「俺は落ち着いている。だから離せと言っている」
「いや全然落ち着いてないだろお前! それにエリザベスのことなら俺にも知る権利がある! 話せ! 俺に出来ることがあるかもしれない!」
必死な声に食い下がる手。
……確かに。
(……一理あるかもしれない)
あの男の協力が得られれば、転移魔法陣が使える。
それだけで、移動にかかる時間は大幅に短縮できる。
そして、あの男はなぜか──ジークの言葉だけは素直に聞く。
そこまで考えが及んだ瞬間、さっきまで荒れていた思考が一気に収束し、俺の動きはぴたりと止まった。
それを察したのだろう。
ジークはようやく、掴んでいた俺の腕を離す。
……こんな簡単なことにも、すぐに辿り着けなかったとは。
ジークの言う通りだ。
俺は、冷静ではなかったのかもしれない。
「……お前がそこまで感情を表に出すのは、エリザベスのことしかない。只事じゃないのはわかるが……何があった?」
「まだ、何も」
「……は?」
「正確には、何も“起きていない”。だが──これから起こる」
「……意味がわからない。何を言っている?」
病気の件は、まだ終わった話ではない。現在進行形だ。
そう思い直し、言葉を訂正する。
だがジークは、ますます訳がわからないという顔で首をかしげるだけだった。
……どこまで話すべきか。
全部、話すべきなのか。
迷いが胸をよぎる。
しかし──
(こいつは、一度エリーを見捨てた男だ)
その事実を思い出した瞬間、腸が煮えくり返った。
気づけば、殺気のこもった目で睨みつけていたらしい。
ジークはびくりと肩を跳ねさせる。
「な、なんだ……!?」
……こいつは。
だからこそ──あの結末のあと。
こいつが笑わなくなったことも、誰もいない場所でひとり涙を流していたことも、俺は知っている。
そして、あの日を境に、ジークは為政者として必要な“冷酷さ”を身につけた。
……必要なことだった。
頭では理解している。
だが。
だから仕方がない、などと割り切れるはずがない。
そんな言葉、口が裂けても言えない。
許せるわけがない。
それでも──
ジークが俺の親友であることに、疑いの余地はない。
こいつがいたから、俺はエリーに出会えた。
そして──救われた。
全ては──あの女が。
脳裏に、あの顔が浮かぶ。
殺しても、殺しても、殺し足りない。
胸の奥からどす黒い憎悪が込み上げ、奥歯が軋むほど強く噛み締めた。
……違う。
今は、そっちじゃない。
首を振り、無理やり思考を切り替える。
優先すべきは、エリーだ。
どうする。
……どう動く。
短い逡巡の末、俺は決めた。
隠している時間はない。
全部、話す。
俺の身に起こったことを、すべて。
「少し、長くなる。信じるか信じないかは──」
そこまで言ったところで、言葉を遮られた。
「あぁ、かまわない。俺はお前を信じてる。だから話せ。頼む」
……本当に、こいつは。
俺の様子だけで、すべて察したらしい。
◇◇◇
一通り話し終えたあと。
「……………」
ジークは何も言わなかった。
顔から血の気が引き、ただ立ち尽くしている。
──真っ青だ。
あいつがここまで動揺するのは、初めて見たかもしれない。
エリーから返事が来なくなっても、俺たちは手紙を送り続けていた。
月に一度、欠かさず。
……もう、届いていなかったと知っていても。
理由なんてどうでもいい。
ただ一秒でも早く、エリーの顔を見たかった。
生きていると、この目で確かめたかった。
「それは、本当に……いや……疑っているわけじゃないんだが……」
「……まぁ、すぐ理解できる話でもないだろう」
自分で言っていても、現実味がない。
時間逆行だの、未来視だの。
頭のおかしい妄言と変わらない。
「……俺は、なんてことを……」
ジークが、拳を強く握りしめた。
「お前は……俺を、恨んでいないのか……?」
「………」
言葉に詰まる。
あの光景が、脳裏に蘇った。
処刑台。
血の匂い。
──エリーの最期。
証拠集めだと、間に合うとそう信じて。
結果、間に合わなかった。
あれは、地獄だった。
恨んでいないわけがない。
憎くないわけがない。
けれど。
ジークが望んでやったわけじゃないことも、知っている。
そして今のこいつは、まだ何も知らない。
記憶も罪もない相手を責めても、意味がない。
理解は、できている。
……感情は、追いつかないが。
それでも。
俺の優先順位は、最初から一つだ。
エリー。
彼女が生きてさえいてくれれば、それでいい。
笑っていてくれれば、それだけでいい。
できるなら──隣にいたい。
ただ、それだけだ。
静かにそう告げると、ジークは、まっすぐ俺を見据えた。
「俺は、もう間違えない」
低く、はっきりとした声だった。
「お前の期待を裏切ることはしないと約束する──行こう」
「ああ」
短く返す。
それだけで十分だった。
ジークは、もう迷っていない。
王太子としてではなく、兄として動く目をしていた。
そして俺たちは、すぐに動き出した。
留学先を発つ前に、必要な人間へ最低限の接触を済ませる。
同時に、懇意にしているヴォルへ連絡を飛ばした。
魔力で編み上げた鳥が、夜空へと羽ばたく。
エリーの姿絵。
現状の調査依頼。
そして──転移魔法陣の使用が可能かどうか。
できることは、すべてやる。
だが、どのみち一度は国へ戻らなければならない。
国を跨ぐ転移は禁止されている。
ここから国境まで、早馬を飛ばして二日。
そこからジークの転移で最寄りの街――グレイキャット支部へ。
さらに王宮まで。
最短でも、三日。
(……長すぎる)
たった三日。
なのに、永遠みたいに遠い。
あの処刑台の光景が、何度も脳裏をよぎる。
間に合わなかった、あの最悪の未来が。
無意識に、拳に力が入った。
祈るだけじゃ足りない。それでも。
(どうか──)
胸の奥で、言葉にならない願いが滲む。
お願いだから。
それまで、どうか。
エリー、無事でいて。
◇◇◇
ヴォルからすぐに返事が来た。
転移魔法陣の使用は許可する。
だが本人は外出中で、直接会うことはできない──と。
十分すぎる。
使わせてもらえるだけで、感謝しかなかった。
俺たちはすぐに陣を借り、秘密裏に王宮へ戻った。
到着したのは四日後。
ジークが王太子である以上、強引に出立することはできなかった。
それでも、転移なしで俺が単独で戻るより三日は早い。
三日。
たったそれだけ縮まっただけでも、意味は大きい。
一秒でも早く。
それだけを考えて、俺は離宮へ走った。
──エリーがいる場所へ。
入口に立っていたのは、エレナだった。
……あの女。
エリー宛の俺の手紙を盗み、なぜか自分のものとしていた女。
視界に入った瞬間、胸の奥が冷えた。
俺の姿を認めた途端、エレナは目を見開いた。
次の瞬間、ぱっと顔を輝かせる。
嬉しそうに。
心底ほっとしたみたいに。
泣き笑いの、歪んだ笑顔をしてこちらへ駆け寄ってくる。
まるで、数年ぶりに恋人に再会したかのような顔で。
──気持ち悪い。
反射的に、一歩引いていた。
「エリザベス王女はどこだ?」
自分でも驚くほど低い声が喉から落ちた。
「王太子殿下や私が送った手紙は、どうした」
殺してはいけない。
頭では理解しているため、何度も言い聞かせる。
──だが、怒りが収まらない。
抑えているはずの殺気が滲み出ていたのか、空気がぴり、と張りつめた。
エレナの顔色がみるみる青ざめる。
「さ、サイラス……様……?」
「お前に、名を呼ぶ許可を与えた覚えはない」
自分でもぞっとするほど冷たい声だった。
「え……? でも……あの女じゃなくて、私を婚約者にしてくれるって……」
「……はっ」
思わず、乾いた笑いが漏れた。
仮にも仕えるべき王女を「あの女」呼ばわりか。
どこまで思い上がれば、そこまで腐れる。
胸の奥で、何かがぶつりと切れかける。
この女──今すぐ首を折っても、きっと後悔しない。
無意識に指先に力が入った。
「エリザベスはどこにいる──答えろ」
一歩距離を詰め、そのまま手をかけかねなかった俺を、ジークの鋭い声が引き戻した。
「サイラス!」
はっとして動きが止まる。
そこでようやくエレナは、ジークの存在に気づいたらしい。
恐る恐る振り向き──そして凍りついた。
顔色が、青から白へ変わっていく。
「お、王太子殿下……っ」
喉が引きつり、掠れた声がかすかに漏れた。
「エ、エリザベス王女殿下は……あの、その……い、いなく、なりました……」
「──は?」
「いなくなった、だと……?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が嫌な音を立てた。
最悪の可能性が脳裏をよぎる。
俺は返事も待たず、離宮へ踏み込んだ。
扉を乱暴に開け放ち、一部屋、また一部屋と駆け抜ける。
どこにも人気はなく、生活の痕跡すら薄い。
(おかしい)
一国の王女が消えたというのに、騒ぎが起きていない?
そんなはずがない。
最後の扉を開け放ち──
何もない空間を前に、奥歯を噛みしめた。
「……おい。どういうことだ……」
「あ……う、そのっ……」
背後でエレナが小さく息を呑み、視線を泳がせて言葉を濁す。
苛立ちが、じわじわと這い上がってくる。
「王女に仕える身で、主人の所在も把握していないだと?処罰では済まないぞ」
「あ……あの、これ……! き、昨日、机の上に……」
震える手で、封筒を差し出してきた。
紙がかさりと鳴る音が、やけに大きく響いた。
それを見た瞬間──
先ほど頭をよぎった最悪の予感が、確信へと変わった。
読んでいただきありがとうございました!




