竹阿弥 (豊臣秀吉義父)の話
天正20年(1592)8月 豊臣秀吉の母·大政所が世を去りました。
そのとき、朝鮮の役で名護屋にいた秀吉は、大政所危篤の知らせに急ぎ戻りましたが間に合いませんでした。秀吉は深く悲しみ、様々な供養を行いました。
「お義父さま…ここを出ていかれるというのは本当なのですか」
「おねさんか、わしを気にかけてくれるのはおねさんぐらいじゃ。あれ、いや…天下の関白様をあれと言ってはいかんな。殿下はわしを嫌うておるし、止めもせんじゃろ。わしがここにいたのは仲のためじゃし、その仲も亡うなった」
「殿下の口ぐせはおっかぁを楽させてやりたいじゃった。じゃがな信じられんかもしれんが、小さな畑を耕して子どもたちと笑いおうて、たまにうまいもんでも食べられたらそれで幸せじゃったんじゃ。それが殿下にはわしが仲に苦労させているように見えたんじゃな。なさぬ仲の子でもわしは殿下が可愛かったんじゃ。智(秀吉の姉)はわりと懐いてくれたが、最期まで殿下は懐いてくれんかったな」
「分不相応な暮らしをさせてもらってなんじゃが、殿下が出世して、幸せになったものはおるんかのう。小一郎(秀長·秀吉の異父弟)は殿下のために働いて親より先に逝ってしまいおった。旭も(秀吉異父妹)好いて好かれた夫と別れさせられて徳川様に嫁がされ、旭も親より先に逝ってしまいおった。わしは仲と小一郎、旭の菩提を弔う旅に出るよ。そして、どこぞで野垂れ死にするのもええと思っとる」
「でも、お義父様のお心、秀吉もわかってくれると…」
「いいや…もうええんじゃ。わしは仲がいたからここにいたんじゃ。仲は最期まで殿下のことを気にかけておった」
竹阿弥は首を振りました。
「そう言えばあんたのおっかさんも殿下との結婚には最期まで反対しとったそうじゃな。わしはその気持ちがわかるような気がするよ」
「ええ…あの頃、秀吉は足軽に毛が生えたような身分でしたからそれが気に入らなかったのでしょう」
「違うな。おねさんのおっかさんは殿下が出世すると思ったから反対したんじゃ」
「え?」
「おねさん、あんた、関白の奥方なんて大層な身分になりたかったわけやないやろ。そこそこ食べてゆけて、たまに亭主と喧嘩して、それでもいつの間にか仲直りして笑いあってる。そんな小さな幸せを望んじゃったんじゃないかの。あんたのおっかさんはそれがわかっていたから殿下との結婚を反対したんじゃ。まあ、これはわしの当て推量じゃが」
「じゃあな。おねさん。あんたにはよくしてもろうた。礼をいう。これからも殿下を支えてやってくれ」
竹阿弥
豊臣秀吉の実父が亡くなった後、秀吉の母と結婚し、秀吉の義父となり、豊臣秀長と旭姫の実父と伝えられる。生没年不詳。
以前の大河ドラマ秀吉で財津一郎さん演じる竹阿弥が竹中直人演じる秀吉に言ったセリフが気になっていて作った話です。
「出世すればええ。出世して、本当に大事なもんは…」
そんな感じのセリフでした。その後、このドラマでそのセリフが生かされることはなかったけれど…




