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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第七章 兎大友皇子
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織田信長、丹羽軍を播磨に送る

 信孝が上杉を利用して信雄を超えてやろうとか考えていた頃、本能寺にて信長は一つの決定を下していた。




「五郎左(丹羽長秀)を播磨に向かわせろ」




 山城守として京の統治に当たっていた長秀を、秀吉の援軍として播磨に送ると言う決定に、側近たちは目を丸くした。




 すっかり織田の第二の本拠地と化した京の本能寺であったが、その地を守る兵は実に少ない。

 この場にいる五千と言う数そのものは全然少なくないが、そのうち四千五百が丹羽軍の兵なのだ。



「よろしいのですか」

「構わぬ。それにあの男が出て来た以上、しっかりとした見張りを付けねばなるまいからな」

「ですが柴田様は」

「まあ、伊賀守にもしっかりと後ろ添えはしてやる。それが責任と言う物だろう」



 他にも中国への援軍に送る事の出来る軍勢は残っていたが、その軍の大将と秀吉、そして宇喜多直家の事を考えて信長は丹羽軍を秀吉にくれてやる事にした。その主の命を受けて丹羽軍を見送る小姓たちの姿はどこか寂しげでもあり、京の町衆も上客の喪失に歯嚙みしていた。













「ずいぶんと閑散としていますが何かあったので」

「山城守(長秀)を筑前の援軍に出してやる事にした」

「あら、光秀の頼みはどうなったのです?」

「お濃か。単純な事だ、面倒な方に大軍を送る事にしただけだ」


 やる事だけやって奥に引っ込み新たなる城の設計に取り組む信長と言う人物に、ずけずけと割り込める女性などこの世にひとりしかいない。

 そのひとりこと濃姫は長秀を秀吉の援護にやった事についていたずらっぽく微笑みながら、夫の大事業を暖かく見守っている。


「長宗我部と仲良くしたいのでしょう?でしたらその欲望をかなえてあげてもよろしいではございませんか」

「無論それはある、だがまだ土佐一国も統一できないのであれば話は違ってくる。長宗我部が徳川や浅井になれるかの試金石であり、大っぴらに手を貸すのは伊予か阿波の半国でも自力で取ってからでも遅くはない。それに光秀には少し権六にお仕置きをしてやる仕事があるからな。また少し道を踏み外した以上、光秀には少し灸を据える役目も担ってもらわねばなるまい。真面目で言うべきことは言う男だからな」

「さすがね、私も光秀にはそういう役目のほうが似合うと思ってるのよ。でも少しあの子が戸惑うんじゃない?」

「確かに、内政干渉かもしれぬ。だがそれを放置していては堤が崩れることになりかねないからな。まったく、五人目をはらんだと言う噂が本当であろうとなかろうと、もういい加減諦めるべきなのにな」



 光秀の重臣の斎藤利三の親族に長宗我部元親の夫人がおり、その縁で元親と織田は同盟を結んだばかりである。信長から四国は好きにせよと言う墨付きを得た元親は進撃を続けているが、まだ土佐をその手に収めたと言う報は入っていない。本願寺が沈黙を守っている事もあり三好は阿波に逃げ帰っており、長宗我部は次はその三好を何とかせねばならない。

 浅井が加賀や若狭、徳川が遠江を自力で奪ったようなことができないのならば、それまでの家でしかないと言うのが信長だった。




 新たな城の図面を描くべく筆を執りながら、信長は生真面目な光秀の顔を思い浮かべた。


 光秀は秀吉のように道化を演じられる才能はない、だが秀吉のように勢いとノリでごまかすような事はせずはっきりと正しいことは正しいと言う芯は通っている。




(「あんな強引な用兵、いずれ破綻します!浅井の危機は織田の危機でもあるのですから、上様がもし本当に義弟様の事を思うのであればあの男を叱り付けてください!」)




 天竜川の戦いの後光秀は織田軍で、と言うか全軍でたった一人だけ浮かない顔をして自分に詰め寄り、浅井軍の事実上の指揮官である藤堂高虎の強引な用兵を責めるように言って来たのである。

 信長自身高虎のやり方を気に入っていたしそれが最善手だと思っていたから口だけでも了解はしなかったが、それでも最大の功績者に対してはっきりとそう述べられるのが光秀だった。



 だからこそ長秀では気合い負けしてしまうような勝家であろうとも、光秀ならば堂々と物が言える。一色義道に対する無礼な振る舞いをきちんと咎め、その上で藤堂高虎とのいさかいも断ち切る事ができるだろう。

 逆に宇喜多直家と言う厄介な存在を前方に抱え込んでいる秀吉には温和で個人的に折り合いが良く、譜代の重臣である長秀のほうが都合が良い。




「光秀は丹波守となってからずいぶんと国人と仲良くしているらしいですね」

「実に光秀らしい。そのおかげで住民はかなりなついているようだ、織田ではなく光秀にな」

「それはいいですけどね、若狭や丹後との付き合いが気になりますね。特に若狭は」

「そのために光秀に若狭守を案内させたのだがな。とりあえず大過なく終わったようだが、大過なくと言うのが不安でもある」


 光秀は高虎を堺に案内するにあたり事前に若狭大倉見城に赴き、その上で丹波を通って堺へと向かった。そういう用意周到な行動を取っておきながら、大過なくという程度で済んだのは不安要素でもある。


「それは元から合う合わないと言うものがあるのでしょう、煕子が光秀を尻に敷いているなどという話はひとつも聞いておりません」

「クククク……朝倉義景も大した娘を残した物よ。あの世で今頃喜んでおろう」

「父上と義景は違いますよ。三つ指ついて出迎えるような娘に育て上げたかった人間からしてみれば、どうしてああなったんだと言うのが本音でしょう。父は私にいざとなればあなたの寝首を搔くような人間に育てて来ましたがね」

「そしていざとなれば得物を手に取る女にもか。見たかったぞ、お濃のなぎなたの腕前を」




 桶狭間の際、濃姫は侍女たちと一緒に鉢巻を巻きなぎなたを握っていた。いざとなれば今川軍に自分たちが斬りかかってやると言う意気込みを込めての行いであり、実際にその気になればひとりやふたりぐらいならば斬れそうだなと信長自身感じていた。お市や煕子はしないだろうがおねや四葩はやりそうであり、その点もまた信長は気に入っていた。




「それにしてもまったく新しい絵図面ですね」

「金に糸目を付けずに作る、余の末期の夢でもある。そのためには惜しむ事はない。この国のすべての技術を注ぎ込み、その上に異国のそれも取り込む。織田信長という人間がすべてを見届けた上で作り上げる城をだ。

 そのためにも越前守や筑前には頑張ってもらわねばなるまい」

「近江ですか」

「そう、近江よ」




 近江にその城を作ることは最初から決めていたが、信長はこうして口にしてようやく自分が尾張から美濃、美濃から近江とどんどん西に近づいている事に気付いた。



(明や朝鮮だけではない、より遠くの国との交易、あるいは戦い……残念ながら余はその場に立ち会うことはできそうにない。だがだからこそ信忠、いや天下を継ぐ者に信長という存在を残す必要がある。まあその城かどう見られるかなど知ったことではないのだがな)



 幕府を事実上滅ぼして二年以上が経つ。鎌倉幕府とて百四十年で滅んだし、室町幕府とて応仁の乱により実権を失ったとすれば約百四十年である。それから多くの人間がなんだかんだ言って百年ほど持たせて来たものの、それを終わらせる事に対して特に何か良心の呵責を覚えるようなことは別になかった。自分の人生だって先が見えている、織田の天下だってまたしかりのはずだ。



「まあいずれ、いや建った瞬間からこの城は過去の遺物となる。いつ崩れるかわからぬが、その際には跡形もなく派手に崩れてしまった方がよっぽど良い」

「その点ではやや焦ったかもしれませんね」

「十分にもう崩壊しきっている物をどう崩せと言うのだ」

「その通りですけどね」


 足利義昭と二人の幕臣を殺さなかった事を、信長は別に後悔していない。

 もはや彼らは尊氏や義満から血筋以外の何も受け継いでいない存在であり、仮に両名のような実力があったとしても、あと何十年生きればこの栄光を取り戻せるのかわからない。



(出来れば足利の故地である関東に帰してやりたいがな……今ならまだ間に合う、三河殿は何とか守ってくれよう。だが余や越前守、そしてその手先らは手を抜きませんぞ。ましてや我らに連なる者は――)



 信長は義昭に対する最後の忠義を発揮する道を思いながら、新たなる城の図面を記して行く。そして濃姫が立ち去るのとほぼ同時に丹羽軍の兵たちもまた播磨に向けて動き出していた。

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