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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第二章 「天魔の子」、命名される
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斎藤龍興、本多正信と酒を酌み交わす

「どういう事だと言うのだ!」

「まあ落ち着いて一杯」

「いらぬわ!と言うか坊主が酒を持ってくるな!」

「そなたに飲んでいただくためだから構わぬだろう」



 龍興は半ば見え透いていた未来に抵抗するかのように床を叩いた。それでも言うべきことは言ってやると言わんばかりに身を乗り出すが、頼周は人の良さそうな顔をしながら右の手のひらを向けるばかりだった。



「なぜこの決戦に際し村岡山に控えていろと言うのだ!」

「もう十分この戦で働かれた、少し休むが良い」

「連勝中の勢いを止めろと言うのか!どう考えても一番強いのは俺だろうが!」

「確かに斎藤殿の武勇には感謝しておる。されどこれ以上後方で震えていてはいくら何でも図々しいであろう。拙僧自ら、無思慮な抵抗を繰り返す輩に立ち向かわねばならぬ。これもまた、御仏の慈悲なのだ。苦い水は我々が飲みに行く」







 三人も将を討ち取ったはずの人間を後方に置き、自分たちだけで一乗谷へと攻めかかるつもりらしい。


 確かに一揆軍は二連勝中である。しかしそれはあくまでも自分の力であり、そのための策を寄越した人間の力であり、そして農兵たちの力でしかない。ここまで坊主たちはまったくの置物だ。

 そんな置物がこの戦が終わった後尊敬されるはずがない、だから自分の手で何とかして大功を上げなければ仏法で縛って来た農民たちの心が龍興に行ってしまう危険性がある。要するに、あまりにもあからさまな点数稼ぎだ。



「敵は織田ではなく浅井だ、その事を分かっておいでか」

「浅井は織田の部下のような物、倒すのはよりたやすき事。ましてや今の浅井の当主は父親からその座を奪った親不孝者」

「俺の従兄弟だぞ!」

「なればこそ斎藤殿にとっても恥ずべき人物。仏罰をもって改心させねばならぬ……何よりそんな存在を討つのは心苦しかろう。とにかく、後は我々にお任せあれ。満ち足るをもって欠けたるを討つのが兵法という事ぐらいは我々も存じておるわ」


 苦い水を飲みに行くと言いながら、まったくその顔に苦みはない。僧らしからぬ甘ったるい目をして、相当な量のご馳走を食べに行くのが待ちきれないと言う顔をしていた。

 どんなに抗弁しても聞き流し続け、そのまま置き去りにするぞと言わんばかりに二人して立ち去って行った。後ろには坊主頭ばかりが付き従い、鎧姿の人間はひとりもいない。







 城砦と言うより寺の中を歩くような集団にまともな目線を送る気にもなれない龍興は頼照が押し付けた徳利の中身に何の興味もくれないまま、甲冑姿で城内をうろつき始めた。


(こんな小城で一体何ができると言うのか、そのための人員も兵糧も武器も、何もかも足りなさすぎる!)


 まだ奪って数日という事を加味しても、この村岡山城はあまりにも貧相だった。


 戦力、と言うか農兵の数は千人もいないし、二の丸すらない。堀もなければ蔵も兵糧蔵ひとつしかなく、そこを落とされればほぼそれまでである。その上にその蔵に入っている兵糧も、収穫期直前と言う状況だとしても一万人が籠ればひと月持つかどうかわからない量しかない。余分な武器などもちろんなく、それこそ今ある武器が失われれば素手で殴りかかるしかない。




(あの戦力で一乗谷まで攻め込んでいたらこっちが破滅しただけだ!あらかじめ渡りをつけて置いた人間たちを注ぎ込んだからこそやっと成功した、と言うのがあの戦いの現実だ。卜全よ、なぜ死んだのだ……)







 伏兵でも何でもなく、ただ単に本願寺寄りの農兵たちを個別に動かしただけ。この前のように秘かに川を渡ってと言う伏兵とは違い、完全な行き当たりばったり。だからこそ規律正しい正規兵には逆に予想外の打撃となり、その分だけ戦果も上がったと言うだけの話に過ぎない。


 そして何より、自分の手でかつての家臣である氏家卜全を討ってしまった。良心の呵責うんぬんと言う訳ではなく、ますますあの坊主二人を増長させてしまったのが腹立たしかった。


 だいたい、勝った勝ったと言っているがこの前の戦だけで二千人もの農兵を失っている。確かにまだ二万八千残っているし足羽川まで兵を進めたのは間違いないが、浅井の援軍のことを考えるとまったく楽観できるとは思えない。

 その上に今度はこれまでのような作戦がある訳でもない。あったとしてもしょせん戦の素人である坊主たちの作戦だ、武士たちに通じるはずもない。


 ああそうですか望み通りこの城の中に残ってやりますよ、その中は勝手に歩き回りますけどと言わんばかりに甲冑帯刀の状態で音を鳴らしながら歩くたびに、戦に全然慣れていない農兵や炊事洗濯に励む女子供がひるみ、勝手に道を開ける。


 そう言えばこれまでの戦で着ていたそれだから血臭がしていたかもしれないなと、ほんの少しだけ龍興は反省した。











「そなた、ここにいたのか」

「これは斎藤殿」


 やがてたどり着いた大きくない城の隅っこの部屋で、ただ一人痩せた男が座って本を読んでいた。


 城の中で甲冑を着て大股で歩き回る存在をただの訪問者のように扱う男を前にして、龍興はようやく顔の強張りを取り除いた。


「逃げてもいいんだぞ」

「そちらこそ」

「あの二人はおそらくそなたの事など見えていない。いや俺さえもだ」

「お静かに」

「何、完全な後方かつ元より人手不足のこの城だ、一乗谷を落とすとなればそれこそ根こそぎに近い単位で人は持って行かれる。遅くとも明日朝の内にこの城は無人に近くなる。そなたは浅井にでも膝を折ればいいだろ」


 逃げるならば、今が最後の機会かもしれない。親類縁者の情を盾に織田でも浅井でも投降しに行き身ぐるみはがされようが生きられればそれでよし、死ねと言われればそれまでである。


 龍興の方は口約束同然とは言えあの二人の坊主から約定は取ったし、膂力的な意味で人っ子一人殺せそうにない彼を坊主たちが相手する事はない。


「それができるとお思いですか?」

「義理堅い男だな。だが織田信長と言う男、それほど偏狭でもないぞ」

「氏家殿とおっしゃいましたか、ご冥福をお祈り申し上げます…………」

「考えてみれば俺は徳川にとってはまったくの他人だ、その方がむしろやりやすいだろうから俺と一緒に」

「織田様の娘御は若殿の嫁、つまり織田様の奥方からすれば姪婿です。それに殿からすれば一向宗など武田に匹敵する仇敵です」


 丁重に使者を弔う言葉を述べながら体を曲げる姿は、坊主たちよりよっぽど教文の教えを理解している人間の所作だった。

 一番口の悪い言い方をすれば後方で震えていただけの人間など、信長が把握しているはずもない。ましてや戦場での生き死になどで文句を言うはずもないだろうし、言ったとすれば大義名分のための大義名分としてだろう。


 おそらくはそれらの事を全てわきまえた上で、この男は残ると言っている。まだ信じているのか、それとも単に今さら引っ込みがつく訳でもないと諦めているのか。


「そなたに言われると嫌味がないな。すべてその通りだ、すまなかったな本多正信」







 本多正信。かつて三河一向一揆の首謀者の一人として家康に反抗した男。一向一揆終結の後流浪を命じられ各地を渡り歩き、今はこうして加賀に身を置いている。




 朝倉から織田に寝返った二将を討った策も、柴田勝家とやらを追い払うのに使った策も、それから卜全を討つのに使った策も、全てこの男の策だった。龍興などは現場で正信の動き回っていただけであり、それなのに十万石もの手柄を受け取っている。

 正信にはほとんど何もない。


 ある意味一番重要でありながら、自分と比べてもまったく重視されていない。




「あれだ。坊さんたちにとっちゃ、敵をぶん殴ってくれる存在だけが必要なんだよ。そこに余計な知恵を付けるような奴は邪魔なんだよ」

「内通者としての疑いもありますからな」

「三度も手柄立てる内通者などいねえよ」

「知恵を飲んだ上で吐き出してくれるのであれば」

「俺が咀嚼してるからだよ。俺は大した事も言わずに喜んで手足をやっているから好かれてるんだ。もし耶蘇教徒になっても別にいいとか言い出すからな」


 自嘲にもなっていない。

 あれほどまで派手にタンカを切っておきながら結局最終的に坊主たちの言う通りに人殺しをやって行くせいで、口だけの男だと思われてなめられているのかもしれない。


「耶蘇教がいかなる物か私には存じ上げませんが、仏の教えと食い合う物なのでしょうか」

「表面的な事を言うな、ただ敵味方ってだけでも十分戦の大義名分になる。本当に知らないようだから言ってやるが、耶蘇教にはどうやら神は一人しかいないらしい」

「はあ?」

「御仏の下にはたくさん神がいるし、御仏と関係のない神社など山とある。それらをある意味全否定するのが耶蘇教だ。敬虔な御仏のしもべからすれば、それだけで並び立てない事はすぐわかるだろう。もし今度の戦、あの二人が勝軍の将となればそれでよし。負けた時は」

「斎藤殿の言葉に逆らわせてもらいましょう」

「それもよかろう、だがその上で取るべき行動は取れよ。俺だって、俺の身しか守れないんだからな」



 この物知りな男にも分からぬ事があるのだと少し得意になり、その上で自分の今の身の程を思い知らされてすぐ高くなった鼻を引っ込めた。


 敵を知り己を知れば百戦危うからずと言うが、耶蘇教と言う仏の教えを信ずる存在を引っこ抜く可能性のある相手についてまるで理解しようとしないような当主が治めるような家がどうなるか。

 父親の代から引きずった尾張との戦いに対し真摯に臨もうとせず家臣に丸投げした結果有力家臣に次々に離反されて美濃を失ったのが龍興であり、浅井の当主と織田の当主の娘が同盟と婚姻を結んだと言うのに浅井が自分を裏切るとはかけらも思っていなかったゆえに朝倉を滅ぼしたのが義景である。


「家臣だから助かる、などと言うのは甘いぞ。朝倉家臣団とて今や織田に真っ先に下った景鏡以外ほぼ全滅だ。稲葉や安藤のようにとっとと逃げた者だけが助けるのだ、そなたもそうした方がいいぞ」

「そうならぬ事でも祈りましょうか」

「おおそうしろ、そなたの方がよほど坊主より祈りがうまいからな」


 目の前の男が、逃げ時を誤る事だけはしなさそうな上でまだこの場にいる以上、もう少しはとどまっていてもいいのではないか。


「ああそうだ、先ほど坊主が般若湯を寄越して来たのだ。一緒に飲むか」

「いただきましょう」




 そんなある意味賢く、ある意味バカな男に何の褒美も与えない坊主たちと何も与えられない自分への憤りをぶつけるように、龍興は先ほど自分を抱き込むために与えられた徳利の中身を、ちっぽけな部屋へと持ち運んだ。


 杯も何もないラッパ飲みで、二人の男が交互に口を付ける。坊主が持って来たせいでもないがやけに薄い酒は簡単になくなり、二人の気分を高揚させたり赤くさせたりする力は全く機能しないまま消えて行った。


 おそらくは小便として便所に出されるだけで終わるだろう液体の入った器を、龍興は庭に投げ捨てた。ほんのわずか残っていた液体はまったく匂いを出さずに土に染み込み、いずれ破片と化した器だけがかつての仲間だった土と同化するのだろう。




(そういう意味だと受け取っておくぞ、頼照、頼周……)


 割れた器の残骸を眺めながら、龍興は甲冑を脱がぬまま刀だけを外した。

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[良い点] 拝見致しました^_^ 面白い作品ですね。 [気になる点] 龍興は頼廉が押し付けた徳利の中身に何の興味もくれないまま、甲冑姿で城内をうろつき始めた。→頼照なのに頼廉になっていますよ。 斎…
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