騎馬武者、ため息を吐く
一向一揆の中で一番悟りを開いているのは、自分かもしれない。
その武者はわりと本気でそう思っていた。
(朝倉義景殿があんなに柔弱とは思わなんだわ……それだからこそ、こうして一向宗にまで身を投じたと言うのに!)
義景が足羽川に駆り出される中、自分は北の一向一揆の守備へと回されていた。いやこれまでもその時もずっと東側の大野城近辺に配置して美濃の織田家を見張るなり、金ヶ崎周辺に配置して京の貴族たちとの交流を深めるようにするなりして使ってくれるように頼んで来たと言うのに、その度に義景は北側を守ってくれとしか言わない。
「織田も浅井も、全く接触を図って来ない。それが全てのはずではないのか」
――――騎馬武者こと斎藤龍興は、面頬の下で嘆息を抑え込んでいた。
かつて自分の父の義龍が明智光秀らをそうしたように信長により領土を追われた龍興は織田への復讐とかではなく、あくまでも生きるがために朝倉の家臣となった。自分が迷惑をかけていると判断されれば、いつでも出て行く用意はあるつもりだった。
(案外と大義名分にこだわる男なのだな、信長も……)
信長は長政や家康のように自分に協力する大名をかき集めて一緒に上洛して将軍様に拝謁するから来い、来なければわかっているなと言うずいぶんと遠大なやり方を使って朝倉領への侵攻の大義名分を得た。
自分が滅ぼしたはずの斎藤龍興を抱え込んでいるのは敵対する気持ちがあるのだろう、と言えばいいのに。
その際には堂々と尻をまくって、堂々と逃げてやるつもりだったのに。
あるいは自分の母親が浅井久政の妹である以上、つまり長政が従兄弟として何らかの形で接触を求めて来ると思ったのに。長政よりはるかに朝倉ベッタリのはずの義理の伯父であるはずの久政さえ、自分の存在を関知する事さえなかった。
無論自分の立場を理解していない訳ではないが、それでもいくらでも矢面に立ってやるぐらいの覚悟はできていた。
だと言うのにそのどちらにもならない内に、朝倉は倒れた。
もはや織田領となってしまう事が確定した越前を抜ける事は出来ないと判断し、加賀に逃げ込んだ龍興を待っていたのがこの役目だった。
「御仏はそなたの祖父のことをよく存じておる。仏道に帰依し手を血に染めた事を悔い、そして美濃を安寧なる地にしようとした所で親不孝な子により」
「こちらはその親不孝な子の子なのだが」
「それゆえにそなたの父は夭折した。だがそなたはその罪をまるまる背負い込んだ親の子であるが、親の罪は親の罪であってそなたの罪ではない」
「飯を食わせてくれないのならばいつでも出て行くからな」
「別に構わぬ、御仏はこの世界全ての者を守っているのだからな」
「こちとら殺生が生きる手段なんだぞ」
「坊主には坊主の仕事があり、武者には武者のなすべき事がある。拙僧たちが厭う武者はその暴威により民草を圧する者よ」
加賀を取り仕切る七里頼周とか下間頼照とか言う坊主たちは、下らない理屈をこね回してなんとか納得させにかかって来た。開き直るように信仰など飯を喰う手段だとぶった切ってみたものの、ふたりともむやみやたらに笑顔を浮かべるばかりでまったく動じる様子もなく、まるで下卑た商人のように揉み手でもして来そうだった。
龍興とて仮にも数年間大名の当主をやって来た身だから、いろんな人間とも会った。いかにも偉そうに見えて実際に偉かったり、錦を着ていても心はボロだったりする人間もいたし、同じ商人でも堂々と自分に向かってくるそれもいれば目先の金の事しか考えないようなのもいた。彼の目の前の坊主たちは、間違いなく最低の部類の人間だった。
「最近京や堺の方じゃな、耶蘇教ってのが流行ってるらしいんだよ。俺ちょっとその耶蘇教ってのを教える宣教師ってのに会ってみたいんだよなあ」
「耶蘇教の教えを一度聞いてみたいのは拙僧とて同じよ。無論、御仏から離れるつもりなどないがな」
「もしそうなって耶蘇教に俺が染まった場合、俺は今の恩を平気で仇で返すからな!それでもいいのか!」
「わかったわかった、約定をしたためよう。御仏の名に懸けて、この七里頼周は絶対にそなたを仏敵と見なさぬ。たとえ道を違えようともそれは天命と言う物、ご門跡(本願寺顕如)様にもそう申し付けておく」
挙句一番の痛点を付いたはずなのにこれである。もう何も言っても無駄だと判断した龍興は頼周の血の付いた紙切れ一枚をひったくって懐にしまい込み、言われるままに戦場に出てやる事にした。
(必死にあそこまでやってみせておきながら、この肝心要な時に限って……!)
それで朝倉の人間として北方の守りに回されていた経験を活かし、元同僚であった前波とか魚住とか言う二人の将を簡単にぶった斬ってやった。それでその首を投げ捨てて目を引かせる事により柴田とか言う織田の猛将を追っ払う事に成功し、さらにあの二人を上機嫌にさせた。
この功績を盾に五万石を保証するとか調子のいい事を坊主たちは抜かしている。
大名であった上にこれほどの功績を上げた者を雇うとしては決して安くないが、それにふさわしいような土地も城砦もまだ龍興には与えられていない。まったくの空手形だ。
それでも五万石の空手形より一万石の実利をよこせと言わないのは腰の重くなるのを嫌ったからだが、だとしてもそれに対し何も言わないのは問題である。
そして今回もまた本願寺の走狗として、かつて家臣であった織田の将を討ち取った。
「さすがは美濃の蝮の孫、その武勇あっぱれなり!」
「斎藤殿がいれば織田など恐るるに足らず!」
わざとらしく血を吸った甲冑のまま出て来てやったと言うのに、誰も嫌そうな顔をしない。まったく単純に目の前の人間の勝利を喜び、殺生を繰り広げた人間を平然と受け入れている。
「この功績、ご門跡様に申し上げよう。五万石どころか十万石、いやもっともっとたくさんの領国が与えられようぞ」
「それより犠牲者の家族に使え」
「おおそうかそうか、まったくどこまでも寡欲な武者よ!」
戦勝とか言うが無傷な訳ではない、どうしても犠牲は出る。その犠牲をより少なくして勝つのがいい将であり、一将功なりて万骨枯るなどと言うのは言い訳でしかない。
勝者が万骨枯るほどに戦えば、敗者は万骨どころか十万の骨が枯れてもまったくおかしくない。もちろん、無駄死にである。
(俺自身の不満はそんなに多くない、だが坊主でない人間たちはこの事をどう思う?)
今の龍興は、村岡山城の城主と言う事になっている。
だが権限はまったくなく、せいぜいただの守備隊長にすぎない。街道筋から離れている小城の、名目的には越前侵攻の足掛かりとされているはずの城だと言うのにたいした金穀の蓄えもない城の、名目的城主。
十万石の墨付きとか言うのならば、それ相応の土地や権限を寄越してしかるべきではないのか。自分が本願寺になついていない事を知って冷遇しているのならばまだともかく、そうでないとすればそれこそ部外者が味方しなくなる危険性が増す。顕如様の名を持ち出すのならば、その顕如がどうするか考えるべきではないか。
北陸道を行く荷車に、金銀財宝が山積みにされている。それが村岡山城に入る事はない。
「にしても相当な金銀財宝だな」
「無論、本山へのお布施よ」
「いや出どころを聞いているんだが」
「不信心者と言うのは欲深が多いからな」
「一向宗でない人間は死ぬかもしれんぞ」
「それは信仰を貫いた上で死ぬのだから別に構わぬ、極楽浄土へ行けるのだから。無論一向宗に帰依すればやはり極楽浄土へ行ける」
足羽川以北を抑えるにあたり、一向宗徒でない人間から強引に奪い取ったのだろう。数の知れている坊主たちの説教によって改宗させた上での自主的にお布施させたのではなく、おそらくは暴力を持って。
そして金銀財宝だけではなく、米も奪ったはずだ。収穫時期間近で大した量も残っていないはずの米を。
「極楽浄土へ行くのはずいぶん簡単だな、地獄の閻魔が退屈するぞ」
「素晴らしい事ではないか」
「あれほど抗えば地獄に行くぞと叫んでおいてか?」
「ああやって死んだ時点で罪はなくなる、本来ならばああいう死に方をする必要がなかったと言う時点で彼らは救われるべき衆生だ。地獄に行くのは罪を罪と思わずそれを遂行せよと命ずる輩だけよ」
馬耳東風、蛙の面に小便。何を言っても耳を貸す気配もない。そのくせいざという時にまったく動こうとしない。
「地獄に行くような輩に斬られる哀れな衆生を守り、またその勇気によって自らも極楽浄土へ行こうとするのもまた善行だと思うが」
「まったく、拙僧が出ておれば良かったわ、あのような不埒者の刃など拙僧には届かぬと言うのに……その僧たちは拙僧の手で加賀へ戻し、勤労奉仕させておく」
それでも喰ってかかってみる龍興だったが、頼照は嫌味ったらしく薄汚れた徳利を振り上げ、水を飲みながら左手で敵前逃亡した坊主たちを指差した。
「わかったら疾く加賀へと戻れ、その肉体をもって加賀の民と御仏に尽くせ」
「はっ」
表向きだけは首を落としているが、その顔は落ち込んでいない。足音が聞こえるほどの雑な歩き方をして、乱れた袈裟を直す風もない。
(卜全を討ち取れたのも、守就を討てなかったのも坊主たちのせいだ)
農兵たちの時間差攻撃により隊列を乱れた所を一気に付き、先鋒と次鋒となっていたあの二人を狙い、隊列を分断させたまでは良かった。
だがその結果、卜全は自分ではなく坊主を狙って動いた。武者である自分を置き去りにして坊主と言う別の敵を追いに行った結果、後方からの刃を受けて武者らしからぬ形でこの世を去った。
そして自分たちが狙われるとは露ほども考えなかった坊主たちは急に士気が萎え、農兵たちに向かって自分を守れとか言い出した。守るべき坊主の言葉に伴い大量の農兵が規律正しく向きを変え一瞬安藤軍を包囲したが、ただ単に「坊主が逃げるならば自分も逃げる」程度の判断しかない農兵たちは後方の織田軍に背中を見せる事になり、安藤軍を救うべく本気になった織田軍の前に次々と極楽浄土の住人になった。
それでも将を討たれた以上負けだと判断し後退した織田軍のおかげで足羽川を押さえられそうなものの、それこそその気になればいっぺんに一乗谷城を包囲するぐらいのことまではできたはずだった。
(織田ならもっと良い戦をしたな……)
俗人である事を盾に酒を飲み干し、酒臭い息をばらまいてやった。そしてそれでも薄ら笑いをまるで崩さない頼照と頼周をにらみながら、酒の入っていた徳利を叩き付けた。




