少女の勇気
ここは隣国、他国からは軍事国家と呼ばれている『メリッサ公国』。
『黒壁』と呼ばれる、内部を要塞化した頑強で高い壁を挟んで神聖国と隣接した、日常的に霊が徘徊する特殊な国である。
そんな国の中枢、『公都ヘルヘイム』にある黒い八角形の巨大な建造物。これは賢人評議会館、通称『オクタグラム』と呼ばれるものだ。オクタグラムは言わば国会議事堂のようなもの。この国に王はおらず、全ては選ばれし八人の賢者によって話し合われ、それが国の方針となるのである。
そんな八賢者が今まさに重大な会議を行っているオクタグラム内を、場にそぐわぬ一人の少女がカツカツと靴音を響かせながら走っていた。
「じじい!」
会議室の扉を勢いよく開き、とんでもなく不敬な言葉を発した白い髪の少女。
彼女の名はヴェロニカ・ホッフェンハイム。デジマールの学園にてシンリのクラスメイトだった女の子だ。
「いや、ヴェロニカ。だから賢者をじじいと言うなとあれほど……」
八角形の机には八つの椅子があり、そこに座っているのは八人の賢者。その中の彼女と同じ真っ白な髪をした男性が慌てて立ち上がり注意する。彼の名はゲルンスト・ホッフェンハイム。彼女の先祖にして国の最高権力者、八賢者の一人である。
「そんなことは問題じゃない。報告は聞いた。なぜ出ない?」
「いや、そんなことって……」
ヴェロニカは立ち上がったゲルンストの横を通り過ぎ、そのまま彼用の椅子によいしょと座る。
「これはこれはヴェロニカ嬢。相変わらずお美しい」
「ん、知ってる。それよりも答えて。想定通りシンリは神聖国と敵対し両者は衝突した。現在は彼の仲間たちが戦闘中。今こそ出るべき」
そう言って彼女は強い意志を込めた目で賢者たちを見回した。彼らはゲルンスト同様にすでに霊体となった者たち。自らの最盛期の姿をとっているので皆若々しく、とても『じじい』と呼ぶべき者はいない。外見だけは……。
「ふぉっふぉ。確かに我々は彼の者たちを一国に匹敵する戦力と考え、彼らと共闘する事で永きに渡る因縁に決着を付けようと決めた。だが、問題があるんじゃよ」
賢者の一人が穏やかな表情でそう告げる。彼もまた見た目は二十代の若者のそれであり、年寄り口調との違和感が半端無い。
「何が問題、じじい?」
「だからヴェロニカ、じじいは止めて!」
再びのじじい発言をゲルンストが注意する。建国から続く由緒あるホッフェンハイム家とはいえ、流石に他の賢者に対する不敬は通常なら許されない。
「ふぉっふぉ、嬢の事は生まれた頃より見ておるでな、構わんよ」
「ストーカー?」
「だから、ヴェロニカ止めて!」
ストーカーは言い過ぎだが、彼ら肉体を持たない八賢者はその特性や従える霊によって、人では決して把握出来ぬほどの広い視野と情報収集能力を有している。さらに言えば睡眠の必要もなく、頭を使い過ぎたと頭痛を起こすこともない。
八賢者とは、まさに高度な情報収集解析能力を備えたスーパーコンピュータのようなものなのだ。
「言い過ぎ。中身はじじい」
「え、誰に言ったの?」
「ん、別に……」
彼女の登場で、すっかり雰囲気が弛緩してしまった会議室内。見た目を若く偽っているとはいえ、彼らの表情はすっかり孫を見るお爺ちゃんのそれである。先ほどストーカーと言われた男性がショックで机に突っ伏してしまったので、別の女性がやれやれといった様子で口を開いた。
「ヴェロニカちゃん、問題というのはね。あの者たちの主人、シンリといったかしら?」
「ん、シンリ。私の未来の旦那様」
「……ふふ。実は彼、今行方不明なのよ」
「行方不明?」
「そう。彼はどうやら失われた魔法『転移』を使うらしいから霊による監視網は最大限に強化されていたの。なのに彼が数日前からどこにも見当たらない。もしかすると……」
「シンリは死なない!絶対に!」
女性賢者の暗い表情から、続く言葉を想像したのだろう。ヴェロニカは机を両手でバンッと強く叩きながらそう言った。
彼女の視線に耐え兼ね、女性賢者が俯くとストーカー発言から立ち直った男性賢者が話を引き継ぐ。
「すまんの、ただの可能性の話じゃ。だが、行方不明なのは事実。残る仲間のみでは戦力は半減。我らも慎重にならざるを得んのじゃ」
「ヴェロニカ、貴女もホッフェンハイム家の一員。神聖国とこの国の因縁は理解しているでしょう。他国に軍事国家などと言われながらも、我々がこうして来たるべき日に備えてきたその意味を」
ゲルンストに諭されヴェロニカの瞳の光が揺らぐ。改めて言われるまでもなく、彼女も生まれてからずっと聞かされてきたその話を忘れているわけではないのだ。
「うふふ。ヴェロニカちゃんも女の子なのね。生者に全く興味を示さなかった貴女をそこまで夢中にさせるなんて……。よっぽど素敵だったのかしら」
ヴェロニカの様子を気遣って、女性賢者が優しく微笑みながら話題をそらす。
「それはもう!始めは私の指示で動いていたようですが、二度目に会った時からは彼女自身が積極的に彼に近づくようになりました。寮に戻ってからも彼の話ばかりで……」
「ふぉっふぉっふぉ。嬢を夢中にさせるとは…………そいつ殺るか!」
「……いや貴方、興奮しすぎ。馬鹿ね。子の幸せは応援してあげなきゃダメよ」
「嫌じゃ!嬢はずっと儂らといるんじゃぁ!」
「ん、キモい。絶対いや」
「がーーーーーーん!」
あまりのショックに男性賢者の姿はみるみる薄れて透けていき、座っていた椅子をすり抜けて床まで落ちる。
「……それはともかく。私たちとしては貴女の力になりたい。だけどね、大切な国の民である兵士たちを死地に送り出す以上、万全を期する必要があるのよ。わかって、ヴェロニカちゃん」
「ん、それもわかる。でも、シンリの仲間をこのまま見殺しにすれば、恐らくシンリはこの国を許さない。彼は自らの仲間を家族も同然に扱い、彼女たちを害する者には決して容赦しない。逆に今彼女たちに助力すれば我が国を彼は少なくとも『味方』と認識する。この意味はとてつもなく大きい」
「だけど、現状ではこちらにも多くの被害が出るわ。そんな兵士のこともちゃんと考えているのかしら?」
「ん、もとより大きな損害は想定されていたはず。それに犠牲も無駄にはならないと思う。シンリはきっと来るから」
珍しく饒舌に自らの考えをはっきりと述べるヴェロニカ。彼女の強い瞳からはシンリへの確かな信頼が感じられる。口論をしていた女性賢者も彼女の勢いに負けたのか、ふるふると首を横に振って視線を立ったままのゲルンストへと向けた。
「……先ほどまでの貴方の主張と同じね。『あの施設』から『最初の八人』を連れ出したホッフェンハイムの血は、ここにも引き継がれているってことなのかしら」
「そうですね。あの時から我々は、いずれ来る決して避けられぬ戦いに備えてきました。幼く、しかも当家始まって以来初の女性当主である彼女の代でその日を迎えることになろうとは……先人達も予想だにしなかったでしょうが」
八賢者全員がゲルンストの言葉を追うようにヴェロニカの方に視線を向けた。すると彼女はすっくと椅子から立ち上がり、胸を張って答える。
「ん、女だからこそ私はシンリの奥さんになれる。これこそ神の導きに違いない。神ぐっじょぶ!」
えっへんと誇らしげに宣言する彼女の姿を見て、賢者の誰もが微笑んだ。……若干一名は、ほぼ床に沈んでしまったが。
次いで全員がゲルンストの方を向き、何かに同意するように静かに頷いた。自分以外の全ての賢者の同意を得たゲルンストは、扉に近寄り控えていた従者を呼びつける。
「全軍に通達。『怒れる日は来たれり。鎮魂曲を奏でよ』繰り返す、鎮魂曲を奏でよ!大至急だ!行け!」
「ははっ!」
従者の男性は、ゲルンストの言葉を聞いて表情を強張らせたが、すぐにそれを伝えるべく廊下を駆けていった。それはゴーストの伝令網によって瞬く間に国中に伝えられることだろう。
「ヴェロニカ、もう止まらないよ。覚悟はいいんだね?」
「ん、嫁入り準備は万全。むしろばっち来い!」
「いや、そこじゃないんだが……まあいい。では我々も戦場に向かおう。この国の『未来』を守り、忌まわしい『過去』を打ち倒しに!」
「ん!」
この日、周辺の国々から畏怖を込めて『軍事国家』とまで呼ばれたメリッサ公国がついに動き出し、その剣を隣国アーネスト神聖国へと向けた。この歴史的決断の裏に一人の少女の勇敢な行動があったということは議事録からも抹消され、後の歴史で語られることはなかったという。




