圧倒
「ど・れ・に・し・よ・う・か・な?」
一定の距離を保ちながら包囲する兵士達をシズカはそう言って順に指差していく。
「……お・に・い・さ・ま・の・い・う・と・お・りっ!」
そうして、最後の一人を指差した瞬間、彼女の姿が突然消える……。
「ぐはぁっ!」
彼女の姿を見失った兵士達は、次いで自軍の中から聞こえた仲間の声に反応してそちらを見た。
彼らの視線の先には、転移してきたシズカによって仰向けに押し倒された兵士と、その上に馬乗りになっている彼女の姿。
「うふふ。安心なさい。痛いのははじめだけだから!」
そう言って彼女は自らの指先を軽く噛み傷から血が流れ始めると、それが再生するより早く兵士の首に指を突き刺した。
「『拡散希望』なんてね。では次よ!」
そう言って彼女の姿が再び消えると、今度はまた別の場所で同様の行為が行われる。そうしてそれが十名に達しようかという頃、倒れたままだった最初の兵士の手がピクリと動く。
「お、こいつまだ生きてるぞ。おい! 大丈夫か?」
それに気づいた近くの兵士が駆け寄り声をかける。しばらく体を軽く揺すっているとゆっくりと男の瞼が持ち上がり、その虚ろな目に兵士の姿が映った瞬間……。
「がはっ! な、何をするん……だ」
倒れていた男は突然その身を起こすと、そのまま助けに来た兵士を抱きしめるようにして掴み掛かり、彼の首元へと噛み付いた。十秒ほど経つと噛まれた兵士はぐったりとして抵抗をしなくなり、噛んだ兵士は男をその場に残して走り去る。
これと同じことは戦場の各所で次々と発生した。しかも噛まれた兵士もまた数秒ほどで同様の状態になって起き上がり、周囲の兵士を襲い始めるのだ。
これはシズカの吸血鬼としての能力『眷属化』の簡易版である。自らの血を対象の体内に潜り込ませ肉体と精神を完全に支配するのが本来の眷属化。だが、今回は対象の自我を崩壊させるだけに留め、その肉体には痛覚麻痺と多少の再生能力のみを与えてあった。その為、感染した対象はただ本能のままに血を求めて行動し、自我もなく痛みも感じないので肉体の限界を超えた身体能力を発揮する。さらには少々の傷ならば徐々に回復するという、まるでタチの悪いゾンビのような存在なのだ。
いくら様子がおかしいとしても味方にその剣を向けるのは躊躇われるものだ。そうして躊躇した一瞬の間に次々と敵兵士たちは劣化版吸血鬼たちの餌食となっていく。戦場にシズカが起こしたアウトブレイクはその猛威を振るって拡大し、爆発的に感染者を増やしていった。
一方その頃、敵の槍兵をほぼ壊滅させたアイリは足元に転がった槍を見つめて足を止めていた。本来ならばこの隙だらけに見える状況は絶好の好機なはずであるが、彼女の雷撃の威力を目の当たりにした敵兵たちは、シズカよりももっと遠くに離れて包囲したまま、誰もそれ以上近づこうとはしない。
弓兵でもいれば遠距離から攻撃出来たのだろうが、既に弓兵はシズカによって全滅させられており、魔法隊は本陣からの指示で離れてどこかへ行ってしまったので、彼らにはこうして距離を保ちアイリの消耗を待つ以外に手立てがないのである。
「槍か……いいかもですね!」
そう言ってアイリは、背にした小さなリュックの中に雷狼爪牙を両手から外してしまい込んだ。続いて彼女は黒い薄手の手袋を出して両手にはめると、マジックバッグであるリュックから一本の美しい深緑の槍を取り出しその手に持つ。まるで感触を確かめるようにヒュンヒュンと軽く体の周りで回転させると、その軌跡を追うようにしてフワッと風が土煙を舞い上げた。
この槍こそ彼女の愛槍『北風の魔槍』。柄の木材が彼女の電撃によって焦げてしまうので最近は使っていなかったのだが、そこで彼女はニャッシュビルから来ているケットシーの技術者に頼んで電撃を遮断するこの手袋を作ってもらったのだ。
この槍はもともと冥府の森で生活していた時にシンリが手作りしてくれたもの。穂先が壊れたのを機に、セイナン市の鍛治職人ザレクによって現在の姿に作り変えられたが、彼女にとってはシンリや森の思い出が詰まった何よりも大切な宝物なのである。
「疾っ!」
彼女が地面に向かって魔槍を一振りすると、穂先が通過したよりも二メートルほど先で浅く地面に斬痕を刻んだ。それを満足げに眺めていた彼女は大きく息を吸って呼吸を整えると、視線を周囲の兵士に向ける。
「一度だけ言います。命が惜しくば武器を捨て立ち去りなさい! そして今後我々亜人に対しての偏見を捨てると誓えるならば見逃してあげましょう!」
口調は優しいが強い意志の込められた大きな声で、彼女はそう言い放った。今回の戦いの目的は敵兵の殲滅。その中でのこの発言は彼女の持つ深い慈悲の心故だろう。
「……ふざけるな、この亜人風情が! 貴様らはその存在自体が罪なのだ!」
「聖母様の信徒たる我々の慰み者となって死ねるのだ。獣にはむしろ贅沢であろうが!」
「見逃すだと? 調子に乗るなよこの犬女! 貴様こそ武器を捨て投降するがいい。たっぷりと我らで躾けたあとで殺してやろう!」
彼女の声に一瞬気圧された兵士たちであったが、見下しているはずの亜人種であるアイリから言われたのが我慢出来なかったのだろう。一斉に口を開き、口々にそんな罵声を彼女に浴びせかける。
それを目を閉じてじっと聞いていた彼女の脳裏には、これまで村々で見てきた惨たらしい亜人たちの姿が浮かんでは消えていく……。
「……ふう。十秒待ちました。では、始めさせてもらいます!」
そう言ってアイリが魔槍を水平にひと薙ぎすると、穂先の延長線上の敵兵が数人腹部辺りから真っ二つに斬られて血飛沫をあげた。槍の石突を持って手を伸ばしたとて絶対に届かないはずの距離。だがその斬撃を放ったのは間違いなく彼女である。
「……な、何が起こった?」
「まさか、魔法なのか」
「い、いやだ! 冗談じゃねえ! どけ、もっと遠くに逃げ……」
目の前で起きたことに驚愕し混乱する兵士たち。
だが、彼らもまたアイリが槍を振るう度にその身を斬り裂かれていくのだ。槍の届くはずのない離れた場所で……。
この魔槍に使われている木材は、冥府の森の伸縮樹。これは魔力の影響で伸び縮みする性質を持った特殊な木だ。アイリは槍を振るった瞬間だけその能力を使って槍を伸ばし、さらに穂先が纏う風属性の魔力が風の刃となって敵を斬り裂いているのだ。一振り毎に長さを元に戻しているので敵には槍自体が伸び縮みしているなど想像もできないのであろう。
今の彼女は、まさに戦場に吹き荒れる竜巻そのもの。直径二十メートルを超えようかというその斬撃の暴風は、彼女の動きに合わせて戦場を縦横無尽に移動しながら敵を蹂躙していく。嵐が過ぎた後にはまともに動ける者など残らず、敵兵士たちは成す術もなくその身を木の葉のように散らせていくのみ。
逃げることなど不可能。黒き魔獣のオーラを身に纏い、死を呼ぶ漆黒の竜巻となったアイリは凄まじい速さで敵兵の数を減らしていった。
◆
「報告します! 一部の兵が反逆し各所で同士討ちを始めました。どういう訳か、その数は増えるばかりです!」
「報告! 敵の新たな攻撃にさらされ中央部は被害甚大。至急ご指示を!」
「報告します! 重装及び大盾隊はほぼ壊滅。負傷者多数!」
天幕に副官のシュルツが戻るのと時を同じくして、次々と伝令が報告に訪れた。
その内容はとても敵が三名とは思えぬほどに凄まじく、さすがのロニートも表情を曇らせる。
「残存兵力と現状の位置関係は?」
言葉に詰まるロニートに変わり、シュルツは努めて冷静に状況を確認した。彼自身も驚いていない訳ではない。だが、兵を率いる者としての責任感が感情を押し留めているのだ。
「推測ですが既に……さ、三千を切ったのではないかと。次に敵の動きですが…………」
机は既に破壊されていたので、各伝令は地面に戦場の略図を描いて見て来たシズカらの動きをそれぞれシュルツに説明した。
「ふむ、中央に集められている……のか?」
確かに、一度距離をとって広げさせた各隊が自軍から見て右翼をツバキ、中央をアイリ、左翼をシズカにそれぞれ押し込まれて来ており、それは既に当初の布陣よりも狭い範囲に密集させられようとしている。
信じられない話ではあるが、このまま進めばこの中央最後尾に設置された本陣まで敵が迫るのも時間の問題かも知れない。
「ま、魔法だ! 魔法隊を外周に配置しただろう。味方ごと奴らを吹き飛ばしてしまえ!」
「し、しかし……」
「口答えするな! さっさと指示を伝えろ、行け!」
「……はは!」
本来ならば消耗したシズカらを自軍が取り囲んだ状態で降伏を促し、それを聞き入れない場合は魔法にて攻撃を加えるつもりであった。だが、未だその動きには一切の衰えがなく、何よりも自軍の損耗が早過ぎる。
冒険者をしていれば魔物との戦いで自分の命を優先し同行者を見捨てるような場面も少なくはない。特に自らの力を高める為に、好んで強そうな魔物を狙っていたロニートであればそういう場面も多く経験している。
彼の頭の中では、襲撃したゴブリンの集落に上位の個体が多数いたので突入した仲間ごと焼き払うというのと大差ないのだ。
だが、伝令や副官のシュルツはそのような経験はない。
ロニートの指示に驚いて動けなくなっていた伝令であったが、目を瞑ったシュルツが小さく頷いたのを見て、苦渋の表情を浮かべながら天幕を出て行った。
『いやはや、味方ごととは冷酷だねえ。怖い怖い!』
ロニートとシュルツしか居ないはずの天幕の中……見知らぬ声が突然響いた。




