乱戦
「次ぃ!……って、あら? 逃げる……わけではないようね」
シズカは分離させた裁ち鋏二式を両手に持ったまま、踊るようにその身を回転させ次々と敵兵を切り裂いていた。だが、ついさっきまで一回で数人の敵を斬り倒していたのが、先ほどから一人だったり空振ったりと、どうにも効率が落ちてきているようなのだ。
逃走しているのかと周囲を見回すが、敵兵たちは一定の距離を開けるとこちらに体を向けているようなので、どうやらそうではないらしい。
「それにしても、面倒なっ!」
そう言ってシズカが転移して距離を縮めるのだが、やはり手応えは二名止まり。シンリからの魔力補給を受けられない今、転移を乱用して無駄に魔力を消費させられるのだけは避けねばならない。彼女は、忌々しげに再び距離をとっていく敵兵を睨みつけ、仕方なくその身体能力のみで敵を追っていくのだった。
アイリもまた、敵兵のその動きに気づいていた。彼女の使う電撃もまた密集地では比類なき威力を発揮するのだが、ここまで距離を取られるとやはり効率が悪い。これではシズカがよく口にする「電気の無駄遣い」というやつだろう。
「ならば……もっと速く動くまでっ!」
体の前で手にした雷狼爪牙をガチンガチンとぶつけ合い気合いを入れ直した彼女は、これも修行だと自分に言い聞かせながら、さらに速度を上げるべく強く地を蹴って走り出した。
二人が敵の動きに翻弄されている中、未だに集団が密集したままの一角があった。そこで自らの力を存分に振るっているのはツバキである。
「ひい、邪魔だ! どけ!」
「馬鹿! 踏むんじゃねえよ!」
「うわ! 今度はこっちだ!」
決して狙って行っている訳ではないのだが、ツバキの行動は実に効率のいい殲滅戦となっている。
足を切られた敵兵が蹲って道を塞ぎ、そこで動きを封じられた者が再び彼女の餌食となっていく。そうして出来上がっていく人の壁に向かって、彼女はただ淡々と敵兵を追い込んでいくだけでいいのだ。
その様は、まさに漁の如し。分身したツバキが地面から刀の切っ先を覗かせるだけで、敵兵は面白いように方向を変え、彼女の狙い通りに待ち構える『網』へと誘導されていく。
「主様の御為に!」
そう呟いて彼女は、再びさらなる群れを追い込むべくその身を地面へと沈めていった。
◆
「戦況は?」
「はい。味方の損耗率は随分下がりました。いささか卑怯ではありますが、多勢に無勢。おそらく直に体力の限界を迎えま……ぐぅっ!」
天幕の中でロニートへの報告を行っていた副官『シュルツ』は突如襟首を掴まれて柱に打ち付けられた。その衝撃で天幕が大きくガタガタと揺れると、外にいた数人の騎士が顔を出して何事かと中を覗き込む。彼らが見たのは憤怒の表情でシュルツの襟首を掴んだロニートの姿。
「おいてめえ! 卑怯って何だ、卑怯って!」
ロニートはそう言って、怒気にやや殺気を込めながらシュルツを睨みつける。
「も、申し訳ありません。失言でありました。じ、実に効率のいい策であると思われ……」
「ふん! 最初からそう言えば良いものを……。くだらん自尊心に拘って死にたくはないだろう、なあ元騎士団長さんよ!」
ロニートが嫌味っぽく言うと、一瞬シュルツの表情に影が差した。それを見て満足したのか、ロニートは入口の方へと彼を投げつけ解放する。
「少し頭を冷やすんだな!」
入口近くに倒れこんだシュルツは、中を覗き込んでいた騎士たちに支えられるようにして天幕を後にした。
「団長! 大丈夫ですか?」
「おのれ、あの冒険者風情が調子に乗りおってぇ!」
天幕から離れた兵舎に入ると、シュルツを運んできた騎士たちが怒りを顕にする。
シュルツは、ロニートが言っていた通り騎士団長の地位にあった者だ。その実力はエステヴァン家の領内に於いて並ぶ者無し。誰もが認める最強の騎士であった。強さに奢ることなく優しく義に厚い彼の存在は領民みんなの憧れであり、騎士たちも皆彼のような高潔な存在となるよう、彼を目標にして日々鍛錬に励んでいたのだ。
「口を慎め。聞かれれば命はないぞ」
「し、しかし……」
「仕方あるまい。私は負けたのだ、その冒険者風情とやらにな……」
そう言って彼は、ふうと息を吐いて上を見上げた。閉じた瞼には、まるでたった今見たかのように鮮明に、あの日の記憶が映し出されていた……。
◆
「シュルツ、今後は全軍の一切の指揮を彼に任せる。皆にも徹底しておくようにな」
そう言って当主であるニコライ・エステヴァン卿が連れてきたのは、出来たばかりの白銀の鎧に身を包んだ一人の剣士であった。歳の頃は三十を超えたぐらいであろうか。見下すような不躾な視線や表情とは裏腹に、彼の纏う雰囲気は一流の武人のそれであると一目で分かるほどに研ぎ澄まされている。
『抜き身の刃』とは後日シュルツが彼に抱いた第一印象を副官に語った一言であるが、この言葉が実にしっくりくるほどに目の前に立った男からは触れた者を誰彼構わず傷つけてしまうようなそんな危うさが感じられた。
その後シュルツは、突然の通達に内心穏やかではなかったものの、主君の命だとこれを受け入れ彼の副官として日々真面目にその補佐の任を務めていた。
だが、そんな彼の態度を日々見せつけられて逆に不満を募らせていったのがシュルツ直属の騎士団員たちだ。彼らのほとんどは崇拝にも近い感情でシュルツを慕い、日々彼を目標に研鑽を積み重ねてきた者たち。そんな彼が何の落ち度もなく降格され、ましてやその部下としてこき使われている現実など到底彼らには受け入れられなかったのだ。
結果その不満はすぐに爆発し、ロニートに反発した騎士たちを庇う形でシュルツとロニートは剣を交えることとなる。
シュルツは人族の到達点であるレベル99に達していた。効率よくレベル上げをするには本来魔物を討伐するのが一番だ。それを彼は対人戦や鍛錬のみでこの域まで達した。その才能と血の滲むような努力は誰もが認めるものであり、こと資質の面でいえば彼は間違いなくロニートを超えたであろう逸材なのだ。
だが、レベル差はそんな彼の努力の日々さえ簡単に踏みにじる……。
ロニートは本来、デジマールの大会後にS級となるべく認定試合に臨む予定であった。S級に挑むための最低限の条件は、常人では到達不可能なレベル上限を超えていること。つまり彼はその条件をクリアし既にレベル100を上回っているということである。さらに彼が磨いてきた剣技は完全な対魔物を想定した実践的なものであり、我流で変則的なその剣は騎士としての正々堂々の立会いを基準としたシュルツにとって未知のものであり、初見での対応は困難であった。
いや、実際にはもっと拮抗した試合になっていたかも知れない。なぜなら彼の心は試合の間中もずっと、忠義心と部下の心情の間で揺れ動いていたのだから……。
レベル差と剣技、そして自らの心の弱さによって、彼は実にあっさりとロニートの前に敗北したのだった。
◆
「皆持ち場に戻れ。今はとにかく目の前の敵に集中するんだ!」
呼び起こした情景を消し去るようにフルフルと首を横に振り、彼は周囲に集まった騎士たちに命じた。このままここに留まっていればロニートにあらぬ疑いをかけられてしまう。
事実、例の一件の発端となった騎士ら数名は、決闘後に見せしめとして処刑されているのだ。傷ついて動けなかったシュルツに見せつけるように……。
出て行く騎士たちの背を見送りながら、彼は一兵でも多くの者が無事に生還することを信奉する聖母に祈った。
だが、その願いは聞き届けられることはないだろう。
彼らが敵対する者たちは、その一兵であっても見逃すつもりなどないのだから……。
「うふふふ。面倒だわ、そろそろ本気を出そうかしら!」
敵兵の残数、残り約四千百名。




