パンドラの涙
「村の皆様、初めまして! ワタクシ達は世にも珍しき見世物を持って世界を回る一座にございます。本日は皆様に、ぜひ御覧頂きたい摩訶不思議なものを持参してまいりました。どうぞ舞台を御覧くださいませ!」
ここは、砂漠に点在している人族が暮らすとある村。
その中央には貴重な井戸を中心とした広場があり、そこに派手で目を引く小さな舞台が設置されていた。
舞台の上には布がかけられた箱が置かれていて、その両端にはまるでどこぞのカーニバルかサーカスのような衣装を着たナーサとマリエの両人が仮面を被って立っており、その箱の前では紫のタキシード上下を着て、頭には小さなシルクハットをちょこんと被り、パーティアイテムのようなチョビのつけ髭を付けたシズカが、くるくると舞うように動き回って声を上げている。
もともと、娯楽といえば獣人を痛めつけるくらいしかない村人たちだ。その小さな舞台の前には、大人から子供まであらゆる世代の村中の者が集まっており、シズカ達の見世物が始まるのを今か今かと待ちわびていた。
「もう村中の者が揃っているぞ!」
「早く見せろ!」
「もう待てないわ!」
「おねーちゃん早く!」
客達はもう待ちきれないとばかりに騒ぎ出した。
それを煽って楽しむように、シズカは耳に手を当ててうんうんと頷きながら、まるでピエロのようにおどけてみせる。
「では皆様……」
シズカがその箱の背後に回ると、ナーサとマリエは布の両端を持ち上げた。
それは、箱の背後にいたシズカの姿まですっぽりと隠してしまう。そして……
「御覧いただきましょう!」
そうシズカが告げるのと同時に、布がパッと下に落とされ、箱があると思った場所にはいつものメイド服姿のシズカがおり、その真紅の右目が妖しく輝いていて……
「皆々様に素敵な悪夢を『魅了』!」
瞬間……その場にいた全員の意識は、全てシズカの意のままになった……。
「終わったみたいですね?」
舞台の脇に停めてあった馬車の中から、そう言ってアイリとツバキが姿を見せる。
「ええ、早速村中を調べてちょうだい」
「はい、行ってきます!」
コクコク!
シズカの指示に従い、二人は村の中へと向かっていった。
「これで五つ目の村ね。さて、この方たちにはどこを襲ってもらおうかしら……」
「しかし、パンドラ姉様も容赦ないじゃんよ」
「まさか、人間同士を争わせるなんて……びっくり……なの」
そう、全てはあの日から始まっているのだ。
パンドラの本気の問いに、彼女達全員が応えたあの日から……。
◆
「……お姉様、愚問ですわね。このワタクシの身も心もとっくにお兄様に捧げたもの。正気のお兄様に殺されるのでしたらそれは本望、いいえご褒美ですわ!」
パンドラの予想通り、最初にそう言って顔を上げたのはやはりシズカであった。
攻撃を受けた当事者とはいえ、やはり彼女とシンリの関係性は、パンドラと同様に深く強いものなのだ。
『同意。この身はいついかなる時も愛しの旦那様のものであると当機は断言します』
「くっ!またしても機械如きに遅れを……。某は主君の『剣』。無論どこまでもお供します!」
『私は……まあ、今更言う必要はないでしょパンドラ』
続いたのは、その存在理由がシンリであるアオイ。同じく、彼からの恩に報いるためだけに地上に残っているガブリエラ。そして、彼を媒介にしてこの世界に干渉しているミスティ。
彼女達の本心など、とっくの昔に決まっている。シズカが襲われた件は確かに衝撃的であったが、それくらいで心変わりする程度の思いでこの場にいる者はパンドラが言わずとも、元よりいなかったのだ。
残った全員も左手の薬指にはめた指輪を見つめ、そして各自で決意を言葉にしながら顔を上げた。
「……そう。本当にいい娘達ね。それでこそシンリちゃんが選んだ者よ」
パンドラは、一人の脱落者も出ることなく決意を表明したことに安堵し、彼女達の顔を満足げに見回した。
「本当にいい娘達……だからこそ。だからこそ残念でならないわ!」
「お姉様……?」
全員の顔を見た後、突然そう言ってパンドラは俯いてしまった。吹き出す瘴気が濃くなっていることが彼女の感情の高まりを感じさせる。
「シンリちゃんがあんなになるまで、誰も本当の意味での心の支えになれてなかったってことが!」
「……っ!」
その言葉を聞いて、その場の誰もが絶句する。
シズカはこの神聖国へ再び乗り込む話を屋敷でシンリが行った際に、なぜ自分達もダレウスやシルビア同様にあの場でそれを聞かされたのかという部分に、ずっとひっかりのようなものを感じていたのだが、パンドラのひと言はまさにその答えのように感じた。
シンリは事前に話さなかったのではない。話せなかったのだと……。
「よくお聞きなさい。シンリちゃんの『魔眼』。あれは別の世界に封印されている『悪魔』と鎖のようなもので繋がっていて、そんな彼らの力を引き出して発動する。六体まではシンリちゃんの高い魔力によって上書きされ完全に封印が施されているわ。でも問題は残る一体。これはどうやら元々の封印に綻びがあったようで、その魂の一部を切り離してこの世界に入ってきてしまった……」
「悪魔……」
その言葉にいち早く反応したのはガブリエラ。彼女自身は未だ経験がないが、一族の伝承には天使と悪魔が戦う『聖戦』という記載が多くあったのを思い出したのだ。
「この一体は、これまでも数度シンリちゃんに様々な形で接触を試みているわ。その目的はシンリちゃんの心を折ること。そうして出来た心の空白に自らの魂を忍び込ませ、最終的にはシンリちゃん自身を乗っ取ろうと企んでいるのよ!」
「まさか……ではお姉様、先日のは?」
「そうよ。絶望的な光景を見せ付けることによってシンリちゃんの自我を奪い、乗っ取ろうとしたの」
それを聞いたシズカは、先日のシンリの変わり果てた姿。そして前にユーステティアが話していた翼の生えた魔物の話を思い浮かべる。
「本来は、シンリちゃんに魔眼をどんどん使わせ、その大いなる力に溺れて『堕落』させて心を弱らせようとしてたみたい。だけど……」
「主様は、魔眼に頼らない……」
「そう。シンリちゃんはそれのみに頼らない。だから彼は方法を変えた……いかに自分が無力で矮小なものであるかを痛感させ、シンリちゃんの心を折るようにと……」
確かに、シンリは魔眼の力を極力使わずに過ごしている。これはすなわち、彼自身がその秘めたる危険性に気づいていたからに他ならない。
魔眼がなくても、彼の力は十分規格外。かなりのチートであるとシズカは知っている。
だが、そんなチートをやたらと振りかざすのではなく、むしろ周囲に配慮して行使をためらっている場面が多い。ラノベの主人公ならばここで敵を圧倒的な力で全滅させてハッピーエンドといく場面でも、周りのことを考えすぎていて、悪く言えばスカッとしない。
優しい兄のことだ、それらはすべて自身の内に堆積していき、彼の心を少しずつすり減らしていったに違いない。
「今のシンリちゃんに本当に必要なのはね、強力な力でも強大な魔法でもない。ましてやシンリちゃんに全てを委ねることでもない……」
パンドラは改めて全員の顔を見回す。
「それは心から信頼出来る仲間。後ろからじゃない、その『隣』をしっかりと歩いてくれる者こそが必要なの!」
そう言った彼女の頬を伝う一筋の光。
誰よりもその隣に居たいのに、自らはあの森を自由には出られない。
その涙には、パンドラが誰よりもシンリを愛するが故の辛い想いの全てが込められている。
「……申し訳ありまじぇん! おでぇたまぁーっ! わああぁぁーん」
その想いは全員に伝わり、彼女達はパンドラに詫びながら盛大に泣いた。
これまで、自分達がどれだけ幸せな環境にいて、それにあぐらをかいていたのか。彼のそばに居られるということにどれだけ感謝しなければならないのか。そうして、全てを彼に任せるのではなく、なぜもっと自分自身が考え意見を出し、そして彼を助けるべく動かなかったのかを後悔して……。




