シズカが見たもの
「いったいどうしたんですか!シズカさん、シンリ様に何があったというんです?」
シズカに掴みかからんばかりの勢いで問いかけるアイリ。
彼女らの隣、ベッドの上には消耗しきった様子で眠るシンリの姿があった。
「ここまで衰弱したシンリ様は一度も……っ!まさか……」
こんなに衰弱したシンリの姿は見たことがないと言いかけたアイリだったが、この中で唯一彼女だけがこれに近い状態になった彼の姿を見たことがあったのを思い出したのだ。
それは魔眼の開眼……彼女はシンリが【色欲眼】を開眼した場に居合わせた。とはいえ、直接見たのは開眼後であり、その際はシンリ自身も気丈に振る舞っていたので今のように寝込むことはなかったのだが、その夜のシンリの疲れ切った寝姿と今の様子はよく似ている……。
「アイリが開眼の影響だと考えているなら答えはノーよ。状況はもっと悪いと言っていいわ……」
「では何が……それにどうしてここにパンドラ姉様までがおられるのですか?」
そう、この部屋には仲間たちと共にもう一人、ほとんど冥府の森を出ることのないパンドラがベッドの脇に置かれた椅子に座っている。そんな彼女の両脇にはミスティとガブリエラが立ち、懸命に彼女から溢れ出す瘴気を浄化していた。
ちなみに、農場から戻る難民は巫女王スクナピコナによって呼ばれた小人族の門でコロニーに戻され、仲間たちが警護から離れる各コロニーでは念のため入り口を封鎖、結界を強化していた。また、コロニーを求めてくる難民に対してはアマルティアとその部下が見回りを行っている。
シズカは室内を見回す……目の前のアイリそして壁際でじっと彼女からの話を待つツバキ、マリエ、アオイの姿。
アオイはともかく、残る二人はこれを話しても大丈夫だろうか……。
不安はある。だが、シンリと生涯共に歩くと決めた彼女らに隠しておくことも許されまい。
シズカはその場にスッと立ち上がると、彼女が見た全てを語り始めた……。
お兄様を追って入った村で異常なほどの魔力を感じた私は、その根源となる存在を目にして、久しぶりに『恐怖』という感情を思い出した。
身長三メートルほどの黒い巨体はただひたすらに闇のように黒く。見つめる者全ての魂をその闇の彼方に引きずり込んでしまいそうな途方もない深さを感じさせる。湧き出すその闇には瘴気が濃く含まれているのだろう。その足元や周囲の地面がまるで腐っていくかのように変色していく。
そうしているうちに背後からガブリエラとミスティが来るのが見えた。
その黒い化け物の向こうには幼い少女が足と頭をそれぞれ馬にロープで繋がれているのが見えたが、瞬間その黒い化け物の巨大な腕がそれぞれに馬を掴み、豆腐でも潰すかのように握りつぶした。
ガブリエラに聞けば、彼女がシンリの言っていたペポという少女らしい。こちらに来た頃からお兄様は時折、「ペポは元気かな」とか「時間ができたら餡パンを持って行ってあげなきゃな」などと呟いて随分気にかけていたから、そんな彼女の危機に感情が高ぶったのかも知れない……。
「でも……これは一体なんなんですかお兄様ぁぁぁぁっ!」
私の声に反応して黒い化け物がぐるんと首だけを回してこちらを見た。
落書きでぐるぐると円をひたすら描き殴っただけのような存在感のない両目。頭の両側にはぐるぐるとドリルのようにひねった長いツノが生えている。
「魔力は確かにお兄様のもの。ですがお兄様の感情、いいえその存在をこのワタクシが感じ取れないなんてどういう……くはあっ!」
黒い化け物はすでにペポという少女の周りにいた者を全て叩き潰していて、今度はその攻撃目標を私に決めたらしい。一瞬で距離を詰め、強烈な一撃が襲いかかってくる。お兄様の魔力の気配に判断が遅れた私は、その一撃をガードした両腕で受け、そのまま吹き飛んだ。
「……くう、両腕と……五人ほど逝かされてしまいましたか。これが本来のお兄様であれば最高のご褒美ですのに、今日のは何故か……不快ですわぁぁぁぁっ!」
即座に再生させた両手でハンマーを持ち、転移で距離を詰めてその黒い化け物の頭を目がけて振り下ろす。その頭上で十人になった私による本気の十連撃……
「は、嘘っ!」
だが、そこにはすでに黒い化け物の姿はなかった。轟音と共に大地に小さなクレーターを作った私の体が一つに戻った瞬間、視界の端に黒い影を捉えて……
「ぶきゃうっ!」
蹴飛ばされた私の体は軽々と吹き飛び、瓦礫の山に突っ込んだ。
「はあはあ、これほどのダメージを受けるのはいつ以来でしょう。これでは本当に全ての魂を逝かされてしまうかもしれませんね……」
私が纏うメイド服『怨者の冥途服』。この中には以前倒した盗賊の魂約四十人分が捕えられていて、私の身に死に至るほどのダメージが降りかかった時にその一つを消費することでそれを、なかったことにする。
無論、不死者である私は本当の意味で死ぬわけではないが、全身をバラバラにされたりすればそれなりに再生にも時間がかかる。手や足を切り落とされようと問題ないので、要はそれ以上の被害が出る状況を死に至ると判定しているのだ。この服の防御力を超え尚且つ腕を吹き飛ばすのも相当な力が必要なのだが、あの怪物の攻撃はまるでやや本気になったお兄様の攻撃のように、容赦なくそれを超えて魂を削っている。
私がすぐに再生することを知っているかのように、黒い化け物はゆっくりとこちらに歩いてきていた。
未だぐちゃぐちゃにされた足の再生が追いつかず立ち上がれない私は、かろうじて再生した右腕でハンマーを握り身構える。至近までくれば転移で背後を取って……。
「え、消え……っ!」
視界から消えた巨体。次の瞬間、ぞわりという嫌な気配が背中をなぞり、私は突如覆いかぶさった巨大な影がある後ろを振り向いた。
振り上げられた黒い右腕。あれをもらえばとてもじゃないが戦える状態ではなくなる。
このままでは……
『混沌ーー』
「こ、この声はまさか!」
『……巨龍拳!』
それは……例えるなら巨木いや、ビルであろうか……。
ややふざけたような掛け声とともに巨大な影が対峙する二人を覆い、それは私を直撃から避けるようにして軌道を変えながら黒い化け物だけを叩き潰し、そのまま地面に五メートルほどの深さのクレーターを作り出した。
誰がいったい、これがかつて世界を滅ぼしかけた巨龍の腕であると信じようか……。
まるでアニメのゴム人間の彼のように、そのあまりにも巨大な龍腕を体内に戻しながら、その一撃を放った黒い人影は、バサバサと自らの背中に生えた翼で羽ばたき爆風で数メートル転げた私の隣に降り立った。
「お、お姉様何故……いいえ、実は……」
「わかってるから再生に集中なさい。あれは……シンリちゃんよね」
爆風で吹き飛ばされた際、再生中の組織が風に舞ってちぎれ、今の私は右腕一本しかまともに残ってはいなかった。どこからともなく現れたパンドラ姉様は多少事情がわかっているようで、私の再生を待つ間に保護した村人を必死で守ったり治療していたミスティとガブリエラを呼びつけると、自分から出る瘴気を頑張って浄化するように命令した。
生半可な者ではそんなこと不可能であろうが、この二人だからこそやれやれといった表情で浄化出来ているのだ。これはお兄様の人選に感謝だ。
「お待たせしました……お兄様は?」
再生によって四肢が揃い、先ほどお姉様が作ったクレーターまで行くと、彼女の腕にはいつもの姿のお兄様が抱きかかえられていた。
「大丈夫よ、気を失っているだけだから」
見れば、一撃で『山』すら『谷』に変えてしまうほどのお姉様の一撃を受けて、気を失うだけで大した外傷もない。
私が言うのもなんだが、二人とも本当に『化け物』だと思う。
後から駆け付けたアマルティアは『天から降った黒い柱』の正体を必死で聞いてきたが、お姉様の存在は周辺の各国に多大な影響を及ぼしかねない。
とりあえず、お兄様の魔法ということで誤魔化し、彼女たちに村人のコロニーへの送迎を任せ、私たちはお兄様やパンドラ姉様と共に帰ってきた。




