悪い報せ
「お休み中に失礼します!帝都より火急の報せがまいりました!」
ここは帝国南端の国境付近にある草原。布製のテントが幾つも設置されたこの帝国軍野営地にそんな兵士の声が突然響いた。
他のテントより明らかに大きく造りの良いこの寝所の主ガウェインは、伝令の兵士からその報告が書かれた羊皮紙を受け取ると急いでそれを見た。読み進めるにしたがって彼の手はぶるぶると小刻みに震えはじめ、ギリギリという歯ぎしりの音が寝所内に響いている。
「エドワードが!……またしても俺は……くそっ!」
ガウェインは大きく深呼吸して、表で待つ伝令に総員起こしと至急の出発準備を命じると、同地で野営中の『黄光重装兵団』にも事情を伝え同様に準備させるように指示をした。
それから暫くの後、天幕の張られた陣所の中にはガウェイン、ニコラス両将軍とそれぞれの補佐たる重臣達が集まっている。
「嘘だ!あのエドワードが死ぬ筈がねえ!」
「落ち着いてくださいニコラス。しかし彼の娘であるジャンヌちゃんがそんな嘘をつく道理が無い」
「だが……嘘だと言ってくれ……だってあのエドワードなんだぜ!」
「…………」
同じ年齢で、どちらも代々続く将軍家に生まれ、武の道に関する考え方も共感し合っていたニコラスとエドワードは幼い時からの親友同士であり、兄弟とも家族とも呼べる間柄。そして何より互いに刺激し合い高め合う良き好敵手でもあった。そんな彼の突然の訃報はこの場の誰も見た事がないほど、この獅子の如き戦士を動揺させた。
敵が強ければ強いほど、それが困難であればあるほど燃え上がり、笑顔でそれらに立ち向かうまさに男の中の男。それが誰しもがイメージするニコラス・ランパードという男である。
ちなみにこの報告はジャンヌが自らの判断で皇城に父の訃報を報告した際、同時に遠征中の両将軍に宛てて至急にと送ったものであった。その内容は父の暗殺による死と、帝国内部に既に多くの敵勢力が侵入している可能性があると報せるものだ。
「落ち着いたかいニコラス?」
「……ああ、取り乱してすまない…………」
しばしの沈黙が続いた後、ガウェインが再び問うとニコラスは下を向いたままそう答えた。だが全く気持ちが切り替わっていないのは握りしめた彼の両の拳から滴る血を見れば明らかだ。
その後の軍議もほぼガウェイン一人が話すだけで進められた。誰も今のニコラスにはかける言葉さえ見つからなかったのだ。
このまま敵と遭遇した場合の危険性を考え、また移動速度も考慮した上で全軍による一斉反転は行わず、ひとまず『黄光重装兵団』を中心にした本隊を即時出発させ、野営地の撤収完了を待ってガウェイン率いる残りの戦力がしんがりを務めつつ帰還する形を取る事となった。
「またしても俺は兄さんにしてやられたという事か……くそっ!」
ニコラス率いる『黄光重装兵団』と準備が整った部隊合わせて約四万の軍勢が慌ただしく出発し、残る一万あまりの者達で野営地の撤収を急ぐ中、指示や見回りをするガウェインの口からそんな愚痴がこぼれる。先程までの慌てふためき取る物も取りあえずして総数五万近い全軍が出発準備を急ぐ様は傍目にはひどく滑稽だったろう。そんな自軍の混乱状態をどこかで兄が見ながらほくそ笑んでいるのではないか。そう考えれば考えるほど踊らされている自身の愚かさに腹が立って仕方がないのだ。
しかし、そんな彼を嘲笑うが如く事態は更に悪化する……。
「伝令っ!帝都へ帰還中のニコラス将軍旗下の本隊が敵の待ち伏せに遭遇。現在交戦中!」
「何ぃっ!それで敵は?そのだいたいの規模は解るのか?」
「はい!敵は近隣の小国連合軍と思われ、その数約一万五千!なお、その中に『龍姫』の軍勢は見当たらないとのことです!」
「このタイミングで……しかも『龍姫』がいないだと?まさかすでに……」
「敵襲ーーっ!」
先発した本隊が小国連合軍による待ち伏せを受け、さらにはその中に今回の侵攻に於ける最大の懸念材料たる『龍姫』はおろかその配下の軍勢さえ見当たらないという最悪の報告がもたらされた直後、今度は味方の後方から見張りの兵士の大きな声が響き、撤収作業を急いでいた味方陣内は大きな混乱に包まれた。
「閣下!後方に現れた軍勢の旗は『緑』!恐らくは噂の『狂王』率いる軍勢で間違いないかと……」
そう報告してきたのは副団長のオットーだ。いち早く後方の敵の状況を確認してきたのだろう。彼のこの冷静な判断力と行動力には本当にいつも助けられる。ガウェインはそう思うと不思議と落ち着く事が出来た。
「敵との距離は?魔法隊と弓隊は残っているな、準備はすぐに出来そうか?」
「敵は約五千。現在ここから五キロほどの位置をこの陣目がけて真っ直ぐに進行中。魔法及び弓隊にはすでに後方に集合をかけています!」
「流石に手際がいいな。よし!あとこちらの状況を本隊のニコラスに報告して増援の準備をしてもらってくれ!」
「そう仰ると思っておりました。もう伝令の準備は出来ておりますので、すぐに出発させます!」
何から何まで、本当に副団長のオットーは有能な部下である。
いよいよ自らの手で兄弟達を討たねばならぬ時が近づいているのだ。口には出さないが正直ガウェインはいつものような冷静な判断を下せる自信はない。そんな彼にとってオットーの存在がどれだけ心強いか……。
「よし、我々も行くか!ここは遮蔽物も少ない。纏めた荷物を全員で陣の前に積んで防壁を作るぞ!俺も手伝う!」
「はい!」
そう言って二人は周囲の兵士を連れだって歩いていった。
ガルデンの事をよく知る部下達も多い。無論オットーもその一人だ。しかし彼等は余計な考えを一切捨てて、ただ帝国を守る為だけに戦いに臨もうとしている。
敵側についた友がいる者もいる。同僚やガウェインのように兄弟でそれぞれ道を違えてしまった者もいる。
それがどんなに辛い戦いになろうとも……歩みを止める者は誰一人としてここにはいないのだ。
 




