六華無双 ツバキ編1
まだ朝日が昇るにはやや早く薄暗い帝都の中で、皇城に近いある一角だけは昼間のような光に包まれていた。
ここは『黒光影団』頭領ミツクニの屋敷。ぐるりとその周りをある程度の距離を置いて取り囲む敵兵は手に手に『照光の魔道具』を持ち、その後方に位置する魔道士達が宙に『ライト』の魔法を発動させており、夥しい数の光球が彼等の頭上に浮かんでいた。
「火矢を放ちなさい!」
敵軍の将と思しき男性の合図を受け、多くの火矢が屋敷目掛けて放たれる。すると屋敷の外壁や屋根の上に複数の人影が姿を見せ、それらを懸命に撃ち落として回った。
「はあはあ……カエデ様このままではジリ貧です。打って出ましょう!」
「……我らの本来の総戦力、その半数でもこの場におれば迷わずそうします。しかし僅か二十名足らずでは……」
屋根の上には複数の人影が集まり話をしていた。その中心に居るのは屋敷の警護を任されているカエデ。特務で不在のイチョウやキサラギに並ぶ実力者である。
「くそ、何故奴等は我らの能力を知っている?能力を使わず突っ込んでいけば犬死にするだけだ……」
そう言ってカエデは恨めしそうに眩い光を放つ光球の群れを睨みつけていた。
「しかし、奴等は何故打って出て来ぬのでしょうシグルド様?」
屋敷を包囲する敵兵の中には簡素な陣所が設営されており、そこに座る白銀の鎧を着て緑のマントを羽織った細身の男性に一人の兵士が話しかけている。
彼の名はシグルド。『緑光十二聖』序列四位、かつて『無傷』のシグルドと呼ばれた元A級冒険者だ。
「ふう。いけません、いけませんね。頭をもっとお使いなさい。彼等は出て来ないのではなく、出て来られないのですよ」
「……はあ」
シグルドも最初にその話を聞かされた時は半信半疑だった。『黒光影団』の主力の多くは影を使って移動するらしい。影を使う者、そんな話はおとぎ話でさえ聞いた事がない。
だが彼にその情報を与えたのは彼等の王ガルデウス。多くの側近はそれが名を変えたガルデンである事を知っており以前と変わらず付き従っているのだが、『狂王』……狂気の王と名乗っていても尚、彼がもたらす情報や立案する作戦は緻密にして大胆不適。自ら策士を自称してきたシグルドにとっても大いに尊敬すべき人物である。
そんな彼から教えられた影封じの策。それはただ強力な光源を大量に準備し、こちらとの間に僅かな影さえ繋げない事。たったそれだけで帝都の闇を支配するとまで言われる『黒光影団』はただの素早いだけの兵士になり下がり、現在のように距離を置いて遠距離からの攻撃に徹すれば、手も足も出せないというわけだ。
「何とも楽なお仕事だ。私向きだなクックック」
彼は直接戦闘に於いても実はかなりの使い手だ。しかし、基本極力自身で動く事をせず智謀と策略を以って事にあたるのが彼のスタイル。次々と困難な依頼をこなしながら自らは擦り傷一つ負う事がなく、正に二つ名の通り『無傷』でA級に登り詰めている。
未だ首を捻って頭を抱えている兵士に向かって、余裕綽々の彼が言う。
「わからないか?全ては、事が始まる前に既に終わっているという事さ」
「…………」
それを聞いた兵士は最早自分では考え及ばない事を悟り、それ以上考えるのを止めた。
のんびりと構える敵陣とは対照的に屋敷の守備をするカエデ達は休む暇もなく駆け回っていた。
あれからも散発的に火矢が放たれて襲いかかりそれらを総員で必死に叩き落としているのだが、叩き落とした火矢の火が植木や家屋に引火する事もあり火矢の対処と同時にそれらの消火まで行わなければならない。
「カエデ様、これでは消火の手が足りません!せめて里から子供達を消火要員に!」
「馬鹿者!里の……いや我らの種族の未来を担う子供達にもしもの事があったらどうする!そんな事は絶対出来ん!」
確かに、消火の手は明らかに足りてはいない。庭の隅にある井戸から水を汲み上げ、桶に入れて運び消火する。そんな手間のかかる作業を僅か数人で行っていては、消火が終わらぬうちに次の火矢が放たれてしまう。
「くっ……」
このままでは屋敷や竹林が炎に包まれるのは時間の問題……。
「何故屋敷を放棄して攻めて出ない?」
「だ、誰だっ?」
カエデは突然自らの背後から聞こえた見知らぬ声の問いかけに驚き、手にしていた槍を構えて振り返った。
「私は黒装六華のツバキ。主様の命により助太刀する」
「……う、嘘っ……」
ツバキの姿を見た途端、あまりの驚愕に口を押さえるカエデ。
「ツバキさん……貴女もしかして……」
敵陣から放たれる光に照らされてツバキの方に長く伸びた彼女の影。彼女を驚かせているのはその影から上半身のみを出しているツバキの姿。
「……驚く事はない。私は貴女達と同じなだけだ」
ここに転移して来た時にツバキはミツクニら『黒光影団』の者達が自分と同じ『影人種』である事をシンリによって聞かされていた。髪の色こそミツクニ以外黒くはなかったが彼等の放つ独特の雰囲気と魔力の波動でシンリはミツクニをはじめイチョウやモミジらもツバキと同じである事を見抜いていたのだ。
「だからこそここにはツバキが向かうべきだと考えたんだ。彼等を助け、自分の心としっかり向き合っておいで」
そんなシンリの言葉の真意をツバキは痛いほどに感じていた。もう既に全ての集落が失われ滅んでしまったと思っていた同種族。それは真に彼女の事を理解し得る本当の仲間達。彼女が夢見、憧れた者達との再会が遂に今叶うのだ。
本来ならば感涙に咽ぶところであろう。いや、シンリと出会う前ならば感激に身を打ち震わせ涙が止まらなくなっているところだ。だが……彼女の心は複雑だった。
自分の心としっかり向き合え。シンリのこの言葉にその全てが凝縮されている。彼女はやや潤みかけた瞳を一度だけ手でこすると、真っ直ぐにシンリを見つめて言った。
「行ってまいります主様!」
背を向けて影に消える彼女の姿を優しくそして少し寂しそうな表情で見送ったシンリは再び仲間達の元へと転移した。




