二日前
ジャンヌの父エドワードが皇城から戻ってからというもの、屋敷の周囲は日々慌ただしさを増していった。
二将軍が出発し、帝都の守備を任されたエドワード将軍は外壁の守りを固める部隊と皇城の守備をする隊を編成。帝都内の巡回も強化しなければならない。上の姉二人が既に嫁いで家を出ている為に、ジャンヌも父の手伝いに駆り出されており、日課の修行もお休みだ。
「居ないなら居ないで、また退屈ですわね」
「ジャンヌさんは頑張り屋さんです」
コクコク。
「まあ、妾は稽古相手はしておらぬが確かに静かなものじゃのう」
「一人で…騒いでた…なの」
「賑やかなのに慣れちゃったじゃんよ」
「まだまだ未熟ではありますが、努力する姿勢には好感が持てます」
ここはいわば帝都守備隊の本部。それ故下の階にも多くの人の出入りがある為、俺の寝室でゴロゴロして過ごす仲間達。忙しいジャンヌに代わり護衛を任されたユーステティアも一緒だ。
「シンリ様、お聞きしてもよろしいですか?」
「ん、何だいティア」
「こうしてご一緒に過ごさせていただくようになって思ったのですが、シンリ様はなぜ【魔眼】のお力を最低限しかお使いにならないのでしょう?」
「…ッ!貴女、なぜそれを!」
ユーステティアが言った何気ない疑問。しかし今初めて彼女が【魔眼】の存在を知っていると聞いた仲間達は動揺を見せ、シズカはすぐに立ち上がった。
「シズカ、彼女はステータスが見える。以前俺のステータスを見ているからその時に見たんだろう」
「ごめんねシズカちゃん!ここには知ってる者しか居ないと思ってつい……でも誰にも話してないよ!もちろんジャンヌちゃんにも」
俺の説明と慌てて謝るユーステティアの態度に、やれやれといった様子でシズカも納得し腰を下ろす。
「……まあ、確かにみんなが思っていた事ですわ。お兄様が本気で【魔眼】をお使いになられれば世界の全てを簡単に支配なさるでしょうに、最近では出会う者に【嫉妬眼】を使うのも控えておいでのご様子……」
確かに俺はこのところ極力【魔眼】に頼らないように心がけている。
視認した対象を、その空間ごとですら食い尽くす【暴食眼】は、最低限の能力でただの収納庫代わりだし、如何なる者も強制的に支配下に出来る【傲慢眼】もガブリエラや『冥府の森』の仲間達のように相手が望まなければ契約しない。あらゆる知的探求を満たせる【嫉妬眼】も出来るだけ控え、知りたい事があれば自分や仲間達で動いて調査したり文献を見たりして、自分の頭で答えを導くようにしている。肉体に過剰な負荷がかかる【憤怒眼】の使用は論外だし、【色欲眼】の『真』の力などは考えるだけでも恥ずかしい。
それでも『冥府の森』を出た当初は【嫉妬眼】でよく他人のステータスを見て相手を判断していた。しかし、今考えればそんなのは卑怯だ。相手の全てを見るだけで知ってしまうなどやはり許される事ではない。実際、それ故ユーステティアはあんな不自由な思いをしているのだから。
それらを決意させたのはあの『ヨハン』に化けていた何者かの言葉。彼が言った『七つ目』に至る先にはどうにも不安しか感じない。根拠はないのだが【魔眼】を過剰に使い過ぎると良くない方向に進む気がしてならないのだ。
「……そうだな。まあ単純に俺は『普通』に暮らしていきたいんだ。もちろん俺の大切な者を護る為に使うのならためらいはしない。だがこれは努力して身につけた能力じゃあないんだから、そんなのフェアじゃないだろ」
「お兄様……」
「シンリ様のお手を煩わせぬよう、もっともっと努力します!」
「流石です主様!」
「我が君はまことに紳士であるのう。ほほほ」
「シンリ…素敵…なの」
「けっ、格好良過ぎじゃんよ!」
「某が敵わぬほどの剣技をお持ちなのです。当然でしょう」
共感の意を示してくれる仲間達、まあこの面子が既にやや『普通』ではない気もするんだが……。
「ふう、夜になるとちと冷えるなぁ」
「これはエドワード将軍閣下、お疲れ様です!」
帝都の高く強固な外壁の外。その中でもやや警備の薄い、敵の予想侵攻方向の反対側にあたる北側に、警備状況の確認と兵士の労を労う為にエドワード将軍が一人立ち寄っていた。
「おおジャンセンか、ご苦労。すまんな退屈な場所を任せて」
彼、ジャンセンは青光騎士団の若き精鋭の一人。暫く他国との鍔迫り合いさえ皆無だった帝国。それ故に今回は若い騎士達にとっては初めての戦となり、皆日々の研鑽の成果とあわよくば手柄の一つでも立てようと気合いが入っている。
残念ながら遠征隊に漏れた青光騎士団に於いては、より敵の侵攻の可能性が高い箇所こそ魅力的であり、いくつもの警備隊を越えた先に位置するこの場所は最もそれらに遠い、いわばハズレであると言えた。
「お気遣いは無用です。情報の少ない今回の警備に於いては、いかな場所とて攻められる可能性が無いとは言えないでしょう」
「……そうだな。実を言うとオレはな、敵はもう既にこちらの懐に入っているような気がしてならんのだ。まるですぐ側で襲いかかる機を伺っている。そんな気配を感じるのだよ、まあ気のせいかも知れんがな」
そう言うとエドワードは、外壁の外に広がる闇に視線を送った。篝火を焚く城壁付近が明るい為に、闇はより深く感じられる。
ドスッ!
闇の中に潜んでいるかも知れない何者かにその意識を向けていた彼は、ふいに背中を襲った衝撃とそこから広がる熱と痛みに我に返って振り返る。
「まったく、勘が良過ぎるんですよ閣下は……」
そこには血の付いた短剣を握り、見た事もないような邪悪な笑みを見せるジャンセンの姿があった。
「……なっ!きさ……ま…………」
言葉は続かない。青光騎士団団長、エドワード・ギルシュテイン将軍の意識は、そこで途絶えた。




