三日前
「へっひょふ、はんはったんねひょう、ほにいひゃま?」
「……とりあえず食べてから話せシズカ」
俺とシズカは毎日ではないものの、かなりの頻度で通うようになった『甘麦屋』に来ていた。いつもかなりの数を買う為に、店側から事前に購入日と購入数を教えてほしいとまで言われるようになっている。ちなみに今日の予約数は五十個。【魔眼】に保存の効く俺なら別に多過ぎる数じゃないし、先日の神域アワシマでこれまで買っていた分を全部あげてしまったので、在庫補充も兼ねている。買いに来る時間まで指定したので、合わせてくれたのか焼きたての物も幾つか入っており、シズカは早速、買い物当番の特権でそれをつまみ食い中だ。
「……んっく……ぺろ。すみませんお兄様。で、結局ジャンヌの父上様のご用とは何だったんでしょう?」
「まあ、屋敷に厄介になっているとはいえ俺達は部外者。話せない部分もあるみたいで彼女も言葉を濁していたが、要約すれば南方から蛮族の侵攻してくる可能性があるらしい」
「蛮族……ですか。それで、大丈夫なんですのこの国?」
「ああ、皇城で会った将軍のうち二人が軍を率いて向かうらしい。それだけでも相手が逃げ出しそうだって言ってたから、大した相手じゃないんだろう」
「では安心ですわね……はむはむ……」
「……あまり食べ過ぎるなよ」
安心したのか、再び二個目のあんパンを頬張るシズカ。そんな様子を呆れて見ていると大通りの方が何やら騒がしくなってきた。聞こえてくるのは人々の歓声と馬の蹄の音、続いて荷車の車輪の音や多数の足音。気になった俺達が大通りに差し掛かると、ちょうどその音の主の先頭が俺達の目前を通過するところだった。
愛馬サンジェルマンに跨り先頭を進むのはガウェイン将軍。いつもは物腰が柔らかく話し易い人物だが、戦闘に向かう緊張からか表情が硬い。硬いと言うよりあれは死地に赴く者の顔のようだ。とても楽勝で勝てる戦地に気軽に向かうようには見えないのだが、群衆の手前、ワザと真剣な顔を作っているのかも知れない。
群衆の会話に耳を傾ければ、これは一種の戦勝祈願のパレードみたいなもので、城壁の外にはこの何倍もの兵士や馬が待機しているらしい。彼等の合流を待って、全てが馬や馬車に乗って出発するのだとか。
「たいした規模ですわね。これなら楽勝って話も納得ですわ」
確かに、ここまで立派な装備と武器を持ったこれだけの規模の軍勢など、そうそうお目にかかれるものではない。ガウェイン将軍のあの表情が気にはなるが、確かに俺達は部外者だ。無理に首を突っ込むのも気が引けるので、とりあえずは気にせず状況を静観する事にしよう。
シンリ達がこうしてガウェインを見送った少し前。彼は夢の中にいた。
近くの岩の上から釣り糸を垂らす兄ガルデン。木陰の母の膝の上で眠るガイウス。川に入り石で魚を追い詰める堰を作る幼き日の俺。いつの事だったか、これは家族で山に出かけた時の光景だ。将軍の地位にあり仕事で忙しい父に代わり、母は俺達と出来るだけ共に過ごし、愛情を注ぎ、様々な事を教えてくれた。
美しくそして誰よりも優しかった母。そんな母の乗る馬車がある時大規模な野党の襲撃に遭い、護衛の兵士共々その命を散らすと、俺達はその無念と悔しさをひたすら剣にぶつけて、母を奪ったような理不尽に立ち向かう為、ただ強くなる事に日々の全てを捧げた。思えばあれ以降、俺達が剣でなく釣竿を持つ事などは一度もなかった。
特に強さに対する兄ガルデンの執着は凄まじく、病死した父の跡を継いで将軍職に就く頃には、その名は帝都じゅうに轟き、『武』のガルデンとして名を馳せていた。
そんな兄の訓練や模擬戦には多くの人が集まって声援を送り、その姿を俺やガイウスも誇らし気に眺めていたものだ。
「…………様……イン様……ガウェイン様!」
キサラギの大きな声が俺を現実へと引き戻す。今の俺は装備を整えて椅子に腰かけ、軍勢の出撃準備が整うのを待っている。昨夜も殆ど眠れなかった俺は、うっかりうたた寝をしてしまったようだ。
「……まさかあの兄さんを、この手で討つ日が来るとはね」
「何か仰いましたか?」
「いや、何でもない……」
「しっかりなさってくださいね!今回のご活躍次第で少しは沙汰も変わりましょう。これが最後のチャンスですよ!」
彼女の言う通りだ、座して待つのは御家断絶の道のみ。だがニコラスやボルティモア達は、本来なら謹慎すべき俺に挽回の最後のチャンスを与えてくれた。もう迷っていても仕方がない、これしか道は残されていないんだ。
「キサラギ、準備は?」
「皆、将軍閣下の合図を待っております」
「そうか」
俺は自分を奮い立たせて椅子から立ち上がり歩き出す。部屋を出ていく俺を、本日までで護衛の任を解かれたキサラギが初めてここに来た時同様、惚れ惚れするような姿勢から美しいお辞儀をして見送ってくれた。そう言えば彼女は、どこかあの優しい母に似ていたかも知れない。
外に出ると我が赤光騎士団員を中心に、青光騎士団と黒光影団から合流してくれた者達を加えた軍勢が隊列を作って待機していた。
「閣下、準備は整っております!」
そう言いながら我が愛馬サンジェルマンを引いて来たのは副団長のオットー。俺が将軍職を引継ぎ、兄が『緑』を作ると、我が騎士団からも兄に心酔していた者達が数多く離れていった。それはそうだ。あくまで『武』のガルデンの弟としてしか見られていなかった俺に人望が集まる筈もない。
だが彼は帝国を守るとの強い信念の下この俺を支え、バラバラになっていた騎士団をここまで纏め上げてくれた。
「今までありがとうオットー……」
愛馬に乗りながらそう言うと、自らも騎乗したオットーが隣に並び、軽く俺の背を叩く。
「まだ何も終わってはいません。それに今の貴方は一軍の将、背筋を伸ばしなさい!」
彼の言う通り、まだ終わってない。キサラギも言っていたように最後のチャンスなのかも知れない。何より、今はこの愛すべき帝国を守る事に専念しなければ。
俺は背筋を伸ばして真っ直ぐに前を見る。
「全軍、行軍開始!」




