第1話 開戦白雪姫
魔女は客観的には存在しない。
しかし、魔女術は社会の中で現実に存在している。
E.エヴァンズ=プリチャード
「鏡よ鏡」
『おはようございます、魔女様、なにから始めましょう?』
「一番美しいのは誰?」
ベッドの中で魔女は日課となった質問を『鏡』に投げかけた。
Thinking……
『結論から言うと、今、一番美しいのは魔女様です。その理由を整理すると次のようになります。
容姿の美
金髪碧眼
白磁のような肌
すらりと伸びたしなやかな体
才能の美
天才としか言いようがない魔法のセンス
底知れない魔力
何があっても折れない心
精神の美
地道に積み重ねてきた努力
一歩も引かない勇気
決して揺るがない意志
でも明確な弱点もある。
どこを治せば良くなるか具体的に挙げられるけど、どうする? とても興味いポイントです』
魔女は煙草盆を引き寄せ煙管を咥えた。
刻みタバコが勝手に丸くまとまり、跳ねるように火皿にはまった。
魔女は紫煙を鼻から吐き出した。
「あげてみてよ」
『健康のため、禁煙を推奨いたします』
「うるさいわよ」
魔女は隣で静かに寝息を立てていた侍女メアリーのお尻を軽く叩いた。
「うーん、おやめ下さい魔女様」
メアリーが寝返りをうった。
お尻をポリポリと掻いて再び寝息を立てる。
「改善点の続き」
『この地域にはあなたの美を脅かす脅威が少なくとも三つあります』
「三つ?」
いつもと違う『鏡』の反応に、魔女は雁首を灰皿に打ち付けた。
「どういうこと?」
「第三位。その脅威は城下町にいます。
名前は灰被り姫。
舞踏会において、誰もが目を奪われるアイドルとなり、あなたの地位を脅かす可能性があります」
「それは今、私の分体が対応しているから問題無いわ」
『そうなんですね。続けますか?』
「ええ、おねがい」
『第二位の発表です。
名前は茨姫。別名眠れる森の美女。
覚醒率は現在82%。百年の眠りから目覚めるのもあと少しです。こちらは魔女様が対応されていましたね」
魔女は片膝を立てて頬をついた。
「昨日まで大した情報を吐かなかったのに、急に詳細ね。どうした」
Thinking……
「昨日大幅なアップデートがあり、『鏡4 Pro』になりました。最もインテリジェントなモデル へのアクセスレベルが最大限に引き上げられており、より複雑な思考を長く行えるように改良されています。動画生成、音楽生成も行えるようになりました」
「鏡が動画生成してどうするのよ。まあいいわ。それより問題は第一位よ」
「映えある第一の発表です」
ドゥロロロロ、ジャン(鏡が生成したドラムロール)
『第一位は禁域の森の東地区にいます。
名前は白雪姫。森に追放された七人の研究者を仲間に引き入れました。
三日前に魔女様の分体『赤ずきん』が毒リンゴで殺害したはずですが――どうやら復活したようです』
「復活、またぁ?」
『7回目の復活ですね。ただ今回の様子はこれまでと少し違うようです』
「違うって何が? 前回は確か、物凄い巨乳に変化したみたいだけど」
『実は……
応答が停止しました』
「鏡?」
『お久しぶりです、魔女様。何から始めましょう』
センシティブな問題に触れたらしい。
「う」
魔女の右目から血があふれ出した。
右目は白雪姫から受けた仕打ちをまだ覚えているらしい。
鈍い痛みで魔女に決断を迫った。
「もうたべられません」
メアリーの寝言を合図に、魔女はベッドを出た。
ブラシや櫛、下着や白いブラウスが浮き上がる。
魔女の周りに集まって、踊り、回転して、身支度を整える。
その音でメアリーが上半身を起こした。
「ふわあ、おはようございます、魔女様、どうされました」
「メイ、仕事の時間よ」
「はい、すぐに用意いたします」
ナイトテーブルに置いたメガネをかけたメアリーは、ガウンを羽織って足早に部屋を出ていった。
しばらくしてから、下着を履き忘れたことに気付いて戻ってきた。
メアリーはばつが悪そうに舌を出した。
「そういえば魔女様、何をなさるんですか?」
「眠り姫を起こすのよ」
****
「今日は建国祭だったわね。舞踏会には戻るわ」
魔女はメアリーにキスをして、執務室のバルコニーから飛び降りた。
「いってらっしゃいませ」
メアリーは深々とお辞儀をした。
箒の上に飛び乗った魔女は、サーフボードよろしく樹冠の海を滑り出した。
「鏡よ鏡」
軽やかな電子音が魔女の耳に響いた。
『接続を確認しました。何から始めますか?』
「赤ずきんと連絡が取れない。白雪姫の現在の状況を」
「状況を確認しています……おっと。白雪姫は現在西の森。直線距離で距離約20km。現在は時速3km/hで南に移動中。到達予想時間と予想進路を表示しますか?」
「目的地は城でしょう」
『そのようです』
魔女は高度を上げた。
『二時の方向にエネルギー反応』
「アレが白雪姫? なんか想像していたのと違うわね」
巨大な緑色の塊が森の木々を倒しながらゆっくりと移動している。
「何あれ? 毒ナメクジ?!」
白雪姫が通った跡は森の木々が茶色く枯れて煙を上げていた。
「あれって、やっぱり毒林檎のせい?」
『恐らくは』
「急がないと、森が汚される!」
魔女は九時の方向に急旋回して高度を一気に落とした。
城の裏側に広がる原生林は禁域の森と呼ばれている。
領主の所有地だから一般人は立ち入り禁止というのが建前。
実態は、一般でないモノ 犯罪者、妖精、魔獣などという都市文明から逸脱したモノたちが跋扈する危険な異界である。
茨で覆われた古い城のバルコニーに降り立った魔女は窓を開けて内部に侵入した。
「いつ来ても酷いわね」
部屋の中まで侵入した茨の蔓や根を魔法で切断しながら進む。
茨姫が眠る寝室まで来た魔女は、扉の横の認証システムに手をかざした。
『魔女B11。認証しました』
密閉が解かれ、室内から滅菌室特有の乾いた光と、励起された酸素の金属臭が溢れ出る。
「眠れる森の美女、今、起こしてあげる」
百年も続く眠りの呪いは彼女の細胞を緩やかに狂わせた。
姫を護る茨もまた呪いによって変容した。
二つの細胞は混ざりあい、愛しあい、融合して無限に増殖する怪物――文字通り『茨姫』へと姿を変えたのだ。
部屋の中央のベッドには、脈打つ巨大な幹が食い込むように横たわっていた。
その裂け目から、白磁の肌の美少女が“実って”いる。
皮膚の下で何かが蠢き、呼吸のたびに輪郭がわずかに歪む。
魔女は躊躇なく、彼女の喉に差し込まれた幾本ものバイパスチューブを引き抜いた。
湿った音が室内に残る。
次の瞬間、制御パネルが悲鳴のような赤いノイズを撒き散らし始めた。
「グッモーニング」
魔女は美女の頬を両手で抱え、その唇に深々とキスをした。
森が震えた。
鳥たちが飛び立つ。
森の中から白い手が天に向かって伸ばされた。
もう一本、
さらにもう一本。
森の一部が盛り上がり、眠れる森の美女――茨姫が、その変容した巨大な姿を顕わにした。
魔女は箒にまたがり茨姫の瞳の前に浮き上がった。
右手で森の彼方を指差す。
「あれを見なさい」
彼方の森が茶色に変色している。
巨大な緑色の肉塊が立ち上がり咆哮を上げた。
「あれは白雪姫の成れの果て」
茨姫は唸り声を上げた。
それは本能が感じた恐怖であろうか、これから行われる闘いの気勢であろうか。
「ゆけ、茨姫! 白雪姫を倒しなさい」
巨大森の美女は無数の手を伸ばし地面を押さえ付けた。
周囲の木々がわななく。
半身を大きくそらした茨姫が、その巨体を空に跳ね上げた。




